I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

2013年01月30日 | ファミリー
実家の母を見ていて思った事。

母は、折伏(本流)をかなりの数している。
独身時代に20所帯ほど。これは大行進時代だったから出来た話のよう。
「にこぽん」とかいう言葉があった時代。

ただ、その方たちと今も交流があるかと言えば答えはNo
現在は、二人としか連絡をとっていない。うち一人は退転している。

私が子供の頃、たびたび家を訪ねてくる、ちょっとご陽気なおばちゃんがいたのだけど。
幼心に、この人変わってるなぁと思っていて。姉など本気で嫌っていて、訪ねてくるたびに
怖がって奥の部屋にかくれていた。
今考えると、その方は、知的障害者だった。
自分で判断して入会したとは到底思えない。
それは、本当に相手の幸せを願った「折伏行」だったんだろうか?
誰でも、よかったんじゃないの?って思えてしまう。
ちなみに、このおばちゃんは、実家が借家から持ち家に変わったタイミングで来なくなった。
同市内のそう遠くない距離に家を建てたのだが、これは私の憶測だけど、母は新住所を
おばちゃんにわざと教えなかったんじゃないのか?と思ったりする。
本当にぱったり来なくなったから。
今度母の機嫌のいい時に聞いてみよう、真相を。

ここ10年くらいの間にも、母は何世帯か折伏をしている。
数年前、母があまりにも折伏のために出歩くので(毎日のように相手に会いに出かけ、遅くまで
帰ってこない)父が怒って大げんかになり、仲裁に入った事もあった。
私は、母がなぜにそんなに必死なのか意味が解らなかった。
当時はまだマインドコントロール下にいた私だけど、母の折伏の姿勢は理解ができないと思った。
相手の方は、子供に恵まれず・つれあいに先立たれた独居老人だった。
母は「ご安置しやすい・家族の反対が無い」という理由で相手をターゲットにしていたよう。
そんな理由で?と、心底呆れた。
それって、相手を救ってあげたいとか幸せにしてあげたいって出発点じゃないじゃん、もはや。
「本流し易そうな人だから」って、それって折伏行?
しかも、相手は一人暮らしが寂しい、という悩みがある程度(というのもおかしいけど)で
健康状態も良好、経済的にも不自由のない人。そこそこお友達もいて、立派に自活している方だった。
全ての人に法華経をたもたせてあげるのが大前提ではある。幸・不幸関係ない。そうなんだけれども
母のやらんとしている事が「とにかく本流できたもの勝ち」のように思えて、酷く違和感だった。
母は期限を切っていて、組織のいわゆる「記念日」に照準を合わせていた。
そのため、時間が無いと、焦って日々会う約束をとりつけ半ばストーカー的に相手をおとそうと
していた(と見えた)。
私は、母に「相手の気持ちを全く無視している!それは違う気がする」と意見した。
すると母は「そんなことはない。相手は揺れている。迷ってる。だからこっちが腹を決めて
一念を決めて挑まないと決まる物も決まらなくなる。そのための期限設定なんだ」と反論。
私「そうじゃないでしょ?あなたがそう考えてたとしても、相手にも時ってもんがあるんだよ。
あなたの話聞いてると、あくまでも組織に利するようにとしか聞こえない。相手の都合なんか
全然考えてないと思う。成果上げたいってそれだじゃん」と言い返した。
それに対して母は
「いいじゃないの。私たちを闘わせてくれるために目標設定があるの。相手の時も、こっちが決めて
やるくらいじゃないと、折伏なんかできないんだよ」と。
こんな言い草、全く納得できなかった。
母には言わなかったけど、私は思った「結局、組織から誉められたいだけじゃん(呆)」。
その方への本流は実ったが、後日喧嘩をしてしまい、今は交流が無い。
母の折伏は、そのようなケースが結構ある。

また、必死で折伏アタックをかけていた人物に対し、母は物品を贈ったり何かと親切にしていた。
ところが、その人が別の学会員からも同じく折伏を受けており、その人からもあれこれ恩恵を
受けている事を知るや否や「人をばかにしている!」と、相手を切り捨てた。
折伏の親は一人なのだ。 どっちから入ろうかな~なんて、入会をエサに時間を稼ぎながら
利益供与(そんな大げさなものじゃないけど)を受けているなんて許されない!と。
このときも、母の怒りの方向が私にはよくわからなかった。
折伏精神って一体なんなんだろう。この人にとっての折伏って???と、首をかしげた。

