いつだってワークライフバランス

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ワークライフバランス。
より良いあり方を考えるブログです。

サンキュー(第三十九回)俳優祭@国立劇場

2023-09-29 | 歌舞伎

七年ぶりの俳優祭は予想どおり大盛況でした。

 

幕開けは俳優協会財務理事の梅玉さんのご挨拶。

いつもの淡々とした口調ながら、少しリラックスしたご様子で「俳優祭は39回目となりました。オヤジギャグですが、サンキュー俳優祭

と覚えてください」とおっしゃる口調は全くオヤジっぽくなく、品がいい。

「39回もあったんだ?!」と、これまで三回くらいしか経験のない私にとってはなるほど覚えやすい。

 

これまでは歌舞伎座で開催されてきましたが、国立劇場が11月からの建て替えで一時休館(と言っても新歌舞伎座よりも長い閉館みたいで寂しい)

になるため、「さよなら」の意味をこめて37年ぶりに国立劇場で行うことになったそうです。

 

昼夜同じ内容ですが、一部配役変更や模擬店販売担当が替わると知り、私は昼の部観劇で「丑之助君がいたら絶対にTシャツ買うな~」

と思っていたのが叶いませんでした。

まぁ、義務教育中の小学生だから当然か。

 

演目は事前に知らされていましたが、配役は分からず「菅原伝授手習鑑」は誰が何を勤めるのかとワクワクしていると、「加茂堤の場」で

幕が開き

いきなり團子ちゃん@桜丸のご登場。

今、注目の花形役者でもこんな重要な舞台に一番手で出てくるのは大変な緊張を強いられるでしょうに、落ち着いて長い台詞も完璧に入ってお見事!

 

お相手の千之助君@桜丸女房だって十分若いのに、團子ちゃんをリードする姉さん女房のような貫禄で、これまた素晴らしい。

若い二人に魅了されていると、現れた莟玉君@苅谷姫に客席から「ホ~ッ」とため息が漏れました。

 

可愛いなんてもんじゃない。

つるりと剥いた茹で卵を連想させるツヤツヤのお肌に美しい輪郭、顔のパーツ一つひとつが全て整っている。

「刀剣乱舞」で歌舞伎を観たことなさそうな女子まで熱狂させた面目躍如で「時分の花」とは、まさにこういうことなのね~。

 

眩いほどキラキラした若手に交じって、ちょっと気の毒だったのが苅谷姫と玉太郎@親王の逢瀬を邪魔する吉之丞@三善清行。

お声の調子が芳しくないようで、吉右衛門丈仕込みの張りのある台詞回しでなく、ややかすれていました。

そのせいなのか珍しく台詞に詰まってプロンプターさんの声が入り、会場から失笑が漏れました。

うーん、私は笑えない……。

 

おそらく、俳優祭のための稽古はほぼ一夜漬け。

それは皆さん同じ条件でも、名だたる名優や売り出し中の若手俳優が一堂に会するこの劇場で結構なお役を勤めるのは緊張しないほうがおかしい。

台詞に詰まるのは怠慢ではなく、緊張感の表れだと考えると私は到底笑えないのです。

プロンプターさんの声は聞こえなかったことにしよう、それは黒衣さんと同じでしょ。

 

続く「車引」は今月歌舞伎座でも同じ演目を観ているので、配役に一番関心がありました。

鷹之資君@梅王丸、左近君@桜丸、染五郎@松王丸って、何て斬新!

 

三人とも普段とはまったく違う顔、雰囲気で出色の出来でした。

鷹之資君は隈取の顔が雄々しく、小柄な身体を忘れさせる迫力の荒事を披露して立派。

左近君は最初、分かりませんでした。

「音羽屋っ!」と大向こうが掛かっているのに「音羽屋って誰?」となり、これまでは一声聞いただけで役者の顔も名前も浮かんだのに

客のほうも世代交代かと寂しくなりましたが、よーく見ると左近君。

 

桜丸は女方の役者が演じることが多く、松緑の息子の左近君とは思いも寄らず。

しばらく分からなかったほど美しいんです、素敵なんです、桜丸そのものなんです。

悪い意味でなく、松緑と全く似ていない(彼の桜丸は想像できないもんね)。

 

