森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

浮遊島の章 第19話

2010年04月21日 | マリオネット・シンフォニー
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 浮遊島の一角に穿たれた、浅い洞窟の中。
 ノイエが目を覚ますと、近くにフジノの姿はなかった。外は明るく、入口から陽光が射し込んでいる。どうやら朝になったらしい。
「……フジノ……?」
 ノイエは起き上がると、洞窟の外に向かって歩き出した。
 身体の調子は悪くない。一晩ぐっすり眠ったおかげか、ほぼ完全に自己修復したようだ。ノイエは洞窟の外に出ると、陽光の直射に目を細め、ふと聞こえてきた水音の方向に視線を向けた。
 洞窟から少し降りた所を流れている川に、揺れる紅の髪が見える。ノイエは知らず溜息を洩らし、そちらに向かって降り始めた。
 ノイエは気づいていなかった。先程の溜息が、安堵から来たものだということに。

「ノイエ。もう起きたのね」
 朝食用に魚を獲っていたフジノは、川辺に佇むノイエを見つけて岸に上がってきた。捕まえた魚に木の枝を突き刺し、用意しておいた薪の周囲に突き立ててゆく。
「すぐに食事の用意ができるから、それまで少し待ってて。……どうしたの?」
 何の反応もないノイエに、フジノが不思議そうな視線を向ける。寝起きのためか呆としていたノイエは、フジノに見つめられていることに気づいて慌てて顔を背けた。
「い、いや。何でもない」
 川岸に膝をつき、誤魔化すように顔を洗う。冷たい水が頭を冷やし、意識が次第に覚醒してくる。
 しかしどれだけ頭を冷やしても、芯の辺りに残る不可思議な痺れを消すことができない。水面に映る自らの姿は、自身の心までも映し出しているかのように、絶え間なくゆらゆらと揺れている。
「……僕は一体、何をしているんだ……?」

 食事を終えて、しばらくの後。
 川岸でくつろいでいたフジノが、ふと何かに気づいて目を細めた。
「何かしら、これ……雪かな?」
 いつの間に降り始めたのか、二人の周囲に淡く白いものが舞い降りてくる。空には雲一つなく、そもそも今は夏なのだから雪が降るはずもないのだが。
「綺麗ね……」
 うっとりと呟くフジノ。
「貴方もそう思わない?」
「……別に」
 ノイエが興味なさげに呟くと、フジノは痛みをこらえるような微笑みを浮かべた。
「きっと昔の私だったら、同じことを言ったでしょうね。でも最近、こういうのも悪くないかなって思うようになったのよ。どうしてかしら」
 二人はしばらくの間、無言で雪を眺めていたが、やがてフジノが呟いた。
「そう言えば……私の知り合いに一人、雪みたいな女がいるのよ。優しくて、控え目で。でもすべてを受け入れて、包み込むような女。私はそいつのこと、本当に大嫌いだったけど……今になって考えると、私じゃ絶対にかなわないなぁって思うのよね」



 
「カシミールとスケア……うまくいってるといいな」




第19話 幻の島 -生きる-



「カシミーーーール! ……うわっ!?」
 薔薇の群れを越えて跳躍したスケアは、空中で突然何かに弾き返されてその場に落下した。見ればカシミールを中心として、球状に輝く障壁が展開されている。
「これは……カシミールのバリアか!」
 スケアはL.E.D.を構え、しかし思い改めて大地に捨てた。L.E.D.の出力ならカシミールのバリアを破ることはできるだろうが、ツェッペリンが作動している今、へたをすれば誘爆しかねない。
「待っていてくれ、カシミール! すぐに助けに行く!」

   /

 彼女が目を覚ますと、そこは病室だった。
 やわらかな陽射しと共に穏やかな風がカーテンを揺らし、病院特有の白い壁面に投げかけられた光と影が、陽光を反射する水面のようにゆらゆらと揺れている。
「……今、誰かに呼ばれたような……」
「どうしたの? 自分のこと、何か思い出した?」
 ベッドの隣に置かれた椅子には、一人の少年が腰かけていた。一見して病弱とわかるほどに痩せ細り、肌は青白い。滑らかな青い髪が、整った顔を更に引き立てている。
「……ううん、ダメみたい。何かが心の中でひっかかっているんだけど」
 彼女は力なく呟くと、少年の方を向いて言った。
「ごめんなさいね。貴方のベッドを使ってしまって……」
「え……あの、別に構わないよ」
 少年は顔を赤く染めると、
「えっと……そうだ、先生はまだかな?」
 急に立ち上がってベッドから離れた。
(あんなに慌てなくてもいいのに。そういうとこ、何だかあの人にそっくりね)
 彼女はクスクスと笑い、ふと考え込んだ。
(……あの人……って、誰だっけ……?)

