いつだってワークライフバランス

「仕事と生活の調和」を意味する
ワークライフバランス。
より良いあり方を考えるブログです。

新春浅草歌舞伎・第1部@浅草公会堂

2024-01-26 | 歌舞伎

年々、チケット争奪戦が激しくなる浅草歌舞伎。

若手花形が将来を見据えて歌舞伎の大きなお役に挑戦する趣向で、彼らの野心的な試みを応援する人が増え続けているからでしょう。

 

恒例のお年玉挨拶は種之助君。

「大きな演目が控えているため、この挨拶は数分しかありません。物足りない方は第2部は10分くらいありますので、そちらもどうぞ」

と巧みに宣伝を交えて手慣れたもの。

 

今年でほとんどの役者が卒業なので、それを伝えると知らなかった客から「えー」と残念がる驚きの声があがりました。

松也君、隼人君、米吉君、巳之助君、新悟ちゃん、歌昇君と弟の種之助君といった好きな役者7名に来年の浅草ではお目にかかれないのは寂しいですが、

次は團子ちゃんとかがメンバーに入ってくるかもしれず、それはそれで楽しみです。

 

「源氏店」は仁左玉コンビで何度も見た大好きな演目。

これが浅草でかかるのは初めてかもしれません(少なくとも私が見始めてからは今年がお初)。

 

米吉君のお富は驚くほど適役でした。

元々ツンデレキャラだと睨んでいる米吉君の当たり役になりそうな予感がします。

 

タカりに来た厚かましい蝙蝠安を一喝する気の強さは、若い女の危うさをはらみリアル。

元々ヤクザの情婦が浮気して刃傷沙汰になったという話で、玉さんの妖艶なお富もいいけれど、秘めた気性の荒さを見せる米吉君には

また違う魅力があります。

むしろ、お富はこんなじゃないかと思わせる堂々とした女っぷり。

 

隼人君@切られ与三郎は仁左衛門に習ったという成果を見せ、ときどき仁左さまそっくりの台詞回しでドキッとしました。

仁左衛門の他の追随を許さない愛嬌を真似るなんて一朝一夕にできるわけもなく、先ずは忠実に型をなぞる隼人君には仁左さまも

さぞや教え甲斐があるでしょうね~と感じさせる素直な演技で好感度高し。

 

配役を知ったときは「松也君が蝙蝠安って、それはないわ~、どちらかと言うと切られ与三でしょ?」と驚きましたが、主役を

より若い隼人君に譲ったのかもしれませんね。

 

松也@蝙蝠安は、市蔵さんほど情けなくなくても卑屈な小悪党に徹して意外に合ってました。

与三郎とお富の関係を知って「これは金を取れる」とニヤニヤする狡猾な眼つき、煙草や小銭を掠め取るときの滑稽な姿、

どれをとっても松也君のキャラクターではないのですが、不自然でなく、芸の力を感じさせます。

 

ただ、どうしたって市蔵さんの惨めなほど汚ならしい蝙蝠安にはなれないよねぇ。

顔の作りが綺麗なのはいかんともしがたい。

もう一度だけでも、仁左衛門@与三郎&市蔵@蝙蝠安のコンビで再演してもらいたいものです……。

 

歌六@和泉屋多左衛門が貫禄を見せて素敵。

ラストに少ししか出なくても、こういう人がわずかでも登場すると舞台全体がピリリと締まります。

米吉君のお父さんだからお付き合い? なら来年からはやはり出ないのか??

 

「どんつく」では歌昇君の器用さが際立ち、お見事。

踊りは一番うまいし、曲芸まで披露してくれて客は大喜びです。

歌舞伎役者ってこんなことまでできるのかという意外性と、全員が揃って登場する華やかさや賑いが楽しく場を盛り上げてお正月にふさわしい。

 

けん玉よろしく玉を次々と放り投げて籠に入れるお遊びを見せるわけですが、繰り返しいろんなパターンで悠々と玉を受け止めます。

見物客に扮した役者と会場の実際の客双方に大ウケでしたが、最後の方で落としてしまって人差し指を立てるジェスチャーで「もう一度」と

苦笑いしながら周囲の演者に頼む姿が可愛い。

再チャレンジでも失敗すると松也君@田舎侍が本気で「あーっ」と残念がる悲鳴を上げて和気あいあいとした暖かい雰囲気が和やか。

もちろん、歌昇君ですから最後にはしっかり玉を入れて納めました。

 

