旬のはなし

日々のあれやこれや

あわれ彼女は娼婦

2013年04月25日 | 旅のこと
2泊3日で上京した。
娘遥の所属する演劇集団円の公演を観る為だ。
今回のタイトルが「あわれ彼女は娼婦」だった。
この中遥は娼婦と呼ばれる役をした。
話の内容を抜粋するとロミオとジュリエットから三十年、女王エリザベスの死後、政治経済宗教の矛盾が一気に顕在化、黒死病流行とあいまって、社会が不安の霧に覆われるなか、愛し合う二人の兄妹が近親相姦でありながら結ばれ子を孕み、死に向かって行く。
  ー絶望が深いほどいっそう美しい光を放つー
このような話である。
いつもながら娘は大先輩の皆さん方に支えられ精一杯役を演じていた。
役者の生活もなかなか大変であるがその充実感は娘からも感じられる。
頑張って欲しい。


浅草

2012年12月27日 | 旅のこと
演劇集団 円は浅草の田原町を拠点がある。
そこにはホールも有り上演される事も多い。
娘遥はそこから徒歩5分ぐらいの処に住んでいる。
遥が円の研修生だった頃からするともう7年ぐらいになろうか。
私は公演がある時は出来るだけ観に行くようにしているから、浅草にはよく来ている。
そして来る度に良い町だなぁと思う。
勿論、浅草寺、仲見世、雷門の当たりはいつも観光客で一杯だが、都会の刺々しさは全くない。
やはりお店の人達等に下町の人情が行き届いているからであろう。
どの店に入っても優しく迎えてくれるし、食事をしても観光地は普通値段が高めだが、浅草はそんなことはなく安くいろんな物が食べられる。
上京する時は東京のあちこちに行ってみようと思うが、浅草にいるとすべて満たされた気持ちになる。
浅草には演芸場もいくつかあり芸人の町でもある。
前に浅草公会堂で新春の歌舞伎を観て感動したが、今回はこてこての芸能が観たくなり、浅草寺の西門の側にある木馬亭に入った。
漫才ありコントあり、手品あり、そして大衆演劇がある。
出演者と客が近く、笑いの渦が出来る。
演劇もこてこて清水の次郎長と森の石松の話。
船の上で「お前さん江戸の生まれだったねぇ」「あ~神田の生まれよ」「さ~寿司食いねぇ~寿司食いねぇ~」とお馴染みの場面も出て来る。
客はわかっていても大笑い。
下町の人は演芸も大好きだ。


演劇集団 円

2012年12月25日 | 旅のこと
東京に娘遥の所属する演劇集団 円の公演を観に行った。
今回は「魔女とたまごとお月様」と言うタイトルで子供向けの作品だ。
亡くなられた前の座長岸田今日子さんが子供の為の作品もしていこうと始められ、毎年クリスマスの頃上演されている。
今回は両国のシアターX(カイ)であった。
私は2公演観たのだが、お客さんは満杯。
ステージの前が桟敷席になっていて、子供達の席だ。
話の内容は孤独で意地っ張りの魔女と渡り鳥の子供の奇妙な親子ごっこが森の住人や妖精を巻き込んで、かけがいのない信頼関係を築いて行くというもの。
観ている子供達は物語に入り込み、思った事感じた事を喋り出す。
役者はそれに応じながら物語を進める。
実にスリルもあるし面白い。
遥は妖精の役で1時間以上かかるメイク、そして衣装と共に現実離れした感じ。
歌も唄い、踊り、喋る。
私も公演の時は出来るだけ行く事にしてるが、その度に喜劇だったり、シリアスな役だったり、おどけた役だったりと大きく変わる。
娘ながらよく出来るなぁと感心する。
今回は12回公演、また来年春にも役を戴いているそうだ。
有難い事だ。