私が、組織の活動に必死な母を見ていて、ずっと違和感だったのがこの「成果主義」だった。
なんでもすごく頑張るし結果も出すけど、そこには慈愛がない。
相手を心から幸せにしてあげたいという思いを感じないのだ、残念ながら。
やったらおしまいで、実際の話、面倒を見れているとは思えないし。
とにかくこの日までにとか、この数字にしたいとか、そんなことばっかりに必死になっているように
見える。

そうなってしまった背景に、母の生い立ちが関係してくると思うのだけど。
母はいつも、誰かに誉められたい・認められたいと思う気持ちが人一倍強い。
組織の中にそれを見出し、虜になってしまったんだろう。
そうなってしまったことは、かわいそうだとしか言いようが無い。
人生、もっとほかのことに充足感を求める事も出来れば・自己肯定感を高めることだって出来るよ。
なにも組織じゃなくたって。というか、これほど愚かな事もないように思う。

これは自己責任で、組織が悪いわけじゃないと、いわれるかもしれない。
だけど、母のような人を「利用」しているのは、明らかに組織だろう。
数さえ上げれば誉めたたえて。
少々後始末がわるくても、組織に直接迷惑かける問題じゃなければ見て見ぬふり。
結局、実動部隊として数稼いで・金稼いできてくれればOKって体質じゃん。

毎回おんなじ結論になっちゃうけど
やっぱり、組織なんか要らないと思う。

vs母(2013正月)

2013年01月08日 | ファミリー
実家に帰った際、母と少し組織の矛盾について話をした。

「ああ言えばこう言う」状態で、非常~に疲れた。

ひとつひとつ、思いだして書こうとしても、脳が拒否しているのか(笑)うまく文章に起こせない。

喧嘩にならないように、おだやかに話すよう心掛けていたせいもあって、余計疲れた。

母が、心底毒されてるな・・・と痛感したやりとり。
なぜ宗門問題がでたときに、我が家はお寺側(法華講)に行かなかったのか?と母に尋ねたら
宗門批判が始まった。
その中で、宗門が戦時中に神札を受けたという話が出た。

(注:さきほど調べたら、宗門が神札を受けたという話は、戦時中に軍部に本山内の建物を
 抑えられ、そこを軍事目的で使用するにあたって勝手に神札を貼られてしまったという顛末らしい。
 ぜんぜん知らなかった。これは、今度母に会ったら話そうと思う)

母は「宗門は大聖人様に背いた。その点、創価は違う。牧口先生は獄中死された。法を護るために
命をかけて闘われたんだ」と言った。
弾圧に屈した宗門は邪宗なのだと言わんばかり。

私は、数百年の長きにわたって御山を護っていくための「嘘も方便」的な智恵だったのではないか?と
宗門を庇うわけではないけど、自分の意見を述べた。
そこで頑なに僧侶が突っぱねるなどしたら、結果的に所領を追われ命もとられ、後世に「法」を遺す事も
不可能だったかもしれない。
長い目で見ての、法と戒壇様と本山を護るための判断だったんじゃないのかと。
すると母は言い放った
「そこで弾圧されて終わるなら、終わればよかったんだ。
つっぱねても、弾圧されても生き残れたら、法は本物だったって事になるのよ。
ずる賢く逃げておいて自分たちが正しいなんて、大聖人様はそんなことを望まない。
だから創価学会が正しいんだ」と。

命をかけて戦う事をせず、神札を拒否しなかった宗門は偽。
牧口先生は死んだけど、学会は生き残ったから本物と言いたいらしい。

「でもさ、本当に法が本物で正しいんなら、牧口先生は生きて娑婆に出られたんじゃないの?
死んじゃったなんて、意味無いじゃん」私は思わず、言い返した。
すると母は薄笑いで
「違うわよ。殉教を持ってして、法の正しさを後世に証明されたの。宗門の僧侶に、法の為に死ねる人なんか
一人も居ないのよ」と。
あくまでも、組織ageで宗門sage
どこで習ったんだろう、こういう考え方。母オリジナルのものなのか?よくわからない。

母の見解は
「大聖人様の遺志を継いで広宣流布の活動を展開しているのは創価学会しかない。
 僧侶は折伏もしない。葬式仏教になり下がっているから大聖人様の弟子の資格は無い」
というもの。

