実家の母を見ていて思った事。
母は、折伏(本流)をかなりの数している。
独身時代に20所帯ほど。これは大行進時代だったから出来た話のよう。
「にこぽん」とかいう言葉があった時代。
ただ、その方たちと今も交流があるかと言えば答えはNo
現在は、二人としか連絡をとっていない。うち一人は退転している。
私が子供の頃、たびたび家を訪ねてくる、ちょっとご陽気なおばちゃんがいたのだけど。
幼心に、この人変わってるなぁと思っていて。姉など本気で嫌っていて、訪ねてくるたびに
怖がって奥の部屋にかくれていた。
今考えると、その方は、知的障害者だった。
自分で判断して入会したとは到底思えない。
それは、本当に相手の幸せを願った「折伏行」だったんだろうか?
誰でも、よかったんじゃないの?って思えてしまう。
ちなみに、このおばちゃんは、実家が借家から持ち家に変わったタイミングで来なくなった。
同市内のそう遠くない距離に家を建てたのだが、これは私の憶測だけど、母は新住所を
おばちゃんにわざと教えなかったんじゃないのか?と思ったりする。
本当にぱったり来なくなったから。
今度母の機嫌のいい時に聞いてみよう、真相を。
ここ10年くらいの間にも、母は何世帯か折伏をしている。
数年前、母があまりにも折伏のために出歩くので(毎日のように相手に会いに出かけ、遅くまで
帰ってこない)父が怒って大げんかになり、仲裁に入った事もあった。
私は、母がなぜにそんなに必死なのか意味が解らなかった。
当時はまだマインドコントロール下にいた私だけど、母の折伏の姿勢は理解ができないと思った。
相手の方は、子供に恵まれず・つれあいに先立たれた独居老人だった。
母は「ご安置しやすい・家族の反対が無い」という理由で相手をターゲットにしていたよう。
そんな理由で?と、心底呆れた。
それって、相手を救ってあげたいとか幸せにしてあげたいって出発点じゃないじゃん、もはや。
「本流し易そうな人だから」って、それって折伏行?
しかも、相手は一人暮らしが寂しい、という悩みがある程度(というのもおかしいけど)で
健康状態も良好、経済的にも不自由のない人。そこそこお友達もいて、立派に自活している方だった。
全ての人に法華経をたもたせてあげるのが大前提ではある。幸・不幸関係ない。そうなんだけれども
母のやらんとしている事が「とにかく本流できたもの勝ち」のように思えて、酷く違和感だった。
母は期限を切っていて、組織のいわゆる「記念日」に照準を合わせていた。
そのため、時間が無いと、焦って日々会う約束をとりつけ半ばストーカー的に相手をおとそうと
していた(と見えた)。
私は、母に「相手の気持ちを全く無視している!それは違う気がする」と意見した。
すると母は「そんなことはない。相手は揺れている。迷ってる。だからこっちが腹を決めて
一念を決めて挑まないと決まる物も決まらなくなる。そのための期限設定なんだ」と反論。
私「そうじゃないでしょ?あなたがそう考えてたとしても、相手にも時ってもんがあるんだよ。
あなたの話聞いてると、あくまでも組織に利するようにとしか聞こえない。相手の都合なんか
全然考えてないと思う。成果上げたいってそれだじゃん」と言い返した。
それに対して母は
「いいじゃないの。私たちを闘わせてくれるために目標設定があるの。相手の時も、こっちが決めて
やるくらいじゃないと、折伏なんかできないんだよ」と。
こんな言い草、全く納得できなかった。
母には言わなかったけど、私は思った「結局、組織から誉められたいだけじゃん(呆)」。
その方への本流は実ったが、後日喧嘩をしてしまい、今は交流が無い。
母の折伏は、そのようなケースが結構ある。
また、必死で折伏アタックをかけていた人物に対し、母は物品を贈ったり何かと親切にしていた。
ところが、その人が別の学会員からも同じく折伏を受けており、その人からもあれこれ恩恵を