上京

2012年12月21日 | 旅のこと
師走も半ばを過ぎた。
私は芸術回廊を終えた事や鼓空の練習はまだあるにしても今年の他の各団体の教えが終わった事等で少し放心状態である。
ちょっと宙に浮いた感じ。
であるからとりあえず浮きついでに明日から東京に行こうと思う。
メインは役者の娘の公演を観に行く事だが、今回ちょっと時間が取れたので、長年会ってない人達にも会えればなぁと思っている。
東京を泳いで来よう。

牛窓、前島

2012年09月30日 | 旅のこと
私は村では崇高な福祉委員の顔も持っている。
ほぼ2ヶ月に1回の年配者を集めてはいろんな企画をしている。
一昨日は市の福祉バスを借りて小旅行に行った。
場所は牛窓と前島、参加者は14名。
朝10時にクラブ(公民館)に集まり、まずは牛窓にある瀬戸内市立美術館に行く。
福祉の関係で行くので入館費は無料有難い。
ちょうど東山魁夷の版画展をやっていたのでラッキーだった。
清々しい気持ちになり館を後に、次は以前コンサートをした事もあるシーサイドホールの横にある潮菜と言うお店で食事。
ホールもお店も昔の大手材木問屋の家や蔵を改造して作られたものであるから柱から壁から粋を凝らしている。
皆で、でれぇもんじゃなあと感心。
食事の後はいよいよバスごとフェリーに乗って、前島に啓明学院という丘の上にあるキリスト教系学校を見学。
天気も快晴、穏やかな瀬戸内海が綺麗だった。
そして島を1週して大阪城築城残石郡の見学、とてつもない大きな岩がごろごろ、あまりに大き過ぎて先人達は岩を切って持ち出すのを諦めたのかなと思う程の物も。
島の頂上の展望台に行くと四方八方海、四国、小豆島を始め小さな島々も見えた。
心地よい風が吹いていた。
私達の村からもそんなに遠くない牛窓、前島だが、年配者は普段の生活の中ではそうそうは行けない。
ちょっとした小旅行だったが皆さん喜んでくれた。

せとうち交流プロジェクト終了

2012年08月05日 | 旅のこと
福島の子供たち家族の方々が昨日帰って行かれた。
子供たちも大きな声でしゃべり、走り周り、海と戯れ岡山の夏を満喫したようだ。
最後にバスに乗りお別れする時は皆さん本当に名残惜しそうだった。
今回せとうちプロジェクトには大勢の人がボランティアで関わってくれた。
食事だけでも多くの方々が野菜等の食材を提供してくれて助かったが作る方々は手分けをしたものの大変だったと思う。
皆の力が合わさってこそ良い交流になったと思う。
鼓空のメンバーも演奏以外に富山天龍太鼓のメンバーと共に映画の時の受付をしたり、スタッフの昼食を作ったり、子守をしたり、また交流会でおでんを作ったりと良く動いてくれた。
今回福島から来られた方の中には岡山に移住を決められた方もいる。
これからもみんなで福島の事を忘れずに生きて行ければと思う。
最後に今回この交流プロジェクトの中心的役割を果たした蝦名宇摩さんに心からお疲れ様と言いたい。

うつくし村

2012年07月27日 | 旅のこと
昨日の夕方福島の子供達が家族の方々に連れられ長船の美しの森に来られた。
子供の数は20名大人が16名だ。
美しの森の中に食事を作ったり、バーバキューをしたり、屋台が出たり、はたまたステージがあったりと人の集う場所を「うつくし村」と呼ぶ事になった。
子供達も長旅にあったにも関わらず、来て早々、公園の遊具で遊んだり、追いかけっこをしたりと元気一杯ちょっとホッとした。
皆が一段落した頃、うつくし村では歓迎の催しが行われた。
市長さんの挨拶と瀬戸内音頭の唄と踊りがありその後、宇摩さんの津軽三味線と私で即興演奏をした。
食事を取りながらはハワイアンの踊りを観たり、皆で芝生の上で挨拶をしながらゲームをしたりと和やかな時を過ごした。

