生まれながらにして学会3世として育ち、紆余曲折はありつつも
青年部で10年近く活動家として頑張っていた私。
母が熱心な信者。母の実家は草創で、きょうだいに幹部をしている人も多い。
父は無理やり入会させられて以降のアンチ。わたしのきょうだい二人は父の影響で未活アンチ。
私は全てにおいてどんくさく、特技も無い、ぼんやりした子供時代を過ごす。
きょうだい2人は勉強も運動も出来、利発なタイプ。
父はそんなきょうだいを可愛がり、私に対しては手厳しかった。
母は、私を「信心がある」その一点で庇ってくれる。それが嬉しくて、信心に励んだ。
家の中は父ときょうだいvs母と私、の様相で、仲良し一家ではなかった。
このような、歪んだ家族関係も、私を「信心は絶対」という、傾倒に向かわせた。
ただ、私は「御本尊様」と「日蓮大聖人様」がすごい、絶対の存在であることを幼少期から
英才教育されたが、池田大作と言う人物についての刷り込みを、親から受けた事は一度もない。
組織の代表者、という意識しかもっていなかった。これは昔も今も変わっていない。
青年部では、そこそこがんばり、結婚。
結婚後、実家から遠く離れた他県に住むことになった。
主人はかたちだけの入会をしており、御本尊様のご安置も許してくれたので、家に仏壇もある。
新聞もとった。
この地域の組織の人が家に訪ねてくるのが遅かった(4ヶ月後だったと記憶)のも、丁度良かった。
私は仕事を始めており、昼間家に居ないので、婦人部の活動が出来ない。
婦人部員は、仕事をやめて組織の活動に出るよう言ってきたが、私は取りあわなかった。
というより、なぜあかの他人のお前たちに、自分の生活を変えるよう指図されなければならないんだ?
私の覚醒の第一歩は、ここが始まりだったと思う。
それまでは実家に住んでおり、親の庇護のもと活動をしていた。
婦人部という、異様な人達と真っ向から関わりあう機会が無かったから、わからなかったが
婦人部と言うのは、幽閉された世界に居て、外部とのかかわりを避け、テンテーテンテーばかり言っている
気味の悪い集団だ。
女子部とは、ぜんぜんちがう。同じ団体にあっても、まったく毛色が変わる。
私は、そんな思いを、この地域の婦人部と接するたび強くしていった。
仕事を始めた事は、本当に幸いだった。そこで出来た、主婦友達は(当然外部)とても素敵な人で、
私は彼女から、さまざま良い影響を受けていた。
また、出産後にできた(外部の)ママ友も、みんなとても素敵な、女性として尊敬できる人達だ。
そんな一般主婦の友人と比べて、この地域の婦人部の皆皆は、異様に映った。
格差?落差がすごい。
同じまち(地域)に住んでいる、同じ主婦なのに、どうしてこうも違うのかと。
数回、婦人部の集まりに参加したが、同じ信仰をしている同志という共通点だけで仲良く出来るってもんじゃないと
痛感した。 はっきり言って、感覚があわない。
このひとたちと一緒に居たって楽しくもなんともない。軽蔑していた。尊敬できる人がひとりも居ない。
みんな、貧乏くさくて、非常識。他人の不幸を手ぐすね引いて待っていて、組織に都合のいい
物事の解釈しかできない、頭の悪さ。
未活動になったが、実家の母から「財務・新聞購読・選挙・御本尊様への御供えを欠かさない」
これだけはきつく言われていたので、やいやい言われないために、まもっていた。
役職面接を断った時、地域の婦人部が、私の実家の電話番号を調べて母に連絡するという
とんでもない事件があった。
私は、この件でアンチ婦人部になり、一切の会合に出るのをやめた。
結婚し、実家から独立した30代後半の女の判断を、すんなりと受け入れようとせず、
態々実家の母親に電話で告げ口し
「活動家だった娘さんが役職を断りました。家庭内に何か悩みがあるみたいですよ」と、母に不安を植え付けた婦人部。
これを、非常識と言わずして、何と呼ぶ。
恐ろしいと思い、気をつけないといけない、とも思った。
以降、活動をしない事は母も了承しているが、財務と新聞をやめると、また実家に電話されるかもと
私は恐れ、いやいやながら続けていた。
組織の婦人部は、かならず2-3人で連れ立ってやってくる。それも、私的には、精神的圧迫だった。
反発すれば、おしかけてくる。それは解っていたので、穏便にやり過ごす事を心がけてきた。
組織はイヤでたまらないが、私は御本尊様のこと、日蓮大聖人の教えを嫌になることは無かった。
それだけは「正しい」と思っていた(2012.11現在は微妙になってきた)。
だったら、正宗に行けばいいものを、なぜに組織に属しつづけなければならないのか?
