素振りブログ。

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中庸は目指すものであって到達したと宣言するものではない

2021年08月28日 00時00分00秒 | 日記
新聞の談話室に「ようつべ番組ばかり見ていると、自分の気に入る論調の番組ばかり選んでしまい、発想が偏ってくる」みたいなことを書く人がちらほら居るんですけど。
まぁ、それは事実でしょうが、気にすることは無いんじゃないの? と私は思うんですよね。

大事なのは自分の意見を絶対視しないことではないかと。

自覚あるならいいんじゃない? 発想が偏ってるって。

私はそう思うんですけどね。

まあ、それを嫌って幅広く話を聞くぞと思う人はやればいいと思うけど。
だからと言って、中庸を自称する手合いは困りものですな。

自分は絶対正義と言い放ってるのとほぼ同義ですから。
私はそういう手合いは信用しません。

幅広く意見を聞いて(いると思い込んで)いようと、中庸を自称したらイカンわ。
そこは謙虚さを持たんとね。
中庸は目指すものであって、辿り着いたと宣言するものではないでしょう。

とするなら。

ようつべで自分の気に入る論調ばかり聞いていようと、意識してその辺幅広く聞いて(いると思い込んで)いようと。
その後謙虚な行動が要求されるんだから、結局同じでは?

私はそう思うんですけども。