この処暑い日が続いていて少し動くだけでも汗びっしょりになる。
まあ晴れの国岡山にようこそとお呼びしているわけだから、雨が降り続くよりはずっと良いけど。
皆さん元気で10日間、岡山の自然を満喫し、良い思い出を作って戴ければと思う。

ガリレイの生涯

2012年07月15日 | 旅のこと
娘遥の所属する演劇集団「円」の公演が東京の三軒茶屋シアタートラムであった。
タイトルは「ガリレイの生涯」
ガリレオ・ガリレイがイタリアで望遠鏡を使って天体観測をしコペルニクスの地動説を裏付ける発見をするが天動説を主張するローマ教会は彼を宗教裁判にかけ有罪にした。
彼は自らの地動説を取り下げた為に死刑にはならなかったが教会の監視下で晩年を過ごす事になる。
このような話である。
3時間を越す大作であったが円でも重鎮になる役者さんが多く出られていた為緊張感があり観ごたえがあった。
娘遥はガリレイの娘役を演じていた。
キリスト教徒でもありながら父を助けようとするという難しい役だったが、私が言うのも何だが、見事にこなしていた。
日経新聞も取り上げてくれて、娘の演技に高評価を与えてくれていた。
こんな事を書くのも親馬鹿か。
まあ役者と言うのも大変な職業だが、娘も素晴らしい役者さんに囲まれて幸せだと思う。

ツアーを終えて ③

2012年06月09日 | 旅のこと




私達は福島から仙台、松島、石巻、南三陸町、気仙沼、陸前高田に行った。
太平洋側はどこも津波で被災しているが、特に南三陸町、気仙沼、陸前高田は凄かった。
殆どの家が流され、見渡す限り更地になっていた。
瓦礫は取り除かれ何箇所かに山のように集められていた。
本当に町の歴史が断ち切られリセットされた感じ。
津波は痕跡からも10mを超えているのはよくわかる。
しかし流された場所にいてもそんな波が来たとは全く信じる事が出来ない。
想像を絶するとてつもない力だ。

多くの命が奪われ、家を無くしまだまだ復興には数年は要するとは思われるが、頑張っている方達にも会った。
陸前高田では1軒プレハブの本屋さんが有り入らせて貰った。
気仙沼ではプレハブの屋台村ができていた。
地元の人は少ないらしいが、復興支援に来た人達が利用するそうだ。
私達も中にあるカレー屋さんで食事をした。
福島でも頑張っている人達はいる。
私達もツアー初日思ったより早く郡山に入れたので、いわき市の映画にもなったフラガールを観に行った。
ここも大変な所だとは思うがフラガール達は渾身の笑顔で大勢のお客さん達を楽しませていた。
また私達もお世話になった、福島のオーガニックレストラン「銀河のほとり」では放射能検出器も備え、排毒作用のある竹炭穀物コーヒーやすぎな茶、玄米や黒米、ひじきを使った料理をお客さんに提供していた。

最後に私達beZen鼓空と津軽三味線の蝦名宇魔さん連津ちゃん親子との公演についてだが、場所は郡山市立図書館の視聴覚ホールと福島市の音楽堂ホール、そして先程の銀河のほとりの3箇所だった。
実は私はライブ直前まで曲目について迷っていた。
私達のライブの構成としてはいつもストイックな感じから始まり、徐々に乗る曲に、そして最後はみんなウキウキと唄いながら踊って貰えるような曲をメドレーにしてする。
しかし今この福島でこんな感じに持っていても良いのだろうか?という迷いだった。
だが意を決してやってみるとお客さん達は大変喜んでくれた。
「元気が出た。」とか「明日からまた頑張れる。」とかの感想を一杯戴いた。
私達も本当に来れて良かったと感じた。

