I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

被害者

2012年11月30日 | 30代の出来事(女子)
20代後半で活動に戻った際、同い年のメンバーで見知らぬ顔が居た。
一人暮らしの彼女(以下Vさん)は、常に口元にハンカチを当てていた。
目がうるうるしていて、挙動不審で、ちょっと変わってる人という印象を持った。

そんなVさんは、話し始めると長い。
起承転結の無い話をだらだら続けて、一体何がいいたいのかわからない。
具体的な事柄では無く、抽象的な事を話し続けるが、内容は消極的なもので、私はVさんが嫌いだった。
なんのために信心してんの?といつも思っていた。

部の日で、幹部に入ってもらい指導を受ける時など、「Vさんは最後にしましょうね」と
司会者が先に言うほど。
幹部の指導になかなか納得せず「でもでもだって」で引きのばされるから。
次の人の発言時間がなくなってしまう。
ある時など、訳知りの幹部は「Vさんの話は会合終了後に聞くから残ってください」と言った(笑)。
Vさんも私も役職は無かったが、お互いヒラの時はまだよかった。
内心イラつきながらも、その場に居てやり過ごせば済んだから。

私が部長になると、Vさんは悩みの種になった。
かまってちゃんの傾向があって、会合に来て、じっとりしている。
学会歌をうたわず、下を向いて手拍子だけやって「どよーん」演出。
たぶん「どうかしたの?」と言って欲しかったんだろうが、私は無視して式次第を進めた。
ひとこと発言のコーナーになり、どうぞ、と促しても
口元にハンカチを当て伏し目がちに「何も無いです」とぼそっと言う。
イライラーとするが「そうですか、じゃあ次の人」とスルーして進行。
おそらく「どうかしたんじゃないの?話してみて!」と、聞きだして欲しかったんだろうけど
私にそのような心の余裕は無かった。
翌日、圏幹部から私に電話があり、Vさんから苦情が入ったとの報告(笑)。
前任者から引き継ぎを受けてないですか?とも聞かれ、なにもきいてませんと答えたところ、
その日のうちに本部長が家に来て、Vさんの状態に就いて話してくれた。

Vさんは数年前に他地域から転入してきたが、以前の部では部長を務めていたバリ活。
結婚を機に女子部を卒業予定だったが、結婚式数日前になって相手が婚約破棄してきたとのこと。
原因は、相手の親(アンチ)の猛反対。
最後の最後、親の説得に屈した相手が去ったらしい。
通常、いったん女子部を卒業してしまったら、婦人部へ行くのがならわし(?)だけど、
彼女の場合は、入籍もせず・結婚式もキャンセルとなり、女子部には新部長もたったので、
今更出戻れないというか、地域で宙に浮いた状態になったらしい。
居辛くなり、この街に一人で引っ越してきたとの事。
挙動不審だったりするのは精神を病んでいるからで、扱いには気をつけて欲しいという話だった。
私がイライラしやすい性格だということを見抜いていた本部長は
「しょうらんさんにとっては、しんどい相手だと思いますが、特に弱っている”仲間”ですから。
Vさんのことだけは、あたたかく、見守っていく姿勢でお願いします」と。
いつも口にハンカチを当てているのは、人と会うと吐き気がするからだというので
「それって、会合に出ることで余計悪くなりませんか?」と本部長に尋ねたが
「彼女に、そう言った事(活動を休んではどうかと)あるんですよ。
でもね、活動に出ていないと、不安で不安でたまらなくなるそうなんです。
だから、かえって活動に出ている方が、彼女にとっていいのかもしれないって上はそういう意見です」と。

これは、えらいことだと思った。だけど、聞いた以上は接し方に注意をはらわないといけない。
そう思った私は、次の会合からは接し方を変えてみた。
彼女の発言を根気よく聞くようにした。
ただ、若いメンバーが多くて、飽きてしまうのか、中にはVさんの発言中に携帯をいじりだしたり
解るように、ため息をつく子もいた(笑)。
以降は幹部になるべく入ってもらうようにして、Vさんを受け止めてもらうようにした。
とてもじゃないけど私では無理だと思ったから。
腫れ物に触るように接していると、自分まで、おかしくなりそうだと思っていた。


その他、関わっていく中で、いろいろな問題が起こり、幹部に入ってもらい対処してきたが
私の心中は常にもやもやしていた。
Vさん、なんとわがままな信心(活動)なのかと。
活動がしたいなら随自意で、と思うが、常にお膳立てを求めるVさんに私は納得がいかなかった。
そして、活動をすることで「元気になる」というよりは、活動にすがるが故にますます精神状態が
悪くなっている気がした。