受けている事を知るや否や「人をばかにしている!」と、相手を切り捨てた。
折伏の親は一人なのだ。 どっちから入ろうかな~なんて、入会をエサに時間を稼ぎながら
利益供与(そんな大げさなものじゃないけど)を受けているなんて許されない!と。
このときも、母の怒りの方向が私にはよくわからなかった。
折伏精神って一体なんなんだろう。この人にとっての折伏って???と、首をかしげた。
私が、組織の活動に必死な母を見ていて、ずっと違和感だったのがこの「成果主義」だった。
なんでもすごく頑張るし結果も出すけど、そこには慈愛がない。
相手を心から幸せにしてあげたいという思いを感じないのだ、残念ながら。
やったらおしまいで、実際の話、面倒を見れているとは思えないし。
とにかくこの日までにとか、この数字にしたいとか、そんなことばっかりに必死になっているように
見える。
そうなってしまった背景に、母の生い立ちが関係してくると思うのだけど。
母はいつも、誰かに誉められたい・認められたいと思う気持ちが人一倍強い。
組織の中にそれを見出し、虜になってしまったんだろう。
そうなってしまったことは、かわいそうだとしか言いようが無い。
人生、もっとほかのことに充足感を求める事も出来れば・自己肯定感を高めることだって出来るよ。
なにも組織じゃなくたって。というか、これほど愚かな事もないように思う。
これは自己責任で、組織が悪いわけじゃないと、いわれるかもしれない。
だけど、母のような人を「利用」しているのは、明らかに組織だろう。
数さえ上げれば誉めたたえて。
少々後始末がわるくても、組織に直接迷惑かける問題じゃなければ見て見ぬふり。
結局、実動部隊として数稼いで・金稼いできてくれればOKって体質じゃん。
毎回おんなじ結論になっちゃうけど
やっぱり、組織なんか要らないと思う。
母は、折伏(本流)をかなりの数している。
独身時代に20所帯ほど。これは大行進時代だったから出来た話のよう。
「にこぽん」とかいう言葉があった時代。
ただ、その方たちと今も交流があるかと言えば答えはNo
現在は、二人としか連絡をとっていない。うち一人は退転している。
私が子供の頃、たびたび家を訪ねてくる、ちょっとご陽気なおばちゃんがいたのだけど。
幼心に、この人変わってるなぁと思っていて。姉など本気で嫌っていて、訪ねてくるたびに
怖がって奥の部屋にかくれていた。
今考えると、その方は、知的障害者だった。
自分で判断して入会したとは到底思えない。
それは、本当に相手の幸せを願った「折伏行」だったんだろうか?
誰でも、よかったんじゃないの?って思えてしまう。
ちなみに、このおばちゃんは、実家が借家から持ち家に変わったタイミングで来なくなった。
同市内のそう遠くない距離に家を建てたのだが、これは私の憶測だけど、母は新住所を
おばちゃんにわざと教えなかったんじゃないのか?と思ったりする。
本当にぱったり来なくなったから。
今度母の機嫌のいい時に聞いてみよう、真相を。
ここ10年くらいの間にも、母は何世帯か折伏をしている。
数年前、母があまりにも折伏のために出歩くので(毎日のように相手に会いに出かけ、遅くまで
帰ってこない)父が怒って大げんかになり、仲裁に入った事もあった。
私は、母がなぜにそんなに必死なのか意味が解らなかった。
当時はまだマインドコントロール下にいた私だけど、母の折伏の姿勢は理解ができないと思った。
相手の方は、子供に恵まれず・つれあいに先立たれた独居老人だった。
母は「ご安置しやすい・家族の反対が無い」という理由で相手をターゲットにしていたよう。
そんな理由で?と、心底呆れた。
それって、相手を救ってあげたいとか幸せにしてあげたいって出発点じゃないじゃん、もはや。
「本流し易そうな人だから」って、それって折伏行?
