I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

外部との結婚・姉の場合②

2012年12月13日 | 恋愛、結婚
姉の本当の離婚原因を、私は最近まで知らなかった。

母に尋ねた事もあったが、母も詳しくは知らなかった。
姉は、離婚後も母(と実家)を避けていた。
「それみたことか!信心しないからそうなる(離婚)のよ」と、言われるのが、いやだったんだろう。
(もしくは「良かった、私、祈ってたのよ!」)
離婚後の姉は、実家のある県に引っ越して一人で暮らしている。
母は何度か御本尊様を受けるように言ったようだが、姉は断固拒否。
姉は母の心配・悩みの一つで、それがまた学会活動に向かう原動力になっている(悪循環)。

姉の結婚期間、実家とは離れた場所で生活しており、母と彼が直接かかわる事は一切なし。
新聞を贈呈で入れるとか、組織の人を差し向けるような事も、していなかった。
親戚づきあいも一切なし。
姉も彼もアンチなんだし、誰ひとりとして姉夫婦の仲に介入しようともせず放置状態。
離婚の原因が宗教問題じゃないことは確かだと思っていた。
だったら何が原因?
私の想像は、彼が浮気・借金・職を失ったとか?価値観のずれ?程度しか思い浮かばず。
でも、姉にそれを確かめる事はしなかった(できなかった)。

先月、そんな姉と長電話をした。
ある件を相談するために電話をしたが、私が組織脱会を考えている事を告白したら
姉は驚愕していた。うそでしょう?と何度も聞かれた。
信じられない、とも(笑)。
姉から見れば、母と私は一心同体。自分とはわかりあえない、宇宙人だと思っていたらしい。

つい最近、私の家に遊びに来たのだが、そのとき初めて離婚理由を教えてくれた

姉の元旦那は、子供を欲しがっていた。
その理由のひとつが、孫が出来れば実家(とくにうちの母)と、信心なしでも和解できるという発想。
これは結婚当時から、相手が考えていた事で、姉にもたびたび「孫が出来ればお母さんは変わるよ」
と言い続けていたらしい。
どんなに結婚に反対しても、孫の顔みたさで和解するという、世間一般よくあるケースをうちの母にも
彼は、あてはめていた。
が、姉は母の性質はよく解っており、孫程度じゃ無理だよ、と相手に常々言っていたとの事。

姉は、母と解りあえる事は一生無いと、早い段階で(結婚前に)割り切っていた。
自身も信心をするつもりが無く、組織の活動をするなんて考えた事も無く、脱会したかったという。
彼と結婚して築いた家庭が心地よければそれでよく・仕事も好きで、共働きをしながら
夫婦仲良く暮らせれば、親の反対なんて気にしない。それで十分だったという。
もともと、実家は仲良しファミリーじゃなかったから、家族に対してドライな考え方を姉は持っていた。
姉にとったら、大好きな父と繋がっているから、母と反目してたってそれほど問題ではなかった、と。

余談だが、私も姉と同じような考え方をもっていた。
私も家族の中で、母とは仲が良かったが、父ときょうだい2人とはそうでもなかった。
だけど、母とつながってるから他の3人に関しては距離があってもそれほど気にならなかった。
はなから、仲良しじゃなかったので、特に気に留めなかったという感じ。
ただ、友人は姉妹仲の良い人が多く、結婚後は女友達感覚でつきあっているとの話をよく耳にし
それが私には無い事が、ちょっと残念で、さびしいなと思う事はあった。
かといって、仲良くしようと自ら働きかけることはなく。
私自身も、姉が信心・学会理解をしない限りは、わかりあえないだろうなという思いをもっていた。
姉も私も、機能不全家庭で育ってしまっていたから、そんな偏った考え方で、それで平気だった。
温かい・円満な家庭を知らないが故の弊害。

彼は、子供のころ事故で母親を亡くした経験の持ち主だったせいか
仲良し家族への憧れが、強かったらしい。
姉が一人で実家を訪ねていたお正月。実は、彼も家の近くで待機していたと知った。
彼は、期待していたらしい。「あれっ?旦那さんは?」と、うちの両親or私が姉に尋ねる事を。
「近くに居るよ」「だったら呼んであげなさいよー」こんな展開を、彼は待っていたらしい。
が、残念ながら、誰もそんな事を言いださなかった。

遂に彼は不妊治療を姉にもちかけた。
姉は職場で部下もいる立場。私生活が充実していたので、そこまでして子供が欲しいとは考えず。
治療なんてしなくても、授かりものでいいじゃないと姉は伝えたが、彼が子供をもうけることに
執着したとのこと。
彼は、純粋に二人の子供が欲しいと姉に訴えていたようだが、
その奥にあるものが「実家(主に母)との雪解け」だと、姉は疑っており、その点をつくと
彼は「誤解だ」と言い、喧嘩になる事もあったという。

姉自身、母を遠ざけたかったので、そのこと(子供のころから、組織命の母親が苦手で、
組織の一員であり続ける限り、理解しあえないという思い)も彼に何度も話したが
相手は母親を失った経験者なせいか、理解してもらえなかったらしい。
「そうはいっても、君の母親だろう?親子なんだろう?」と、不思議そうだったと言う。
二人が幸せだったらそれでいいじゃん、という考え方の姉と・ある意味、一家和楽を求めた彼。
子作りの件で、喧嘩が増えるようになって行き、しまいに姉の方から離婚を切り出したという。
機能不全家庭に育った二人の考えは、一致を見なかったという事。

姉は、不妊治療を持ちだしてまで、一家円満をはかろうとする彼を受け入れられなかった。
それが離婚の直接原因。
全く、私が予想していた事情と違ったので、驚いてしまった。
特に彼が、母との和解(信心無しで)を望んでいたというのが、ものすごく意外だった。