その後も、数々、私の方針にモノ申すだったVさん。
非常にやりにくかったが、そのたび幹部の友達に愚痴っていた。
彼女いわく「Vさんって、前地域の部長の中でも一番結果出してて、バリバリだったらしいよ。
きっと、今も本当は自分が部長をやりたくって仕方がないんだろうね」と。
圏幹部の中にも、Vさんは苦手だと公言している人物がおり、指導の内容に対して納得できないからと
方面女子部長に直訴された(あの幹部が変ですと)ことがあるらしい。
そこまでやるか?と驚いた。
「自分に耳あたりのいいことだけ聞きたいなんて、それは指導じゃないのにね。彼女、指導受けるのが
大好きなんだよね。かなり、歪んでるんだろうね、可哀相だけど」圏幹部の友達はそう言った。

弟子の誓願1000万が終わり、私が引退する事になった時、
Vさんが「実は私も」と未婚のまま婦人部へあがることを発表した。
どうしてそうしたのか、当時はわからなかったが、今になって思うと、私の後任部長がかなり若く
(20代前半)ますます、そりが合わなくなって部に居づらいと判断したのではないかと推察。

数年後、Vさんは結婚・出産をし、そのまま地元に住んでいた。
母を通じて、時折Vさんの近況を聞いた。
育児ノイローゼになって以降、活動に出て来れなくなり
現在は、子供と一緒には暮らしていないとの事。
母は、地域の自治的な役割もしているので、Vさんに関わっているが
「あの人だけは、なんでかなーって思うね。信心しているのに」と複雑な表情で言う。

Vさんも、組織の被害者だ。
結婚が組織のせいで反故にならなければ、精神を病まなくて済んだかもしれない。

精神を病んでもなお、活動を休む事が出来ず、活動にすがり続けたのだって
「活動をやめたら不幸になる」という刷り込みから、恐怖感で、追い込まれたのだと思う。

まじめで、まっすぐな人ほど、害を受ける。
もちろん、悲しい事があっても
(彼女と同じように、外部との結婚を、婚約破棄された経験ある内部の友人がいるが)
乗り越え、前向きに、すべてを拓いて行った人もいた。
こういった人は、信心活動云々の前に、もともと胆力があるのだと最近は思う。だから、乗り越えられた。
(そして、このテのタイプは、組織がなくても生きられる)

だけれども、Vさんのような、根っから弱い人には、組織の教えが仇になる。
組織自体が、仇になってしまったように見える。
本当は、自分で気づいて、自分で立ちあがってというプロセスが必要なのに、そこに組織が
常にあることで、堕落性依存になったのではないかと思う。

きっと、内部の人は「組織はひとつも悪くない、本人の資質の問題」と言いそうだが
そうじゃないんだよ。
組織の教えそのものが、自己矛盾だらけで、組織の都合いい事ばかりになってるから
そのことで実生活に影響をきたし・深く心に傷を負う人が出てくるって現実を、もっときっちりと直視すべき。
「信心が足りない」などと、組織の理論で、簡単に片付けんなよって思う。


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先日みたテレビ番組で、心理学者が言っていた。
「洗脳とは、暴力・脅迫行為などで従わせることを指す。
 マインドコントロールとは、こちら側へいらっしゃい、楽園だよ?と呼びこんで本人の意思で
 入るようおびき寄せ、管理していくことを指す」と。

組織のやってる事、洗脳+マインドコントロールどっちもあてはまるじゃん!、とハッキリ解った。

これ以上、被害者を増やしてもらいたくないと、願っている。

色眼鏡

2012年11月29日 | 現在進行形
情報収集、ネットにばかり頼るのもどうかと思いながら、日々活用している。


戒壇の大御本尊様にまつわる諸問題の中で
がっかりしたのが「弥四郎国重」に関する事。
私は教学試験で、この人物を熱原三烈士のひとり神四郎のことだと習った(高校生の時に)。
それが、実際はハッキリしないという事を、先日知って、大変驚いた。
おまけに、戸田先生はこの「弥四郎国重」を「架空の人物だ」と講義していたというから、あいた口が
ふさがらない。
私が教学試験で習った内容は、戸田先生時代のものじゃなく、その後年に日達上人が発表した説のよう。

実は誰に充てたのかハッキリしない戒壇の大御本尊様。
物議を醸すような謎の部分は、極秘にしておくんじゃなく、積極的に、広く歴史学者や
宗史の研究者に任せるなり、多方面・角度から検証してもらうなりし、ハッキリさせた方が、
今後のためにもいいんじゃないの。
それとも、ハッキリしちゃうと不都合なことでも、あるの?