その、大聖人様の遺志というものが、学会発表のもの・あくまでも学会の金儲けに都合のいい解釈に
基づいたものだという事も、母には考え及ばないことのようで。
「学会が発表することが全て正しい」と、思いこんでいる。
疑問をさしはさむ余地はない。
将軍様が全て正しい(笑)。
北朝鮮に住んでる国民って、こんな感じなのかなぁと、母を眺めてそう思った。

余談だけど、ここ数日ワイドショーをみていたら、金正恩の誕生日に当たって
さまざまな写真や映像が公開されることを「国民に対するプロパガンダ」と呼んでおり。
正恩のところに老婆が走って来て握手をし、泣いている老婆を笑顔で激励する正恩の映像が一瞬流れた。
あれー?こんな映像どっかで見たことあるわぁ。と、思いだしたらそれは、テンテー&嫁の
イメージビデオ(笑)だった。
テンテーと嫁が仏間で勤行をしたり、研修道場内を散策したり、テンテーがカメラで写真を撮ったり
なにかの会場に現れたところ、押し寄せる人々(会員?)から握手攻めにあうところなどを
集めたビデオを見せられたことがある。あれって一体、なんだったの(笑)。
私は当時部長をしてたけど、幹部がそのビデオを部の日に上映すると言って持参したとき
”なんの意味があるんだろ?”と、醒めて見ていた事を思い出した。
じーさんとばーさんのお散歩ビデオなんか見て何になる?
偉大なるテンテー&奥さま!的な。 
あれも、いま思えばプロパガンダのひとつだったんだろうなぁ(呆)。
つくづくどこまでも、北路線だったよなと、ぞわっとする。
今では、あんなビデオ見せる事もなくなったろうね。いまや、消息不明だもんね(笑)。

私が批判的になっている事に対して母は「組織につかないからそんなことになる」と言った。
むかついたが、黙って受け流した。
母は落ち着かなさそうに「そんな風に、創価学会に対して批判的になったら、悪い事が起こるよ!」とも言った。
こういった、根拠のない縁起に縛られ、批判的意見をいうことを禁じ、盲信を強いられている。
お粗末だなと、自分の親のことながら、残念な気持ちになった。

母に対して、組織と決別して欲しいと願わない訳ではないが、現段階で私がそのために働きかける事は
しないでおこうと思った。
組織と信仰はベツモノだという、私の考え方は、母には受け入れられないもの。
母の中では完全に組織=信仰で、一心同体状態なのだ。解りあえるはずもない。

この問題は、自分で気づかない限り、無理なんだろうなと思うに至った。
どんなに他人に気付いてと様々な例を言われても、心に刺さるものは人それぞれ違ってて
私に刺さった事も、母には、ささらない。
落とし所が、人それぞれ違うんだろうなって。

100人いたら、100人の信仰があって。
私はたまたま、日蓮大聖人の教えが正しい。御本尊様はお願い事を叶える力を与えてくれる。
勇気をくれると、そう思ってきた。
自分の信仰の中心に、消息のしれないジジイを据えた事は一度もない。
だけど、中には、日蓮大聖人より「師匠」が大事な人だっている。
「師弟」という世界観に酔いしれて組織命な人だっているもんなー。
私は、活動家当時からそんな人たちを信じられない・・・と思ってみてたけど。

母は、何を差し置いても、学会が正しいんだ。いまのところ。
テンテーではなく、「学会」が。

残酷なようだが、母の存命中に、組織の暗部が白日のもとに晒され
自分が「被害者」だったということに気がつけばいいと、私はそう思っている。

意味

2012年12月03日 | ファミリー
「すべてのことには意味がある」
組織では度々こう教えられた。
だいたい、困難に出会ったときや、中途半端・残念な結果が出た時にこの言葉が出てくる。
そして組織独特の理由づけがなされるのが常。

私の父は、急死した。
寿命と言われてしまえばそれまでだけど、あまりにも急で、私たち家族はうろたえ、大きなショックを受けた。

未活ではあっても信心があり、マインドコントロールにかかっていた私は、
父の早すぎる、突然の死の「意味」を考えていた。
そのさ中、大昔に聞いた女子部員の体験を思いだした。