それは、やはり、家族の縛りがあったからだ。実家の母とその親戚。
私は、自分をいつも庇ってくれて、絶対に否定しない母親の事が大好きだった。
そんな母親が、嬉々として活動を頑張っている。 やりすぎじゃないの?もうトシなんだから
ぼちぼちにしなよ、と私は言う事もあったけれど、母から組織をとったらなんにものこらないという
思いもあった。
母自身、寂しい人だという事も、解っていたので、組織の活動に没頭することが母の幸福で趣味なら
死ぬまで続けさせてあげたいと思っていた(今現在は微妙)。
そして、そんな母を悲しませることは絶対に出来ないから、自分が脱会するなどと考えても居なかった。
というよりも。組織が嫌い=脱会、という発想が無かった。
一切活動に出る事は無くても、御本尊様を信じている以上は組織に居るのが当たり前だと思っていた。
また、私のきょうだいは入会の自覚無い未活アンチ。
母に万が一の事があった時、葬儀を出す際、学会葬を拒否する可能性が高い。
(実際、父の葬儀の際もそのことで揉めて縁切りになった)
私だけでも、未活であっても組織に残っていないと、母の最期を悲惨な形で
(最後まで学会一筋だったにもかかわらず、子供の一存で他宗派の葬儀で送られてしまう)
送ることになってしまうんじゃないか・それだけは阻止せねばという、危惧と決意もあった。
②につづく
青年部で10年近く活動家として頑張っていた私。
母が熱心な信者。母の実家は草創で、きょうだいに幹部をしている人も多い。
父は無理やり入会させられて以降のアンチ。わたしのきょうだい二人は父の影響で未活アンチ。
私は全てにおいてどんくさく、特技も無い、ぼんやりした子供時代を過ごす。
きょうだい2人は勉強も運動も出来、利発なタイプ。
父はそんなきょうだいを可愛がり、私に対しては手厳しかった。
母は、私を「信心がある」その一点で庇ってくれる。それが嬉しくて、信心に励んだ。
家の中は父ときょうだいvs母と私、の様相で、仲良し一家ではなかった。
このような、歪んだ家族関係も、私を「信心は絶対」という、傾倒に向かわせた。
ただ、私は「御本尊様」と「日蓮大聖人様」がすごい、絶対の存在であることを幼少期から
英才教育されたが、池田大作と言う人物についての刷り込みを、親から受けた事は一度もない。
組織の代表者、という意識しかもっていなかった。これは昔も今も変わっていない。
青年部では、そこそこがんばり、結婚。
結婚後、実家から遠く離れた他県に住むことになった。
主人はかたちだけの入会をしており、御本尊様のご安置も許してくれたので、家に仏壇もある。
新聞もとった。
この地域の組織の人が家に訪ねてくるのが遅かった(4ヶ月後だったと記憶)のも、丁度良かった。
私は仕事を始めており、昼間家に居ないので、婦人部の活動が出来ない。
婦人部員は、仕事をやめて組織の活動に出るよう言ってきたが、私は取りあわなかった。
というより、なぜあかの他人のお前たちに、自分の生活を変えるよう指図されなければならないんだ?