でも、私にとってはもう戒壇の大御本尊様の真贋とか・言い伝えの錯誤はどうでもいい。
真に、ビジネスでは無く、組織でもなく、日蓮大聖人の御心に沿ったところに帰依したい。

大聖人直結とか、自分で言っちゃうところは、一番あやしい(笑)。


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私一個人の思いとして、日蓮大聖人の教えは正しいと思う。
これからも、信仰は日蓮大聖人が読み説いた法華経の教えを信じて行きたいと考える。
なので御本尊様は必要。
どこかで頂かなくては、と思うが、今の時点で宗門はちょっと違うな、と思っている。

調べれば調べるほど、日蓮にまつわる知らなかった団体や本山が出てきて驚くのだが
怪しいところが多数ある。
それらはすべて、日蓮大聖人と御本尊様をていよく利用したビジネスにしか見えない。
二、三匹目のドジョウ狙いといったところか。
そういうものを見ると、イライラする。じゃあ見るなって話だけど(笑)。
わけのわからない、個人が始めた様な団体は論外。

お寺さんはまだ、良いかもな、と思える。
(ただし横暴な事を言わない住職に限る)
金もうけとは思わない。それが生業で、先祖代々から受け継いで(世襲の場合)御護りして
いくことって、こちらの想像以上に大変だと思うから。
というのも、園ママに、地元で有名なお寺さんのお嫁さんがいるからなのだけど(日蓮宗では無い)。
既得権益云々とは思わない。そこにしかない御苦労もある事を知ったので。
同じ事を、やってみろと言われたら、私には出来ない。

いっそのこと、日蓮宗でいいのかもと、様々な寺院のHPを見ているが
私が「あっ、無理」と思ってしまうのは、お曼荼羅以外の鬼子母神像、大黒天などをまつっているお寺が
大半であること。
組織に居た時代に学んだ教学のせいもあって、受け付けないのだ。
そういったもの(偶像崇拝)は邪教だ、と教え込まれてきた故の拒絶感。
日蓮宗のお寺の、由緒ある古刹になればなるほど、仏像を多数有している。
時の権力者から授けられたものだったりするから、当時の歴史的背景を考えてみれば納得できる
部分も、あるのだけど、個人的に受け付けない。
また、大聖人像を有しているお寺も多く、初めて見たので驚いた。
40年近くも、刷り込まれたものは、そう簡単にぬぐえず
組織で教え込まれた「教義」による色眼鏡で見てしまう傾向が、どうしてもある。

現状で言えば、どこの御本尊様も、頂きたいと思えない。

血脈のあるなしとか、相承じたいが怪しいとか言い始めたら、本当どうしようもない。

そういえば日蓮大聖人御真筆としてご本尊が、ヤフオクに出ているのを見た。
1億円って、誰が買うのだろうか(笑)。

そして今、こうして改めて(というか生まれて初めて)御本尊様や日蓮大聖人やお弟子さんについて
インターネットで調べて行くと、
私はこれまで、なんて楽をしてきたのだろうかと思う。
「創価版」というパッケージ商品を長らく愛用してきて、それしか知らなかった、って感じ。
一切自分で考えなくていい・動かなくていいから、楽だった。
教えられるまま「へぇ、そうなんだー」って、信じてれば良かったから。
御書も、教学も、与えられたものをそのまま見てれば良かった。本文を読んで自分で考えることなく
書いてある通解を読みさえすれば、わかった気になれた。
その御書講義が、全編拝読では無く、組織運営に都合のいい一部分にとどまり、
都合の悪いところはサラリと流し、組織運営にとって重要なところは「ここ重要です」と強調される。
そこだけ勉強していれば良くて。
全編拝読運動なども、あるにはあったけど、ただ読むだけでその意味までしっかりと学んではいなかった。
しかも、真蹟御書とそうでない御書があるなんてことも、組織の勉強会では教わらなかった。
少なくとも私は一度も聞いた事がない。
今年9月以降、インターネットで調べて行くうちに知ったことだった。


これからは楽をしないで、自分で読んで学んで、じっくりと考えていきたい。

祈らない

2012年11月28日 | 恋愛、結婚
組織のメンバーとは、活動の場で会うだけでプライベートの付き合いは
なるべくしないように、という空気が20代前半当時の組織にはあった。
が、10年経過するとそういった空気もなくなって、30を過ぎる頃、同世代のメンバーで食事に行く
機会が増えた。
年齢が上がると、年下のメンバーも多く居る活動の場で本音を言えなくなるので、
ぶっちゃけ話をするべく偶に集っていた。

よく話題になったのは恋愛と結婚。
30代になり、後輩・同期が次々結婚していく中で、焦りを感じないと言ったらウソになる。
県幹部をしていた友人は結婚願望がとても強く、「自分は絶対20代で結婚する」と思っていたそう。

彼女は、20代期間ずっと「30歳までに結婚がしたい。できれば相手は組織内の人」
と祈念してきた。
その願いが叶わなかったので、婦人幹部に指導を受けた事もある。
婦人幹部の回答は
「あなたの使命はあまりにも大きい。
そんなに早く婦人部にきちゃいけないと、御本尊様が御許しにならないのだ。
自分の使命に生き切った時、必ず良縁が向こうからやってくるから、よそ見はしないで、
自分の役割を全うしなさい。
ここで闘いきるとの、あなたの腹が決まらないから、お相手も決まらないのよ」といわれたとのこと。

