*Strawberry Days*

Mr.Children★浅田真央ちゃん★ハンドメイド★いちごが大好き♪

1年。

2012-03-11 23:56:02 | その他

あれから1年。

昨日からTVではいろんな特集が組まれていて、

あの日の映像が躊躇することなく映し出されています。

1年経ったからといって、あの日の映像は余りにも辛くて、

たくさんの配慮がまだ必要だと思うのですが、

「小さなお子様やご気分の悪くなった方は無理してみないように・・・」の一言だけで映像を流してしまうTV局。

今、この映像が必要な意味が私にはわかりません。

(きっと視聴率には必要なんでしょうね。)

 

今日の読売新聞朝刊の1面は大袈裟な見出しはなく、

いつもは左隅にこっそりと掲載されている編集手帳がTOPに・・・。

派手な見出しよりもずっと心に残る内容でした。

 

3月11日付 編集手帳

 使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい◆口にするのも文字にするのも、気の滅入(めい)る言葉がある。「絆」である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。

2012年3月11日01時12分  読売新聞)

 

あの日のことは絶対忘れることはできないし、忘れてはいけないと思います。

被災された方々に本当の笑顔が戻りますように・・・。

1日も早く復興が進みますように・・・。

 


2 コメント

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Unknown (はっかCANDY)
2012-03-17 09:05:47
読んでいて涙がでました。

私もあの日の事は絶対に忘れないと思います。
停電で真っ暗で寒くて。。。
携帯に遠く離れたチル友からの一斉メールがきたけど「一斉メールから私へのメールを抜いてください」と返信しなければならなかったこと。
引っ越したばかりで近所には友達もいなくて。
けれど、あの日の夜空はいつも以上に星が輝いて見えたこと。(街中に電気が消えていたから本当に綺麗でした。)
やっと電気がつながりテレビを見た時のショック。こちらよりも悲惨な状況で・・・涙が止まらなかったこと。

編集手帳を頷きながら読みました。
流れない「時」がながれますように・・・

いちごさんと同じ事を私も思いました。
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はっかCANDYさんへ (いちご♪)
2012-03-18 18:23:39
はっかCANDYさん、こんばんは!
たくさんの問題や課題が山積していて、
私に何ができるのか・・・考えたときに、
「いつまでも忘れずに覚えていること」
これが答えとして出てきた言葉でした。
読売新聞の翌日の新聞には、追悼式典での陛下のお言葉や遺族代表の方々の言葉が全文掲載されていました。
どんな映像よりも遺族の方々の言葉は心に響きました。
みんなの祈りが被災地の方々の笑顔に繋がりますように・・・。
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