I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

脱会を考えたきっかけ①

2012年11月18日 | きっかけ
生まれながらにして学会3世として育ち、紆余曲折はありつつも
青年部で10年近く活動家として頑張っていた私。

母が熱心な信者。母の実家は草創で、きょうだいに幹部をしている人も多い。
父は無理やり入会させられて以降のアンチ。わたしのきょうだい二人は父の影響で未活アンチ。

私は全てにおいてどんくさく、特技も無い、ぼんやりした子供時代を過ごす。
きょうだい2人は勉強も運動も出来、利発なタイプ。
父はそんなきょうだいを可愛がり、私に対しては手厳しかった。
母は、私を「信心がある」その一点で庇ってくれる。それが嬉しくて、信心に励んだ。
家の中は父ときょうだいvs母と私、の様相で、仲良し一家ではなかった。
このような、歪んだ家族関係も、私を「信心は絶対」という、傾倒に向かわせた。

ただ、私は「御本尊様」と「日蓮大聖人様」がすごい、絶対の存在であることを幼少期から
英才教育されたが、池田大作と言う人物についての刷り込みを、親から受けた事は一度もない。
組織の代表者、という意識しかもっていなかった。これは昔も今も変わっていない。

青年部では、そこそこがんばり、結婚。
結婚後、実家から遠く離れた他県に住むことになった。
主人はかたちだけの入会をしており、御本尊様のご安置も許してくれたので、家に仏壇もある。
新聞もとった。
この地域の組織の人が家に訪ねてくるのが遅かった(4ヶ月後だったと記憶)のも、丁度良かった。
私は仕事を始めており、昼間家に居ないので、婦人部の活動が出来ない。
婦人部員は、仕事をやめて組織の活動に出るよう言ってきたが、私は取りあわなかった。
というより、なぜあかの他人のお前たちに、自分の生活を変えるよう指図されなければならないんだ?
私の覚醒の第一歩は、ここが始まりだったと思う。
それまでは実家に住んでおり、親の庇護のもと活動をしていた。
婦人部という、異様な人達と真っ向から関わりあう機会が無かったから、わからなかったが
婦人部と言うのは、幽閉された世界に居て、外部とのかかわりを避け、テンテーテンテーばかり言っている
気味の悪い集団だ。
女子部とは、ぜんぜんちがう。同じ団体にあっても、まったく毛色が変わる。
私は、そんな思いを、この地域の婦人部と接するたび強くしていった。
仕事を始めた事は、本当に幸いだった。そこで出来た、主婦友達は(当然外部)とても素敵な人で、
私は彼女から、さまざま良い影響を受けていた。
また、出産後にできた(外部の)ママ友も、みんなとても素敵な、女性として尊敬できる人達だ。
そんな一般主婦の友人と比べて、この地域の婦人部の皆皆は、異様に映った。
格差?落差がすごい。
同じまち(地域)に住んでいる、同じ主婦なのに、どうしてこうも違うのかと。
数回、婦人部の集まりに参加したが、同じ信仰をしている同志という共通点だけで仲良く出来るってもんじゃないと
痛感した。 はっきり言って、感覚があわない。
このひとたちと一緒に居たって楽しくもなんともない。軽蔑していた。尊敬できる人がひとりも居ない。
みんな、貧乏くさくて、非常識。他人の不幸を手ぐすね引いて待っていて、組織に都合のいい
物事の解釈しかできない、頭の悪さ。


未活動になったが、実家の母から「財務・新聞購読・選挙・御本尊様への御供えを欠かさない」
これだけはきつく言われていたので、やいやい言われないために、まもっていた。
役職面接を断った時、地域の婦人部が、私の実家の電話番号を調べて母に連絡するという
とんでもない事件があった。
私は、この件でアンチ婦人部になり、一切の会合に出るのをやめた。
結婚し、実家から独立した30代後半の女の判断を、すんなりと受け入れようとせず、
態々実家の母親に電話で告げ口し
「活動家だった娘さんが役職を断りました。家庭内に何か悩みがあるみたいですよ」と、母に不安を植え付けた婦人部。
これを、非常識と言わずして、何と呼ぶ。
恐ろしいと思い、気をつけないといけない、とも思った。
以降、活動をしない事は母も了承しているが、財務と新聞をやめると、また実家に電話されるかもと
私は恐れ、いやいやながら続けていた。
組織の婦人部は、かならず2-3人で連れ立ってやってくる。それも、私的には、精神的圧迫だった。
反発すれば、おしかけてくる。それは解っていたので、穏便にやり過ごす事を心がけてきた。