今、冷静に思い返しても、なんと浮世離れした指導(笑)。
世間一般常識とかけ離れ過ぎていて、組織でしか通用しない話。
こんな話を真に受けて、わきめもふらず活動に没頭し、独身のまま40代を迎えた人が私の知る限り、多数居る。
そして、そういう人に限って「お相手は信心があればどなたでも」ではない。
ルックス重視だったり、条件にこだわりがある。
だったら、しかるべき時に、しかるべき努力をしないと、そんな理想の相手と一緒になる事は
出来ない。 
ただでさえ、出会う機会が少ないのに(活動に忙殺されて)。
でも、「信心がすべて、組織の活動がすべて、ただ心こそ大切なれ」の世界でそんな俗な事言ったら非難をあびる。
だからみんな本音は言わないで、理想の相手が現れる事を念じ続けながら組織内にとどまっている。
ルックスが好みじゃないという理由で数々の組織内縁談を断り続けている妙齢女子もちらほらいた。

彼女に当時、片思いの男性(組織内)がいて、「どうしたらいいか解らない」というので
私は「祈って、体当たりしたらいいんじゃない?」と促したが、彼女は言った
「だめだめ。恋愛の事は絶対祈らないようにしてるから」と。
えーっ。それ、どういうこと?
彼女いわく、恋愛ごとで、特定の相手の事をいのっては駄目だ。
もし、悪い結果が出た時、御本尊様に不信の念を抱くようになってしまう。
特に若い子はそうなり易い。
相手の幸せを祈るのは良いとして、相手とどうこうなろう(恋愛成就)は祈ってはいけないと
先輩から指導があり、守っているとの話。

私は呆気に取られた。そんなのってあり?
「願いとして叶わざるなしのご本尊様」これがうたい文句、常套句じゃなかったっけ?

私は恋愛関係のことを組織の幹部や先輩に相談や指導を受けた事が一度も無かったが、
ご本尊様への「不信」を起こさせないよう、恋愛ごとを祈るな、という指導は、えらく乱暴だなと思った。

ただ、この当時はわからなかったが、今になって思えば恋愛成就を祈念するのは確かに現実的では
ないと思う(笑)。
人には好き嫌いがあって、友達としてはいいけど恋愛対象として見られないという事がある。
誰でもOKって人は、殆ど居ないだろう。それは、生理的な問題だと思う。
祈りでその生理的問題を解決するのはかなり難しい気がする(例外もあった・後述)。

彼女は組織内での”恋愛”結婚を希望していた。
あくまでも恋愛が先で、お見合い結婚はイヤだと。
そうなると、誰か「この人」と決めたら、積極的にアプローチをかけていかないと無理。
しかし彼女は立場もあるので、そんなことはできないという。
ああ言えばこう言う状態で、相談にのっているつもりが、イライラしてくることも多かった。
私は思いきって言った
「(組織では)自分の立場が障害になるというなら、外部の人の方がいいんじゃない?
合コンでも行ってみれば。紹介しようか?」と。
彼女「それも絶対ダメっていうか、無理。何をしゃべったらいいかわからない」と即答。
組織の活動と仕事しかしていないから、一般男性と話すにも話題が無いし、自信が無いというのだ。
あまりにも免疫がなさすぎて驚いてしまった。
彼女の勤務先は、女性が多い職場で、男性は少なかった(しかも全員既婚者)。
だったら尚のこと、外で出会う努力をすべきだと私は思ったが、彼女は自分の殻から出てこない。
まさに「白馬の王子を待つ状態」。
組織で活動をしていれば、いつか自分好みの男子部が現れて告白してくれ、交際が始まって
幸せな結婚が出来るーそんな夢を頑なに信じているように思え、すれていた私から見れば信じられない
ことだった。30歳過ぎて、なに夢みたいなこと言ってるの?と。

大きな会合の壇上で、彼女が確信に満ちた指導を行っているのを見るにつけ、
プライベートにおいては情けなくグダグダな彼女と同一人物とはとうてい思えず、私は苦笑していた。

また、私の結婚が決まった時も、彼女から質問攻めにあった。
彼女は私に「祈っていたのか?」をまず聞いた。
私は「主人との結婚」を祈ったことはなかった。
ただ漠然と、「次に出会った人と結婚したい」と祈りはじめた頃、偶然久しぶりの連絡を
よこしてきたのが主人だった。
(注・外部の主人とは、未活時代に出会った)
全くの友達で、お互いに恋愛感情は無し。
祈っていたからといっても、目の前に現れた主人に対し
「この人と結婚するんだ!」と即、思った訳ではない。
付き合いも、すぐ始まったわけじゃなく。その後の成り行きで、結婚へ発展していき、
ふと気付いた時「願いが叶った」と私は思った。
(だが、いま冷静に考えたら、これも私がスピリチュアル的な「呼び寄せ」「自己暗示」を
 かけていただけのような気がする。
 偶然が気持ち悪い位に重なっての交際・結婚なので、仏縁もあったのかもしれないが)