いやぁ~、顔をするのがお上手ですね。

まだ17歳だし大柄な松緑の息子なので、身長もこれから伸びるでしょう(同年代の染五郎君や團子ちゃんに比べると低い)。

これはいろんなお役ができそうで将来が楽しみ。

 

圧巻は美少年こと染五郎@松王丸の堂々たる顔、声、姿。

今月の歌舞伎座で「一本刀」のチンピラ役で出てきたのと同一人物とは思えない大きさでクラクラした~。

 

「これが血なのか」と唸りました。

高麗屋は松王丸を勤める家なので、幸四郎からはまだ子ども扱いされている美少年もDNAに組み込まれた勇猛な血統がにじみ出てくるのでしょうか。

 

時代物の大役を若手役者に勤めさせた幹部や松竹の願いのようなものが伝わってきて、いやぁ~大満足。

確かに技は伝承されています。

 

「模擬店」は例によって大混雑で舞台上の役者にしかあまり関心がない私は人混みを避けて二階から様子を眺めたり、空いた通路をウロウロして

早めに席に戻りました。

それでもかなりの時間が割かれていたので、客が切れたところを見計らって販売員の役者さんの姿をチラ見。

 

菊ちゃん、マスク越しでも優しい笑顔でやっぱり素敵~。

お隣の席の方も早めに着席されていて「菊ちゃん、Tシャツを売ってて残り2枚で客が途切れたのでお顔を拝んできました」と話しかけると

「え~、どこでですか? 夜の部も見るので買いに行きます。でも、好き過ぎて近寄れないかも」と大興奮。

そうねそうね、わかるわぁ。

 

と言って何ですけど、福引を終えて片づけに入っている歌昇君にはサインのおねだりとかしている人がいたのが二階から見えたんで一階に降りて

「お写真撮ってもよろしいですか」と断って一枚だけ撮らせていただきましたが、歌昇君も勿論好きなことに変わりありません。

 

模擬店が始まる前に司会の彦三郎が「写真をSNSにアップしても構いませんが、役者への過度の接触はご遠慮ください」と。

過度って一体?! と笑いを取ってましたね。

役者と一緒に自撮りしている人もたくさんいらしたけど、とてもそんな勇気はなく。

俳優全員お揃いのTシャツ姿で、鍛えた身体がよく分かりました。

歌昇君&種之助君兄弟の福引は大行列で、早々に売り切れて参戦できず残念無念。

 

模擬店終了後、国立劇場の思い出の映像が菊ちゃんの美声によるナレーションで紹介されました。

私なんぞは知らない、早世した辰之助丈や伝説の女方・歌右衛門丈など往年の役者の映像が流れるたびに年季の入った客たちからどよめきが。

 

新歌舞伎座ができる前後に亡くなった大勢の名優の映像には、「私もどうにか間に合った」という感慨に浸りました。

晩年の円熟した芸を観られたんですもの、幸せだよね。

 

最後の俳優祭名物、おちゃらけ演目もそれなりに楽しめました。

二か月連続公演を行った「新水滸伝」のパロディ(とはちょっと違う?)が最もウケていました。

白塗りの「天童よしみメイク」で登場した猿弥さんが、イケメン隼人君が勤めた林冲に扮して「誰が何と言おうと私が林冲ですっ!」と言い張るのに爆笑。

 

すっぽんに立つとマイクを握ってカラオケよろしく歌い出し、それが驚くほど上手で(当たり前?)客席は大いに沸きました。

本当に芸達者でお茶目な人。

 

ここでも寿猿さんが意気軒昂で「お歳は?」と尋ねられて「多分、93歳」というと拍手の嵐。

高齢者の希望の星ですもん。

台詞はしっかりしているし、模擬店で立つ姿も背筋が伸びで若々しく、仮に70歳と聞いても何の不思議もありません。

いつまでもお元気で澤瀉屋の皆さんと共に舞台に上がっていただきたいものです。

 

そうそう、特筆すべきはメイド(冥土)役の米吉君。

他のメイドを引き連れてセンターに陣取り、とてつもなく可愛く踊ります。

踊り出すと「ちょっと! 手拍子しなさいよっ!!」と客を𠮟りつけて「ツンデレメイド」そのもの。

 

この可愛さは莟玉君とは違うけれど、二人とも甲乙つけ難い。

純真無垢な莟玉君に対し、あざと可愛い米吉君で異なる魅力を放っていいですねぇ。

 