組織はイヤでたまらないが、私は御本尊様のこと、日蓮大聖人の教えを嫌になることは無かった。
それだけは「正しい」と思っていた(2012.11現在は微妙になってきた)。
だったら、正宗に行けばいいものを、なぜに組織に属しつづけなければならないのか?
それは、やはり、家族の縛りがあったからだ。実家の母とその親戚。
私は、自分をいつも庇ってくれて、絶対に否定しない母親の事が大好きだった。
そんな母親が、嬉々として活動を頑張っている。 やりすぎじゃないの?もうトシなんだから
ぼちぼちにしなよ、と私は言う事もあったけれど、母から組織をとったらなんにものこらないという
思いもあった。
母自身、寂しい人だという事も、解っていたので、組織の活動に没頭することが母の幸福で趣味なら
死ぬまで続けさせてあげたいと思っていた(今現在は微妙)。
そして、そんな母を悲しませることは絶対に出来ないから、自分が脱会するなどと考えても居なかった。
というよりも。組織が嫌い=脱会、という発想が無かった。
一切活動に出る事は無くても、御本尊様を信じている以上は組織に居るのが当たり前だと思っていた。

また、私のきょうだいは入会の自覚無い未活アンチ。
母に万が一の事があった時、葬儀を出す際、学会葬を拒否する可能性が高い。
(実際、父の葬儀の際もそのことで揉めて縁切りになった)
私だけでも、未活であっても組織に残っていないと、母の最期を悲惨な形で
(最後まで学会一筋だったにもかかわらず、子供の一存で他宗派の葬儀で送られてしまう)
送ることになってしまうんじゃないか・それだけは阻止せねばという、危惧と決意もあった。

②につづく

脱会を考えたきっかけ②

2012年11月18日 | きっかけ
そんなわけで、私は婦人部員としての活動歴が、殆ど無い。
家庭訪問も、居留守を使う事が大半。 メールに返事をしない事も多々。
ただし、財務の件と、選挙の件で訪問したいという内容に関しては返事をして対応してきた。
新聞は口座振替を利用しているので、集金に来られることは無い。
近所で、婦人部の人に遭遇することも度々あるが、そんな時は会釈とあいさつだけはして
話に持ち込まれないよう、足早に去るよう(足を止めないよう)心がけてきた。

だが、そんなかわし方を許さない人物が2年前に現れた。
同い年の婦人部幹部で、引っ越してきた新任者。
この人は容赦なく罰論で責めてくる人で、常に上から目線。言葉づかいも悪い(ぶっきらぼう)。
家庭訪問はほぼアポなし。一人でやってくる。
しばらく居留守を使って居たら、電話をかけてくるようになったが、自分の携帯番号だとでないから
他人の携帯を借りて電話を入れてきたり、手がこんでいる。
子供の幼稚園の送迎から戻ってくる時間を狙って、駐車場で待ち伏せされる事もあった。
月に1度程度の事であっても、忘れたころにやってくるこの幹部は私にとってはジョーカーだ。
会いたくもないのにやってきて、私を不安にさせるような言葉(罰論)ばかりいうその幹部に
「悪魔がきたりて笛をふく」というあだ名をつけた。

私は組織が嫌いでも、その矛盾には気づいておらず、ネットで調べるような事も一切していなかった。
聖教新聞はテレビ欄しか見ないので、組織がどのような流れになっているのかも知らないし、興味もない。
ただ、やたら1面に建物完成図の絵を乗せるようになったなーと、新聞を捨てに行く時思う程度。
テンテーが2010年から公の場に出て居ない事も、最近まで知らなかったくらい、無関心だった。

毎年、財務に関しては、会館使用料として納めていた。
ただ、私はここ何年も会館に行っていない。
出産以降は主人と自分で2口だったが、これって、納める必要なくないか?と昨年思い立った。
だけど、まるっきりやめてしまうことはためらわれた。その理由は「罰論」だ。
財務は、家庭の経済状況に影響すると、刷り込まれてきた。
私はもともとそれほど熱心なほうじゃなかったが、たった1-2万円の話でも、納めないことで
あとから「しまった!」と思うような事態が、おこるのではないかと、不安になった。
だけれども、主人の分を納めるのは納得がいかなかった。
結婚当時、当然のようにこちらの組織の人が2通の申込書を持ってきたので、促されるままに署名して
それ以降、主人の分もするのが当たり前になっていた。
昨年申込書を持ってきたのは、新人の気の弱いしらゆり長だった。人の目を見ないタイプで、常におどおどしている。
家庭訪問も、このような機会しか来ない。
これ幸いと、私は「今年から一人分にします」と言った。
しらゆり長は、あっそうですか、と、特に何も言わずに受け取って帰って行った。

今年の9月あたま、しらゆり長から「申込書に署名捺印いただきたい、いつが良いですか?」
とメールが入った。
またその季節か・・・と思った。
今年も当然、1人分でするつもりでいた。というより、一人分でも勿体無い位だ。
一万円あったら何が出来る。
主人と子供と出かけて、美味しいものでも食べる方が、よっぽど幸せじゃないか?と感じた。
また、私は1口に減らしたことでどのような経済的影響が出るのかひそかに心配していたが
当たり前だけど、この一年、なんにも悪くならず、これまで通り楽しく暮らせた。

真心の財務には功徳が現れる、という指導を繰り返し聞いた。だったら、私の今の財務って何?
まったくもって「義務」なだけ。真心なんてかけらもない。それは昔から。
そんな私が、どうして財務しなきゃならない?意味無いじゃん。
私は、漠然とそう思った。
真心のかけらもない人間からも「会の決まり」として、申込書を書かせ、1口一万円からという高額な金額を集める。
どうしてこのときまで気付く事が出来なかったのか本当に不思議なのだが、今年の9月、初めて猛烈に腹立たしくなった。