彼は、世間一般の法にあてはめて考えていたんだと思う。
だが、創価脳の親はそんなに甘くない。
仮に二人のあいだに子供が生まれていたとしても、彼の組織理解や母への謝罪が無ければ
母はそっけない対応をしただろうと思う。
私も、お祝いくらい送っただろうけど、距離感は変わらずだったと思う。
父だけが、普通に接しただろうなって、想像。

もし、母が猛信者でなければ・信心をやっていなければ、
姉夫妻の結婚は祝福され、円満にいったのかもしれない。
母は組織が標榜する「一家和楽」にこだわり、家族全員(配偶者までも)が組織理解をし
信心をたもつことが「一家和楽」だと信じて疑わずに、活動をしている。
実際はそのこだわりで、家族がバラバラになっていることに、まったく気が付いていない。
そういう私だって、今年9月まで気が付いていなかった。

そして猛信者でなければ、母や私が、彼を排他的に扱う事は、なかったと思う。
そのことだけは、彼に申し訳なく、彼はそんな私たちと関わってしまって、不幸だったと感じる。

私の実家が、機能不全家庭になってしまった大きな原因は、創価にあると私は思っている。

組織の直接の教えには無い事を、母と私はやっていた。
「子供がアンチの外部者と結婚すると言った場合は、反対しなさい」とか
「アンチの人を冷たくあしらいなさい」というような指導は聞いたことが無い。

だけど、創価を悪く言う者は排除していく、それを家庭軸にまで持ち込んでいる会員は
わりに多いと思う。
私の身の回り(親族以外)にも、そんな不幸な例がいっぱいある。

外部でも、アンチでなければえびす顔で応対するが、アンチだと分かれば敵視し態度を豹変させる。
この排他主義は、組織にプロパガンダされたものに間違いない。
だって、組織の人はみんな、このテの攻撃性を持っているから(私もそうだった)。

また、親が子を従属物のように捉えている家庭も非常に多い。
子供の自主性を無視して「うちの宗派は創価なんだから」と、子供だけでなく配偶者にまで
押しつけようとする。
背く事は罰だという考えで、脱会するなら親子の縁を切るという人も少なくない。
なんでそうなってしまうのか。
組織の教えに「脱会する子供とは縁を切りなさい」なんて、無いと思うけど?
全ては、排他主義のせいだ。

「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」

組織のサイトには
争いの時代を変革するためには、一人ひとりが「自他の仏性」を信じ、「人を敬う」行動を続ける以外にない。
「人を敬う」という、人間としての最高の振る舞いを説き、万人が同じ実践を貫くように教えたのが仏教だ、というようなことが書いてあった。

自他の仏性を信じ、人を敬う礼拝行と・組織の排他主義、全くつじつまがあわない。

組織に都合の悪い事を言う人間はすぐ「仏敵」と呼んで攻撃姿勢。
相手に仏性があると信じるなら、そんな発想にはならないはずだけど?
テンテーの仇打ちを自分たち青年がやる!とか、青年部時代によく聞いた言葉だけど、これもありえない。
仇打ちって、ナニ?(笑)。

都合良く日蓮大聖人の言葉を使い分けて、会員利用。
たてまえ・綺麗事ばっかり並べるのは、もうやめてほしい。
そして、Xデイがくるならば、会員をもういいかげん、自己矛盾の呪縛から解放して欲しいと願う。

外部との結婚・姉の場合①

2012年12月12日 | 恋愛、結婚
(本人アンチ+婚約者は外部アンチ、だけど親が猛信者だった、私のきょうだいのケース)

姉は、学会員の自覚ゼロ。
小学生部員会はかろうじて出ていたが、中学からは一切無視。
(中受をして、私立の女子校に進んだので、地域の組織内同級生との縁も此処で切っている)
一緒に勤行をした記憶も殆ど無い。
家庭内では組織アンチの父と仲が良く、母とは仲が悪い。
思春期時代はよく衝突し、母と一切口をきかない時期もあった。
進学の相談なども父にしており、県外の公立大学へ進学すると同時に、実家を離れた。

母は、分所帯で御本尊様を持たせたがったが、本人拒否。父も大反対で、実行されず。
それでも母は新聞を贈呈で入れたりして、父も巻き込み喧嘩になっていた。
統鑑移動を拒んだため、姉のところに学会員が尋ねて行く事はなかった。
すすんで、組織との縁を切っていた姉。
私との仲も、当然よくないというか、微妙な間柄だった。

そんな姉は、実家で暮らしている当時、恋愛経験が殆ど無かった(私が知る限り)。
厳しい女子校へ通っており、学校からそのまま予備校へ通い猛勉強。
姉はもっともバブルの恩恵を受けている世代だと思うが、浮いた話・華やかな話は一つも聞かず。
まじめ一筋な雰囲気の、カタブツだった。
父はそんな姉と私を比べて
「あいつ(姉)は地方で一人暮らしをさせても全く心配ないが、お前は信用できないから
無理だな」と言う始末だった。

大卒後、就職は隣県。一人暮らし。
このときも地元に統監をおき、組織の人間が姉のところへ尋ねて行くことは無し。
正月のみ実家帰省していたが、女友達と会う約束ばかりで、浮いた話はひとつもない姉だった。
遺跡巡りが趣味で、趣味の合う女友達もたくさんいて、独身を謳歌しているように私には見えた。
母はそんな姉の事を
「いつも遊んでばっかり。女子部でしっかり闘ってないから、婦人部になって苦労するタイプだわね。
旦那や子供の事で、さんざん悩んで信心するしかなくなるわよ」と言っていた。
いま冷静にこの言葉を思い返すと、一体どういうこと?!と思ってしまうが
当時の(マインドコントロール下にあった)私は、そんな風になりたくない!女子部で頑張らなきゃ!
と、その言葉を受け止めていた(馬鹿)。 