全ての出し物が終わり、再び梅玉さんのご挨拶で模擬店での売り上げが良かったようで(お買い物券を用意していたのが8割売れて

夜の部のがなくなるんで途中から現金支払OKに)「たくさんお買い上げいただき、潤いました」と。

「潤いました」というお言葉がズシリとこたえました。

コロナで大変な思いを役者も松竹もしましたからねぇ。

 

20頁、文字だけのペラペラのプログラム2,000円は高いなぁと思いつつ(歌舞伎座の舞台写真たっぷりの筋書よりも高い)、及ばずながら

少しでも松竹や俳優に還元されるならいいかと私も迷わず購入。

販売してくれた役者さんは多分、音羽屋の女方さんで両手で手渡しながら「楽しんでいらしてくださいね」とニッコリ笑顔に射抜かれた~。

 

理事長の菊五郎、常任理事の白鷗は体調不良でご欠席。

すっきり羽織袴をつけた仁左さまの音頭で、一本締めを舞台の役者さんと共に客もやって無事お開き。

 

何年後かに新国立劇場ができたとき、役者さんの顔ぶれはどのようになっているのか、自分自身どんなふうになっているのかと考えながら帰路につきました。

4時間近く充実した時間を過ごせた心地よさに浸りながら。

 

2023年9月28日

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秀山祭九月大歌舞伎・夜の部@歌舞伎座

2023-09-27 | 歌舞伎

史上最年少子獅子の音羽屋の「連獅子」が素晴らしい出来でした。

 

まず親獅子役で変身前の菊之助@狂言師右近が下手から登場すると、その気高さ美しさ艶やかさにタメ息が出ます。

物腰が非常に柔らかく、楷書の演技をする菊ちゃんの自然な雰囲気が舞台に清涼感をもたらし、その場がまさに霊地清涼山に見えてくるほど。

 

続いて登場した丑之助君@狂言師左近は可愛らしいかと思えば、非常にキリリとした面持ち。

獅子が子供を千尋の谷に落として這い上がってきた強い子だけを育てるという厳しさを実の親子で演じると、

現実がオーバーラップして期待値がとてつもなく上がるのがこの演目の特徴でもあります。

それを予感させる丑之助君の緊張感みなぎる佇まいに、目を見張りました。

 

親にまとわりつくようにする子供の愛らしさや敏捷さがあって、メリハリが効いています。

さらに時折クワッと目を剥いて表情を決めるのが、お祖父さんの吉右衛門譲りのように思えて胸が締めつけられました。

こんなに立派に勤めて、もしも吉右衛門丈がご存命なら婿の菊ちゃんを押しのけて、ご自身が親の役を買って出られるだろうなぁと。

 

獅子に変身中のつなぎに見える途中の宗派が違う僧の宗論も彦三郎と種之助で、どちらも口跡爽やかで面白かった~。

 

そして、ついに後半、獅子の精となった二人が花道脇に現れると、この演目のために揚幕のすぐそばの席を取っていたメリットを堪能しました。

菊ちゃんはお約束の白を基調とするピカピカの衣装。

私の記憶では音羽屋の連獅子(菊五郎&菊之助)は観たことがなく(本公演では少なくとも20年間はやってませんね)、

おそらく今回のために新調されたのではないでしょうか。

まばゆいほどに綺麗でウットリしました~。

 

約一カ月も着続けると「結構衣装は傷みます」と玉さんが仁和寺の衣装展で説明されていたとおり、役者さんの袴の裾が擦り切れて

糸が出ているのを花脇の席から見たことがあります。

それだけ歌舞伎の動きは激しい。

 

少し間を空けて丑之助君が赤の装いで現れると、思わず「小さっ!」と呟いてしまいました。

菊ちゃんの半分くらいしかなくて(四頭身ですね)、両手をまっすぐ横に広げた後ろ姿がすっごく可愛い。

その後、子獅子は後ろ向きで花道をドドドと下がって引っ込み、また出てくるのですが、こんなに小さくて重い衣装とカツラを身につけて

大丈夫なんだろうけど、大丈夫かとドキドキしました。

いやぁ、そんな不安は無用なほど立派に引っ込んで再登場。

 

