娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

母の闘病生活3

2009年11月27日 08時50分23秒 | 

8月13日が退院日でした。
そして、4人の生活が始まりました。
階段の上り下りは難しく、転倒のおそれもあるので普段使っている1階の居間に
母が寝むれるようにスペースを作りました。

母の部屋兼、リビングでありダイニングということになりました。
また、デイサービスの申し込みも行い、毎週水曜日に近くのセンターに行く
ことになりました。

一緒に暮らすようになってしばらくは体の具合も比較的良く、休みである土日は
近くの公園に散歩に行くことも幾度かありました。

病気のせいで疲れやすさはありましたが、車いすを使えば2~3時間の散歩は
平気でお腹が減れば途中でお菓子やジュースを飲みながら過ごしたこともありました。

量は食べませんが外食も何度か行くことがあり、その度に娘に
“また来ようね!”と言っていたのを思い出します。

8月下旬から食は段々と細くなり、更に下痢、吐き気などが頻繁に起こりました。
食欲はあっても体が全く受け付けず、水分もかろうじて摂れる程度の日が
2日ほど続きました。

9月1日に救急車を呼び、掛かり付けの病院へ向かい応急処置を施しましたが
症状がひどくそのまま緊急入院となってしまいました。

診断はウィルスによる腸炎でした。
この時から、感染に弱い体はさらに抵抗力が無くなってきたと思われます。
5日間の緊急入院では、抗生物質が投与され入院の次の日にはケロッと
良くなってしまい“あれは何だったのかと?”と思うくらいの回復でした。

そんな状態でも、骨髄腫の悪化は特になく退院を楽しみにしていた母でした。

9月6日に退院してからは、食欲も出てきて前と同じように好きな物を食べ、
体の痛みも軽減され普通の生活に戻りました。

その後、10月の中旬になるとまた食が細くなり、食べられない日が
続くようになりました。

体の痛みや、夜眠れない日もあり疲れやすいせいか1日中寝ている事もあり、
心配になったのを覚えています。

10月下旬から11月上旬にかけて、病院に緊急搬送した日もあり、その時は
血小板輸血、ステロイドの投与、栄養剤の投与などが行われました。

その時の診断では、骨髄腫が悪化しているとの説明を受けました。
数日前の血液検査では悪化しているということはなかったのですが、
その検査以降数日間で悪性のリンパ球が血液に漏れ込み白血化したようでした。

血液の流れによって、全身に悪性のリンパ球が回っているので、かなり
ひどい症状であり主治医も急激な変化に驚いていました。

主治医に別室で説明を受けると、もはや手の施しようが無く、この時、
余命数ヶ月との宣告を受けました。

“えっ、本当なんですか?”、主治医は黙って頷くばかりです。

その日、入院はせず点滴を終えた母を車に乗せ家に戻りましたが、
少し回復した様子で帰りに食べたいものがあるからと途中、一緒に買い物に行きました。

11月8日の日曜日に、この日は母の体調も良く、母の提案で
寿司を食べに行こうということになりました。

兄夫婦も呼び、7人で近くの寿司屋さんに行くと、いつも小食な母は
7個も食べてしまい久しぶりにお腹が一杯になったといっていました。

とても数日前に点滴と輸血を行った体だとは思えませんでした。

続く。

 



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