彼女は真面目に聞き入って「やっぱり、自分の腹が決まらないとダメってことだね」と言っていた。
そうだね、と答えたが、実際は「腹が決まった」だけでは無理。

後日、私の同窓生で幹部になっていた女子が「お祝い」と称して自宅に花を持参してくれた。
その人とプライベートの話は殆どしたことがなかったので、どうしてお祝いしてくれるのかと
面喰ったが、結局は、どうやって外部との結婚にこぎつけたのか話を聞きたいという事だった(笑)。
恋愛・結婚に迷っても、組織幹部のいうことはもう信じられない。経験者に聞け!状態だったのかも
しれない。

@@@@@

指導に真面目に従っていたら、女子は確実に婚期を逃す。
「社会で実証」と、同じ職場に長年勤務する人が多いが、男性もほどほどにいる職場か・
転勤や異動のある職場でない限り、出会いの確率は年を追うごとに減る。
組織内でみつけるにしても、役職が上がってしまうと、立場を考えて前へ踏み出せなくなる。
そうなるともう、普通の恋愛結婚をするのは至難の業。
下種な事を言って悪いけど、女子の一番いい時期は20-30代だ。
そのきらきら輝いてる期間を、組織活動で縛り上げられるなんて、馬鹿だ。
40代以降の「美魔女」とかいう言葉も最近でてきたが、土台+相当な努力+投資が無ければ成し得ない話。
「世間の常識と現実」どっぷりと組織の中にいたら、なかなか気付けないのかもしれない。

中には、組織の活動に生き切って、上から持ちこまれた縁談は「ご仏智」として、どんな相手で
あろうが断らず受けて結婚する人もいると聞く。
「恋愛」を知らないから(ご仏智で、使命があると思いこめば)それでも受け入れ可能なのかもしれないが、
その人が親になった時、子供の自由な恋愛を受け入れる事ができるんだろうか?と余計な御世話だが思う。
自分と同じく、子供に組織の人との結婚を強要する等、負の連鎖になりそうな気がする。


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例外の話。

女子部員にちょっかいをかけまくる男子部員(既婚・バリ活)がいて、奥さんは元バリ活の女子部だった。
奥さんは、男子部員と結婚するため300万遍の唱題をあげたことが地域では伝説。
何度もアタックし、振られ続けていたが、300万遍をあげたことを男子に伝えたところ
交際期間ほぼ無しで結婚に至った。この話は地域で美談となっていた。

だが、男子部員はあるとき言った
「俺があいつを選んだのは、俺の為にそれだけ祈れるってことは、俺がどんなに無茶をしても
必ず受け止めてくれる、絶対に俺を裏切らないと思ったからだ」と。

女子部員にちょっかいをかけまくってることを知っている人は多かった。
とある部員と、不倫もしていた。
奥さんは、その事を知ってか知らずか、常に笑顔で子供を連れて活動に参加していた。
それを見て「さすがだね、奥さん偉いよね」という人もいたが
私は、ただの奴隷じゃん、あんな結婚絶対嫌だと思った。

奥さんの「祈りが叶った」というよりも、「弱みにつけ込まれた」結婚に見え。
その後、男子部員の仕事がうまくいかなくなり、二人は離婚し、地域からいなくなった。
こんな話でも組織幹部からいわせれば「互いに意味のある出来事」になってしまう不思議(笑)。

やっぱり、恋愛ごとは祈らなくて正解かもしれない。

クリスマスツリー

2012年11月27日 | ファミリー
先週末、子供と一緒にクリスマスツリーの飾りつけをした。

子供が生まれた年に、私が買ったツリー。
オーナメントを、毎年少しずつ買いたしている。
今年はゴールドのボールをちりばめ、海外で買ってきた子供のお気に入りキャラクターの
オーナメントを飾った。

ツリーの飾りつけが済むと、上の子はサンタに手紙を書いた。プレゼントのリクエスト。
サンタに出そうね、と、義実家の住所を書いた封筒に入れて、翌日ポストに投函しに行った。
上の子が、サンタを信じてるか否かは微妙なのだが(祖父母だと、うっすら解っているっぽい)
うきうきとしている様子を見ると、ほほえましい。
もうすぐアドベントカレンダーも出すつもりで、毎日開けるのが子供たちの楽しみ。
(小さいお菓子が入っている)
今年の(義家族への)プレゼントは何にしようか、ケーキや料理はどんな風にしようかと、考える私も楽しい。
宗教的な意味合いはゼロな、季節の風物詩としてのイベントを家族で楽しんでいる。
それが子供たちの記憶に残って、成長後にまた、じぶんの家族と楽しいクリスマスを過ごして欲しいと
願っている。

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私の実家では当然だがこんな洒落た(?)クリスマス習慣は無かった。
きょうだいのひとりは、クリスマスツリーが欲しいと泣いて母に抗議していた時期があった。
友人たちの家には、クリスマスツリーがあって、憧れていた様子。
私はそれほどツリーに対する憧れが無かったけど、それは母から「そんなもの飾ったら罰が当たる」と
刷り込まれて、信じていたせいもあると思う。