信心に反対し、酒を飲んでは暴れる父親をもつ女子部員。
幼少期から夫婦げんかが絶えず、暴力をふるう事もあった父親。経済的にも不遇だった。
女子部員は非行に走り、家に帰らなかったが、母親が急病で倒れたとの知らせを受けて
家に帰った。
母親を助けたいと思い、家庭訪問にやってきた女子部に誘われるがまま活動に参加。
アルバイトをしながら家事もし、夜の学会活動にいそしんだ。
アルバイトの身だったが頑張りが認められ、正社員になることができ初心の功徳を掴む。
両親は相変わらず喧嘩をし、父親が未読の新聞をびりびりに破くこともあった。
娘の活動に反対で、夜少しでも門限に遅れて帰ると家の鍵をあけてもらえないこともあった。
女子部員の心には、父を憎む心が生まれていた。なんでこんな父親といつまでも一緒に
暮らさないといけないんだ?
自分の給料も安定して入るようになったところで、母親に父親と離婚して欲しいと言った。
母親は、それはできない。そんなことをしたら、父親が恨んで探しに来、傷害沙汰になると恐れていた。
悩んだ女子部員は幹部指導を受けた。
幹部は戸田先生の指導を引き「場所では無い、信心だ」と言った。
彼女は一念を定めて唱題を重ね、活動に励んだ。父親に、いつか学会を理解して欲しい、
一緒に勤行をして欲しいとご本尊様に願った。
女子部員の願いむなしく、祈れば祈るほど父親は荒れて行く。が、ある日とつぜん父親が倒れ
病院で検査を受けたところ末期がんであることがわかった。
余命宣告をされ、入退院を繰り返す中、女子部員は必死に祈念し、父親に一緒にお題目を
唱えて欲しいとお願いした。
父親は聞き入れなかったが、死の間際になって「ずっとお前の事をたいした奴だと尊敬していた。
家をささえてくれてありがとう。お母さんのことをよろしくな」と言ってくれた。
そして安らかに死んでいった。
女子部員は父親からこの言葉を聞いて「勝った!」と思ったという。
そしてこの体験を通して気がついた「父は、私に信心をさせるために、ここまで反対を
貫いていたのだ」と。
非行に走り、不良だった自分は、どんなことにも興味が持てず、悪の道に堕ちて行こうとしていた。
それを父が、家に戻してくれ、御本尊様に向き合わせてくれた。
父の強情な反対がなければ、私はここまで頑張る事は出来なかった。
父が自分に本物の信心をさせてくれたのだと気がついた時、父へ感謝の涙があふれてきた。
という話。

20年くらい前に聞いた話で、その当時は、私の父親もアンチ創価なので若干重ねつつ
「すごい体験だなぁ」と思った。
ただ、父の反対が私の活動モチベーションになっているなんて私は思えなかったし、
全く実感になかったので、そこは自分とは違うなぁと思っていた。
でも、父が死んだ時”信心させてくれてありがとう”と思うようになるのかな?と考えた。

だが実際父が亡くなったとき、そんな思いはいっさい・まったく浮かばなかった。
死んだ意味なんてみつからないし、未だにわからない。
(というかどんな死にも意味なんて求めなくていい気がしてきた、最近)
また、自分が未活になったせいで(信心が足りなくて)そうなったとも考えなかった。
だって私はやらなくても、父の一番身近にいる家族である母はちゃんと(活動、信心)やってたから。
私は、嫁いで以降、自分は実家にとって部外者だという考えが強くなっている。
実家と、自分の家の事情をどんなことでも、わけて考える。
だから、父の死は、母の信心と関係あっても、私とは関係ないと思っていた。

私の父が亡くなった直後、地元の同級生(学会員)の父上が病死した。
父上はアンチで、母上と同級生が細々活動を頑張っていた。
喪主を務めた息子さんは、根っからのアンチだったが、お父さんの供養がしたいということで
(実家を離れて暮らしているので)分所帯で御本尊さまを受けたと聞いた。
それに対して私の母は
「お父さんが(死ぬことで)、息子さんに御本尊様を授けてくれたんだね」と羨ましそうに語った。
うちはどうして、そうならなかったんだろうか、とでも言いたげだった。

我が家においていえば、父の死で、家族はいっそう不仲になった。
葬儀の形式で身内が揉めた。
私は当時、母に全面賛成をし母を庇って学会葬を推し進めた。
そのことを気に入らなかった親族、親戚に縁切り宣言をされ、私もそれを受け入れた。

