娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

母の隠居生活1

2010年04月21日 22時40分49秒 | 

母が亡くなって5ヶ月経ちます。
不思議なことに、月日が流れるほど母の思い出が甦ってくるような気がします。

母が元気だった頃、私たちと母を含め4人で2泊の旅行に行った事がありました。
サファリパークや日本ランドで遊び、その後近くのホテルでゆっくりし夕食を豪勢に
食べた思い出があります。

娘が幼稚園に入る前だったので6年程前だったと思います。

この時の母は凄く元気で、友達同士でピクニックやバスツアーに参加し、仕事も
バリバリやっていました。

仕事は掛け持ちで、新聞の集金と、運送会社で荷物タグに書かれた配送先をPCに
入力する仕事をしていました。

時間を持て余す生活が嫌いだった母は、極力社会との接点を持ちたい、外部からの刺激が
有ってこそ自分らしい生活が出来ると考えていたみたいです。

また、独居の寂しさを仕事を持つことで紛らわせていたのかもしれません。

70歳を過ぎても1日6時間は運送会社で仕事をして、忙繁期は夜遅くまで残業を
することもありました。

でも、3年程前から疲れがひどくなり、怪我してもなかなか治らず、
ちょっとつまずいて手を着いたとたんに骨折するなど、その時から体に病魔が
取り憑いていたのかもしれません。

いよいよ体が普通じゃないと感じた母、自ら病院へ行って判ったのが
多発性骨髄腫でした、一昨年の5月です。

そしてカウントダウンの始まりであり、隠居生活の始まりでもありました。

医者からは強く仕事を辞めるようにとの指示に従い、母に代わり私が退職の
手続きをしました。

隠居生活が始まるとそれまでの忙しさから解放されたものの、
時間を持て余し気味となり、何をして良いか判らない状態でした。

それもそのはず、私が小学校に行っている時から働き通しだった母、会社の公休日以外
家にいたためしがありません、いざ仕事を退職し、ゆっくりしようにもその方法が
見つからないのは無理もありません。

“元気なのでまだ働けると思うんだけどなー”と言う母に“それは絶対ダメー”と返す
事もしばしばでした。

掃除、洗濯、買い物、友達を呼んだり呼ばれたり、それでも時間は余ってしまいます。

また、実家に行く毎に家の中が綺麗になって、不要なものがだんだんと減ってきたので
どうしたのか聞くと、“最近よく、掃除をするんだよ”と言っていました。

時間があることに加え、いつかは死期が訪れることを考えていたと思います。




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