私は歌舞伎初心者の頃、初めて新橋演舞場で菊ちゃんの「鏡獅子」を見たのが忘れられません。

前半は可憐な宮仕えの若い女性で、後半に獅子となって出てきたときは同一人物と分からず「何だ何だ??」となり、それが後ろ向きで

ものすごいスピードで走り去ったのを見て度肝を抜かれたのです。

「何なの? 何かのトリック??」としか思えない様子に、しばし呆然となった忘れられないお獅子初体験でした。

 

そんな菊ちゃんの息子で二人の人間国宝の祖父から直に稽古をつけてもらい、共演も経験した丑之助君に何を心配することがあるでしょうか。

「連獅子」は私の好きな演目ベスト3に入るほどで「連獅子」と聞くと見逃せない! となります。

今回はこれまで観た中でも最高の位置にくるハイレベルな内容でした。

 

あまりにも素晴らしかったので、前後の「車引」と「一本刀土俵入」がすっかり吹き飛んでしまいました。

 

途中休演した「土俵入」の幸四郎@駒形茂兵衛も千穐楽前には復帰されたようで、滞りなく秀山祭が終わったのが何よりも喜ばしい。

それにしても、幸四郎休演で昼の部の「土蜘」を菊ちゃんが代役を勤めると知ったときは、昼夜大きなお役でお疲れ様~という気持ちと

「うわぁ、菊ちゃんの土蜘を観たかったよ」と、幸四郎ファンが怒りそうな不埒な考えを頭がよぎったのは反省です。

利己的な私……。

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秀山祭九月大歌舞伎・昼の部@歌舞伎座

2023-09-15 | 歌舞伎

歌舞伎座のホールに入ると前回同様、故・吉右衛門丈のお写真が飾ってありました。

その前に置かれた一輪の白い胡蝶蘭とお香が焚かれた香合で、改めて「三回忌追善」だと思い知らされ泣きそうでした。

 

当たり役が多すぎる吉右衛門丈なので、昼夜の演目に収まり切れず、大好きな「幡随院長兵衛」をもう一度見たい、シネマ歌舞伎でもいいから

やってほしいと、考えても仕方ないことばかりが頭をよぎる有り様。

 

「金閣寺」では大膳もやったようですが、私の記憶はあやふやで(でも多分見てる!)此下東吉(秀吉)のほうが印象に残っています。

それを播磨屋でなく、中村屋の勘九郎が立派に勤めて鮮やか。

チラシに「颯爽とした二枚目の武将」とあり、秀吉をモデルにしてはいるものの猿面冠者の木下藤吉郎とは全然異なる設定です。

 

新聞劇評には「小柄な設定のはず」みたいな野暮なことが書いてありましたが(朝日新聞の歌舞伎評にはいつも共感できない……)、

ここは黒い巨悪の大膳と対比させるためにも勘九郎の姿でいいでしょう。

ただ、歌六@松永大膳は品が良すぎて、悪の色があまり出ていませんでした。

横恋慕する雪姫に対しても、何となく淡泊で嫌らしさはありません。

これなら児太郎@雪姫もなびくのでは? と思いつつ、夫の菊之助@狩野之介直信が登場するとその美しさに「やっぱり大膳よりこっちよね~」と納得。

 

菊ちゃんは夜の部の大役「連獅子」のため、ここではチョイ役で力を温存か?

でも、少ししか出ないからこそ、ハッと目を奪われる美しさで「操を貫きたくなる夫」だと印象づけなくてはならないわけですね。

その意味では適役!

 

「土蜘」は幸四郎が初役と知らなかったので、「何か普通だな~、不気味さがないなぁ」と肩すかしでしたが、これほどの大役なので、

初回から叔父さんのようにできるほうがおかしい!

踊りは例によってキレキレで、いくら体が動くからと言ってもう少し抑えたほうが重厚感や不気味な雰囲気が出るのではないでしょうか。

ま、いずれにせよ今後に期待しましょ。

 

実は「土蜘」で最も驚かされたのが歌昇君の長男・種太郎君@太刀持音若。

若干七歳で、長い太刀を持ってお祖父さんの又五郎@源頼光に付き従うお役です。

こんなに幼いのに(四頭身くらいしかない)、お顔は緊張感に溢れて恐いほど素晴らしい!