余談だが、父方の親戚は、バツ(未活のきょうだい)にまとめて御香典を渡していた。
受付には組織の婦人部が立っていたが、母や私や母の身内、組織の人間に御香典を渡したら
すべて組織に吸い上げられてしまうと警戒しての行動だった。
後からそれを聞いて、愕然としたし、悔しい思いでいっぱいだった。
どこまで世間一般からの信用が無いのか、創価学会よと。
(ちなみに、葬儀終了後に香典をまとめて儀典部がかっさらっていくという話をどこかのブログで見たが
私の地元地域においては、それは無かった。)

四十九日も初盆も一周忌も三回忌も、気まずい空気が漂っていた。
亡き父に対して、これでいいのか?と思う事もあったが、マインドコントロールにかかっていた私は
「このような状況を招いたのも、学会理解をしなかった父のせい」と考えていた。

あくまでも理解しない相手が悪いのであって、自分たちが悪いなんて考えもしない。
そこには「絶対にこの宗教は正しい」という刷り込みが大きく作用していた気がする。
こっちが絶対に正しいから、あっちが絶対に間違っている。

そんなわけないのに。 どうして解らなかったのだろう、自分。
マインドコントロールとは本当に恐ろしい。

一周忌にやってきた母方の親戚(幹部)は言った
「お父さんは早くに逝ってしまって、家族は寂しくなったけれど、お父さんはお母さんに
思う存分、学会活動をさせてあげたくて、気を使って早く逝ってくれたんだろうね。
(お母さんは)ずっとお父さんに遠慮して、積極的な活動が出来なかったから」と。
マインドコントロールにかかっていた私は当時「そんなものかな」と、何気なく聞いていた。
だけど、マインドコントロールの解けたいま、この発言を思い出すと吐き気がしてくる。
そんなくだらない事を、早く逝った理由にするなよ!と、怒りをおぼえる。


なんでも組織の都合のいいように促す「全ての事には意味がある」。
自分の頭で考える機会を根こそぎ奪ってしまう、組織に都合のいい各種教義。

組織は、自分たちさえよかったらそれでいい排他主義だということも、学会葬に出ればハッキリ解る。
母や母方親戚の面子を考えたことや、私もがっちりマインドコントロール&洗脳に侵されていたから
学会葬でおくってしまったけど、父の本意では無かっただろう事・家族や父のきょうだいに
苦々しい思いをさせておくってしまった事が、悔まれてならない。


クリスマスツリー

2012年11月27日 | ファミリー
先週末、子供と一緒にクリスマスツリーの飾りつけをした。

子供が生まれた年に、私が買ったツリー。
オーナメントを、毎年少しずつ買いたしている。
今年はゴールドのボールをちりばめ、海外で買ってきた子供のお気に入りキャラクターの
オーナメントを飾った。

ツリーの飾りつけが済むと、上の子はサンタに手紙を書いた。プレゼントのリクエスト。
サンタに出そうね、と、義実家の住所を書いた封筒に入れて、翌日ポストに投函しに行った。
上の子が、サンタを信じてるか否かは微妙なのだが(祖父母だと、うっすら解っているっぽい)
うきうきとしている様子を見ると、ほほえましい。
もうすぐアドベントカレンダーも出すつもりで、毎日開けるのが子供たちの楽しみ。
(小さいお菓子が入っている)
今年の(義家族への)プレゼントは何にしようか、ケーキや料理はどんな風にしようかと、考える私も楽しい。
宗教的な意味合いはゼロな、季節の風物詩としてのイベントを家族で楽しんでいる。
それが子供たちの記憶に残って、成長後にまた、じぶんの家族と楽しいクリスマスを過ごして欲しいと
願っている。

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私の実家では当然だがこんな洒落た(?)クリスマス習慣は無かった。
きょうだいのひとりは、クリスマスツリーが欲しいと泣いて母に抗議していた時期があった。
友人たちの家には、クリスマスツリーがあって、憧れていた様子。
私はそれほどツリーに対する憧れが無かったけど、それは母から「そんなもの飾ったら罰が当たる」と
刷り込まれて、信じていたせいもあると思う。

ただ、クリスマスケーキは父が買ってきてくれ、母も料理が嫌いな方なので、ちょうどいいと思ったのか
できあいのチキンが夕飯に出た。
プレゼントも「サンタから」ではなかったが、朝起きると、枕元においてあった。
おもちゃだったり、お小遣いだったり。
まったく何もなし、というわけではなかったが、味気ないクリスマス(笑)。

