今日も明日も愛してる

私が見たものをあなたにも見せたい。月日が経って季節が変わっても、これは世界へのラブレター。

美術館のおみやげ

2009年07月18日 | ベルク
中身はコーヒー豆の形のチョコ。
外箱はゴーギャンでも製品はニューカレドニア製。
何でこんなのを欲しくなるのか、自分でもわからん。

美術館の帰りって、ベルクにいると色々なことを思い出してきていい。
あの絵は、ちゃんと主語も目的語もあったなーとか
究極の質問に到達したんだなーとか
館内が冷蔵庫のように寒かったなーとか。
そういうのをつまみにして、ビールを飲んだ。
コメント (2)

ゴーギャンの絵を初めて見た

2009年07月18日 | 観たり、聴いたり、読んだり
私がゴーギャンについて知っていることと言えば

「ゴッホと同居していたけど、なかなか大変だった人」
「タヒチの裸の女性の絵を太い線で描いた人」
「江戸時代の吉原に居続けの絵師みたいに、タヒチにどっぷりだった画家」
そんな事くらいだった。

今回初めて来た絵は、彼の最高傑作と言われているそうだ。
彼はもう死ぬつもり、死んでもいいつもりで、これを完成させた。

彼の人生で、つまり人間の人生で出会う様々なことを
順番など無視して、象徴的な女性の形で表している。
彼にとっての女性って、彼の中の要素を形にしてくれる存在だったんだな。
異性としての女性をこよなく愛し、また自分の内面としての女性を愛し、
彼は常に何かを求めていたみたいだ。




絵の左の端っこに描かれた老婆。
死を怖れながらも受け入れた、と会場内に作品の解説があった。
死は最後に来るから端っこに描かれた?



実際に見たこの絵の老婆は、私には
受け入れながらも死を憎んでいる。
そして憎んでいながらも哀れんでいる。
そんな風に感じられてならなかった。

この大きな絵の左端に立って、私の顔と向き合わせるように見たら
死から助かることのできない人間(私)、それを哀れんでいるかのようだった。



《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》 
作品解説
http://www.gauguin2009.jp/items4.php
コメント (2)

二度目の道

2009年07月18日 | ボソッと

この先がどうなっているか、私は知っている。
でも何があるかは問題じゃない。
行くかどうかなの。

この道の先にはね、さらに道があるのよ。

コメント (7)