やはり「連獅子」は客が興奮しますね。
中村屋の毛振りは、いつだって美しい。
ただブンブン振ればいいってもんじゃないのよ。
その教えをしっかりと守って若い親子が奮闘しました。
長三郎君@仔獅子は手の動きがぎこちないのが、かえって子供っぽくて可愛い。
最初から最後まで気を抜かず、しかしそれほど力まず大変立派な獅子でした。
見守る勘九郎@親獅子の厳しくも温かい目が力強く、劇中の獅子として実生活の人間として両方を感じさせる父親の顔になり、
実の父子で演じるこの演目の特殊性を改めて実感しました。
頼もしいお子さんが二人もいて、勘九郎は幸せですね。
狂言師から獅子に変化する準備中に宗派が異なる旅の僧の宗論を挟むわけですが、これがいかにも時間合わせのためになったり
力不足の役者が勤めると芝居の魅力が半減するため、大抵は実力派が勤めます。
私は市蔵さんのが好きでしたが、最近は若手に譲ってあまり拝見する機会がありません。
二人の僧がやや大げさに愛嬌たっぷりに演じて、荘厳な舞踊の合い間に客の気分転換を促す大切なお役です。
何と言っても長いので、踊りだけでは踊りが苦手な私などは疲れを感じるでしょうが、宗論のおかげでメリハリがつくところはさすが河竹黙阿弥作。
今回は歌昇君@浄土の僧が抜群でした。
彼は役によって自由自在に声音を変えられる役者で、ここではわざと重々しく台詞を言って滑稽味を醸し出します。
彼がひと言発するたびに客席から笑いが起きたのは、皆さんも私と同じように感じているからかと嬉しくなりました。
こうして少しずつ舞台が若返っていく現実に若干の寂しさを感じつつ、しっかりと修行を積んでいる若手が台頭してくる様子を見ると
「歌舞伎が趣味」を今後も長く続けられそうで、安堵する自分がいるのもまた確か。
本日千穐楽、誠におめでとうございます。