このほか、教義的な事は無関係で、母は「季節の行事」を無視する人だった。
昼間の組織活動が忙しすぎて、それどころではなかったのと・母親の育ちの問題。

たとえばお節句も完全にスルーしていた。
私はお雛様を持っていなかった。
母方で用意するのが習わしの土地に住んでいたが、母の両親(祖父母)は買わなかったらしい。
父方の祖父母がお祝いとして、購入資金を送ってきたそうだが
当時はまだ一軒家でなく、アパートに住んでいたので「置き場所が無い」という理由で
買わなかった。
一軒家に引っ越し、十分お雛様が置ける和室があっても、買ってくれる気配は無く。
友人宅にいくと立派な七段飾りがあったり、ガラスケースのお雛様があって、うらやましかった。
お節句の日に、友人宅に遊びに行ったら、その家のお母さん、おばあちゃんが雛あられや
桜餅を振舞ってくれて、お雛様の絵が入ったお懐紙が素敵だなと思った。
持って帰っていいですか?と聞いたら、どうぞどうぞと言ってもらい、私はしばらくそのお懐紙を
宝物ケースに入れていた(笑)。
でも、母親に、羨ましいとか・家でもやって欲しい等訴える事はなかった。
なんでなのか、自分でもわからないけど、たぶん「言っても無駄」という感覚だったのだと思う。
当然、兜飾りもなくて、だけどなぜか柏餅は仏壇の御供えに上がっていた。
それを下げてもらいおやつに食べる事が、実家の「お節句」。
(ちなみに、粽は宗教的意味合いが強いということで、母は買う事は無かった)

私の子供がうまれた際は、父が先頭に立って節句飾りを購入してくれて、ほっとした。
(おそらく、父が亡くなった後だったら、母は購入を渋ったかもしれないと思う)
昨年、ふと思い出して、父方祖父母からもらった(私への)節句のお祝いはどうしたの?と聞いたら
母は「宇宙銀行に預けたにきまってるでしょ!」と笑顔で言った。
母親でなければ、首を絞めたくなる発言だった。


母の実家は、草創の家族にありがちな、貧乏人の子だくさんで、祖父は晩年こそ元気だったが
若いころは病弱だったらしい。
母の兄が商売で当て、経済状態は一転したが、母はすでに学生になっており
その恩恵を受けられたのは、ごく短い期間。 嫁をもらうので出て行けといわれ、卒業後は実家を出て
暮らすようになった。
つまり、育ちで言うと、あまり良い方とは言えない。
自分に経験のないことを、子供たちにすることはできないとよく聞くが
祖父母宅にもお節句の飾りは無かったし、同じく、母方のきょうだいの家(いとこ)もお節句の飾りは
持っていなかった。
そんなもの買うお金があったら宇宙銀行(財務)へ、という感じだったようだ。

母は、義両親と会うのをすごく嫌がっており、会わずに済ませたい、なるべく遠ざけたいという現状。
主人の母親(姑さん)が苦手、とのこと。
上品でおっとりした優雅な奥様で、自分とは違いすぎて、何かを話すたびに馬鹿にされているように
感じるのだと母は言っている。 
父の存命中は、父と義両親の3人で話し込み、母は部外者というかんじで宙をみつめていた。

私がマインドコントロールに罹っていた間は、ただ母の被害妄想じゃん、と思っていた。
でも今は、ハッキリとわかる。
母は、組織どっぷり、非常識なので、常識人の姑さんと会うと途端に自信をなくすんだろうな、と。
組織に入って無く、活動に躍起にならずとも、幸せで豊かに暮らす御婦人が居る事を、間近に見るのはしんどいと思う。
それを、組織内部の人は意地汚く
「でも、(そんな、信心なしで物心共に幸福な人であっても)どんな死に方するかはわからない」と
言ってのけたりする(笑)。
臨終正念の事を指すのだが、ハッキリ言って、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。


私は、そんな母に育てられたが、こちらに来てから知り合った一般常識のある外部の友人たちと
接しながら、季節ごとの行事はどうするか、情報収集して、自分の生活に取り入れて行くようにした。
それが、子供の情操教育にも深く関係していくと思ったからだ。
子供たちを、私みたいに、侘しい思い出ばかりにしたくないという願いからの行動。
勿論、経験が無いからこそ、こういった習慣を取り入れるのが新鮮で、自分の楽しみである部分も大きい。
これは、組織を離れて良かったと思う点のひとつ。
たぶん、私がいま婦人部でバリ活だったら、絶対ツリーなど飾らなかったと思う。
めんどくさくて、それどころじゃない。子供たちの幸せのために福運積んでるんだし、そんなこと
しなくたって平気!くらいに捉えて、受け流しただろう。
実家で母から教わった通り、母のやり方を踏襲し、子供にも当然のように押しつけたと思う。