そんな姉が30代半ば過ぎ、結婚を考えている・婚約者に会って欲しいと両親に連絡してきた。
姉が交際相手を実家に連れてきた事は一度もなく、これが初めて。
しかもいきなり「婚約者」だったので、両親は大慌てだった。
私も、あのカタブツの姉の婚約者って?どんな人なんだろうと、ワクワクしていた。
休日の午後、姉が相手の男性を伴って実家にやってきた。
背の高い、細面の、めがねをかけた男性で、カマキリぽかった(失礼)。
私はお茶を出す役目で、居間の隣の部屋で聞き耳を立てていた。
父は、とりあえず結婚の話はおいおい考えるとして、あなた自身のことを聞かせて欲しいと
出身地や家族構成や職業なんかを聞きだしていった。
緊張気味な男性の応答を、姉がフォローしているのを聞いていて、姉が彼の事を本当に好きなんだなと
伝わってきた。
母はだまって3人の話を聞いていたが、父の質問が一段落ついたところで切り出した。
「うちは創価学会の信心をしているー云々」
姉は、その話はしなくていいじゃない!と機嫌悪く言ったが、母は大事なことだからと制して
父も(普段の父なら、そんな話するな!と一喝しそうだが)珍しく静かだった。
母は、姉が全く信心をしていないけれど、うちの宗教は創価だから。あなたもそれを理解して欲しい。
今すぐにとはいわないけどいずれ入会もして欲しい、ということを相手に伝えた。
すると相手は「それは無理です」と即答。
隣の部屋で聞いていた私まで、思わず「えっ?」と言ってしまった。
そして、相手は自分がどれだけ創価学会を嫌いか、理由をつらつら述べはじめた。
母は「まぁ~!(なんてこというの)」と怒っていた。
相手の主張の中には、自分が友人から強引な勧誘を受けて迷惑だったという内容も含まれていた。
迷惑団体に自分が入るなんて考えられない、と組織批判も。
世間ではこんな風に言われてるんですよ?と、ネットで得た情報をしゃべっていた。カルトと言う言葉も
出ていたと記憶。
彼女(姉)も嫌がっているし、そちら(=母)がするのは否定しないけど、こちらに押しつけられては
困りますと、ハッキリ言った。
私は、ひやひやしながら男性の言葉を聞いていたが、すごく腹立たしかった。バリ活だった私にしたら
組織を頭ごなしに否定されるのは許されないことで、こんな男と結婚したら姉が不幸になってしまう!
こんな男じゃだめだ、結婚は反対すべきだ!と思っていた。
完全なる創価脳だった私。
もし彼が、嘘でも「今すぐ入会はできませんが、少しずつでも理解できればと思います」程度の
やんわりした態度だったら、そこまで(結婚やめろと)思わないが、容赦なく全否定だったので
この瞬間から彼は「敵」となった。

母は「(組織理解できないなら)私は結婚に賛成できない。あなたはこの子(姉)の幸せを
全く考えてやれてないってことだ。許可するわけにいかない」と言った。
(注・母にとったら娘の幸せ=信心を夫婦でしていくこと、という考え)

相手の男性は、そんなことはない、と反論していたが、母は反論を聞くこと無く
「とにかく私は認めない。結婚したいなら勝手にしたらいい。一切付き合いも、援助もしません」と言って
部屋を出てしまった。

私は母を追って仏間に行ったが、母は涙ぐんでいた。
こんなとんでもない男を連れてくるなんて、自分の祈念が足りないのと、姉自身に福運が無いからだと
嘆き悲しんでいた。
暫く父と姉、男性の3人で話をしていた様子だが、父が2人を玄関の外まで見送りに出ていった。
父がもどってき、仏間にやって来て、私に向かって早く茶器を片づけろ!とぶっきらぼうに言ったが
母には何も言わなかった。

その後、両親は話しあいをしたらしい(私のいないところで)。
父が母の学会話を制さなかったのは、考えがあっての事で、相手の男性の柔軟性を見ようとしていた様子。
あまりにもハッキリと正面から否定し、持論をひっこめなかったのを見て、父は彼を攻撃的な性質をもっていて
結婚相手にふさわしくないと思ったという。
父自身もアンチなのに、意外だったが、これも「和」を考えての一般常識人らしい行動だったのかもしれないと
今になって思う。
母から姉に連絡すると冷静な話が出来ないので、父が姉に連絡をし、結婚は諦めたら?いい人は他にも
いると思うよ、と伝えたという。
それでも、姉はよほど彼が好きだったのだろう。
結婚式はせず、入籍報告をしてきた。
結婚後も独身時代から住んでるアパートでしばらく暮らしていた。

私は姉の入籍報告を聞いた時、ショックだった。
あんな、組織理解を出来ない・義親となる母を傷つけた男と一緒になるなんて!と。
恋愛経験の殆ど無い姉が、彼にだまくらかされたのでは?と失礼乍心配もしていた。
(姉は国家資格を持っており、食いっぱぐれがないから、ヒモになるつもりじゃ?と疑っていた)
そして、母の心を深く傷つけた彼に対しての怒りもあり、恨み節のような折伏の手紙を彼あてに送った。
手紙を姉が読むかも知れなくて、彼の手元に渡らないかもしれないけど、それでもいい。
母の悲しみや私の思いが、姉に伝わるならそれもいいと思いながら、長い手紙を書いて送った。
その手紙に返事も無ければ、なんのリアクションもなかった。

