I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

最近気づいたこと

2012年11月11日 | ファミリー
私がどうして未活になっても脱会を考えなかったのか、その理由の一つは
きょうだいに対するコンプレックスからくるものだったと、先日気づいた。

私は子供のころから勉強も好きでは無く運動は大の苦手。
絵を描いたり本を読んだりすることが好きだった。けど、特技というほどでもなかった。
いつもぼんやりしていて、どんくさい。
私以外のきょうだいは、勉強熱心の努力家でスポーツも良く出来た。
習いごとにも積極的で、親にあれもしたいこれもしたいと、やらせてもらっていた。
私は親に無理やり行くよう勧められた習い事(習字やそろばんや楽器)どれもろくに上達
しないうちにやめた。それも、無断欠席が親にばれたという形で。
そのたびに父に叱られ叩かれた。
母は教育問題にノータッチだったので、私が習いごとをそんな形でやめたことにたいしても
咎める事は無かった。
出来の悪い私が不憫だったのかもしれないが、いつも励ましてくれていた。

出来の良い二人は進学先も就職先も、いわゆるエリートコースに進んだ。
私は、当時希望していた職業に就くため専門学校へ行かせて欲しいと父にお願いしたが、答えは「ダメ」
大学じゃない限り学費は出さないと言われる。
それと、私の本質を見抜いた厳しい言葉をいわれた。ふたりのきょうだいと比較する形で。
いまおもえば冷静な親目線の意見と解るのだが、当時は深く傷ついて、わざと受験勉強をしなかった。
高校3年生になり、再び父を説得する情熱も無ければ・家を飛び出す勇気もない。
就職も(好景気だったのでたくさんあったが)する気になれず、ぎりぎりで大学受験を決めた。
家から通える・学力に見合う学校を選んだ。
父と兄弟からは「金食い虫」と揶揄されたけど、私は気にしなかった。
信心があるというその一点で、母がずっと庇い続けてくれたから。
それに当時、ふたりは実家を離れてくらしており、家の中には両親と私だけ。
多数派だったので気楽だった。

その後、きょうだいの結婚相手の入会問題で母・きょうだい・父が喧嘩する事が増えた。
こうなると私は高みの見物状態。
きょうだいのことを案じるというよりは(本当に性格が悪いけど)揉めていい気味だと思っていた。
ずっと馬鹿にされ続けてきたので、そんな感情になったのだと思う。

私は就職も中々決まらなかったし、入ってはみたが2年未満で転職。
その転職先ではリストラに遭い、また転職と繰り返した。
さまざま、親には迷惑をかけたと思う。
ずっと実家暮らしだったが、親が家に食費を入れなさいと言わなかったので
給料のほとんどを使いはたしてブランド物や服ばかり買っていた。
きょうだいは就職後自活していたので、私を見ていてむかついたに違いない。

こんな状態なのできょうだい仲は中学生くらいからずっと悪かった。
互いのプライベートを話したり、きょうだいだけで遊びや食事に出かけたことなんて中学~
独身時代、1回も無い。
家の中も、私と母vs父ときょうだい2人という状態。
常にぎくしゃくしていた。

そんな、ろくでもない私が唯一父から誉められたのが結婚(相手)だった。
主人が入会してくれて、主人の両親も私の信仰を容認してくれた。
母は大喜びで、父もそれを見てほっとしていたよう。
きょうだいのなかでただ一人、揉めない結婚を果たした私。
私はそのことできょうだいにやっと「勝った」と思った。ばかみたいだけど。
(たぶんきょうだいはそんな事、意に介してない)

そして父が亡くなり、母がひとりになったとき、何かと助けてあげられるのも私。
きょうだいは、口を開けけば「信心第一」「組織につかないとダメ」という母を避けている。
なにかと話を聞いてあげられるのは私だけという、特別感。
散々バカにしてきただろうけど、私は母の話が理解できるんだぞというきょうだいに対しての
優越感。
私と母の結びつきの強さは「信仰」があったから。
それも、組織に大きく疑問を持たない・脱会を考えない抑止力になっていた。

父が亡くなって以降、一人のきょうだいと腹を割って話せるようになった。
お互いが誤解しあっていたことや、お互いにないものがうらやましかったことも
わかって、大人になったいまだからこそ、わかりあえたんだと感じる事がやまほどある。

私たちの育った家庭に無かったものは「仲の良い両親のすがた」
四六時中争っていたわけではなかったが、ぴりぴりしたムードが漂う事が多かった。
私が絵を描いたり本を読んだりするのが好きだったのは、現実逃避。
勉強が出来ないことで責めてくる父親の重圧から逃れたかった。
きょうだいは勉強やスポーツに没頭し、良い成績を残すことで父に誉められたかったという。
母は、それプラス信心が無いと誉めてくれないから、いやだったと。

自分が親になって、こどもを育てている今。
同じ両親からうまれたのに、どうしてこんなに違うんだろうと2人をみていて思う事がある。
上の子供はおおらか・おっとりだけど少し神経質なところがある。
下の子供は活発でお調子者。注意力散漫なところが見受けられる。
けれどふたりとも屈託なく、感情を私や主人にぶつけてくるところは同じ。
どちらかが遠慮するということもないし、二人は喧嘩もするけど仲が良く、上の子は下の子を
随時フォローし、下の子は上の子を信頼し、心地よさそうにしている。
この先、成長していけば激しくぶつかり合う日も来るのかもしれないけれど
今の二人は見ていてとてもほほえましく、羨ましい。
「おうちが一番いい」といってくれる子供たち。
その言葉を聞くたびに、私は泣きそうになる。嬉しいのと、自分の子供時代を思い出して
悲しくなるのと。
私は子供時代、自分の部屋は好きだったけど、家族と顔をあわせる居間は嫌いだった。
家族団欒の、夕飯の時間も、余計な事をしゃべって父に怒られるのが嫌で、早く食べて部屋に戻っていた。
食卓に家族の笑顔は無く、皆が居心地悪そうに囲んでいた。
両親の仲がよければ、もっと違う自分だったのかなと思う事が、親になって以降非常に多い。

夫婦喧嘩の種は、政治宗教問題が6割、子供の事が4割。
父は母の「組織」への傾倒を嫌い、母は父の「不理解」を不満に思っていた。

組織が無ければ、私の実家の家族はもっと仲良しで楽しかったのじゃないかなと、悔しい思いもある。

だけど、組織というきっかけがあったから両親が出会ったのも事実。

宗門と組織が別れなければ、悩む事も少なくて済んだかもしれない。
家族が揉めることも、減ったかもしれない(?)

いまは悔しい思いでいっぱい。