浅草歌舞伎は客との距離が近いと言われ、それは会場の大きさといった物理的近さだけでなく(歌舞伎座と比較するとかなりこじんまり)、

若手役者の素の雰囲気を垣間見れるお年玉挨拶などがあるからです。

 

これは代替わりしてもずっと続けていただきたい。

さぁ、来年はどなたが出演するのか、お楽しみ♪

 

1月26日千穐楽。

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壽初春大歌舞伎・夜の部@歌舞伎座

2024-01-24 | 歌舞伎

新年最初の歌舞伎は歌舞伎座から。

 

今月は観劇スケジュールが詰まっているため、二日の初日から出かけました。

時代物や舞踊など正月らしい華やかな演目が揃うなか、高麗屋三代による「息子」がしみじみと良かった~。

 

白鸚@老爺は初役初日にも関わらず、完璧に台詞が入っていて体調不良の噂を吹き飛ばす見事な出来。

役者自身の良い歳の重ね方が役に深みを与えています。

 

やさぐれた息子の幸四郎@金次郎は自然体で、こういうお役ははまり役。

現実でも父親の白鸚との無骨なやりとりが胸に染み入る会話劇です。

 

いくら様子が変わっていても赤子のときに生き別れたわけでなく、9年後に会って自分の息子と分からないのはちょっと変ですが、

荒唐無稽でご都合主義の歌舞伎に整合性を求める野暮はなし。

崩れた感じの男を「火にあたっていけ」と小屋に招き入れ、弁当の残りやお茶を勧めたりする火の番の老爺には何か感じるところがあったのでしょう。

息子だと確信はなくても何となく?

一方の息子は後半ではっきり父親だと気づきますが、今の立場では親子の名乗りをすることもできずに黙って逃げ出します。

 

そこに白鸚の孫、幸四郎の息子である染五郎@捕史が絡み、それそれの情愛が交差する哀しい内容でありながら

見終わった後に清々しさや満足感を覚えるのは30分という時間の短さもあるかもしれません。

舞台装置は火の番をするための粗末な小屋だけ。

シンプルな分、登場する三人三様の味わいが凝縮されます。

 

染五郎は細っこくて捕史としては頼りなく、そりゃ幸四郎に逃げられるよね。

でも、偏屈な火の番の爺さんを気にかけて用もないのに様子を見に立ち寄る優しさが現実とオーバーラップするようでほのぼのさせてくれる素敵なお役。

 

トリは「歌舞伎舞踊屈指の大曲」と言われる「京鹿子娘道成寺」。

主役の花子はダブルキャストで、私の日は壱太郎君でした。

何と言っても鴈治郎の孫ですから、上手なのは当然で若いのに堂々とした舞い。

ただ、やはりコクがないというかサラサラし過ぎで、怨念をこめて鐘を見上げる視線や蛇体となって鐘に巻き付くラストがスーッと流れてしまいました。

 

玉三郎@白拍子花子のときのような、見終わってからも囃子方さんの音楽が耳にこびりついて離れないような強烈なインパクトはナシ。

ただ、今は「型」をしっかり守って演じる時期なので、その意味では何の問題もなく立派な出来といえるでしょう。

藤十郎さんも天国で孫の成長に、あのお優しい目を細めていらっしゃるはず。

 

正月公演定番の祝祭劇「曽我対面」では、梅玉@工藤の声が今月もあまり出ていなくて残念で辛い。

もとも大音声の人ではないけれど、その理知的で淡々とした声や台詞回しは工藤のようなおおらかな悪にピッタリ。

こういう大きな役者の出演機会が今後どんどん減ってくるかと思うと悲しくてなりません。

 

梅玉さんには同級生の故・十二代目團十郎の夏雄ちゃん(と呼んでいたそうです)の分まで、まだまだ頑張っていただきたいのです。

 

27日千穐楽。

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初釜の半東を初体験

2024-01-08 | お茶ときどきお花

お茶の師匠がご体調とコロナ禍で「このまま宙ぶらりんなのはイヤ」と社中を解散され、二人目の先生についてお稽古を始めて一年が経ちました。

昨年の初釜は入ったばかりでお客様気分でしたが、今年は半東の役目を仰せつかりました。

半東とは一言で表すと、亭主(茶席主催者)のアシスタントですね。

 