尚、地元の同級生(内部)で、私と同じく外部の人と結婚した友人がいるが
その子も偶然、親(活動家)がお節句の飾りや祝いを一切しない人だった。
孫が出来、お飾りをどうするかで揉めたと聞いた。
彼女の両親は(女方が出すという地域のしきたりは知っていても)そんなものは必要ない、
欲しければ自分たちで買いなさいと言って来たらしい。
ご主人の家が、しきたりにうるさいほうで、買って下さったそうだが
あなたの親は非常識、孫が可愛くないのか?と、責められて弱ったと言っていた。

外部の親たちも、孫に対して気持ち良くお祝いがしたいのに、創価の家族が拒絶してきたり
非協力的だと、ますます不信感、不快感を強めるだけ。
「うちの教義にあてはまらないので、やりません。お金も出すつもりはありません。
 どうぞ御勝手になさってください」こんな態度じゃ、一般理解が得られるわけない。
それなのに、外部の親(嫁ぎ先の両親・婿の両親)に対して選挙票を平気で依頼にいく
厚顔無恥な学会員の親も、多数いる。
それがまた、家族関係を、ややこしくしてしまうのに、そんなことおかまいなし。
だって学会が正しいから。自分たちが正しいから。という思いこみで動く。
こんなの嫌われて当然だと思う。

組織の人で、お節句を大事にしているなんて話はしたことない(聞いた事もない)ので
案外、なにもしないっていうのは、組織内部において多数派かもしれない。

日本人に生まれてきたのに、お節句もお祝いしてもらえなかったとは、
寂しいことだなと、自分の身を振り返って思う。
(補足・七五三は、日蓮正宗寺院でしてもらった)

永遠の幸福価値がどーたらこーたら言う前に、組織はもっと基本的な
「日本人らしく、常識を踏まえて、心豊かに暮らす」ことをきちっと教えろ、と思う。

とりわけ、子供や孫を犠牲にするな!

本当、とっとと空中分解してしまえ、と思う。

最近気づいたこと

2012年11月11日 | ファミリー
私がどうして未活になっても脱会を考えなかったのか、その理由の一つは
きょうだいに対するコンプレックスからくるものだったと、先日気づいた。

私は子供のころから勉強も好きでは無く運動は大の苦手。
絵を描いたり本を読んだりすることが好きだった。けど、特技というほどでもなかった。
いつもぼんやりしていて、どんくさい。
私以外のきょうだいは、勉強熱心の努力家でスポーツも良く出来た。
習いごとにも積極的で、親にあれもしたいこれもしたいと、やらせてもらっていた。
私は親に無理やり行くよう勧められた習い事(習字やそろばんや楽器)どれもろくに上達
しないうちにやめた。それも、無断欠席が親にばれたという形で。
そのたびに父に叱られ叩かれた。
母は教育問題にノータッチだったので、私が習いごとをそんな形でやめたことにたいしても
咎める事は無かった。
出来の悪い私が不憫だったのかもしれないが、いつも励ましてくれていた。

出来の良い二人は進学先も就職先も、いわゆるエリートコースに進んだ。
私は、当時希望していた職業に就くため専門学校へ行かせて欲しいと父にお願いしたが、答えは「ダメ」
大学じゃない限り学費は出さないと言われる。
それと、私の本質を見抜いた厳しい言葉をいわれた。ふたりのきょうだいと比較する形で。
いまおもえば冷静な親目線の意見と解るのだが、当時は深く傷ついて、わざと受験勉強をしなかった。
高校3年生になり、再び父を説得する情熱も無ければ・家を飛び出す勇気もない。
就職も(好景気だったのでたくさんあったが)する気になれず、ぎりぎりで大学受験を決めた。
家から通える・学力に見合う学校を選んだ。
父と兄弟からは「金食い虫」と揶揄されたけど、私は気にしなかった。
信心があるというその一点で、母がずっと庇い続けてくれたから。
それに当時、ふたりは実家を離れてくらしており、家の中には両親と私だけ。
多数派だったので気楽だった。

その後、きょうだいの結婚相手の入会問題で母・きょうだい・父が喧嘩する事が増えた。
こうなると私は高みの見物状態。
きょうだいのことを案じるというよりは(本当に性格が悪いけど)揉めていい気味だと思っていた。
ずっと馬鹿にされ続けてきたので、そんな感情になったのだと思う。

