旬のはなし

日々のあれやこれや

ツアー①

2009年06月30日 | 音(おと)のこと
8月1日~8月9日まで、東京、千葉のライブツアーをする事になった。

これはbeZen鼓空としてではなく、「天魂」としてだ。
「天魂」は私とクリスタル・ボウルのShinさんとのユニットだ。
あまたまと読み、前から読んでも、後ろから読んでも、AMATAMAである。

ツア-の予定としては、東京3ヶ所と外房3ヶ所ぐらいを考えている。

外房の方は30年来の友人 手塚君という方がおり、アレンジをしてくれている。
彼には昔からお世話にばかりになっている。

最初は私が京千ブル-スバンド(K.B.B.)にいた時、彼は青森の弘前大学にいた。彼は大学祭の時、私達を呼んでくれた。
また、りんご会館という大きなホ-ルで、K.B.B.のコンサ-トも開いてくれた。
お客さんは満員だった。
私達も心に残るコンサ-トになった。
今彼が住んでいる外房でも、2度、3ヶ所でbeZen鼓空のライブを開いて貰っている。
本当に有り難い友人である。

このツア-、東京でのライブ場所が決まらなかった。
が、やっと3ヶ所見えてきた。

この3ヶ所、何か凄いつながりがありそうだ。
また後日書く事にしよう。

演劇①

2009年06月28日 | 音(おと)のこと
今日 初めて「葛の葉」の練習に参加した。

今回の三作のテ-マは「人獣の契り」となっている。
誠に怪しい。

夕方6時に天神山文化プラザに入ると、「迷宮」そして「蚕神」の練習をしていた。
どちらも妖艶な雰囲気が漂う。
私もここにいていいのか、躊躇する程だ。
しかし役者さん達は、冗談を交えながらも、一生懸命、役の中に入ろうとしている。

8時になり、私達が演奏する「葛の葉」が始まった。
私は始めての参加でもあるし、ビデオを撮りながら、役者さんの動きを追った。

「葛の葉」は狐と人が、愛し合い、子供も出来る話だ。
本当に演劇の世界は凄いと思う。
普段有り得ない世界をリアルに描写して行くのだから。

今日は1回しか通せ無かったから、太鼓は用意してたが、叩く事はなかった。
帰り際に脚本家の白神さんに、私達に対する希望を伺った。
そうしたら、思った通り、感じたままに叩いて下さい、との事だった。
これは大変な事だ。
私達のやり方次第ではガラッと雰囲気も変わってしまう。
全くもって恐ろしい。

帰って、今度共演する事になった、篠笛の方に連絡を取り、一応の感じをお伝えし、今後の練習の仕方を相談させて貰った。
どんな形になるにしろ、精一杯入り込まなくてはと思った。
いい舞台にしたい。

役者さん達の為にも頑張らなくては !!

チャ チャ チャチャラチャーン

2009年06月27日 | 日々のこと
私が聞きたくない音楽である。

夜中1時過ぎ、そろそろ寝ようかなと思っていると、突如鳴る。
私はドキッとする。
捕まったと思う。
田原総一郎氏の「朝まで生テレビ」である。なんで朝までするのか?意味がわからない。
「夕方まで生テレビ」でもいいではないか!そうすれば、出演者も番組スタッフも私も、みんないいに決まってる。

番組の中身に関しては、出演者が皆、話す内に、だんだん熱くなってきて、ついつい本音が出る処が非常に面白い。
私も見ている内に、それは甘いよなとか。
そうだそうだもっと言ってやれとか。
それは話が飛び過ぎだろとか。
話の腰を折るな、もむな、と熱くなってくる。

と同時にこんな好き勝手な事が言えて、日本は幸せだなぁとも思う。

昨晩のテーマは「新たな貧困」であった。
この不景気の中、リストラにあって、失業し、住む処も失なったホームレスの人達をどう救うかと言う話だ。
野党は当然政府の無策を言うし。
与党はこれこれの方針を打ち出している、と言う。
評論家達は根底にある問題を解決しなくては、と言う。
田原さんは田原さんで、自分の気に入らない意見が出るとバッサリ切り捨てる。

私もその時その時の小手先の方法では解決しないように思う。

貧困に関しても、日本だけの事じゃなく、世界的に見れば飢餓で死んでいく人達も一杯いるわけだから、まず大国が直接的にも間接的にも戦争を止め、世界の食料問題、経済のあり方を、真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。