母は、彼を「つれあい」とは認めないという強固な姿勢を貫いていた。
姉に対して、何度か電話入れていたようだが、ある日、着信拒否されたと泣いていた。
次の正月に姉だけが実家に挨拶に帰って来た。
私は内心(彼は、どうしたのだろう?)と思ったが、聞けない雰囲気が漂っていたので、姉に軽く挨拶したのみ。
姉も、挨拶を済ませてお茶を飲んだら小一時間で帰って行く。
こんな正月が、何年か続いた。
年に一度、正月にしか帰省しない姉。
私の両親も徹底していて「彼も連れてきたら?」と言う事は、一回も無かった。

また、相手が片親ひとりっ子という環境もあり、入籍後に相手の親御さんがこちらに連絡を
してくるとか・顔合わせするなどの機会も、全く無かった。
私や母が彼に会ったのは、姉が挨拶に連れてきたこのたった一回だった。

(注・父は、たまに一人で出かけて行って姉に会う事があり、そのとき彼もいっしょだった様子。
私や母にそのことは内緒にしており、父の死後、姉から聞いて初めて知った)

5年後、姉は離婚する。
私はちょうど上の子を妊娠中で、私のようすを見に来てくれた母から「いいニュースがある」と
教えられて、びっくりした。

私は、結婚後に姉と連絡をとった事がなかった。
年賀状を送る程度で、電話もメールもしない。用事が無かったから。
私の結婚式にも姉だけ参加していた。
私は、彼を参加者に加えず、姉単独に招待状を出した。
これは両親とも打ち合わせて決めた事だったけど、私や母のなかで「彼」は、身内では無かったから。
マインドコントロールのとけたいま思い返すと、なんとヒドイ扱いをしてしまったんだろうと
思うが、当時は学会批判を正面切ってする奴=仏敵だったから、当然の仕打ちだった。
こういった排他的姿勢は、一般世間から見ると考えられないことだと思う。
彼からしたら「これだから創価は・・・」と、ますます不理解を深めたこととおもう。

(注・父が彼の結婚式参加を拒否したのは、父方の親戚に姉の結婚を伝えていなかったからだったと
これも、父の死後に知った。父方親戚は、姉はずっと独身を貫いてると思っている)

母と私は、かなり極端だったと、今ふりかえって思う。
相手に牙を剥かれたら、まぁまぁ落ち着いて、と相手の機嫌をとったり・取りなすという事は、一切しない。
完全に、排除していた。
それは無意識のうちに、組織によるマインドコントロールによって植え付けられた「排他主義」だったと思う。

外部との結婚・私の場合③「気づき」

2012年12月10日 | 恋愛、結婚
浄土宗+神社信仰をたもつ義両親が、私の創価学会信仰を「容認」してくれ、
結婚後の生活・家族関係は、波風たつことなく今日までやってこれた。

最近気がついた、
義両親の、私への接し方はまさに「さわらぬ神にたたりなし」だったんだ、と。

義両親は、激しく結婚や信仰に反対をすれば、私が頑なになり・仲が悪化する事を見越していたのだろう。
そのようなことで、息子と婚約者の間を裂こうとすれば、当然親子間も険悪になる。
息子である主人の思いを尊重するかたちでの、容認だったのではないかと、思う。
ある種、賭けもあったのではないかと(笑)。
結婚後に、私の信仰が猛烈すぎて、一般家庭に育った主人との感覚のずれが露見し、夫婦仲が
おかしくなるような事があれば、そのときは助言、是正するか・だめなら別れれば?くらいの思いだったのかも、と。
以上は私の勝手な推察だけれども。
義両親は、大変「和=円満」を重んじる、実に日本人らしい方たちなので、そういう考え方だったのではないかと
思う。

私も(義両親ほどではないにしても)争いごとは嫌いで、極力避けたいし、和をたもちたいと
思うタイプだ。
なので、義両親から子供たちの宮参りや七五三をもちかけられた時、内心はイヤだったけれど
筋を通す意味で、お受けした。
自分に罰が当たるかもしれないと危惧しつつも、むげに断る事は出来なかった。
(でも、罰なんて当たらなかった・笑)
常に私を認め、あたたかく接してくれる義両親を、こちらの家庭の事情(母が猛信者ってことや
創価学会を信仰している事)に巻きこむのは憚られた。
外部の人からしたら、お宮参りに行く事をそこまで頑なに拒絶したり・問題にして悩む感覚が
信じられないと思うだろうけど、学会員とはそういうものなのだ。

長年つきあいのある、内部の友人。外部の男性と結婚し、うちと上の子が同い年。
彼女は、婦人部はまったくの未活・内部アンチで、結婚の際に頂いた(無理やり親にもたされた)
分所帯の御本尊様も巻いている状態なのだけれど、私が宮参りや七五三参りをやったと話したら、
仰天していた。
彼女は、はっきりと、宮参りを希望する義両親に対して断ったという。
彼女の場合は、実家と義実家が同市内にあるので、ごまかしようがない
(内緒にしたくても自分の両親にばれる確率が高い)という事情もあるのだけど、考えられない
あなた、よく受け入れたね?と言われた。
彼女の感覚としては、御本尊様や・自分の親を裏切れないし、罰論が怖くて出来ないということだと思う。
ほんとうに、学会員といっても、いろーんなタイプがいて、内部アンチではあっても他宗派を絶対受け付けない・
たとえそのことで家族(義両親や夫)との関係が悪化しようともそれは仕方ない、正義の為なのだ、と考える人も存在する。
学会員と外部の結婚って、非常に難しいと思う。

@@@@@

私が組織離れすることが出来たのは、結婚で地元を遠く離れて生活する環境になったおかげ。
もし、地元地域に近いところに住んでいたら、同級生や先輩後輩etc、会員の知人のいる状況で
組織や活動から逃げようがなかったと思う。実家の近くだったら、母や親戚の目もあるし。
また「実家」という私にとって悩みの巣窟だった場所を、結婚によって脱出できたことが最大要因。