明るいニュースを一つ。
今日「森の力で日本を・地球を元気に」というシンポジウムに行って来た。
生物学者であり世界中で植林活動を進められている宮脇昭さんと他の3名の同じく生物学者の方々の講演だった。
その中の一つの大きなテーマが宮脇さんが提唱する震災の瓦礫と土砂を使って大きな堤防を作り、そこにいろんな種類の木々を混在させて森を作ろうとする物だ。
凄く大きな企画でこれを遂行するとしたら瓦礫の量は全部合わせても5%を満たないそうだ。
細川元総理大臣が代表となって進めているプロジェクトで被災地の一部ですでに試作の段階に入ってるらしい。
英知と言うものはあるものだ。



ツアーを終えて ②

2012年06月08日 | 旅のこと
私達は今回北陸道を使ったのだが、途中福井県新潟県を通る。
道路標識に敦賀や柏崎が出て来る、そして高圧線が通っている。
そう高浜、美浜、大飯、刈羽等の原発の近くを走ったのだ。
改めて原発大国だと思う。

今回福島の後、仙台を抜け石巻に行ったので是非牝鹿半島にある女川原発を見て来ようと思った。
女川原発の門の所に車を止めると中から守衛さんが飛んで出てきて、ここからは入れないと言う。
私もそれはそうだなぁと思った。
もし私がテロリストだったら大変だもの。
守衛さんはPRセンターの方に行ってくれと言う。
PRセンターは女川原発の裏山の頂上にあり、原発の建屋も見える。
建物に入ると受付のお姉さんが丁寧に対応してくれる。
案内でまずは映画を観る。
内容は今回の大震災でも耐えた原発をPRするものだった。
PRセンターだから。
でも私には全くPRになっていなかった。
大震災、津波から耐えれるかどうかは全くの紙一重だった。
まずは外部電源5系統の内4系統が破損し、残る1系統で30時間持たせたという事。
女川原発の敷地の高さを14、8mと高くしていたというものの、地震で1m下がり、13.8mとなっていた。
そこに高さ13mの津波が襲ったのである。
残りたったの80cmであった。
でこれで問題無かったかと言えばそうではなく、津波が流入し2号機3号機の原子炉建屋の地下3階に大量の海水が入り、タービン建家は火災を起し消火に8時間かかっている。
映画の後は原子炉やタービンの実物の半分の動く模型があり、試してみた。
制御棒が上がったり降りたりする。
半分の大きさといえやはりでかい。
しかしよく見ていると、当たり前だが人間が作った機械なのだ。
金属も動かす内に摩耗するし、決して絶対など有り得ない。
本当にもう自信過剰は終わりにして、もっと謙虚になるべきだ。
使用済み燃料棒の処理の仕方もわからず、半減期が気が遠くなる程長い放射性物質の取り扱いに気軽に責任は取りますと誰が言えるのか。
もう学ばなければ。
突き詰めれば人は衣、食、住が足りれば生きていける。

ツアーを終えて ①

2012年06月07日 | 旅のこと
昨晩東北の被災地から帰って来た。
いろんな出来事があったがまずは現状からお知らせしたい。
と言ってもたった6日間の旅なので私が見た範囲、そして私が感じた事だけだ。
私達は北陸道の新潟から磐越道を使い福島に入ったのだが、まずは磐梯山、猪苗代湖の前を通る。
本当に大らかな自然を目の前にする。
私はツアーなどで何回も東北を訪れているが、今回もどこも昔から変らない豊かな景色があった。