こうしてあれこれ言っている内に朝4時過ぎとなる。
外も白みかけている。
私、今朝から、ちょっと打ち合わせ、練習、和太鼓連盟の会議と続く。

いやはや、いささか眠い。

チャ チャ チャチャラチャ-ン今鳴ってくれればいいのに・・・・

10や1や

2009年06月26日 | 写真・景色
何かと思われようが、まあ「てんやわんや」である。

「てんやわんや」とは一体何か?語源は何か?
向学心のある私は、すぐ辞書を開く。 (電子辞書だけど) 
てんでん(各自勝手に、の意)と、わや(無茶苦茶、の意)の2語が結合してできた言葉。
われがちに騒ぎ立てるさま。
互いに先を争って混乱するさま。となっている。
となると私の使い方は間違っているのか、まあ判断して頂きたい。

今私は3つの問題を抱えている。
① 「龍神祭」の龍の物語を作ること。
② Shinさんとのユニット「天魂」の曲作りをすること。
③ 演劇「葛の葉」の演奏のイメ-ジ作りである。

とまあ一人てんやわんやなのである。これって有り?

で当面の問題は明後日から「葛の葉」の練習である。
今、共演することになっていた三味線の方が出られなくなり、新しい方を探している。
一応即興演奏という事だ。
では何に対しての即興演奏かという事になるのだが、これが難しい。
まずは、ちくわ笛の住宅さんの朗読、役者さん達の動き、そして新たに迎える邦楽の方である。
アンテナを4つ5つ立てて置かなくてはならない。
私の頭は狂いそうである。

また音量のバランスも難しそうだ。

朗読をCDに入れてもらっているのがあるので、それと台本とで、とりあえずイメ-ジ作りだけ、しておこう。

暑い夏が来そうである。

草刈②

2009年06月25日 | 日々のこと
明けても、暮れても草刈は続く。

ウチの東には池がある。
敷地と池の間には竹や笹が一杯生えている。
ガ-ドレ-ルも少しはあるのだが、ほとんどはこの竹や笹があるので、人や車が池に落ちることはない。
また山間で風が回るので、防風林の役目も果たしてくれている。

しかしながら、この竹達に葛と山藤のつるが巻き付き、家側の方に竹が倒れて来てしまった。
そうなると車の屋根を擦ったりするので、なんとかしなくてはならなくなった。

山藤は春先、薄紫でぶどう状の花束をつける。
大変綺麗だ。
私も大好きなのだが、いくらかは切らざるを得ない。

で葛と山藤のつるとの戦いが始まる。
下の方のつるはすぐ取れるのだが、竹の上の方に巻きついたつるはなかなか取れない。
いくら引っ張っても駄目だ。
引っ張れば、引っ張る程、つるもムキになる。

今度は草払い機を上に向け、つるを切るのだが、高さに限りがある。
仕方なく竹を何本か切り、竹ごと引っ張る、そしてつるの先を手繰り寄せ切るのである。
こうしてかなりの竹と笹、つるを切った。
やっと車も難なく通れるようになった。

次は敷地の入り口近くの土手の草刈、土手の草刈は滑るので非常に危ない。
草払い機で足を切ったという話もよく聞く。
ウチの土手の下は御近所の畑があり、柿の木も何本か植えられている。
その柿の木に土手から伸びた葛が巻きついている。
これはなんとかしなくては、迷惑をかける。

葛はいやはや、どこにでも巻きつく。
少しは自立して欲しい。

だいぶ取ったがまだまだある。
今日中には終わらせたいのだが、昼から稽古もあるし、難しい処か。

この時期本当に草との戦いだ。
草も嫌いじゃぁないんだけどね。

草刈①

2009年06月24日 | 日々のこと
ちょっとだけ露らしくなってきた。

まだ一日中、降るような事もないが、ちょろちょろとは降るようになった。
待ちに待った雨なので、嬉しいのだが、草の丈もぐ-んと伸びる。
また竹もあっと言う間に伸びる。 (いくら早くてもあっと言う間に伸びることは、無いだろうが・・・・)
となると当然草刈をしなくてはならない。

