春は仕事の繁忙期ですが、GWの合い間に一泊二日で京都に出かけました。
行き先は変わり映えしなくても、京都にはいつだって見るべきもの、行くべきところがあります。
今回は三カ所訪問が目的で、いつもの大徳寺と如庵、そして京都国立博物館見学。
何と言っても、大徳寺に行くと真っ先に目に入ってくる「金毛閣」の文字が鮮やかな重文の三門(山門)をくぐってあちこち見学できるのですから、
絶対に見逃せないという思いで駆けつけたのです。
昨年の聚光院と同じく、現地で申し込むツアー(聚光院より高い3,000円の参加料金!)に入ってガイドさんの解説と監視付きでじっくり巡りました。
聚光院のときと違って参加者5人、少なっ! でもラッキー。
勅使(天皇の使者)門は私たちは通ってはならないため、端っこから入ります。
三門は建設費を寄進した利休さんへの感謝の印として設置された利休像が仇となり、秀吉に切腹させられる原因になったと言われる場所。
非公開の利休像は見られないのは当然ですが、「この上にある」と説明を受けました。
ただ、切腹の際に撤去されて現在あるものは当時のものではなく、だったら別に見なくていいか~と負け惜しみ。
本当は、どういう設置になっているのか見てみたいけど。
法堂の天井龍は狩野探幽筆。
「この龍はよく鳴きます」とガイドさんに言われて、「こ、これは常盤貴子が特別公開期間でもないのに特別に入れてもらった(ズルい)場所だ」と気づきました。
指定された位置に立って手を叩くと「ぐるるる~」としっかり鳴いてくれて、「なんでなんで」と大騒ぎ。
何度でも叩いてみてくださいと言われ、調子にのってトライすると叩き方によって重低音でいかにも龍らしかったり、高音で何となく可愛かったり。
国宝の唐門を至近距離で見るのはもちろん初めてですが、説明を聞きながらだと、その精巧さや意味がよく分かり、終わってみれば参加料は高くなかった。
柵の中に入って柱を目の前で見て、昔の職人の技術力の高さにまさしく驚嘆。
他の参加者共々「うわ~、こうなってるんだぁ」「あっ、あそこにいる!」と、ここでも大騒ぎでした。
388年ぶり(どうやってカウントしたのか?)のまさに初公開の「経蔵」では、大昔の文字なのに楷書だから読めると皆で大はしゃぎ。
ガイドさんが「ご自身の名前の漢字を探す人もいらっしゃいますよ」と。
それに倣った人が「あった~」と感激の声をあげるなど、ツアーの一体感も素敵でした。
そうよね、皆さん関心あるから参加した人ですものね。
ツアーが終わってもせっかくの大徳寺なので、紅葉シーズンは大混雑の「黄梅院」に寄って、ゆっくり利休作の直中庭(じきちゅうてい)を拝見しました。
66歳の作と聞き、穏やかな様相の枯山水庭園に「利休さんって晩年はこんな穏やかな作庭をしたんですね。秀吉の希望を反映した
瓢箪をかたどった池もあって、その頃は二人の仲は健全だったんでしょうね。この3~4年後に切腹ですもんねぇ」とお寺のスタッフさんと
雑談を交わすほど、静かなひととき。
「呈茶」の看板を見て入ると、広い和室に私一人。
抹茶、昆布茶、阿闍梨餅がお盆に乗って出され、お茶は熱く丁寧に点てられていたのが嬉しかった。
大徳寺から徒歩でも行ける距離に興聖寺(通称・織部寺)があるので、ついでに足を延ばしました。
小雨だったので、大徳寺前からバスを使うと3駅(?)のアクセスの良さ。
ここも春の特別公開のお寺さん。
初めて行ってみると「ついで」なんて何たる無礼!
今回の旅で最も強い印象を残す場所になりました。
大名茶人、利休七哲の一人に必ず数えられる(7人の顔ぶれは研究者によって変わるそうです)古田織部の作った「降り蹲(おりつくばい)」。
何の予備知識もなく見たので、大袈裟でなく衝撃を受けました。
一体、これは何ですか?
蹲って、サッと手を清める数十センチのスペースじゃないですか?
何だってこういうものを作ったんですか?
「へうげもの」と呼ばれた織部の真骨頂のようなアイデアに彩られ、これはもし利休が見たら彼だって仰天したに違いないと唸りました。
画像と実物は全然違う。
階段を下りて行って(見学者は降りられません、危ないし)大人二人は立てるくらいの深さ、もはや蹲とは呼べない巨大スペース。
誰も考えつかない発想で「鬼才」とはこんな人を指すのでしょう。
こちらも見学者は数えるほどで、私があまりにも驚いてずっとたたずんでいるので、お寺のスタッフさんが色々話を聞かせてくれました。
普通、灯篭には台座があるのにこれはいきなりスッと立ってる、十字架を意識しているのかもしれない、等々。
十分、見たのに去り難く行ったり来たり、帰りにも覗いて、最後はご住職夫妻(?)が玄関先に出てきて両手を合せて拝礼(もったいない!)してくださったほど。
ネットで何でも見て分かったような気分になりがちですが、実際に足を運んで実物に接する大切さを今さらながら実感しました。
普通は写真を撮ってはいけない座像も「どうぞどうぞ」ということで1回だけシャッター音を鳴らしました。
織部さん、無粋で申し訳ございません。
翌日は京都国立博物館限定の「雪舟展(雪舟展ではありません!と京博は言いますが)」鑑賞と、織田有楽斎の国宝茶室・如庵の写しの見学。
サントリー美術館に行ってから、名古屋にある実物の如庵を見る前の予行演習として行きたいと思っていました。
建仁寺達塔頭「正伝永源院」に念願の如庵はありました。
ここでも客が少なく、お寺のスタッフさんがいろんなことを教えてくださって本当に勉強になりました。
茶の湯講座で聞いていなかったことまで分かり、予行演習としての目的を完璧に果たせた気分です。
元はここに建っていたのよねぇ。
諸事情により、東京の三井家から名古屋に渡り、今も国宝として保存されているのは素晴らしいことです。
昔の財閥はホント、芸術文化に関する理解が深くて立派だわ。
大名茶人・松平不昧公は「芸術は個人や国のもでなく、全人類の宝」というようなことをおっしゃったとか。
集めたお宝を現代の私たちが見ることができる幸せをもたらしてくれたお金持ちに感謝! ですね。
今回も「着物で京都」を敢行し、すっかり慣れました。
何と言っても二日で2万歩以上歩く京都旅では草履が一番。
しかも、いつものことながら京都人は着物を着ていると親切になります。
二日とも小雨でしたが、だからこそ「お着物で京都に来てくださるなんて」と歓迎してもらえるわけです。
京博では学芸員さんから「こんなに空いてる日は滅多にないので」と耳元で囁かれ、回れ右して国宝「四季山水図巻」を二度見しました。
織部寺の方からは「秋も公開します。紅葉も素敵ですよ。よく撮影に使われます」とお誘いを受けました。
如庵に行く途中で暑くて一休みした本屋カフェでは、入り口からは見えない坪庭のある、いかにも京都な席に案内してもらえました。
GWの大混雑を覚悟していたのが拍子抜けするほど、どこも空いていた(私の行く場所が観光スポット的でない?)のはありがたかったけれど、
「京都、嫌われてるんです」とあちこちでスタッフさんにボヤかれました。
そんなことないですよ~。
今秋もぜひ「着物で京都」したいです。