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猿若祭二月大歌舞伎・昼の部@歌舞伎座

2024-02-25 | 歌舞伎

歌舞伎座本公演の幕開け、昼の部最初の演目「野崎村」で主役のお光を鶴松が勤めるのは「十八世勘三郎十三回忌追善公演」であることを

考慮してもあり得ない大抜擢と言えます。

普通に考えると、お光は七之助? 

 

七之助は立役で丁稚久松を勤め、可愛い百姓娘のお光と美しいお嬢様の児太郎@油屋お染との三角関係に揺れ動く優男を見事に演じ切りました。

女方としての七之助は一般的評価は高いようですが、尖った狐顔のためキツさが際立ち個人的にはあまり綺麗だとは思えません。

しかし、ひとたび白塗りの立役になると大変な二枚目で、これまでいくつか勤めたお役はどれも素敵でした。

 

兄の勘九郎が立役のため、家中のバランスの問題があるのかもしれませんが、七之助にはスラリとシャープで崩れた色悪なんかも合いそうで、

ぜひ見てみたいものです。

勘九郎の二人の息子のおかげで子役は充実、お弟子さんも多くて中村屋さんの層は厚く安泰といった感があります。

 

中でも鶴松はコアなファンを持ち(自主公演も行うほど)、今月も大抜擢の期待に応えて可愛く健気に甲斐甲斐しく演じ、

田舎娘らしく元気いっぱい動き回って大変キュートなお光でした。

木挽町広場の舞台写真販売所では、若い女性たちが鶴松の写真を指差しながら「ふふっ、可愛い~」「こっちも~」と盛り上がっていました。

 

故・勘三郎丈が「うちの三男」と呼ぶほど目をかけたと言われる鶴松を、残された中村屋兄弟が父親の遺志を尊重しているのは

世襲を常とする歌舞伎界にあって異質なことです。

ファミリーの結束の強さをアピールする中村屋だから、できることなのでしょう。

とは言え、どんな世界でも言行一致はなかなかできないことなのに本当に立派。

 

鶴松はまだ若く、小柄で気取らない町娘や世話ものの女方が似合う良い役者なので、これからもいっそう活躍の場を広げてほしいものです。

こうして一門の弟子を引き立てていくことが、その家だけにとどまらず歌舞伎界全体の風通しを良くして活性化を促すことにつながると思います。

 

一方、トリの「籠釣瓶花街酔醒」では、相変わらず芝のぶ@七越がわずかな台詞しかない脇役で登場する姿に哀れを催しました。

顔も姿も声も良い素敵な女方、先日は演劇界で表彰された実力者なのに出番は少なく「その他大勢」扱いで、所属する成駒屋で

もっと出演機会を与えるべきではないかと強く思います。

今回は中村屋メインのため仕方ありませんが、別の機会に「籠釣瓶」の八ツ橋を勤めてもいいんじゃないか、「野崎村」のお光だって合いそう

と思える実力の持ち主ですから。

 

さて、昼の部メインと言えそうな「籠釣瓶」、勘三郎丈の完璧なコピーさながらの勘九郎@佐野次郎左衛門でした。

目を閉じて聴いていると、その声色はお父さんが蘇って喋っているかと思えるほど何もかもそっくり。

表情も瓜実顔の勘三郎丈よりやや面長細面の勘九郎なのに、角度によっては勘三郎にしか見えないほど。

 

真面目さに定評がある人なので、生前実際に見た記憶やお父さんのビデオ(シネマ歌舞伎にもなっています)を忠実になぞって

完成形に仕上げてきたと思われます。

でもね、コピーならオリジナルのほうを見たいのよ。

 

型をなぞるのは歌舞伎では重要で、まだまだ若手で個性を出してる場合ではないでしょうが、実力派の勘九郎なら自分の色をわずかでも

潜ませた役作りをしてもいいのではないでしょうか。

それができる役者だと思うし。

 

コピーの演技に、勘三郎丈のもらい泣きするほど惨めな哀れさは感じられず、吉右衛門丈@次郎左衛門の狂気への恐怖もわかず

冷静に観劇を終えました。

もちろん何の破綻も不満もなく、芝居自体を楽しんだことは言うまでもありません。

 

主役の中村屋兄弟よりも、私は脇の演技や存在感に心躍りました。

仁左衛門@繁山栄乃丞の変わらぬ男前な姿は驚異的。

夜の部の幕間、2月ポスターの前で30代とおぼしき男性と連れの女性から「仁左衛門、来月80だって」「何それ? 意味不明」

「なのにカッコいいんだよね~」「妖怪?」といった短い言葉のやり取りが聞こえてきてフッと笑ってしまいました。

 

確かに妖怪とでも思わなくては理解不能な仁左さま。

八ツ橋に裏切られたと誤解し怒りを抑えてスタスタ歩く姿は若々しく、吉原一の花魁の間夫(まぶ=ヒモ)にふさわしい色男ぶり。

背筋がスッと伸びて、同道する松緑と並んでも全く年齢差を感じさせない悪イイ男二人。

奇跡です。

 

松緑も仁左衛門にインスパイアされたのか、大きな目玉をぎょろつかせて小悪党を好演していました。

この手の悪役は珍しいけど、やればできるじゃないか! と嬉しくなりますね。

 

「釣女」では萬太郎君@大名と新悟ちゃん@上臈が品良くキリリとして、松羽目物にふさわしい気持ちの良い芝居で楽しませてくれました。

お茶目な内容でも、要所を押さえた確かな演技が光る若い二人の様子が清々しい。

 

ところが、彼らの先輩である獅童@太郎冠者は受け狙いが過ぎて悪目立ち。

何をしなくてもそこはかとなく面白い、笑えるという領域に届かないからといって、この路線をずっと続けているのはどうなんでしょうか。

客に媚びて笑いを取りに行くと芸が荒れる、というのは勘三郎丈が生前あちこちで公言されていたお考え。

追善公演でそれに背くかのような安易な芝居に嘆息しました。

 

その点、芝翫@醜女は元の顔が分からないほどの凝った化粧で客の笑いを誘います。

大袈裟にふるまわなくても黙って立っているだけで笑いを取れるのはさすがベテラン。

 

歌舞伎の笑いって本当に難しい。

普段の役者の姿や技量が分かっているからこそ意外なお役を勤めるときにギャップが大きく、そこで思わず笑ってしまうわけです。

 

かなり昔の「俳優祭」での一幕。

先代の十二代目團十郎が「野崎村」のお光に扮して両手に本物の大根と包丁を持って登場しただけで、その愛嬌にドッと客席が沸きました。

その姿、演技が今も深く印象に残っています。

 

鶴松の大根を刻む姿(本当に大根一本千切りにします)も微笑ましかったのですが、荒事を得意とする立役、大きな芝居が持ち味の

故・團十郎丈がやや不器用な手つきで一心に大根を刻む姿は笑いなくしては見られないもので、客に大受け。

そのときの久松は確か先代の芝翫丈。

立役女方が入れ替わる「天地会」、最高でした~。

 

笑わそうとしなくても笑ってもらえるのは役者の力の成せる技。

大御所や幹部俳優が次々と去って、こうした「自然な笑い」に接する機会が減ることだけは避けていただきたい。

歌舞伎って本来堅苦しいものではなく、上質の笑いで客を楽しませてくれるエンターテイメントなので。

 

26日千穐楽

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