草払い機に混合油を入れ、防護用の眼鏡をかけ、麦わら帽子をかぶる。
大体草払い機を満タンにしたら、1時間程もつ。
私もこのくらいが限度だ。
休んでまた始めるという感じだ。

最初栗林の中から始めた。
若い竹や笹が伸び、栗の木の葉っぱの中まで届いている。
栗の木も意外と繊細で、他の物が自分に当たるとその枝の葉っぱを落としてしまうし、実も付けない。
まあ自分の枝のエリアに、竹や笹がボコボコ生えてきたら、私でも嫌だろうと思うが。
そんな訳でまず栗林の下草を退治。

次に畑の周りと家の周りの土手の草刈。
私自身は少しぐらいなら、草が生えててもさほど気にならないのだが、農家の方は大変嫌う。
蛇が出るからである。
蛇は私も好きに慣れない。
未だにドキッとする。
長い物には巻かれろというが、私は蛇には巻かれたくない。
でもここに住みだしてから、20年程になるが、昔よりは多少慣れて来た。
未だにドキッとはするが、次の瞬間が違うのである。
マムシかどうか瞬時に判断するのだ。
違えば、ゆっくり退去されるのを待つ。

私は一度あわてた蛇を見た事がある。
ウチはちょっと高い所にあるのだが、家へ上がる坂道でである。
この坂道はS字を書くようになっている。
私の車がS字の中頃に入った時、その道の真ん中に蛇がいた。
蛇は夕涼みをしてて、まさか今車が来るとは思ってないらしく、ビクッとした。(肩の辺りが揺れた)
でその後取った行動、私はあっけにとられてしまった。

その蛇どうしたと思う?

最初蛇は坂道に合わせて、S字でじっとしてたのだが、車を見るや余程慌てたのか、そのS字のままジャンプを3回繰り返し草むらに逃げ込んだのである。

私は開いた口が塞がらなかった。

今年は敷地の中で2度見た。
一匹は土手の中腹で見た。
もう一匹は朝起きて、畑でも見ようと思い、玄関を出て6歩程歩いた所、私の頭は畑がどうなっているのかなぁと思っているから、当然畑の方に目がいっている。
しかし私の目の下に、一瞬気配を感じた。
私の足の30cm横に蛇がいた。
アッと思いながらも、すぐ判別マムシではなかった。

本当に、いるんなら、いると言えよ。
しばらく蛇はじっとしてたが、すぐいなくなった。

草刈の話をしようと思ったが、脱線してしまった。

続きはまたにしよう。

吉井川河川敷②

2009年06月23日 | 写真・景色
昨日、雨と雨の間という感じで、河川敷に行った。

久しぶりのサッカ-ゴルフだったので、出来はあまり期待してなかった。
サッカ-ボ-ルもいつも蹴ってないと、上手くいかない。
ボ-ルに対しての足の角度だったり、腰の捻りだったりと微妙に違うのである。

しかしながら、昨日は最初から調子良く、大体思った所に飛んだ。
気持ち良く、ボ-ルを蹴ってると、土手の上を拡声器を鳴らしながら来る車がある。
声を聞くと、耳慣れた、萩原誠司さんの声だった。
選挙前の広報活動をしてるのだろう。
彼は元岡山市長である。
在任中は私もよく賄賂を贈り、便宜を図って貰った。

っって事はないが、良くイベントでもご一緒する事もあり,親しくして戴いた。
外国公演の時も推薦状を書いて戴いた事もある。

車が近付いてくると内容もはっきりと聞こえた。
「自民党の萩原誠司でございます。仕事魂の萩原誠司でございます。」
仕事魂かと思いながらも、久しぶりだったので、車に向かって手を振った。
ところが、車の中は運転手だけ、萩原さんは乗ってない。
録音を流していたのである。
私、萩原さん、手を抜いてると思った。

いつも通り公園の端から端までを3往復サッカ-ゴルフをして、休んでいた。
するといかにも公務員らしき、作業服姿の方が二人、来られ川の写真を撮り始めた。
私はてっきり、吉井川河川事務所の方かと思い、声をかけた。
もしそうだったら、集めていたゴミを持って帰ってもらおうと思ったからである。しかし残念ながら違っていた。

公務員 「私達は上水道を管轄してるんですよ。・・・・・・ ところで鼓空さんじゃありませんか?」   
私 「ええ、そうです。・・・」
公務員 「ドラムも叩かれますよね?」   
私 「はい、まあ・・・・・しどろもどろ」