この地域の婦人部の方が、揃いも揃って残念な方ばかりだったのも幸いした。

それプラス、主人と築いた家庭が心地よく、波風立たず、平凡でも幸せだとずっと感じていられたことも
大きいと思う。
もし、主人の仕事が安定しないとか・喧嘩が絶えないとか・生活困窮・孤独感・人間関係の悩み・
嫁姑問題など、私に悩みがあれば、活動に向かったと思う。
私にとっての信仰の原動力は、常に「悩みを解決したい・現実生活を良くしたい」からだった。
その活動モチベーションとなりうるネガティブな要素が、幸いなことに結婚以降、何も無いというのも
組織離れをできた大きな背景だった。
このことは、主人やその両親、子供たち、こちらで出会った外部の友人たちに深く感謝している。

「実家」が悩みの巣窟だった件について。
これは、実家を離れて、組織の現実矛盾に気付くまで、まったくわからなかった(自覚なし)事だった。

私の両親は、私が物ごころついた時から、不仲だった。
原因は、創価学会。
母の猛信的な姿勢に反対の父と、常に対立状態で、喧嘩がたえなかった。
子供の目から見ても、完全に「仮面夫婦」だったと思う。

私の信仰モチベーションは常に悩みを解決すること。
その悩みの中で、独身時代、全く解決を見なかった事が1つだけあり、それが「一家和楽」だった。
父はずーっとアンチ創価で、母にはずっと厳しい態度をとり続けた(私にも)。
常に家庭内がぎくしゃくしており、まったく心の休まる暇はない。リビングで母と、活動の話をしようものなら
父から物を投げられることもあった、俺のいないところでやれ、と。
ふたりのきょうだいは大学入学を機に実家を離れた。やはり、母が信心やれやれうるさかったり
そのことで父と喧嘩になっているのを見るのが、嫌でたまらなかった様子。
子供にとってシェルターであってほしい「家庭」が、私の家ではその機能を果たしていなかった。
心休まる事も無ければ笑顔も無い。
夕飯も、和やかにその日の出来事を話しながら食べるという状況はなく、とにかく父から逃げたくて
早く食べて、自分の部屋に戻る。私はそんな状態だった。
この対立軸が、実家における大問題で、母の教育ですっかり創価脳に育っていた私は
「父やきょうだい2人が信心をしないから・学会理解をしないから、うちの家族は仲が悪い」と思っていた。
理解を得るために、私が信心で実証を示してやる(反対派家族に見せてやる)との思いがあった。
あくまでも、信心や学会組織を理解しない父や2人のきょうだいが悪いのであって
対立の原因を「母と自分が信心しているせい」にした事は、なかった。

独身時代実家に住んでいた頃、父と和やかに会話をした記憶が殆ど無い。
結婚後、やっと普通に話せるようになったのだ。
父は、私の主人や子供(孫)を前にすると、本当に柔和なリラックスした表情で、笑顔で話してくれた。
そんな父をみたことが、独身時代一度も無かったので、本当に驚いた。
父の笑顔を引きだしてくれた、主人と子供たちに感謝した。
だけど、いま思えば、父は誰に対してだってそんな笑顔を向けられる人だったのだ。
母と私が「創価学会」という組織に属し、猛信的色眼鏡で父をみていたから、父も私や母に対して
虚勢を張り、おたがいに、わかりあえなかっただけなんだと、脱会を決意して以降に解った。
父は、私たちに「目を覚ませ!」と、言い続けてくれていたんだ。
「お前たちは、組織にだまされている」と、しょっちゅう言われた。
一番身近な父のその言葉を、父の存命中、全く素直に受け止める事は出来なかった。
そこには母のこんな刷り込みがあった。
「この信心は正しい。正しいが故に魔が競う。お父さんの強固な反対姿勢は、その”魔”なのだ。
お父さんに魔が入って、私たちを怒鳴ったり脅したりして、信心をためしているのよ。
だけど、それに恐れをなしてひいてはいけない。一歩も引いてはならない。それは不幸の始まりになる。
私たちが、反対に屈せずに信心を貫けば、お父さんが理解する日はきっと来るのだから」と。
これも、おそらく、母が幹部のきょうだい(おじおば)から受けた指導なんだろうと思う。
私は、こんな組織に都合のいい教えを、それこそ小学生のころから叩きこまれていた。
なので、父の言葉を「魔のたわごと」と受け止めていた。

父は、数年前に亡くなった。私は、マインドコントロールのさなかに居た。
最後まで組織理解を示さなかった父の死を、私は悲しいというよりも「残念」だと感じていた。
私の結婚後、やっと普通に話が出来るようになったのに。もっと色々、話したかったと。

マインドコントロールのとけた今は、父に申し訳ない思いでいっぱい。
ずっと、本当の事を訴え続けてくれていた父を、色眼鏡で見てきた。
「この信心の凄さが解らない、可哀相な人」と、上から目線で思っていた。
頭が悪いばかりに組織に騙され、いいように使われ搾取されて可哀相なのは、私の方だった。

もっと早くに私が覚醒していればと、後悔してもきりがない。
あらゆる出来事を思い返すと、鬱になりそう。だからもう、私はそれら煩わしいことに蓋をすると決めた。
私には私の家族や家庭があって、そちらに迷惑をかける事は出来ない。病気になってる暇はない。

そして、父の死後で少し遅くはなったが、組織の矛盾に気付けて本当に良かった。
父が一番心配したのはきっと、私が新たに主人と築く家庭を、実家と同じようにしてもらいたくないって
事だったんだろう。
私と主人が信心で対立し、子供の一番身近な存在である私が子供に洗脳教育をし、創価一色にし、
父親を「学会や信心を理解できない、可哀相な人」なんて思わせてしまう、そんな不幸な歴史を
繰り返してもらいたくはないって、思いだったのだろう。