しかも、相手は一人暮らしが寂しい、という悩みがある程度(というのもおかしいけど)で
健康状態も良好、経済的にも不自由のない人。そこそこお友達もいて、立派に自活している方だった。
全ての人に法華経をたもたせてあげるのが大前提ではある。幸・不幸関係ない。そうなんだけれども
母のやらんとしている事が「とにかく本流できたもの勝ち」のように思えて、酷く違和感だった。
母は期限を切っていて、組織のいわゆる「記念日」に照準を合わせていた。
そのため、時間が無いと、焦って日々会う約束をとりつけ半ばストーカー的に相手をおとそうと
していた(と見えた)。
私は、母に「相手の気持ちを全く無視している!それは違う気がする」と意見した。
すると母は「そんなことはない。相手は揺れている。迷ってる。だからこっちが腹を決めて
一念を決めて挑まないと決まる物も決まらなくなる。そのための期限設定なんだ」と反論。
私「そうじゃないでしょ?あなたがそう考えてたとしても、相手にも時ってもんがあるんだよ。
あなたの話聞いてると、あくまでも組織に利するようにとしか聞こえない。相手の都合なんか
全然考えてないと思う。成果上げたいってそれだじゃん」と言い返した。
それに対して母は
「いいじゃないの。私たちを闘わせてくれるために目標設定があるの。相手の時も、こっちが決めて
やるくらいじゃないと、折伏なんかできないんだよ」と。
こんな言い草、全く納得できなかった。
母には言わなかったけど、私は思った「結局、組織から誉められたいだけじゃん(呆)」。
その方への本流は実ったが、後日喧嘩をしてしまい、今は交流が無い。
母の折伏は、そのようなケースが結構ある。
また、必死で折伏アタックをかけていた人物に対し、母は物品を贈ったり何かと親切にしていた。
ところが、その人が別の学会員からも同じく折伏を受けており、その人からもあれこれ恩恵を
受けている事を知るや否や「人をばかにしている!」と、相手を切り捨てた。
折伏の親は一人なのだ。 どっちから入ろうかな~なんて、入会をエサに時間を稼ぎながら
利益供与(そんな大げさなものじゃないけど)を受けているなんて許されない!と。
このときも、母の怒りの方向が私にはよくわからなかった。
折伏精神って一体なんなんだろう。この人にとっての折伏って???と、首をかしげた。
私が、組織の活動に必死な母を見ていて、ずっと違和感だったのがこの「成果主義」だった。
なんでもすごく頑張るし結果も出すけど、そこには慈愛がない。
相手を心から幸せにしてあげたいという思いを感じないのだ、残念ながら。
やったらおしまいで、実際の話、面倒を見れているとは思えないし。
とにかくこの日までにとか、この数字にしたいとか、そんなことばっかりに必死になっているように
見える。
そうなってしまった背景に、母の生い立ちが関係してくると思うのだけど。
母はいつも、誰かに誉められたい・認められたいと思う気持ちが人一倍強い。
組織の中にそれを見出し、虜になってしまったんだろう。
そうなってしまったことは、かわいそうだとしか言いようが無い。
人生、もっとほかのことに充足感を求める事も出来れば・自己肯定感を高めることだって出来るよ。
なにも組織じゃなくたって。というか、これほど愚かな事もないように思う。
これは自己責任で、組織が悪いわけじゃないと、いわれるかもしれない。
だけど、母のような人を「利用」しているのは、明らかに組織だろう。
数さえ上げれば誉めたたえて。
少々後始末がわるくても、組織に直接迷惑かける問題じゃなければ見て見ぬふり。
結局、実動部隊として数稼いで・金稼いできてくれればOKって体質じゃん。
毎回おんなじ結論になっちゃうけど
やっぱり、組織なんか要らないと思う。