私、演奏の時、話かけられのは慣れているが、サッカ-ゴルフのアスリ-トの時は、困るのである。
まだインタビュ-に慣れてない。

まあ笑顔で立ち去って行かれ、私も帰途に着く事にした。

吉井川河川敷①

2009年06月22日 | 日々のこと
今朝、久しぶりに吉井川河川敷に行った。

行く時はほぼ毎日行くのだが、この処、畑もあったし、なんとなくバタバタして行けなかった。
私はこの川が大好きである。
広くて、のどかなので、心が落ち着く。

ここに処中来るのは、私に隠れたもう一つの顔があるからである。
その顔とは、私はなんと「サッカ-ゴルフ」の創始者なのである。
だからエライ。

「サッカ-ゴルフ」と聞いても耳慣れない方もおられようが、(・・・・ほとんどそうか) 紳士のスポ-ツである。

まずは、どのようにして、生まれたのかを説明しよう。

私は最初草原の中でサッカ-ボ-ルを蹴っていた。
草原の中であるから、草丈の高い処も低い処もある。
この草丈の低い処をめがけてボ-ルを蹴る。
ゴルフ的に言えば、グリ-ンに乗せるという事だ。
これは非常にスリルがある。
なぜかと言えば、一端草丈の高い処に入ると,拾いに行くのも大変なのだ。
また蛇が出る事もある。(実際、2度遭遇した)
だから慎重にボ-ルを蹴る。
うまくグリ-ンに乗れば最高に気持ちいい。
これで片道1.5kmの草原の端から端まで、グリ-ンを探しながらボ-ルを蹴り続け、往復する。

しかし3ヶ月程経ち、春になり、どこもかしこも、草が伸びだし、出来なくなった。
それで河川敷にある公園に場所を移す事にした。

公園の中には、12箇所に岩が置かれている。
その岩に何回蹴ったら当たるのかを競うのである。
競うと言っても今はまだ、私一人でやってるのであるが。
一つの岩に当たったら、次の岩を目指す。

公園の端から端までは350mあるので、3往復する。

面白いプレ-としては、川の土手に斜めに蹴り上げると、ボ-ルは三日月状の弧を描く、下りた処に次の岩がある、これは立体的要素が入り高度のテクニックだ。

このようにして、「サッカ-ゴルフ」が生まれた。
2年半前の事である。
まさに、スポ-ツ界の快挙であった。

ではこの「サッカ-ゴルフ」の魅力をお教えしよう。

① 普通のサッカ-と違って、自分のボ-ルを取りに来るようなデリカシ-のない輩はいないのである。
② ボ-ルが飛んで来る事はないので、ヘッディングやトラッピング等、痛い思いをしなくていい。
③ ボ-ルを蹴った後も、すぐ息せきを切って走る必要はない、ゆっくり周りの景色を見ながら歩いていけばいいのである。

まあ、というわけで、実に楽しい、紳士のスポ-ツである。
是非試して頂きたい。

私は常時、新規選手が現われるの待っているが、未だに現われていない。

どうしてだろう?(明日に続く・・・・)

合同練習

2009年06月21日 | 音(おと)のこと
今日は県北の勝央町という所で、岡山県和太鼓連盟の2回目の合同練習があった。

9月6日の岡山国民文化祭のプレイベントのフィナ-レを飾る、全チ-ム揃っての合同曲の練習である。
曲名は「飛天」、据え太鼓も、締め太鼓、大太鼓、担ぎ桶太鼓みんな竹バチを使う。
昼の1時から始まり6時までの長丁場であった。
私は今日夜、別の本番があり、途中抜けるので、見学する事にした。
最初の2時間半ぐらいは各パ-トに分かれての練習だったので、いろいろ見て回った。
どのパ-トも前回よりは数段良くなっている。
みんな各チ-ムで一生懸命練習したのだろう。

いつも思う事だけど、和太鼓仲間はいい。みんなが全力投球する姿も気持ちいいし、終わった後の清清しさもいい。

今日の鼓空は前回よりは多少みんなに追いついた感じはするが、暗譜してないだけ、まだちょっと遅れてるかな。
まあまた来月、再来月と合同練習があるので、多分追いつくとは思うけど。