40歳過ぎで間違いに気がついた。
戻らない過去を悔いるよりも、前を向いて、やり直したい。
それが、ずっと真実を訴え続けてくれた父への恩返しになると信じている。

外部との結婚・私の場合②「反省」

2012年12月07日 | 恋愛、結婚
結婚後の事。

私は、主人に活動家になってもらおうと思っておらず、一切期待していなかった。
なぜなら、男子部が大嫌いだったから(笑)仲間に入って欲しくないと思っていた。

私自身、女子部の活動はなんとか出来ても、婦人部の活動にすうっと入って行けなかったのは
自分の中で、ほかの3つ(男子、壮年、婦人)に対し無意識のうちに偏見をもっていたからだと
今になって、解る。
女子部というところは、ほかの3つと比べて、非常にモラトリアムな集団だと思う。
なんだかんだいって、縛りはゆるいし、軍隊的な必死さ、悲壮感もない。だから、やっていられた。
でも、男子、婦人部に関しては・・・(略。
壮年部の事はまったくわからないが、さえないおじさんたちの集まりって感じだったし(私のいた地域では)。

それプラス、信心というものは、周囲からやれやれ言われて出来るもんじゃないと、百も承知だった。
ましてや主人は、外部の人。入会だって、喜んでじゃなく、しぶしぶとOKした人。
自発の心が無い限り、学会活動なんて、絶対出来ない事も私はわかっていたから、無理に会合へ
連れ出そうとしたり、促すような事も、一切しなかった。
また、主人自身に何もネガティブな問題がなかったことも、信心すれば?と言わない要因だった。
家庭(実家)は円満・仕事は順調・健康だし、悩みなく、安定した生活をおくれていた。

自分が過去、2人の友を折伏した経験も大きい。
一人は、組織活動が嫌になって、逃げてしまった。
もう一人は、自らすすんで求めての入会だったこともあり、ものすごく呑み込みが早かった。
自分で祈り、確信を早くに掴んだからこそ、活動にもスムーズに入って行った。
(ただし、女子部というモラトリアム集団だったからだけど)
この経験から、主人のことは、そっとしておいた。
やりたければ、自分でやるだろうと、放置していた。
私の信仰に文句さえいわなければ、ありがたいと思っていた。

結婚後すぐに、今の地域に引っ越して来て、主人とは同中と、某芸能人の折伏セミナーに
参加しただけ。 2年目からは、私が一切の会合に出なくなって、主人を誘う事もなくなったので
参加していない。
だけど、主人はなんにも言わない。最近会合行かないね?と聞くわけでもない。
なんのリアクションもないのだ。きっと、興味がないんだと思う(笑)。
選挙の時は、私がいわなくても、友達から電話がかかってくるので、頼まれたとおりの政党・候補者に投票。
こんな状態で、結婚以来今日までやってきている。
主人から私に対し、組織や信仰の事で、疑問・質問・文句を言って来た事は一度も無い。
本当に、私にとって、これほど楽な人はいない。

今年の9月に組織との決別を考えたが、まだ主人にハッキリとその件を話していない。
ただ、11月、衆院解散がきまったとき、ニュースを見ながら夕飯を食べる主人に向かって
こう言った
「次の選挙からもうずっと、自分の好きな政党・候補者に入れてくれていいからね。
私も自分で考えて選んだ政党に投票するから。」と。
主人は、ふーんと言った後
「でも俺は、友人に頼まれるから、やっぱり(あの党に)入れると思う」と言った。
なんと義理がたい主人(笑)。
そして、驚くべきことを口にした
「実は、OOくん(主人を大学時代から、20年来折伏している人)俺が入会してるの、知らないんだよな」
えーっ?
結婚8年目にして、初めて知った。
なんで云わなかったの?と聞いたところ
「だって、悪いだろう?ずっと、言って来てくれたのに、君から入会したなんて言ったら、
彼を傷つけるからさ」と(笑)。

OOくんには悪いが、主人は、OOくんが知らない間に入会・脱会することになりそうだ。


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組織の矛盾に気づき、怒りを覚え、マインドコントロールが解け始めてから、結婚してこれまでの
ことを思い返すに、私の信仰を許してくれ、文句ひとつ言わず見守ってくれた義両親へ感謝の思いと、
その反面、笑顔の裏の本心が気になり、不安をおぼえている。

宗教的なことがらで、義両親と揉めたことは一回も無い。
子供(孫)が生まれ、お宮参りと七五三をどうしてもさせてあげたいと義両親から請われ、
私は悩んだが、私が産んだ子供ではあっても、私と主人ふたりの子であり、
主人方の苗字を名乗る・主人の家系の子供たちだと思えば、私の信仰一つでそれ(神社参詣)を
全く拒絶してしまうのは、流れとしておかしいと考え、受けることにした。
ここで、罰論を思わなかったわけじゃない。私は罰を受けるかもしれない、と恐れる気持ちはあった。
でも、子供には関係ないと思った。赤子は信仰なんてしてないし、入会もしてないから
この子は罰を受けるわけがない、と。
神社参詣をしない事をまるで、私自身と御本尊様との「契約」のように考えていて、こういった点で、
精神的にキリスト・イスラム教徒とおんなじだったなと、思う。

ただし、宮参りは、私の両親には絶対にばれないよう、内緒にして欲しいとお願いをした。
義両親は快くOKしてくれた。
しきたりや、お祝い事の好きな(苦にしない)義両親なので、本当は、両家揃って参詣をし、
食事会をもうけるなど、派手にしたかったはずだけど、私の条件を呑んでくれてこぢんまりと行った。
また、宮参りの着物(祝着)は、嫁方から贈るしきたりだが、私の親には内緒という事情から、
二人の子供は私が買ったセレモニードレスで宮参りをした。
(いま思えば、アンチの父に話せばお支度してくれたと思うが、当時の私は父を信仰の敵だと捉えており
父にこっそりお願いするという発想は全く浮かばなかった)
七五三も、着物姿はスタジオの写真撮影で貸衣装。 お参りは、洋装で行った。
何事もきちんとしている義両親からすれば、いやみのひとつも、言いたくなりそうなところだと思うが
(注・主人のきょうだいの子供は、七五三を和装で行った)
お小言など全く無く、笑顔で至って普通に接してくれていた。