私の覚醒の第一歩は、ここが始まりだったと思う。
それまでは実家に住んでおり、親の庇護のもと活動をしていた。
婦人部という、異様な人達と真っ向から関わりあう機会が無かったから、わからなかったが
婦人部と言うのは、幽閉された世界に居て、外部とのかかわりを避け、テンテーテンテーばかり言っている
気味の悪い集団だ。
女子部とは、ぜんぜんちがう。同じ団体にあっても、まったく毛色が変わる。
私は、そんな思いを、この地域の婦人部と接するたび強くしていった。
仕事を始めた事は、本当に幸いだった。そこで出来た、主婦友達は(当然外部)とても素敵な人で、
私は彼女から、さまざま良い影響を受けていた。
また、出産後にできた(外部の)ママ友も、みんなとても素敵な、女性として尊敬できる人達だ。
そんな一般主婦の友人と比べて、この地域の婦人部の皆皆は、異様に映った。
格差?落差がすごい。
同じまち(地域)に住んでいる、同じ主婦なのに、どうしてこうも違うのかと。
数回、婦人部の集まりに参加したが、同じ信仰をしている同志という共通点だけで仲良く出来るってもんじゃないと
痛感した。 はっきり言って、感覚があわない。
このひとたちと一緒に居たって楽しくもなんともない。軽蔑していた。尊敬できる人がひとりも居ない。
みんな、貧乏くさくて、非常識。他人の不幸を手ぐすね引いて待っていて、組織に都合のいい
物事の解釈しかできない、頭の悪さ。
未活動になったが、実家の母から「財務・新聞購読・選挙・御本尊様への御供えを欠かさない」
これだけはきつく言われていたので、やいやい言われないために、まもっていた。
役職面接を断った時、地域の婦人部が、私の実家の電話番号を調べて母に連絡するという
とんでもない事件があった。
私は、この件でアンチ婦人部になり、一切の会合に出るのをやめた。
結婚し、実家から独立した30代後半の女の判断を、すんなりと受け入れようとせず、
態々実家の母親に電話で告げ口し
「活動家だった娘さんが役職を断りました。家庭内に何か悩みがあるみたいですよ」と、母に不安を植え付けた婦人部。
これを、非常識と言わずして、何と呼ぶ。
恐ろしいと思い、気をつけないといけない、とも思った。
以降、活動をしない事は母も了承しているが、財務と新聞をやめると、また実家に電話されるかもと
私は恐れ、いやいやながら続けていた。
組織の婦人部は、かならず2-3人で連れ立ってやってくる。それも、私的には、精神的圧迫だった。
反発すれば、おしかけてくる。それは解っていたので、穏便にやり過ごす事を心がけてきた。
組織はイヤでたまらないが、私は御本尊様のこと、日蓮大聖人の教えを嫌になることは無かった。
それだけは「正しい」と思っていた(2012.11現在は微妙になってきた)。
だったら、正宗に行けばいいものを、なぜに組織に属しつづけなければならないのか?
それは、やはり、家族の縛りがあったからだ。実家の母とその親戚。
私は、自分をいつも庇ってくれて、絶対に否定しない母親の事が大好きだった。
そんな母親が、嬉々として活動を頑張っている。 やりすぎじゃないの?もうトシなんだから
ぼちぼちにしなよ、と私は言う事もあったけれど、母から組織をとったらなんにものこらないという
思いもあった。
母自身、寂しい人だという事も、解っていたので、組織の活動に没頭することが母の幸福で趣味なら
死ぬまで続けさせてあげたいと思っていた(今現在は微妙)。
そして、そんな母を悲しませることは絶対に出来ないから、自分が脱会するなどと考えても居なかった。
というよりも。組織が嫌い=脱会、という発想が無かった。
一切活動に出る事は無くても、御本尊様を信じている以上は組織に居るのが当たり前だと思っていた。
また、私のきょうだいは入会の自覚無い未活アンチ。
母に万が一の事があった時、葬儀を出す際、学会葬を拒否する可能性が高い。
(実際、父の葬儀の際もそのことで揉めて縁切りになった)
私だけでも、未活であっても組織に残っていないと、母の最期を悲惨な形で
(最後まで学会一筋だったにもかかわらず、子供の一存で他宗派の葬儀で送られてしまう)
送ることになってしまうんじゃないか・それだけは阻止せねばという、危惧と決意もあった。
②につづく