福島県は郡山市、いわき市、福島市に行った。
市に滞在中も移動中どこにいても矛盾、腑に落ちない選択、人々の声に出せない声を聞いた。
腑に落ちない選択とは具体的には
まず行きたい所が安全かどうか考える。
また食堂に入ってメニューを決めるにしても食べたい物が食べれないのだ。
地元の米だったり、野菜だったり、山の物だったり、近海の魚だったりだ。
勿論これと相容れない意見が主流だ。
地元を兎に角活性化しようとする考え方だ。
しかし地元の方達の中にも県外産の野菜を探し求めている人達が一杯いる。
内部被爆を怖れているのだ。
またこんな話も聞いた。
子供達が修学旅行でお土産に県外の野菜を一杯買って帰るというのだ。
また郡山市に行った時私達をサポ-トしてくれた人からマスクをするよう薦められた。
郡山市も場所によってはホットスポットになっていて線量がかなり高いのだそうだ。
と言って周りの地元の人達を見ると殆どマスクはしていない。
小さい子供を連れた親子ずれもたくさん見たがマスクはしていない。
胸が痛む。
若い女の人が何人かしているのは見ただけだった。
私達も言われてマスクをするが、地元の人達に会った時、打ち合わせをする時には考えてしまう。
付けている者、付けていない者の関わりだ。
しかしでも付けていた方が付けてない人に注意して下さいとの呼びかけにもなると言う。
福島にいていろんな人達を見るにつけ、強く感じるのは未来が見えない閉塞感だ。
この場所から抜け出せればとも思う。
しかしこのおおらかな自然の中で育った人達がここから離れられないと言う感情もわかるような気がする。
目に見えない放射能 酷だ。

続く・・・



韓国ツアー③

2012年05月11日 | 旅のこと
富川市3日目、この日がボクサゴル芸術祭のメインの日だ。
私達も2回出演する事になっている。
1回目は3カ国の合同舞台、2回目はオー先生が担当している舞踊を中心とした舞台。
午後からそれぞれのリハーサルが始まる。
舞台監督さん、音響さん、照明さんがの言う事、そして私達の要望はすべて通訳さんを通して伝える。
通訳さんも言葉はわかるが、舞台に関しては素人だから大変だったと思う。
良くして戴き感謝だ。

夕方から公演は始まった。
韓国、ロシアそれぞれ昔から伝わる音楽、舞踊、劇を見せてくれ楽しませて貰った。
岡山バレエカンパニーの踊りも良かった。
特に「晴れの国岡山」をテーマにした踊りはゆったりと綺麗だった。
鼓空は自分達の曲3曲とバレエとの共演の曲を演奏した。
韓国のお客さんも優しくどの曲にも大きな拍手、歓声をくれた。
役目を果たした感じでほっとした。

夜は韓国風巻き寿司等を一杯差し入れして戴いてたので、それとマッコリーを飲んだ。
仕事が終わっての酒は実に美味い。

翌朝6時にホテルを出て一路釜山に向かった。
昨年は公演の翌日はソウルの観光やナンタ(コックさん達が包丁や台所用品を使ってリズムを出す面白い演劇)を観たりしたが、今回は時間が取れなかった。
帰りの高速はスムーズで昼過ぎには釜山の街に入った。
楽勝である。
昨年は帰り釜山で根限り迷って危うくフェリーに乗り遅れる処だった。
今回はもう出入り4回目である。
迷う筈が無い。

ところがまた道を間違えてしまった。
恐るべし釜山である。
一度間違うとこれが大変なのである。
ハングル文字が読めないし、下に書かれた英語も発音はわかるが、なかなか地図と照らし合わせが出来ない。
台湾では漢字なので大体意味が取れ想像できたのだが。
韓国ではそうは行かない。
しかしすったもんだしながら、なんとかフェリーの埠頭に辿り着いた。
時間もまだ早かったので埠頭から比較的近くにある大きな市場に行った。
観光もしてないし、せめて美味いものを食べようという事になったのだ。
元気な明るいおばさんの店に入り、早速注文。
折角の漁港なので、あわびの雑炊とさしみの盛り合わせを頼んだ。
まずはテーブルに各種キムチとナムルが一杯並ぶ。
韓国ではどこの店もこの状態から始まる。
だから日本で「私これも食べたいし、あれも食べたいわ、じゃあ両方頼んじゃおうか。」
なんて馬鹿なことは言わない方が良い。
おそらく食べきれないだろう。
お品書きから1つだ。
でこの店キムチとナムルはさっと出て来たものの、あわび雑炊とさしみがなかなか出て来ない。
私達は徐々にあせり始めた。
フェリーの搭乗手続きの時間が迫っていたのだ。
ようやく出て来た時はもう余裕は無く、急いで口の中に熱い雑炊、さしみを掻き込んだ。
こんな料理を掻き込むなんて、味もわからないし、どこに入って行くのかもわからない。
やっと終えてフェリーの受付に行くとお姉さん「搭乗手続きは3時30までですよ。」とちょっと不機嫌。
ごもっともなので返す言葉無し。
税関でまた車と太鼓やみやげ物等のチェックを受け無事乗船。
フェリーで安堵のマッコリーを飲んだ。