また、主人の実家にお正月に集まる際。
主人のきょうだいたちは、夫婦そろって、氏神様への初もうでを済ませてから義実家に戻っている。
私たちだけが、氏神様をスルーして帰省。
あとから、夫が単独で(私を義実家に残して)氏神様へ初詣をしたり、子供たちは義父に連れられて
参道の出店を楽しみがてら、出かけたりしていて、私は参らない。
義実家の仏壇(御先祖様をおまつりしている)に手を合わせることはあっても、神棚に手を合わせた
ことはない。 他のきょうだいの連れ合い(外部)は、どちらにも手を合わせている。
それに関して、義両親は私に対して一言も文句を言わない。
主人から、手を合わせるようにして欲しい等、何も言われた事は無い。
私も、許しを得ていると甘え切っていて、手を合わせずに来てしまい、義両親の内心を推し量ることなんて
これまでたったの一度も無かった。

全ての言い訳は「マインドコントロールにかかっていたから」と、自己弁護になるけれども
自分の信仰は正しいのだと思いこんできたからこその、厚顔無恥ぶりだった。
嫁に行ったのだから、郷に入りてはーで、義実家に帰った時くらい、手を合わせれば良かったんだ。
たとえ心は、南妙法蓮華経と唱えていたって、わからないんだから。
そこを、頑なに手を合わせず、氏神様へ初詣へ出かける事も、この8年間一度もなくやってきた。
「(私の)信仰を認める」と、義両親が言ってくれたのをいいことに、義実家側の宗教に対し拒否の姿勢を貫いて、
歩み寄ろうとしなかった。

義両親が、なんとも思っていなければ問題ないが、実際のところは解らない。
結婚後、今の住まいに義両親がやってきたとき、和室の扉をあけ、大きな仏壇を見た時に
複雑な表情を見せたことを、今でも思い出す。
義両親としては、信仰を容認はしたけれども、こんな大きな仏壇置くか?と、驚愕したのだと思う。
(ちなみに、仏壇は、母が嫁入り道具のひとつとして買ってくれた。
 粗大ごみで出すにしても、リサイクルにしても、5000円くらい取られると聞いてショック。
 まだまだ全然綺麗なんで、中古で買いとってもらいたいくらいだ)
だけど、義両親からはひとことも、仏壇についてコメントはなかった。

私を否定すること無く、いつもあたたかい言葉をかけてくれ、何かと気遣ってくれる義両親。
私の母や、きょうだいのことも、いつも案じてくれ、大事にしてあげて・親戚付き合いを大事にねと
言ってくれる。
まずは組織(創価)ありきな思考回路の私の母なんかより、よっぽど「親」らしい。
家族を思う愛情にあふれている、義両親。
そんな義両親の偉大さ、ありがたさを、脱会を考えて改めて気付かされ、私はこれまでの数々の無礼を
反省し、今後の態度・振舞いで、お許し願いたいと思った。

来年も正月に帰省するが、そのときは氏神様への初詣を一家で済ませて訪問しようと思っている。
そして、神棚にも手をあわせる。便宜上。心は南無妙法蓮華経だけど。
これまで私を認めてきてくれた義両親に、入れ変えた「心」を態度で見せようと思う。
それは、宗旨替えじゃないし謗法じゃない。一般常識としての、所作。

そして、Xデー後に脱会することも、義両親にご報告申し上げるつもりでいる。


外部との結婚・私の場合①「経緯」

2012年12月06日 | 恋愛、結婚
会員と外部の恋愛・結婚を扱うブログを多数拝見した。

同じ日本人なのに、文化(?)の違いが大きすぎて、大変な思いをする外部の方たち。
本当に、頭が下がるというか、なんというか。
読みながら、自分がこれまで気付けなかった事に気付いて、驚かされたり、勉強させてもらっている。

私の経験(女子部と、非会員男性の結婚)は、わりと特殊なケースだと思うので
(非会員である主人の両親の反対や、組織に対するあからさまな嫌悪感や、私に対する遠慮なし)
殆ど誰の参考にもならないと思うけど、
自分がこれまで気付かなかった事(反省点)を書いておきたいので、記します。


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主人とは、未活時代(20代後半)に、会社のスポーツサークルを通じ知り合う。
会社は別で主人は練習試合でよく一緒になるチームに居た。
合同で忘年会やバーベキューなど、大人数で遊びに行く機会が多々あったが
2人だけで会うようなことはなく、単なる知り合いの一人。
主人が転勤で遠隔地へ行くことになったと、グループメールが入ってきた時、
私は「頑張ってください。戻ってきたら飲み会でもしましょう」と社交辞令を送った。

その数年後、戻ってきた主人が電話をかけてきた。
このころ、私は女子部の活動に戻っており、部長をやっていた。
大人数の飲み会に誘われ、参加。サークル活動当時の旧知の友人たちと久しぶりに会った。
その飲み会で再会を果たした男女が、スピード結婚をすることに。
転勤先(海外)について行く形の結婚で、再会の場に居合わせた私も結婚式の二次会をお手伝いを
することとなった。その幹事が主人。
私は組織の活動が忙しかったので、平日の打ち合わせは一切出れない・土曜の昼限定でお願いしていた。
(主人はこの時点で、私が組織のメンバーだということにうっすら感づいていたらしい)
無事イベントが終わり、お疲れ様会があったが、私は組織の会合があったので参加できなかった。
ここで縁は途切れたかと思えた。