これから、私達の本番も増えてくる。
鼓空は毎年冬の間に基礎練習に励み、春からの本番に備えて来てたのだが、今年は例年になく完成度が低い。
各メンバ-のいろんな状況もあったのも事実だが、お客さんにはそんな事は関係ない。

早くみんなのモチベ-ションを高めて、恥ずかしくない演奏が出来ればと思う。

富山

2009年06月20日 | 太鼓教室のこと
私は3年前から、富山天龍太鼓に行っている。

場所は旧岡山市街から、東山峠を越えた所である。
西大寺側である。
昔はこの辺り一面も海だったそうである。
江戸時代に干拓され、農地となった。

私は岡山の中学校に通っていた頃、友達と自転車で、日本のエ-ゲ海、牛窓に行った事がある。
その時、東山峠を登りきった所で、眼下を見下ろした時、延々緑の水田が続いていたのを鮮明に覚ている。
人家も所々に固まって、ポツポツとあるだけだった。
それが今では、たくさんの人家が立ち並び、お店も一杯でき、大型店舗も入って来た。
旧岡山市からは衛星都市として、一番に拡がっていった所だ。

その一地区、富山学区にある公民館で富山天龍太鼓は練習している。
ここのメンバ-の編成は変わっている。
大人と子供達の混合チ-ムである。
だから、ここだけのいい所、ここだけの問題点がある。
いい所は大人達が、いつも子供達を見ていてくれてるので、何から何まで全部私が言わなくても、きちんとする処はきちんとしているとこである。
また地域単位でも、大人と子供が仲良く接しているのは、見ていても楽しいし、明るい感じがする。
問題点は、小学校の中学年までは、そんな大人の言う事を聞きながら、太鼓の練習をする。
だが、高学年になると、子供達だけの世界が欲しいのか、一緒にいろんなクラブに入ったり、また揃って塾に行ったりする。
その気持ちも分からない訳ではない。
が、せっかく上手くなって来たなぁと思っていると,止めてしまうので、非常に残念である。
この問題を解決する方法があればいいのだが、今の処浮かばない。
でも、すべてがすべてそうなのではなく、ずっと続いている子もいる。
そんな子は本当に太鼓が好きなんだなぁと思う。

今日の練習には小学校の女の校長先生と中学校の音楽の先生が参加された。
お二人とも真剣に練習しておられた。

中学校の音楽の先生から、この秋の音楽発表会で、子供に太鼓を叩かせたいのだけど、教えて頂けないかとの依頼を受けた。
とりあえず日程を調整して後日連絡させてもらう事にした。

今日から新たに、子供2名、大人1名がメンバ-に加わった。

人が増えるのは嬉しい。

ヨカ

2009年06月19日 | 日々のこと
今日も朝ヨカに行った。

時間ぎりぎりに入ったので、フロア-全体に皆さんヨガマットを敷かれていた。
私は一瞬入り口でためらった。
私には皆さんを押し分けて、入り込む勇気はないのである。

ふと入り口入ってすぐ横を見ると、見慣れない物が積み重ねてある。
10cmx15cmx20cm ぐらいのレンガの形をしていて、中にスポンジが入っている、柔らかいけど、柔らか過ぎない物であった。
私はとりあえず、それらをどかせば、私のマットを敷けると思い、隅に動かしていた。
先生が来られ、

先生 「これ使われますか?」とその柔らかレンガの1つを私に差し出した。
私  「これは何ですか?」
先生 「これはヨガをしている時に支えに使う物で、手で持ったり、お尻の下に置いたりして使うんですよ。やっててきついと思われたり、体の硬い方、そのような方にいいんですよ。」
私  「そのような方です。」

借りる事にした。
使ってみるとなかなかいい、自分が大きくなったようにも感じる。
今までポ-ズをとった時、拡がりにくかった、胸や肩甲骨など体操の選手の如く開く。
恐るべし、柔らかレンガである。

終わりに先生 「皆さんもお家にこのような物があったら、是非使ってやってみて下さい。 いいですよ。ただこれ買えば高いんですよ。いい物になると5000円以上もするんです。普通でも2000円ぐらい。私はこれを800円で買いましたけどね。」

