NHKの大河ドラマで、福山雅治の『龍馬伝』がやっている。
子役がかわいかった。
しかし、坂本龍馬は司馬遼太郎以前、どれくらい日本人に人気があったのだろう。
最近ひまつぶしに、勝海舟の『氷川清話』(講談社学術文庫)を読んでいると、竜馬の名前が出てくるのは一度だけ。
『氷川清話』(講談社学術文庫)の「人物評論」86pで「土州では、坂本と岩崎弥太郎」とし、
勝は、龍馬について、
「坂本龍馬。あれは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、落ち着いていてな、なんとなく冒しがたい威権があって、よい男だったよ。」
と、これだけしか言ってない。
『氷川清話』で勝海舟が誉めているのは、西郷隆盛。
昔は、「維新の三傑」」という言い方があって、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通の三人のことを言っていたかと思う。
「おれが逢ったものの中で変わるやうな事のないのは西郷だ。大久保も精神家でこれも変ぜぬ男だった。木戸がまたその次さネー。だがこれはすっかり下がる。」(『氷川清話』278p)
日本人の間で、長らく一番人気あったのは西郷どんのはずだったのだ。
いつから龍馬になったのか。
『アジア主義』の感覚が日本人の間で弱くなっていったことと歩調を合わせて、「西郷<龍馬」になったのではないか、と私は推測している。アジアの連帯も、「敗北の美学」も、日本から消えていった。
わたしは、幕末の志士の中では、橋本左内と吉田松陰が好きである。
とくに橋本左内が14歳のころに書いた『啓発録』という文章を、私は中学2年くらいのとき、つまり14歳くらいのときに読んで、驚いてひっくりかえりそうになったことがある。「稚心を去れ」。14歳の紅顔の美少年がすさまじい文章を書く。最後は獄中で死ぬ。吉田松陰もそうである。
司馬遼太郎の小説より、私が好きだったのは山田風太郎の歴史小説で、わたしは20代のころ、風太郎の小説を読んで何度も嗚咽がこみ上げてきた。
子役がかわいかった。
しかし、坂本龍馬は司馬遼太郎以前、どれくらい日本人に人気があったのだろう。
最近ひまつぶしに、勝海舟の『氷川清話』(講談社学術文庫)を読んでいると、竜馬の名前が出てくるのは一度だけ。
『氷川清話』(講談社学術文庫)の「人物評論」86pで「土州では、坂本と岩崎弥太郎」とし、
勝は、龍馬について、
「坂本龍馬。あれは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、落ち着いていてな、なんとなく冒しがたい威権があって、よい男だったよ。」
と、これだけしか言ってない。
『氷川清話』で勝海舟が誉めているのは、西郷隆盛。
昔は、「維新の三傑」」という言い方があって、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通の三人のことを言っていたかと思う。
「おれが逢ったものの中で変わるやうな事のないのは西郷だ。大久保も精神家でこれも変ぜぬ男だった。木戸がまたその次さネー。だがこれはすっかり下がる。」(『氷川清話』278p)
日本人の間で、長らく一番人気あったのは西郷どんのはずだったのだ。
いつから龍馬になったのか。
『アジア主義』の感覚が日本人の間で弱くなっていったことと歩調を合わせて、「西郷<龍馬」になったのではないか、と私は推測している。アジアの連帯も、「敗北の美学」も、日本から消えていった。
わたしは、幕末の志士の中では、橋本左内と吉田松陰が好きである。
とくに橋本左内が14歳のころに書いた『啓発録』という文章を、私は中学2年くらいのとき、つまり14歳くらいのときに読んで、驚いてひっくりかえりそうになったことがある。「稚心を去れ」。14歳の紅顔の美少年がすさまじい文章を書く。最後は獄中で死ぬ。吉田松陰もそうである。
司馬遼太郎の小説より、私が好きだったのは山田風太郎の歴史小説で、わたしは20代のころ、風太郎の小説を読んで何度も嗚咽がこみ上げてきた。