ただ、クリスマスケーキは父が買ってきてくれ、母も料理が嫌いな方なので、ちょうどいいと思ったのか
できあいのチキンが夕飯に出た。
プレゼントも「サンタから」ではなかったが、朝起きると、枕元においてあった。
おもちゃだったり、お小遣いだったり。
まったく何もなし、というわけではなかったが、味気ないクリスマス(笑)。

このほか、教義的な事は無関係で、母は「季節の行事」を無視する人だった。
昼間の組織活動が忙しすぎて、それどころではなかったのと・母親の育ちの問題。

たとえばお節句も完全にスルーしていた。
私はお雛様を持っていなかった。
母方で用意するのが習わしの土地に住んでいたが、母の両親(祖父母)は買わなかったらしい。
父方の祖父母がお祝いとして、購入資金を送ってきたそうだが
当時はまだ一軒家でなく、アパートに住んでいたので「置き場所が無い」という理由で
買わなかった。
一軒家に引っ越し、十分お雛様が置ける和室があっても、買ってくれる気配は無く。
友人宅にいくと立派な七段飾りがあったり、ガラスケースのお雛様があって、うらやましかった。
お節句の日に、友人宅に遊びに行ったら、その家のお母さん、おばあちゃんが雛あられや
桜餅を振舞ってくれて、お雛様の絵が入ったお懐紙が素敵だなと思った。
持って帰っていいですか?と聞いたら、どうぞどうぞと言ってもらい、私はしばらくそのお懐紙を
宝物ケースに入れていた(笑)。
でも、母親に、羨ましいとか・家でもやって欲しい等訴える事はなかった。
なんでなのか、自分でもわからないけど、たぶん「言っても無駄」という感覚だったのだと思う。
当然、兜飾りもなくて、だけどなぜか柏餅は仏壇の御供えに上がっていた。
それを下げてもらいおやつに食べる事が、実家の「お節句」。
(ちなみに、粽は宗教的意味合いが強いということで、母は買う事は無かった)

私の子供がうまれた際は、父が先頭に立って節句飾りを購入してくれて、ほっとした。
(おそらく、父が亡くなった後だったら、母は購入を渋ったかもしれないと思う)
昨年、ふと思い出して、父方祖父母からもらった(私への)節句のお祝いはどうしたの?と聞いたら
母は「宇宙銀行に預けたにきまってるでしょ!」と笑顔で言った。
母親でなければ、首を絞めたくなる発言だった。


母の実家は、草創の家族にありがちな、貧乏人の子だくさんで、祖父は晩年こそ元気だったが
若いころは病弱だったらしい。
母の兄が商売で当て、経済状態は一転したが、母はすでに学生になっており
その恩恵を受けられたのは、ごく短い期間。 嫁をもらうので出て行けといわれ、卒業後は実家を出て
暮らすようになった。
つまり、育ちで言うと、あまり良い方とは言えない。
自分に経験のないことを、子供たちにすることはできないとよく聞くが
祖父母宅にもお節句の飾りは無かったし、同じく、母方のきょうだいの家(いとこ)もお節句の飾りは
持っていなかった。
そんなもの買うお金があったら宇宙銀行(財務)へ、という感じだったようだ。

母は、義両親と会うのをすごく嫌がっており、会わずに済ませたい、なるべく遠ざけたいという現状。
主人の母親(姑さん)が苦手、とのこと。
上品でおっとりした優雅な奥様で、自分とは違いすぎて、何かを話すたびに馬鹿にされているように
感じるのだと母は言っている。 
父の存命中は、父と義両親の3人で話し込み、母は部外者というかんじで宙をみつめていた。

私がマインドコントロールに罹っていた間は、ただ母の被害妄想じゃん、と思っていた。
でも今は、ハッキリとわかる。
母は、組織どっぷり、非常識なので、常識人の姑さんと会うと途端に自信をなくすんだろうな、と。
組織に入って無く、活動に躍起にならずとも、幸せで豊かに暮らす御婦人が居る事を、間近に見るのはしんどいと思う。
それを、組織内部の人は意地汚く
「でも、(そんな、信心なしで物心共に幸福な人であっても)どんな死に方するかはわからない」と
言ってのけたりする(笑)。
臨終正念の事を指すのだが、ハッキリ言って、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。


私は、そんな母に育てられたが、こちらに来てから知り合った一般常識のある外部の友人たちと
接しながら、季節ごとの行事はどうするか、情報収集して、自分の生活に取り入れて行くようにした。
それが、子供の情操教育にも深く関係していくと思ったからだ。
子供たちを、私みたいに、侘しい思い出ばかりにしたくないという願いからの行動。
勿論、経験が無いからこそ、こういった習慣を取り入れるのが新鮮で、自分の楽しみである部分も大きい。
これは、組織を離れて良かったと思う点のひとつ。
たぶん、私がいま婦人部でバリ活だったら、絶対ツリーなど飾らなかったと思う。
めんどくさくて、それどころじゃない。子供たちの幸せのために福運積んでるんだし、そんなこと
しなくたって平気!くらいに捉えて、受け流しただろう。
実家で母から教わった通り、母のやり方を踏襲し、子供にも当然のように押しつけたと思う。