これは、お茶の知識や気働き、機動力が必要で初釜ともなると相当な熟練者のお仕事。

初釜は20回くらい経験しても常に「客」、半東なんてとんでもない。

 

これまでは夜間、仕事帰りに自宅にも立ち寄らず駐車場直行で稽古に通っていることで準備や後片付けは免除されてきました。

言うなれば上げ膳据え膳でお茶をいただき、点前をしていたようなもの。

 

師匠とは長い付き合いで気心が知れていたので、ハッキリ言うと甘えていたんですね。

「あなたもそろそろ水屋(準備と後片付け)の仕事を覚えなくてはね」と言われたこともありましたが、スルーしてきました。

それだけの関係性を築けていると勝手に思っていましたが、随分と失礼な振る舞いだったと激しく反省しているところです。

 

今、その報いを受けて茶歴だけは長いのにまともな準備さえできず、現在の先生は呆れていらっしゃるよう。

恥ずかしながら、煙草盆の火入れの灰を押さえるのはここに来て初めてという体たらく。

毎回悪戦苦闘で、予習復習せずには稽古に行けない有り様です。

 

昨年、師匠と一度お電話で話したときに「何も分かってなかった」「きちんと指導してくださったのに生かせず情けない」と嘆く私に

キッパリと「あら、あなたできるでしょ? そう間違ったことはお教えしてないつもりよ」と。

 

そうなんです……。

お茶には「見稽古」という言葉があって、見ているのも勉強。

もちろん学ぶ気を持たずにボンヤリしてたら、どんなに素晴らしい稽古を見せられても意味ないんですけど。

ボーッとしていた私は、今はその都度、分厚いお茶の本を取り出して確認しながらやるしかありません。

 

そんな私が半東を、と言われたら務まらなくても断ることなどできません。

いよいよ当日。

結果、お茶事のお約束のふた時(4時間)以内で10名の初釜を無事終えることができました。

ああ良かった~。

 

料理を盛り付けてお膳を出すとき、替え茶碗を持ち出すとき(全員分を違う茶碗で点ててくださった!)に先生が驚いたように

「手際がいい」「手慣れてる」と大変喜んでくださいました。

 

実は現在の先生に誉められたのは初めて。

何もできないので、「この人、一体これまでどんな稽古をしてきたのか」と不審に思われていたと感じます。

なので、多分意外だったのでしょう。

 

以前は最低でも年に一度は大きな場所で茶会をしてきた師匠の手伝いをしていたのと、お家元のやり方に倣った正式な初釜を

毎年経験してきたのが功を奏したのかもしれません。

今や茶道は非日常で、特に初釜はそこでしかお目にかかれない独特の設えや道具があります。

それをいちいち確認・質問していては、スムーズに進行させることは不可能ですから。

 

無意識だけど「見稽古」をしていたのか? 

帰路、長年の師匠の丁寧なご指導を思い起こして心の中でお礼の言葉をつぶやきました。

 

初釜の締めのご挨拶で、先生が少し声を詰まらせていてビックリ。

新年早々、痛ましいことが続き、そんな中でこうしてお茶ができる幸福が胸に迫ってこられたのかもしれません。

色々あったので初釜の料理もお菓子も質素にしましたと言われたけれど、これだけ手間のかかる準備をしてくださって本当にありがたいことです。

水屋や台所に積まれた気が遠くなるほどの洗い物の山を見ると、そのまま帰るのが申し訳ないほど(何せ10人分)。

 

新旧二人のお茶の先生に深く感謝する一日になりました。

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いつもと少し違うお正月

2024-01-07 | その他

毎年出かける湯島天神の初詣客はコロナ以降、かなり減った気がします。

三が日でも、それほど並ばずに済んで非常にありがたい。

2時間くらい並んだ年もありましたので。

 

暖冬の影響で全く寒くなく、久しぶりに母も誘って家族で初詣ができました。

おまけに引いた御神籤が大吉!

ここで大吉を引いたのは確か初めて?