先生なかなか買い物上手であった。

てらこやおひさま

2009年06月18日 | 太鼓教室のこと
今日はフリ-スペ-スてらこや・おひさまの練習日だった。

てらこや・おひさまは、不登校の子供達の集まりである。
フリ-スペ-スだから、自由なんだろう、きっと。私も行くか! 
学校に行ってないし・・・・

彼等が来始めてから、もう7年が経つ。
小学生だった子供達はボランティアの人達に連れられ来た。
みんな学校に行ってないから、やたら元気であった。
あまりに元気なので、彼等を連れて県北のキャンプ場に、合宿に行き、そこで一緒に祭りをしたりした。

彼等は「おひさま太鼓」と名前を付け、太鼓の練習に励んだ。

そして、年一度の「おひさまフェスティバル」に出演とか、お祭りに呼ばれたりとか、また鼓空の主催するコンサ-トにも度々出るようになった。

学生だった子供達も、大きくなり、今や高校生以上である。
最近は、学校が大変だったり、バイトが忙しかったり、就職活動に追われたりと、なかなか太鼓の練習に来れなくなった。

残念ではあるが、まあ自立の一歩なので止む終えないとも思う。

今練習に来てる人達は、ほとんどボランティアだ。
ボランティアの人もまた、長く太鼓を続けている。付き添いのつもりが、いつの間にか、のめり込んだようだ。

昨今、てらこやの問題は、ボランティアさんはいるのだが、子供が少ない事だ。
子供達が少なくなると、団体を維持するのも大変になる。
大きな家を借りているので、家賃や光熱費、水道代、その他経費がかかる。

私はもっと営業をするようにと言っている。
学校に通っている子供にも積極的に声をかけ

「なぜ学校なんかに行ってるの?こちらの方がずっと楽しいよ。」
とか言って誘えばいいのにと。

実際は、不登校の子供達も、まだまだ大勢いると思うので、こんなフリ-スペ-スもあるよ、と知ってもらうことが大事かなと思う。

今年も、「おひさま太鼓」は2箇所から呼ばれているらしい。
子供達も久しぶりに参加し、みんなで一緒に集中稽古をする事になっている。

じっくり、しごいてやろう。

覚悟しろよ、子供達!!

龍②

2009年06月17日 | 思うこと
龍神祭のプレイベントの打ち合わせに、ルネスホ-ルに行った。

今日は実行委員長(たぶん)の大場先生と,備中神楽保存振興会の佐藤さんという方とお会いした。
佐藤さんは過去に玉井宮でも奉納されており、細かい説明は要らなかった。
ただ気になっていたのは、備中神楽はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する話である。

ここで2点、私の頭の中で疑問が生じていた。

① まずヤマタノオロチは龍か否か?(文献には龍だとする説があるにはある。)

佐藤さん「ヤマタノオロチは大蛇です。しかしながら、蛇には角がありません。オロチには角があります。 だから、そこはグレ-ゾ-ンです。」
と判りやすい答が返って来た。

② ヤマタノオロチはスサノオによって殺される事になっているが、玉井宮では龍が奉られており、崇める立場にある。
話の違いについては?

佐藤さん「新しいスタイルがあってもいいと思います。話の内容に沿わさせて貰います。」
と普通、一般には保存会の立場の方は、形を外す事を嫌がられるのだが、佐藤さんの答は違っていた。
と私には不安であった処が2つとも解消されたのである。
誠にもって有り難い。
で3人でホ-ルの中に入り、全体を見回した。

当然、次は流れから、どのようなスト-リ-かと言う事になるのだが、そこはいい加減な私、全く出来ていないのだ。

佐藤さんにしろ、篠笛のことさんにしろ,唄の美咲さんにしろ、スト-リ-も出来ていないのに、お呼びだけしてるのだから、空恐ろしい。 
(これこそ龍か! ・・・・なかなかいいなぁ。今日は冴えている。)

もう一度、佐藤さんに深くお願いをし、お二人と別れてから、玉井宮に行った。
先日、宮司の佐々木さんから、お借りした神話の本を返す為だ。
今日は本殿を参拝してから、金龍さんと白龍さんにもお参りした。
いいアイデアが浮かびますようにと・・・・

帰りに社務所で「龍神守」という水晶の玉を買わさせてもらった。

これで鬼に金棒、龍に水晶だ。頑張ろう!!