尚、地元の同級生(内部)で、私と同じく外部の人と結婚した友人がいるが
その子も偶然、親(活動家)がお節句の飾りや祝いを一切しない人だった。
孫が出来、お飾りをどうするかで揉めたと聞いた。
彼女の両親は(女方が出すという地域のしきたりは知っていても)そんなものは必要ない、
欲しければ自分たちで買いなさいと言って来たらしい。
ご主人の家が、しきたりにうるさいほうで、買って下さったそうだが
あなたの親は非常識、孫が可愛くないのか?と、責められて弱ったと言っていた。

外部の親たちも、孫に対して気持ち良くお祝いがしたいのに、創価の家族が拒絶してきたり
非協力的だと、ますます不信感、不快感を強めるだけ。
「うちの教義にあてはまらないので、やりません。お金も出すつもりはありません。
 どうぞ御勝手になさってください」こんな態度じゃ、一般理解が得られるわけない。
それなのに、外部の親(嫁ぎ先の両親・婿の両親)に対して選挙票を平気で依頼にいく
厚顔無恥な学会員の親も、多数いる。
それがまた、家族関係を、ややこしくしてしまうのに、そんなことおかまいなし。
だって学会が正しいから。自分たちが正しいから。という思いこみで動く。
こんなの嫌われて当然だと思う。

組織の人で、お節句を大事にしているなんて話はしたことない(聞いた事もない)ので
案外、なにもしないっていうのは、組織内部において多数派かもしれない。

日本人に生まれてきたのに、お節句もお祝いしてもらえなかったとは、
寂しいことだなと、自分の身を振り返って思う。
(補足・七五三は、日蓮正宗寺院でしてもらった)

永遠の幸福価値がどーたらこーたら言う前に、組織はもっと基本的な
「日本人らしく、常識を踏まえて、心豊かに暮らす」ことをきちっと教えろ、と思う。

とりわけ、子供や孫を犠牲にするな!

本当、とっとと空中分解してしまえ、と思う。

現証 別視点

2012年11月26日 | 現在進行形
母が私に教え込んできたこと
「法華経の行者を迫害するものは必ず滅びる」

聖人御難事の
「法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」
この部分を引いて、それはもう、小学校低学年にして暗記するほど教え込まれた。

そして、実際母のまわりでおこった事を教えてくれた。
内部の人間でも、外部の人間でも、母を故意に陥れようとした人間は酷いめにあっている。
若くして、死んだ人も居た。
リアルタイムで傍観した出来事もあって、私は、ますます日蓮大聖人の教えを深く信じるようになった。

法華経の行者に意地悪をしたり、悪い噂を流したり、危害を加えたり
陥れようとするような不届きな奴は必ず悪い目に遭っていく、そう体感してきた。

だから、アンチや、内部の人間でもこちらに悪意を向けてくる相手に何をされても気にするな。
こちらが清廉潔白なら、堂々としていればいい。
反撃などしなくても、必ず現証が出て、相手は不幸になって行くのだから、と母から教え込まれた。


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小学生時代の2年間、私はいじめに遭っていた。
クラス替え無くもちあがりの2年で、この期間は地獄。
いじめの内容は、特定の女子グループから無視されたり、悪口を聞こえるように言われたり、
足を引っ掛けられたり、不幸の手紙をもらったり(笑)というものだったが
一度、墨汁の付いた筆を近くでばさっと振られ、ワンピースが墨汁のしみだらけになった
ことがあった。
先生の見ていないところでおきた事+すぐに3人は現場を去ったので、先生に訴える事も
私は出来ず。
水道で洗っても洗っても汚れはとれなくて、私は泣きながら家に帰った。
母はすぐ学校に連絡を取って事情を話してくれたが、彼女ら(やその親)が謝罪して来る事は無かった。

いじめのリーダー格の女子は家庭環境が非常に複雑で、何度か苗字も変わっていた。
古い住宅に住んでおり、取り巻きも同じ住宅の子たち。
いつも浅黒い顔で、いわゆるネグレクト家庭の子供だった。
体格が良く腕っ節が強かったので子分たちは力でねじ伏せられていたのだと思う。
学年が上がりクラスが別れると、いじめは無くなったのでホッとした。

だが、同じ中学に上がりまた同じクラスになってしまう。
すかさず「自分のグループに入れ。同じ部活をやれ」と私に言って来た。
クラブ活動は別にしたが、行動は共にした。
彼女は万引きを子分にさせており、入学早々、子分が店員に掴まって大騒動になり
(彼女が指示した事がばれたので)「次やったら年少行き」と学校側からも脅しをかけられ
暫くおとなしくしていたが、ほとぼりが冷めたころ、別の子分に万引きをするよう言った。
次の日曜日に、大手スーパーに行くからついて来い、私にも見学のため来るように言った。
(見学させておき、後日実際にやらせるという手法)
だけど、タイミング良くその日に法事があったので、私は行けないと断った。
内心はドキドキで、けどまた捕まれば、彼女は補導されて地域からいなくなるかもしれない、
と期待している自分も居た。
御本尊様に、どうか彼女から逃れられますようにと、日々ご祈念していた。