私は就職も中々決まらなかったし、入ってはみたが2年未満で転職。
その転職先ではリストラに遭い、また転職と繰り返した。
さまざま、親には迷惑をかけたと思う。
ずっと実家暮らしだったが、親が家に食費を入れなさいと言わなかったので
給料のほとんどを使いはたしてブランド物や服ばかり買っていた。
きょうだいは就職後自活していたので、私を見ていてむかついたに違いない。

こんな状態なのできょうだい仲は中学生くらいからずっと悪かった。
互いのプライベートを話したり、きょうだいだけで遊びや食事に出かけたことなんて中学~
独身時代、1回も無い。
家の中も、私と母vs父ときょうだい2人という状態。
常にぎくしゃくしていた。

そんな、ろくでもない私が唯一父から誉められたのが結婚(相手)だった。
主人が入会してくれて、主人の両親も私の信仰を容認してくれた。
母は大喜びで、父もそれを見てほっとしていたよう。
きょうだいのなかでただ一人、揉めない結婚を果たした私。
私はそのことできょうだいにやっと「勝った」と思った。ばかみたいだけど。
(たぶんきょうだいはそんな事、意に介してない)

そして父が亡くなり、母がひとりになったとき、何かと助けてあげられるのも私。
きょうだいは、口を開けけば「信心第一」「組織につかないとダメ」という母を避けている。
なにかと話を聞いてあげられるのは私だけという、特別感。
散々バカにしてきただろうけど、私は母の話が理解できるんだぞというきょうだいに対しての
優越感。
私と母の結びつきの強さは「信仰」があったから。
それも、組織に大きく疑問を持たない・脱会を考えない抑止力になっていた。

父が亡くなって以降、一人のきょうだいと腹を割って話せるようになった。
お互いが誤解しあっていたことや、お互いにないものがうらやましかったことも
わかって、大人になったいまだからこそ、わかりあえたんだと感じる事がやまほどある。

私たちの育った家庭に無かったものは「仲の良い両親のすがた」
四六時中争っていたわけではなかったが、ぴりぴりしたムードが漂う事が多かった。
私が絵を描いたり本を読んだりするのが好きだったのは、現実逃避。
勉強が出来ないことで責めてくる父親の重圧から逃れたかった。
きょうだいは勉強やスポーツに没頭し、良い成績を残すことで父に誉められたかったという。
母は、それプラス信心が無いと誉めてくれないから、いやだったと。

自分が親になって、こどもを育てている今。
同じ両親からうまれたのに、どうしてこんなに違うんだろうと2人をみていて思う事がある。
上の子供はおおらか・おっとりだけど少し神経質なところがある。
下の子供は活発でお調子者。注意力散漫なところが見受けられる。
けれどふたりとも屈託なく、感情を私や主人にぶつけてくるところは同じ。
どちらかが遠慮するということもないし、二人は喧嘩もするけど仲が良く、上の子は下の子を
随時フォローし、下の子は上の子を信頼し、心地よさそうにしている。
この先、成長していけば激しくぶつかり合う日も来るのかもしれないけれど
今の二人は見ていてとてもほほえましく、羨ましい。
「おうちが一番いい」といってくれる子供たち。
その言葉を聞くたびに、私は泣きそうになる。嬉しいのと、自分の子供時代を思い出して
悲しくなるのと。
私は子供時代、自分の部屋は好きだったけど、家族と顔をあわせる居間は嫌いだった。
家族団欒の、夕飯の時間も、余計な事をしゃべって父に怒られるのが嫌で、早く食べて部屋に戻っていた。
食卓に家族の笑顔は無く、皆が居心地悪そうに囲んでいた。
両親の仲がよければ、もっと違う自分だったのかなと思う事が、親になって以降非常に多い。

夫婦喧嘩の種は、政治宗教問題が6割、子供の事が4割。
父は母の「組織」への傾倒を嫌い、母は父の「不理解」を不満に思っていた。

組織が無ければ、私の実家の家族はもっと仲良しで楽しかったのじゃないかなと、悔しい思いもある。

だけど、組織というきっかけがあったから両親が出会ったのも事実。

宗門と組織が別れなければ、悩む事も少なくて済んだかもしれない。
家族が揉めることも、減ったかもしれない(?)

いまは悔しい思いでいっぱい。