娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

母の闘病生活4

2009年11月28日 09時02分19秒 | 

11月11日、この日は以前に予約した診察日でした。
兄夫婦と私たち夫婦で付き添うことになり、兄夫婦は転院後初めての付き添いでした。

いつものように受付を済ませると採血、体重測定、血圧測定となり、
この日に限って体調が良かったみたいです。

これまでは、受付を済ませると処置室のベッドで診察時間まで横に
なっている事が多かったのですがこの日は違っていました。

昼頃になって、まだ診察の順番が来ませんでしたので私は出社し、
後のことは妻と兄夫婦にまかせました。

3時頃、会社にいる私に連絡があり、赤血球が減少しているので輸血をし、
ステロイドの投与をしたそうです。

更に、骨髄腫の治療としてサリドマイドによる治療が提案され、実際の治療は
12月の予定でその日はそのまま帰ってきたようです。

途中、リンガーハットに寄り、4人で食事をしてきたようでそれが最後の外食に
なってしまいました。

私が会社から帰宅すると母は疲れたのでしょうか、先に寝ていました。

次の朝、私より先に起きていた母は吐き気と共に、少しの痛みを訴えていましたが

いつものように時間が経てば和らぐだろうとしか考えず、妻に様子を見るように
言い残してそのまま出社しました。

3時頃妻から、“お母さんの様子がおかしいの、とても苦しそう”と心配な声で
電話がありました。

私もちょっと心配になり、出来る限り早く帰って様子を見るつもりでしたが、
5時過ぎにまた妻から電話があり、“お兄さんが来て、お母さんを救急車で
病院に連れて行ったよ”との電話がありました。

妻は、動揺した様子でとても心細かったのでしょう、可愛そうなことを
してしまいました。
3時頃、私に電話した後にすぐに兄にも電話したようで、兄はすぐに駆けつけてくれました。

その時の苦しそうな様子からすぐに救急車を呼んだそうです。

後で妻から聞いた話ですと、昼過ぎてしばらくは痛みがあるものの、
いつも通りでしたが3時頃から急に悪くなったみたいです。

会社から病院に駆けつけると母が救急センターの処置室のベッドにいました。
意識は無く、点滴、酸素マスク、その他いろいろな機器が付けられていました。
今までこんな事はなかったのに、“どうしちゃったのだろう?”と思いました。

応急処置で麻酔を打って横になった母を見ると、ぐっすり眠っているようでした。

でも、母に付けられた器具を見るとそのどれもが重々しく、ただ事ではないと
感じずにはいられませんでした。

頭の中では走馬燈のようにこれまでの思い出が涙と共にあふれ出てきました。
素人ながらにその時“もう、だめかもしれない”と感じていました。

先に来ていた妻と兄夫婦は、別室で救急センターの医者から説明を受けていて、
私が来たことで同じ話をもう一度してくださいました。

X線やCTの写真を見せながら、その表情はかなり深刻で、素人の私が見ても
その写真は異常であり肺の部分に黒い正常なところが全くありません。

ほとんどが真っ白で、右肺の上部がかろうじて黒く映っており、
この部分しか空気が入らない状態で、他は水が溜まっているというものでした。

先生の診断では、感染症を起こしてしまい肺炎になったということで、しかも、
肺炎の中でもやっかいなカリニ肺炎という種類で、病原菌に対して免疫が
全くない母はその進行度合いもかなり早いものでした。

それでも、その先生は、肺の水が抜けるか主治医と相談しながら治療を進めると
話していたので一縷の望みが出てきました。

この肺炎がそんなに進行が早いのか聞いてみると、例として朝、肺炎にかかり、
夕方には命を落とす場合がかなりあるということで、それを聞いてまたショックでした。

緊急入院のため、母は処置室から入院病棟に移されました。
移動途中、母の痛々しい姿を直視することは出来ないくらい可愛そうでなりませんでした。

病棟に移ってしばらくすると麻酔が切れたことで母の意識が戻ってきました。
苦しそうでしたが、酸素マスク越しに話すことは出来、皆の顔を見ながら
心配させて申し訳ないと言い出しました、それどころではないのに。

母に、肺に水が溜まったこと、それを処置すれば元気になることを伝えて
安心させようとしましたが、喜んでいる様子はありません、いよいよ自分の
死期が近いことを悟っている様子でした。

夜の9時を過ぎ、家に残っている娘の世話をするために妻は帰宅し、
私も母といるのがつらいので一緒に帰宅し、その晩は兄夫婦に付き添いを頼みました。

次の日の朝、病室を訪れると前日よりも苦しそうな母の姿がありました。
前日の医者の説明では肺の水を抜く処置を行うことを聞いていましたので、
主治医はすぐに緊急手術を行ってくれると思っていました。

看護士に“主治医はまだ来ないんですか?”と何度も訪ねましたが主治医も
外来を抱えており1時まで待つようにとの指示。

その間にも母の様子は更に苦しくなっているようでした。
やっと、1時過ぎに来た主治医から別室で現状を説明されました。

その内容は、肺の水を抜くことでショック死することが考えられ、しかも
手術する体力が無いことも伝えられました。

前日の医者より更に深刻な顔で、残された処置は無く、肺を正常に戻さない
限り苦しさはなくならないとも。

でも、肺は処置できない。
あまりにも急激な悪化なので、手の施しようが無いのが現実でした。

医者としては、痛みを無くす治療しかない事も伝えられ、
余命はこの数日であるとの説明を受けました。
だって、苦しんではいるもののまだ話すことができるのに。

自分の体より、私たちの食事の心配、娘にお年玉をあげたいこと、
私の有給休暇の心配をするくらい意識はしっかりしているのに何で余命数日なの?。

続く。



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