娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

多発性骨髄腫

2009年12月03日 13時00分25秒 | 
母がこの病気を患うまで、私はその病名を聞いたことがありませんでした。

昨年、医者からこの病名を聞いた時、母はすごくショックを受けたことでしょう。

母は医者から概略の説明を既に受けていて、私には“何でこんな病気になちゃったんだろう”、
“10万人に数人の病気なのに”、“もう長いこと無いのかな”と言って、
その落胆ぶりはとても可愛そうなものでした。

母抜きで私たちは医者からは“病気とは長いつきあいになります、家族の協力が
無くてはこの病気と闘うことは出来ません”といわれ、私たち夫婦もその病気が
いったいどんなものか調べるようになりました。

ネットで調べると、医者の説明より詳しくそれが難病であり、また完治は
不可能で今後現れる症状、治療法、生活方法、余命等が解ってきました。

血の気が引く思いでした。

それでも楽観的に母は大丈夫と、根拠のない希望がありました。
しかし、病期といわれるステージが進むにつれ、調べた通りの症状が現れてきました。

背骨の痛み、薬の副作用によるむくみ、手足の痺れ、食欲不振、もう何でもありの状態でした。

通院毎に処方される薬も、血液検査のデータから時々変わり、主にデカドロン、
ハイペン、プロへパール、バクタ、ジフルカン、ピーガード、マグラックス、
オプゾ、その他吐き気止めなど5種類位でした。

これらを1日に起床時、毎食後、就寝時の5回飲まなくてはなりません、それも
組み合わせがとても複雑で、毎回薬袋から出して飲むことは高齢の母にとって
不可能でした。

私は、1回毎に飲む薬を小さい袋に入れ、食事後に飲めるように
薬専用カレンダーを作りそれに貼り付けていました。

この仕分けがものすごく手間で、1週間分、35袋にそれぞれの薬を入れるのに
1時間ほどかけていました。

それらの薬の中で自己調整可能なものあり、それを考えると母の状態を
聞きながら量を調整していました。

母の免疫は日々無くなってきていたので、感染症にならないよう、予防薬も
多数含まれており、こんなに大量の薬を毎日飲み続け、体は大丈夫なのかなと
本当に心配していました。

治療法は、ベルケイド投与によるものでしたので、2週間で4回通院する
こととなりました。

1サイクル終了後、検査結果から特に悪くなっていないとのことで、
2サイクルは様子を見ながらその時期を決めるとのことでした。

続く。


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