女子部時代、実家の母がいっていた「ある程度の時期が来たら、財務は無くしますって、以前幹部から
きいたこともあったんだけどね。正本堂が終わったらなくなると聞いてたけど、ずっと続いてる。
国外にまで布教活動してるから、お金がいるんだろうね」と。
この言葉を、そのタイミングで奇跡的に思いだした。
そこで、ピーンときた。
おい、これって、徳川幕府の朝鮮出兵と同じじゃないのかと(笑)。
幕府の統治が行き届き過ぎて、戦の機会をなくした武士たちの仕事を作るがために
その勢力が幕府へ向かう事のないよう、国外へ目を向けさせる為のひとつの政策という見方がある。
SGIとかいってるけど、あれは、国内での金集めの理由がなくなったから、海外へ打って出るため・
広宣流布のために浄財が必要です!という、財務を継続するがための大義名分にしたかっただけじゃないのかと。
(注・私はここ数年、歴史の本を読みあさっている)

うわぁ。最悪だ。

しらゆり長とは既に約束していたので、今年の分をおさめたら来年からはやめよう。
そう決意し、家庭訪問の日を迎えた。
いつもなら一人で来るしらゆり長が、この日は悪魔(幹部)を連れてきた。

悪魔は私に向かって、ひきつった笑みを浮かべながら
「昨年から、一口?どうしてなの?」と尋ねてきた。
私は、答えないで、玄関先で署名捺印をした。
すると「ご主人のお仕事、うまくいってないのかしら?福運貯金が、尽きてきたんじゃない?」と
とんでもないお門違いのことを言いだした。
私は、それも無視した。腹が立ったが、この女とは、話す気にならない。
書き終わったので、それをしらゆり長に手渡し「じゃあ」と強引にドアを閉めようとした。
悪魔は「ちょっと待って」と、玄関に体を割り込ませて入ってきた。
私は「不法侵入ですよ?警察呼びましょうか」と言ってやった。
しらゆり長は驚いたようで、大慌てで、悪魔の腕をひっぱって「帰りましょう」と言ったが
悪魔はひきつった笑顔のまま私に言った
「まったく、残念ねぇ。夫婦そろって、池田先生のお手伝いが出来ないなんて」と。

はぁ?!
いまなんて言った。

池田先生のお手伝い、だと?

私はそんなつもりで財務をした事はただの一回も無いんだ。
おまえは、テンテーの手先になって金集めしてんのか?それが正しいと思ってんのか?

だけど、ここでそんなことをまくしたてたって仕方が無い。
睨みつけて、ドアを閉めてやったが、その後しばらく体の震えが止まらなかった。

殆どの人にわかってもらえないだろうが、私は詐欺に遭った時こういう心境になるんだろうなと思った。
身の毛もよだつというか。
わたしがそのつもりでなくたって、テンテーのお手伝いをさせられていた(?)という事実に、
身の毛がよだった。ありえない。
私の財務はあくまでも会館の水道代や電気代の一部と思って納めてきたんだ。
あのじいさんの私利私欲を満たすためでは、断じてない。

私はその夜から、ネットで創価の真実を探り始めた。
そして、自分が気付いた事(金集めのための大義名分)に間違いが無さそうだという事や、
組織の機関紙を内部で山ほど取らせている(マイ聖教や贈呈等)ことについても
組織の金集めに他ならない事を知って、愕然とした。
また、組織全体の「ありよう」が、金集めの為、政治力を手中にするため、会員を外へ流出させない為の
宗教(教義)を使った狡猾なマインドコントロールであることにも気づき、怒りでハラワタ煮えくり返った。
罰論は、組織から逃げられなくするためもっとも都合のいい刷り込み。
幸福とか、福運を積む為とか、功徳だとか、そんな言葉の全てがまやかしだったと解った。

ネットで書かれている事はデマだなんて、もう思わなかった。
とっかかりを自分で気づけたから、ひとつひとつ納得でき、合点もいった。
それに、組織の機関紙なのに外部にとらせろというのは、私には活動家時代から納得できない事だったから。
だって一般人が読んだって「ハァ?!」な、トンチンカンな内容が殆どじゃないか(笑)。
なのに、推進しろしろって、おかしいと思ってたんだ。

おい、ふざけんなよ。

そうじゃない、すべて誤解で、言いがかりだ!というのなら、財務は即刻廃止せよ。
会館で受け付ける善意・自発の「公布基金募金箱」にでも変更すればいい。
その会計内で維持できない会館・学校・会社は全部潰せばいいんだ。不要ってことなんだから。
これまでの収支報告も行うべきだ。
そして、聖教新聞を1家庭で数部も購読させるような搾取行為はやめろ。これは完全におかしい。
全くもって広宣流布になんて繋がって無い。資源の無駄なだけだ。
そして半強制的な選挙支援活動も廃止せよ。票とりも会員にさせるな。

こんな社会悪の団体にいたくない。だから脱会しよう、そう思った。