 

新年早々、大きな災害や事故が続いて気が重くなりそうですが、そんな時だからこそ関係ない自分は幸運に感謝しながら明るく楽しく過ごさねば勿体ない。

ネガティブな感情は悪い運気を呼び込むと思って生きてきたので、自分にどうにかできるはずもないことを憂えて落ち込むのは良くないかと。

 

「身体健全」の祈祷をしてもらった母から、お裾分けで湯島天神名物の梅干しを貰いました。

わずか5歳で梅に関する見事な句を詠んだ、菅原道真公の逸話が添えられています。

 

まさに神童とは彼のこと。

ただ、だからと言って幸福な一生を送ったかというと全く違って晩年は悲嘆の中で亡くなりました。

一説には憤死で、それが原因で祟り神になったと恐れられたと聞くと何とも気の毒になります。

歌舞伎でも菅丞相(左遷される菅原道真)は悲運の主人公として描かれているし……。

 

幸か不幸か、凡人に生まれついた自分にできることを誠実にやるのが日々の幸せに通じる唯一の道だと信じるしかありません。

 

ここに来るといつも考えさせられるなぁと思いつつ、祈祷の準備のための社務所に行くと玄関に飾ってあった

仁左衛門@菅丞相の大型パネルがないではおりませんか?!

すぐにスタッフさんに確認すると「あ~、あれはここを改装したとき外したんですよ」と。

何ですって?!

「そ、それはどうしてですか?」と尋ねると笑顔でサラッと「特別な理由はないんですけど~、改装したついでに」と言われました。

初詣の度にこちらを拝むのもルーティンだったのに。

湯島天神の初詣の楽しみが一つ減るわ。

 

軽く失望してたらその後、大吉の御神籤を引けたのでまぁ帳消しか?

 

帰宅すると呉服屋さんの京都本店から、柿傳の「蓮もち」が届いていました。

うわぁ~、これは都内では新宿伊勢丹にしか売ってないから貴重よ~。

大吉を引いたり蓮もちを食べられたり、と思いがけないささやかな幸運に感謝したお正月のひとときでした。

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年賀状仕舞いの考え方

2024-01-01 | その他

新年明けましておめでとうございます。

 

元旦に年賀状がドサッと届きましたと言いたいところですが、年々その数は減っています。

世間もご同様のようで、この頃「年賀状仕舞い」という新語をよく耳にするようになりましたね。

 

昨年末は喪中欠礼はがきが例年になく多数届いて、軽く動揺。

親が亡くなるとか、いよいよそういう領域に足を踏み入れたんだなぁ……。

その中に「これを機に今後はLINEで繋がっている方とはLINEで新年のご挨拶をさせていただきます」とあり、「なるほど! その手があったか」と。

 

喪の穢れとか喪中の家にめでたい挨拶は失礼とか、年賀状を控える理由はあるでしょう。

とは言え、新年以降も変わらずお付き合いが続く間柄なら「お慶び申し上げます」でなく、「新年のご挨拶をさせていただきます」

「本年もよろしくお願い申しあげます」くらいはあってもいいんじゃないかと常々考えてきました。

 

華やかな体裁の年賀状とは違い、LINEなら挨拶の目的だけを果たせます。

また、これまたよく聞く「写真入りの賀状の処分に困る」という悩みも解消!

LINEの画像なら消去しても罪悪感ナシ。

 

何年か前、新聞の読者投稿欄に「年賀状仕舞いの文言を新年早々読まされると自分が整理されたようで気分は良くない」とあったのが、

同感はしないけど理解はできる、と記憶に残っています。

 

わざわざ書いて寄越さなくても、黙ってフェードアウトするのもひとつの方法ではないでしょうか。

私もある年からパッタリ賀状が来なくなったり、出さなくなったりしたことはあります。

賀状だけの付き合いで物理的にもこの先、会うことは多分ないだろうなと思って静かにその関係から退場するにしても

正月から高らかに宣言するよりは相手の心理的負担が少ないのではないかと思うのです。

 

なので、今年の賀状は仕事関係者と、メールでやりとりをする友人知人にのみ作成しました。

新年早々、あちこちにLINEを送り、これはこれで結構大変でしたが。

まぁ、初春の迎え花の画像を添えて送って「すごく綺麗!」とお世辞でもご感想をいただけたのは嬉しかったし、来年以降もこれでいきますか。

迎え花、暴れてます。

菊は「マム」と呼ばれて、種類も色も豊富で随分オシャレになったものです。

 

自分も相手も納得できるやり方を考えてみるのは、相手に対して心を砕くことに通じるはず。

人それぞれ最良の方法が見つかるといいですね~。

 

本年が穏やかな年になりますよう祈念いたします。

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