おしまい。


韓国ツアー②

2012年05月10日 | 旅のこと
富川市2日目朝公務員宿舎で目を覚ます。

まずは目の前の食堂街に行ってみるが殆ど閉まっている。

富川市にはいろんな処に食堂街があり、道にテーブルや椅子が並べられていて夜遅くまで皆食事をしながら酒を楽しんでいる。

おかげで店も朝は苦手なのであろう。

私達はとりあえず開いていたコーヒーショップに行きコーヒーとパンを食べる。

ちなみに韓国ではコーヒーのことをコピーと言う。

可笑しいなと思うが考えてみれば日本語のコーヒーも可笑しい。

英語ではカフィーに近い発音だ。

食事の後はハイエースで市役所に行く。

市役所の前の大きな公園には今回のボクサゴル芸術祭(桃源郷芸術祭)のでかい特設ステージができている。

しばらく買い物など楽しみながら2時にバレエ団と共に富川市市長や市会議員を表敬訪問。

岡山からも市長を初め議員そして韓国と縁のある民間の人達が来ていた。

1時間程の交流の後我々はステージでリハーサル開始。

夕方よりいよいよ開会式。

いろんな方々の挨拶の後、富川市の舞踊団、ロシアのハバロフスクの民族舞踊団そして我々岡山バレエカンパニーと鼓空の演奏と続く。

市庁舎からは何発もの花火が打ち上げられて綺麗だ。

開会式の後は昨年も面倒を見て戴いた、富川市の舞踊団のオー先生に食事に連れて行って貰った。

またまたマッコリーを一杯飲む。

夜は市役所の側のホテルに泊まった。

ここには去年も泊まっていて勝手知ったる他人のホテルって感じ。




マッコリーも効いて撃沈。  続く・・・

韓国ツアー①

2012年05月09日 | 旅のこと
5月2日夕方のフェリーに乗り翌朝釜山に着いた。
船から降りると韓国税関の検問を受ける。
車の中、太鼓の数等を調べられる。
しかし昨年も文化交流で来ているし、担当官も覚えてくれていたので、比較的簡単に通してくれた。
税関を出るとそこは懐かしき釜山の街。
車は右側通行。
しかしもう慣れているので、右目、左手でも充分スイスイ・・・・。

早速道を間違える。
引き戻すが立体交差で元の道に戻れない。
あれよこれよする内に国道1号線京釜高速道路に辿り着く。
すべての道はソウルに通じるのだ。
高速道路は片道4車線と広い。
韓国ではいざという時の為にどこからでも飛行機が発着できるようにしている。
偉い! 我がブルーラインは駄目であろう。
途中3回程サービスエリアに寄り、コーヒーやジュースを飲みながら、名も知らぬ物を食べる。
指さしてあれ、これ・・・。
釜山からソウルまでは約450km。
ずっと1号線だから解り易い。
しかしながらソウルが近くなると渋滞に巻き込まれる。
片道4車線で渋滞とは、8車線にするか!
私が市長に成ったら、いや成れないか。
ソウルに入ると環状線に乗って富川市へ、ここも渋滞。
結局富川には6時に着いた。
着くとすぐ岡山バレエカンパニーと共演する曲のリハーサル。
終わると我々鼓空3人で居酒屋へ。
韓国豆腐とチヂミをすったもんだで注文する。
マッコリーが美味い。
私を待っていてくれたようだ。
その夜は富川市の公務員の施設に無料で泊めて貰う。

撃沈  続く・・・