モー②

2009年06月16日 | 日々のこと
4ヶ月経って、死んでしまったのではと思っていた、ウチのモ-息子がある晩ニャ-と言って帰って来た。
がボロボロだった。

目と鼻はぐじゅぐじゅ、口からはよだれ、肩の辺りと、手足は傷だらけ、それにやせ細っていた。
前の勇ましさは微塵もなかった。

で私の足にすがる様に、もう駄目だ、助けてくれと言った。

翌朝一番で病院に連れて行った。
あごの骨が折れていた。
また右下の牙も折れていた。
先生は、交通事故にあったのではと言われた。
脱水症状も起こしているし、体温も落ちていた。
かなり危険な状態で、この2、3日が山だろうとの事だった。

すぐ入院、まずあごを固定し、餌も食べれない状態だったので、のどに穴を開け、チュ-ブを通し、栄養剤、流動食を流し込めるようにした。
また、手でチュ-ブを引っ掛けないように、下敷きを丸めたような物をのどの周りに取り付けた。

こうして、安静の中1週間が過ぎた。
体重も入院した時は3.8kgしかなかったのだが、多少増え、体温も元に戻った。先生も駄目かもと思っていたらしく、この子は生命力がありますねと感心されていた。
私もBOSSの地位まで行ったのだから、そうかもと思った。

に連れて帰り、檻の中に入れていた。
しばらくは、横になったままだった。
それから1週間ぐらい経つと毛並みも戻ってきて立ち上がり、檻が狭いと言い出した。
家の中で、放す事にした。

餌も口から食べれるようになり、のどのチュ-ブをはずし、下敷きも取った。
日が経つに連れ、体重もますます増えて6.5kgになった。
若干太めではと思う程である。

こうなると自信も序々に出始め、家から出してくれと言った。
前統治してたエリアの事が気になりだしたようだ。

私もずっと、家の中に閉じ込めて置くのもなぁと思い、出す事にした。
颯爽と出かけて行ったのだが、現実は甘くなかった。
またまた大喧嘩をし、負けて帰って来た。
牙も折れているし、前のようには戦えなかったのだろう。
でもモ-は何度も何度も戦いに行った。
その度に傷だらけで帰って来た。
傷をしては、しばらく家で静養し、癒えるとまた出て行く。
でまた敗れる。
私は何度も、もう止めとけと言ったが聞かなかった。

今回また大傷を負い、帰って来た。今私の側で休んでいる。

このままゆっくり過ごしてくれればいいのだが・・・・

モー①

2009年06月15日 | 日々のこと
ウチに一匹猫がいる。
名前はモ-。
捨て猫だったのだが、口元の左右に黒い模様があり、何故か平安時代の貴族を彷彿するな顔立ちだ。

なぜモ-となったか、これには深い訳がある。

① ある日、この家に放浪の猫が立ち寄り居ついてしまった。  その猫にマ-と名付けた。
② ある日、この家に子犬が拾われて来た。 その子犬にミ-と名付けた。
③ ミ-は大きくなり子供を産んだ。 ミ-の子だからム-と名付けた。
④ 草刈が面倒なので、山羊を飼うことにした。一匹の子山羊が来た。 名前をメ-と名付けた。

次はやはりモ-かと思ったが、牛を飼うのは流石に大変そうである。
しかしながら、ある日、黒と白のホルスタイン模様の雄の子猫が来た。
名前はモ-に決定した。

モ-は最初上品に家猫として飼われていた。
がある時外に出たいと言ったので、出してみた。
最初は近場のお散歩だったのだが、序々に行動範囲が拡がった。
で、よその猫の縄張りにまで行くようになった。
当然喧嘩になり、負けては帰って来ていた。

しかしながら、ある時から、外でお泊りする様になった。
以前は毎日帰って来ていたのだが、丸1日帰らず、2日3日と帰らず、1週間帰らず、2週間帰らずとなった。
おそらくここののBOSSにまで昇進したのであろう。
たまに帰って来ても、私の顔を見て、元気にしとるかと言い、見回っては、また出て行くのである。変な感じ。

そのモ-がとうとう帰って来なくなった。を何度も探したが、見つからなかった。
4ヶ月の月日が経ち、流石に私は何かあって死んだのではと思うようになった。 ・・・・・・・・・・・・  この続きはまた明日に