いざという時のために身の回りを少しでも整理しておきたいと思ってのことでしょう。
隠居生活の1年は、特に治療を行わず定期的に病院で検査を受ける程度で、足腰も
年相応に弱っているものの普通に歩くことが出来ました。
バスや電車も不自由なく乗り、大病を患っているとは本人以外判らない生活を送って
いましたが、去年の5月からは身体に変化が現れ頻繁に腰や背中の痛みを
訴えるようになりました。
病院で検査すると、治療を必要とする病期に変わっていました。
治療のために入院が必要となり、それ以降は入退院を繰り返すようになりました。
母は75歳で他界しましたが、隠居生活の1年間が人生の中でもっともゆっくり
出来た期間かもしれません。
でも、それを自分から望んだ訳ではなく、病気の発覚と共にそうせざるを得ない
状況になっただけで、健常者の隠居生活と較べれば精神的な違いは言葉に
出来ないものだったと思います。
隠居生活と共に、月に3、4回は仕事が終わってから実家に行って泊まり、次の日は
そこから出社という生活になりました。
私が行っても特にすることはなく、ちょっと話し相手になってあげるくらいで、それでも
母は夜、自分が眠くなるまで色々なことを話していました。
こういう時、子どもが男ではなく女であったら、女同士でもっと気楽に話せるのでしょう、そう思いました。
母の隠居生活、それは不治の病との闘いであり、決して平穏な時期ではなく仕事を
辞めたせいで気を紛らわせることも出来ない母にとっては辛い時期だったのかなと、
今は思います。
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