長い太刀を持ったまま長袴の裾を捌く姿も見事で、普通の7歳児なら絶対どこかで転ぶ。

やっぱり歌舞伎役者ってすごいわぁ。

 

立ったり座ったり、台詞の間合いも難しいこの舞踊劇でかなりの時間、舞台に居て存在感を放っているのに驚愕しました。

丑之助君は天才少年だと思っていますが、種太郎君も全く遜色ない出来。

彼の場合は相当厳しい稽古を積んだ結果だと思われます。

 

これまでも何度かお父さんやお祖父さんと共演していたものの、今回ほどの完成度はなく、「小さくて可愛い」「ちっこいのに頑張って偉い」

くらいにしか思っていなかったのが格段の成長です。

これは共演する又五郎さん、嬉しいでしょうね~。

今後の播磨屋の充実に大きく貢献できる役者になりそうで、ジーンときました。

 

最後の「二条城の清正」も、しみじみ良かったです。

白鷗さんは体調不良で出演さえ危ぶまれているといった、出どころ不明の噂を吹き飛ばす貫禄。

弟の追善には這ってでも出るという思いかもしれませんが、何しろ役柄が合ってます。

 

優秀だけど、まだ年若の主君・秀頼を最期の力を振り絞るようにして二条城での家康との対面から守り抜き、帰路につく船上での会話劇。

秀頼は孫の染五郎で、秀頼と重ねて思いを吐露するような白鷗の長い台詞に胸を打たれました。

 

歌舞伎のお役に実年齢は関係なく、おじいさんになっても娘やお姫様役をして構わないのが見どころの一つです。

でも、その年齢だからこそピッタリくるお役も間違いなくあります。

今回の白鷗の演技は本当に身を削るかのようで、千穐楽まで絶対にやりとげてくださいねと願わずにいられませんでした。

 

昼の部はメリハリがある演目が並び、すっごい良かったぁ~。

 

25日千穐楽。

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雑草という名前の花はない

2023-09-11 | お茶ときどきお花

NHK朝ドラを途中から見始めました。

植物学者の一生を描くということで、いろいろなお花が出てくるのがとても楽しい番組です。

連続ドラマを見る習慣がないため、主人公の幼少期を見逃して残念無念。

おそらく出身地・高知の珍しい草花もたくさん紹介されたのでしょうね。

 

その中で「雑草という名前の花はない」という言葉が主人公の口から出たそうですが、これは茶道の世界ではよく使われる表現。

茶室の床に飾るお花はいわゆる山野草が多く、花屋では売っていない、運良く買えても自宅での地植えや鉢植えでは育たないため

(気がつくと溶けて? 消えてる悲しさ……)、確保するのは大変なんです。

 

以前の社中では護国寺や靖国神社など、茶会開催地としては最高峰ともいえるあちこちの場所で毎年のように師匠が釜を掛けていて、

お茶会の前には茶花を求めてレアな山野草を販売する店にお出かけになるなど、奔走されていたことが「らんまん」を見て思い出されました。

お庭にもお花は咲いているんですけど、それらではダメだったようで。

茶花は茶道関係者でなければ雑草扱いのような地味なものを使いますが、そこにこだわるのがお茶の世界なのよねぇ(と他人事)。

 

先日の「天然忌」では「花寄せ」という、たくさんのお花を花入れに挿して飾り残す稽古がありました。

必ず一人は自宅のお庭で数多くの茶花を上手に育てている方がいるもので、現在参加している稽古場での初めての「天然忌」にも

お花を抱えるように持参された人がいました。

 

中には「猫の髭」なんて初めて聞くものもあり、山野草って本当に無数にあるんだなぁとしみじみ思った次第。

猛暑が続くなか、秋の「花寄せ」や「花所望」の稽古は花材集めが大変なのに全員が挿しても余るほどで壮観でした。

ちなみに私はベランダの桔梗わずか2輪を持参し、「枯れ木も山の賑わい」という体。

 

そこで、ご年配の方が「ワレモコウなんて昔は家の近くの土手にいっぱい生えてのよ~。今は土手自体ないけど」とおっしゃっているのを

耳にして、「何ですって? 私の大好きなワレモコウが土手に雑草のごとくですって??」と非常に驚きました。

 

緑がなくなるって、こういうことなのね。

ワレモコウは今はまだ花屋で買えますが、近い将来、植物園や手をかけたお庭でしか見られない貴重なものになるかもしれません。

技術がなくてもワレモコウを加えるだけで動きが出て、うまく生けたように錯覚させてくれる秋の代表選手みたいな花。

 