 その時、扉に向かっていた少年が、突然胸を押さえて苦しみ出した。
「大丈夫!?」
 彼女は慌てて駆け寄ると、驚くほどに軽い少年の身体を抱き上げてベッドに寝かせた。胸元のボタンを外してみれば、露出した肌には奇妙な模様が刻まれている。
「これは……」
「な、何でも……ないよ……」
 玉のような汗を浮かべながらも、少年は穏やかに微笑んで胸を隠そうとする。彼女は咄嗟に少年の手をつかむと、握り締めて押し留めた。
「ダメよ。ちゃんと話して!」
 何故ここまで少年のことが気になるのかはわからない。しかし彼女は、どうしても聞かないわけにはいかなかった。聞かなければならなかった。
 少年は少し驚いたようだったが、少しずつ話し始めた。

 家族のこと。
 胸の刻印のこと。
 これまでの人生で感じたこと、考えたことを。

「でもね、僕はもう辛いとか思ったりはしないんだ。だって、先生と約束したからね。僕はこれからもっと勉強して、強くなって、一生懸命に生きるんだ。僕に与えられた時間は少ないかもしれないけど、僕は“生きる”意味を見つけるんだ」
 そして少年は、少し照れながら呟いた。
「それから……素敵な女の人と恋がしたいな」

 途端、彼女の胸がズキンと痛んだ。
 とても大切なことを忘れているような気がする。
 絶対に忘れてはいけないはずの、何かを。

「でも。僕なんかを好きになってくれる人がいるのかな」
 少年の表情が、にわかに曇る。
「僕は時々、自分が人間じゃないような気がするんだ。人間の姿をしているけど、中身はまるで違う怪物のような……」
「そんなことないわ!」
 彼女は少年の手を握り、必死になって叫んだ。
「大丈夫よ。貴方みたいな人に愛される人は幸せ者よ!」

 少年は静かな瞳で彼女を見つめていたが、やがて心から嬉しそうに微笑み、彼女をぎゅっと抱き締めた。
「ありがとう……カシミール」

 射し込む陽光が輝きを増す。
 少年の笑顔が光に溶ける。
 あふれる白が天井を、壁を、病室の景色を白く塗り替え、そして──

 気がついたとき、彼女は懐かしいマンションの部屋にいた。
 微かな風は肌に心地好く、窓の外に広がる空は明るい。
「目が覚めたかい? カシミール」
 すぐ隣から、優しい声がかけられる。
 カシミールは声の方向に顔を向けると、薄く微笑んだ。
「おはよう……アインス」

「憶えてる? 私達がリードランスで暮らしていたときのこと」
 リードランスの国立公園を二人で歩きながら、カシミールは尋ねた。
「この公園、よく一緒に散歩したわよね」
「ああ。憶えてるよ」
 アインスも懐かしそうに呟く。
「あの頃は楽しかった。本当に」
「……私、幸せだったわ」
 歩みを止めて、カシミールはアインスをじっと見つめた。
「リードがいて、パティがいて、貴方がいた。お父様達は優しくて、沢山の兄弟に囲まれて。本当に幸せだった」
「カシミール……」
 アインスを見つめる瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
 その涙を隠すように、カシミールはアインスの胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい、アインス。私、貴方のこと、何一つとして受け入れようとはしなかったわ。傷ついている貴方から目を背けて、ただ身勝手な幸せだけを求めてた」
「それは僕も同じだよ、カシミール」
 アインスがカシミールをそっと抱き締める。
「真実を語らずに君を傷つけた。いや、君だけじゃない。いつも誰かから愛を受けることばかりを求めて、その人が何を望んでいるのかなんて、考えたこともなかったんだ」

 と、その時。
 何処から遠くから、カシミールを呼ぶ声が聞こえてきた。

   /

「うぉおぉおぉぉぉぉぉぉっ!」
 スケアはカシミールのバリアに両腕を突き入れると、そのまま強引に突き進んだ。
 衝撃で皮膚が崩れ、肉が焦げる。
 それでもスケアは立ち止まらず、進み続けた。
「カシミーーーーール!」

   /

「スケア……?」
 顔を上げ、声の主を探すカシミール。
「さぁ、もう帰るんだ。彼が待ってる」
 アインスが優しくカシミールの肩を押す。
 しかしカシミールは、再びアインスに抱きついた。
「アインス。私達、もう一緒に行くことはできないの?」
「……ああ。今の僕は、意思のみの存在だから。君達のいる世界に、生命として存在することはできないんだ。それに、君にはまだやるべきことがあるだろう?」
 アインスはカシミールから離れると、その瞳を静かに見つめてささやいた。
「愛しているよ、カシミール。だから君には生きて欲しいんだ」
「私も……愛してるわ、アインス。だから私は、貴方の分まで生きて、この時代を見届ける。約束するわ」