意外な結果で彼女はいなくなったのだが、その万引き決行前日に、彼女の家から出火。
焼けだされてしまったのだ(ちなみに家族は全員無事)。
補償問題で両親が逃げたようで、彼女ときょうだいは児童保護施設に入ってしまった。
(居住区域には無いので、遠方に行ったのだと思う)
本当に、目の前からこつぜんと消え、戻ってくる事はなかった。

私は、「母のいったとおりだ!」と思った。
これが私が掴んだ初めての現証体験。

以降、こちらが何もしていないのに、向こうから攻撃を仕掛けてくる人はことごとく
不幸な目に遭って去って行くのを見て、私は信心への確信を深めた(っていうのもおかしい話だが)。

学会批判をされたわけでもなかったが(私は宣言してなかったし)
反りのあわない会社の同僚がいて、何かと足を引っ張られた。
私以外の社員も同じ目に遭っており、その人が原因で退職した人も数人いた。
厄介なやつなのに、成績優秀で、上司や社長のお気に入りだった。
私が露骨に相手を嫌っていたので、周囲から「そんな風にしたら、自分自身の評判も落とすよ?
表面上は愛想よくしてればいいんだよ」などと注意を受けた事もあったくらい。
だけど、その相手も、親が多額の負債をかかえて失踪。
債権者が、親が何処に行ったか教えろと営業中の会社に乗りこんでき、それがきっかけで相手は退職して
しまった。
バリ活時代(部長やってたころ)の話だが、すごすぎる、と思った。

学生時代からの友人で、和を乱そうと作為的にひっかきまわす人がおり迷惑だと思っていた。
(結局はさびしがりやで、自分が中心にいないと不安なタイプ)
結婚後も、人の悪口を吹き込んで仲間割れをさせるのが得意で、計画した食事会を潰されたりして
腹立たしく思っていたが、ある時期を境にぱたっと誰とも連絡をとらなく(とれなく)なった。
彼女が関わらないと、何事も無かったかのように和が戻り、ほっとしていた。
それから数年後、彼女が失踪していた事を知って驚いた。
子供を置いて、アルバイト先で知り合った男性と、かけおちしていたのだ。
今現在もどこに行ったのか不明。

組織内でも、あった。
20代前半の活動期、嫌な思いをさせられた頭の悪い女子部員が
数年後に会った時、顔にやけどを負っているのを見て驚愕した。
割合、綺麗な子だったのだけど。台無しだった。
決して私だけが被害をこうむったわけではなく、彼女は組織内のいろんなところで迷惑を
かけていたと、後日幹部が話していたので、その罰もあったのかーただの偶然なのか。解らない。
そして、私が活動を降りる直接のきっかけとなった馬鹿男幹部は、独身のまま生涯を終えたと
先日聞いた。最後は、車いすに乗っていたらしい。
これも、私だけが被害をこうむったわけじゃなく、きっと多数の同志の皆さんに嫌な思いをさせて
いたであろうことは予想がつく。
不幸列伝みたいで申し訳ないけど、本当の話。

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法華経の行者を迫害したらいけない、という以前に、善良な民を誰人も迫害しちゃいけない。
陥れたり、意地悪をしたりするなんてもってのほか。

とりわけ、法華経の行者にオイタすると罰が出るというのは、私の中で非常に信憑性が高いこと。
身の回りの現証を見てきたからこそ「仏罰」「罰論」を強く恐れていた。

だけど組織に関しては、存在自体が「集金マシーン」「金食い虫」で罰あたりな存在になってるので(笑)
脱会したって、罰など当たらないだろう。
法華経の行者を狡猾に騙し、搾取したおしているという現実からして、罰あたりなのはどっちなのか。
私は、組織の方だと思う。

私自身、故意に組織のバリ活さんを陥れようとしたり、いじわるしたりしたことはないし、
今後もそのようなつもりはない。 

ただ、早く気がついて欲しいと思う人に対しては、慈愛の念をもって自分が感じた事を
お話したいとは思っている。
ブログに書くことが罰にあたるのでは・・・という思いも、10月半ばくらいまではあったが
現在は全くそのように思わない。
だって、本当の事を綴っているだけだから。誹謗中傷なんてものじゃなく、単なる「事実」だから。

あくまでも「法華経の行者」=日蓮大聖人の教えを信じ、大聖人仰せのままに実践している人を指す。
私は、そう思う。

組織から下ろされる情報をうのみにし、学会正義をふりかざし、活動を頑張る事とイコールでは、絶対にない。

「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」

日蓮大聖人の教えの正しさを、Xデーが証明すると思う。