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移転しました(2014/1/1)

戦艦安芸の砲身

2009-04-28 | ヒストリ:近代MTS

メールでやり取りしている方から教えて頂いたのですが、我が地元に軍艦安芸の砲身があるとのこと。
西宮の八幡神社と聞いて、

「いやー西宮っつっても広いよ?八幡神社なんて幾つあんのよ(笑)」

だったのですが、調べてみてびっくり。
上鳴尾にある鳴尾八幡神社という神社。
甲子園のすぐそこです。ち、近く…

といっても自転車で2・30分ほどかかる所なのですが、かつては毎日あの辺りに行っていた。
私神社があることさえも知らなかった…
いやというか神社の裏はよく通ってたけど、神社とは知らなかった。

何たる節穴私の目(七五調) orz

ということで行ってきました。


鳴尾八幡神社





最寄駅は阪神電車の鳴尾駅。甲子園駅と鳴尾駅の中間。
入口(上写真)が線路に面していたので、野球見に行く時に目にする人も多いかと思います。
境内、結構奥行きがあります。参道が200メートルあるそうな。
社殿を中心として植樹がされており、それが市の景観保護樹林に指定されている。

そして少し奥に入るとすぐに目につきました。





天気が悪かったので写真うつりも悪い…
安芸の砲身は鳴尾から出征された方の慰霊塔になっていました。





・日清・日露・太平洋戦争における鳴尾村関係者500有余の英霊を祀る。
・尖塔部の砲身は明治44年、広島呉工廠においてカーチス式タービンを最初に搭載した戦艦安芸の砲身。

戦艦安芸といえば… >H'sシップヤード>大正期の話(サイト>近代非創作>近代MTS(ALL))

日露戦争中に建造が計画された軍艦になります。薩摩の2番艦になる。
明治末期~大正初期の主力艦でした。
大正12年のワシントン海軍軍縮条約で除籍、大正13年9月6日に摂政宮、軍令部総長、連合艦隊司令長官らが見守る中、陸奥と長門の研究射撃の標的艦とされ沈められました。
ちなみに摂政宮は後の昭和天皇、軍令部総長は山下源太郎大将、GF長官は鈴木貫太郎大将になります。




そんな安芸の砲身がどうして西宮くんだりまで来たのでしょう。
特に説明もなかったので、宮司さんに聞いてみましたが、
「う~ん、地元の有力者の斡旋じゃないかなあ」
とのこと。
ざっくりした答えだな(笑)
辰馬さんあたりかなと思いますが、ちょっとよく分からない。


※辰馬家
「白鹿」の酒造元は辰馬酒造。戦前は先日のべた嘉納家と並ぶ地元の大財閥でした。
夙川、香櫨園には辰馬考古資料館があります。
小さい資料館なのに、銅鐸銅鏡土偶他の国指定重文を20点余り所蔵しています。
特に銅鐸コレクションが日本屈指。富岡鉄斎のパトロンでもあり、鉄斎のコレクションもよく知られています。

写真を撮り忘れましたが、社殿には有栖川宮熾仁親王の筆跡の扁額があってさらにびっくり。(慶応3年11月)
熾仁親王は幕末、皇女和宮の婚約者であった人です。
どうもこちらの神社、有栖川家と関係があり、たびたび和歌や幣帛の奉納があったそうです。

ここにもあった近場の幕末維新…
知らないことばかりで驚くことが多いです。

地元の歴史なのに却って知らない。
小学生のころであったか、戦前の話、甲子園のある所はジャガイモ畑だったと教えられたことがあります。
しかしながらあの辺り、鳴尾のあたり、紫電改を作ったメーカーの工場があったそうで、ずいぶん紫電改も置いてあったそうです。
空襲で執拗に爆撃されたと聞いたことがありますが、そのせいだったのか。
私もまだちゃんと調べたことはないんですが、やっぱりそういう話を聞くと驚きます。
紫電改て!凄くない?西宮で!(←驚く所


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