 辺りが光に包まれた。
 すべてのものが徐々に輪郭を失っていく中、カシミールが思い出したように尋ねる。
「最後に一つ、聞いていい?」
「何だい?」
「貴方にとって、私は何だったの? 母親の代わり? それとも欲求の対象?」
 アインスは少し考えた後、
「僕が望んだすべてのもの。僕が生涯追い求め、手に入れようとしたすべてのもの。それが君だよ」
 悲しげな、それでいて少し照れたような表情で言った。
「でも、それをどうやって伝えればいいのかがわからなかったんだ。小さい頃から、その……好きな女の子の前では、どんな顔をすればいいのかわからなくって」
「バカね」
 カシミールは泣き出しそうな笑顔で言った。
「子供みたいなこと言わないでよ」
「ごめん」
 アインスが姉に怒られた弟のような顔で謝る。
 カシミールはアインスの手を取ると、自らの胸に押し当てた。
「私は貴方のものよ、アインス。これまでも……そして、これからも」
「……ありがとう……」
 アインスが子供のように無邪気に微笑む。

 二人の唇が重なった瞬間、すべては光に溶けた。

   /

「良かった。もう、目を覚まさないのかと思ったよ」
 カシミールが目を覚ますと、スケアの優しい微笑みがあった。
「私……アインスに会ったわ」
 カシミールは起き上がると、スケアの姿を見つめた。
 服はボロボロに焼け崩れ、身体中が傷だらけだ。ひどい火傷も負っている。それが自身のバリアによるものだということは、皮膚の崩れ方を見てすぐにわかった。
「……ごめんなさい、スケア。私、貴方にはいつもひどいことばかりしてる。フジノのことだって……私も人のことは言えないわ。だって、私はアインスのことを」
「わかってるよ、カシミール」
 スケアはカシミールの唇に人差し指を当てた。
「私はそれでもかまわない。私自身、アインスのことを一人の男性として尊敬している。自分が彼より勝っているなんて考えたことは一度もないよ。……でもね」
 スケアはにっこりと笑った。
「私は君と共に生きていくことができる。アインスほど強くはないけれど、君を守って生きていける。だからカシミール、私と一緒に生きてくれないか。この先ずっと、共に生きていきたいんだ。例え私達が、おじいさんやおばあさんになってもね」
「スケア……私がおばあさんになったところが見たいの?」
 夢の中で体験した出来事を思い出し、渋面を浮かべるカシミール。
「た、例えだよ、例え。私たち人形は、そう簡単には老化しないし……いや、そういうことが言いたいんじゃなくて。そう、君はいつまでも綺麗だよ!」
 慌ててフォローするスケアの姿に、カシミールはクスクスと笑い出した。
「いいわよ、スケア。二人で日向ぼっこしながら孫の話でもしましょうね」

「……何で俺ってこんな役回りなんだろう……」
 近くの木陰から出るに出られず、モレロはやれやれと溜息をついた。
「まあ、姉さんが幸せになってくれればそれでいいか」

   /

 森の中では、バジルとネイの激しい攻防が続いていた。
 バジルは凄まじいまでの集中力と勘と反射神経でネイの攻撃を捌いていたが、三位一体で攻撃してくるネイに対して明らかに分が悪い。
 と、ネイが攻撃を中断して言った。
「……なめてるのか? バジル。お前、俺をあの女が向かった方から遠ざけるように移動してるだろう」
「あらら、バレてたか。昔から勘のいい奴だ」
 呼吸を整えながら、バジルがニッと笑う。
 すると、ネイはバジルの真正面に完全に姿を現した。
「そうでもなかったさ。忘れたとは言わせないぞ、あの時のことを」

   /

 一方。
 バジルと別れてから走り続けていたアイズは、森を抜けて海岸に出た。
 遥か眼下に広がる大海原に、周囲に点在する大小さまざまな浮遊島。アイズはしばし緊迫した状況を忘れ、美しくも不可思議な光景に目を奪われた。
 ──と。
 視界の端に動くものを捉え、何気なく振り向いた先。
 そこに佇んでいた一隻の飛空艇に、アイズは驚いて駆け寄った。
「これって……山脈の村にあった飛空艇じゃない。まさか、白蘭達もこの島に?」

 その時。
 飛空艇の開かれた扉の中から、一人の少年が姿を現した。


「お前は……クラウン3人組の一人!」
 咄嗟に身構えるアイズ。

「……あ。アイズ・リゲル」
 少し間の抜けた声で、グラフは呟いた。
 
 
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