お世話になった方へのお誕生祝のお花にも当然、入れてもらいました。

先っぽに帽子のようなものが付いているワレモコウ(吾亦紅)、他はスプレーマム、鶏頭、素馨、千日紅など。

まだまだ暑いけれど、秋の風を感じさせてくれて涼しげ。

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痛快! 『ハンチバック』

2023-09-06 | 読書

久しぶりに芥川賞受賞作品らしいものを読みました。

 

『ハンチバック』(「せむし」の意)の作者は重度障害のために自力で動くたびに壊れていくという身体の持ち主なのに、

その小説には疾走感、躍動感があって非常に小気味良い。

 

露悪的とも評されていますが、軽佻浮薄なライトノベルやエログロを笑い飛ばしているようで、ところどころ私の知らない流行語(?)や

ネット用語が出てきても、言葉の意味なんて些末なことで全く気になりませんでした。

むしろ意図的に使っていることが、作品を読んだ「父は破廉恥さに激怒しました」というコメントに表れていて、いたずらっ子のような可愛ささえ感じます。

いけしゃぁしゃぁと言うよねぇ~と。

 

芥川賞の前回は2作の内、1作は非常に読みづらい文体(そこが評価されていましたが)に閉口し読了できずに(雑誌なので)処分しました。

読まずに捨てるなんて初めて。

 

その前の受賞作は登場人物が全員シンネリ、いやらしくて読んでいて疲れました。

小さな世界を描くのは芥川賞作品の一つの傾向ではあるけれど、終始嫌な雰囲気が立ち込めて無邪気なタイトルと裏腹なストーリーで

読後感は苦く、これもすぐに処分。

この小説に出てくる誰とも友達(もちろん同僚にも)になりたくないわぁ。

 

最近の小説を理解するのが難しくなった、と芥川賞の選考委員を降りた作家が過去にいらっしゃいました。

私も同じ心境になって今後は買うことはないかもとまで思ったほどですが、一応、毎回芥川賞作品掲載号の『文藝春秋』を買ってしまうのは一種の習慣?

 

最近は「炎上」を気にするあまり、芸術全体が面白くないものになっている気がしてなりません。

エッセイでもなく架空の小説なのに、そこに地域を固有名詞で出すと記述によっては「誹謗中傷」と反発されるご時世です。

天下の村上春樹でさえ、北海道の小さな町(村?)の議会から批判されて単行本では固有名詞を消したというのは結構有名な話。

まぁ、彼の場合、「ああ、そうなんですね」とばかりに軽~く受け流して相手の言い分を淡々と受け入れたように思えましたが。

「金持ち喧嘩せず」に通じるスタンスでしょうか。

 

そんな世の中の潮流に頓着せず『ハンチバック』の作者・市川沙央さんは挑発的な文体と内容が清々しい。

 

身長1センチにつき100万円で、「弱者」と自虐しつつ主人公をも貶める男を買おうと申し出る場面はすごいブラックユーモア。

女性の身長の高低は、当人は気にすることはあっても「小柄で可愛い」とか「背が高くてモデルみたい」とさまざまな見方をされますが、

背の低い男性はどうでしょう。

それを一撃で「1億5,500万円」と査定する鮮やかさ。

負けてませんね~。

 

ご本人は文學界新人賞 → 芥川賞と、石原慎太郎と同じプロセスを辿っていることに結構ご満悦の様子で露悪的のご本尊のような慎太郎を

意識しているのならさもありなんと納得できます。

何でわざわざそういうこと言うの? と思われるようなことを堂々と述べて批判されても絶対に謝らない、たとえ謝罪しても一度

言葉にしたことは改めない、そんな傲慢不遜を隠さない表現者の系譜に連なる作家かもね。

 

露悪的なだけでなく、ラストには複雑な仕掛けが施されて純文学の要素をしっかり満たします。

 

記者会見のときの彼女の強い眼差しに圧倒された人は多いのではないでしょうか。

それは芥川賞選考委員もご同様。

何だかしどろもどろじゃないけれど、完全にけおされている……。

こんな選評、読んだことない。

選考委員たちの評を読めるのも雑誌を買う理由です。

 

選考委員の一人の「この人の辛口エッセイも読んでみたい」という評には私も同感!

面白くないはずがありませんから。

受賞後第一作が楽しみな作家です。

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