2ヶ月後、友好期間(笑)に、友人と2人で某音楽イベントへ出かけた。
他県でおこなわれる大規模な音楽イベントで数万人規模。
会場で知り合いに会うなんて事は、なかなか無い。
そんなイベントで、主人とその友人にばったり会ったのだ。
しかも、同じアーチストを見に来ていた事が解って、驚愕した。
というのも、メジャーではなかったから。
音楽の話をしたことがなかったから、わからなかったが、同じアーチストのファンで、何年も前から
応援していて、どうやら同じライブに何度も行っている(遭わなかっただけ)ということも解った。
私たちと主人たち4人でイベントを楽しみ、地元に戻ったら会おうという話に。
同じアーチストを前から応援していた、という親近感から、主人と私は急速に仲良くなった。

その年の暮れ、主人が結婚を前提に交際を申し込んでくれた。
私は正直に、組織の一員で部長をやっていて忙しい事、結婚の話は、入会してくれないと難しいと
話した。
この、「入会して欲しい」は、相手に心から幸せになってもらいたいという考えでは無く
あくまでも「実家の母を納得させるための材料」で、便宜上だった。
私はこの時点で、親の反対を押し切ってまで結婚しようという考えは、さらさらなかった。
こんなことを書くと「本当に人の事を好きになったことがないんじゃないの?」と、思われて
しまいそうだが、これは理屈ではなく、優先順位の問題でもない。マインドコントロールのなせる技。
それプラス、私のきょうだい2人は、外部と結婚をし、母親ともめ、母親は配偶者を攻め立てていた。
父がそのことで母を叱責し、家族が大変険悪な状態になっていたので、私はその争いを避けたかった。

主人は「入会は、難しい」と答えた。
その理由、大学時代の友人から、10年以上折伏を受け続けているから。私から入るとなれば
ずっと説得してくれている相手に悪いというので、私は驚いた。
なんと仏縁がある人なのだろうかと(笑)。
誰から入ろうと関係ないよ!と言ってみたが、主人は、入会はじっくり考えたいと言った。
私は、この人はなんとなく入会しそうだと感じ、交際を始めた。

主人の両親には、わりと早い段階で会った。
初回は結婚の話などせず、軽くランチを食べる程度だったが、とても感じの良い、立派な御両親で
私は気が引けた。
その後、主人は正式に結婚を申し込んでくれたが、私は主人入会の件と同時に、主人の両親の組織理解が
なければ、結婚はぜったい無理だと伝えた。
主人は、自分の両親は偏見を持つような人物ではないから大丈夫だと答えた。が、私は納得できず。
直接会って聞くことになり、再び顔合わせ。
主人の両親は「全くかまわない。信仰を持っているなんて若いのに素晴らしいじゃない。
ただ、私たちには私たちの信仰がある。お互いに、信仰の自由を尊重していきたいと思うけど
いかがですか?」と聞いてくれた。
私は、義両親に入会してもらいたいなんて、全く思っていなかったので、自分の信仰を認めてもらえると
いうだけで、十分有り難かった。
(ちなみに、主人の実家は浄土宗で、神社参詣も熱心)

続いて、私の両親と主人に会ってもらった。
私の父は、主人の両親が本当に組織理解をしているのか・構わないのか・そこを重点的に主人に尋ねた。
主人が、全く問題ないですし、もし問題があれば僕が対処しますと答え、父は安心し結婚を
了承してくれた。
母も、物腰柔らかくて組織をいやがらない(笑)主人を気に入ったようで、結婚の話をすすめる事に
乗り気だった。
この時点で、主人の入会に拘っていたのは、私だけという結果に。
母は、きょうだいたちのパターンで懲りていたのか、私の時はうるさく迫らなかった。
すぐに両家顔合わせの日取りが決まり、結納、挙式日もあっという間に決まった。
主人の両親と私の父は、一般常識人らしく(?)話があったのか、実に和やかだった。
私は、家の中の父しか見ていなかったから、常に解らず屋で、厳しく組織批判を繰り返す父の
イメージが強かったが、普通の人たち(組織外の人)と接する父は当たり前だけど、紳士的だった。
私の両親がともにバリ活だったら、この結婚は成立しなかっただろう。
組織アンチで一般常識人の父が居たからこそ、成立した。本当に感謝している。身の幸福だった。
結婚式の形式に就いても、父方親戚一同がアンチということもあるし、人前式で執り行うことに
両家両親、異議なしでOKしてもらった。

その後、法戦があり、私は弟子の誓願1000万の完遂をかけて闘った(笑)。
これが青年部最後の戦い、有終の美を飾りたいと思い、頑張っていた。
が、結果は無残で、心に大きな穴があいた。
1000万票にはるかに足りない票数で、いったい何だったのだろう・私がしてきたことは、無駄だったのか?と、
苦しい気持ちになった。

こんな気分のままで終わりたくない!と思い、これは何が何でも、主人を入会に導きたいと考えた。
実家の母からダメ押ししてもらう形で、主人からしぶしぶ入会OKをもらう。
「主人の両親には内緒にする」という条件付きで。

私も母も
「あくまでも、組織や活動に反対しない、その意思表示として入会してほしい。
 あなたに活動を無理強いは絶対にしない」と主人に言った。
本当に、便宜上だけ。
母の本意は解らないが、おそらく、幹部をしている親戚への面子もあったと思う。
”うちの子は、外部の相手をきっちり折伏・入会させて結婚しました!”
組織内では、こういったことが、ステータスになったり、賞賛されたりする。不思議な世界。

御本尊様を頂いたのは、挙式の約1ヶ月前の事だった。

こうして私は、組織内部に面目を立てる形(外部の結婚相手を折伏)で、女子部を卒業した。