I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

再会

2013年04月10日 | 四方山話
先月実家に帰省したおり、私が女子部時代に折伏した友人と再会した。
彼女も現在は家庭をもっている。
お互い婦人部にあがってからは未活動で、新聞購読・選挙・財務の3本柱だけやっていた。
何度か書いているが、この3点が創価の組織においては命綱。
ふだんの会合やらに出なくても、カネと票さえ供出していれば口うるさく言われる事はない。
いまになって思えば、こういう会員が全体の3割でも存在すればOKと大本営は考えていそう(苦笑)。

友人(仮にA子)は、結婚のさいご主人に組織の事はやんわりと話していた。
ご主人の実家は一般的仏教徒。
A子がやるだけなら文句はいわないと了承してくれた。
結婚後のA子は公営住宅に住んだのだが、そこでの組織に辟易したと話してくれた。

A子は専門職についており、かなり忙しい。ワークという区分なので最初から活躍は期待されて
いなかったとのこと。
ある日、しらゆり長から生協をやっていることを咎められてドンビキしたと。
生協は共産党系の企業だから、悪に加担することになる。悪を肥やすような事をしてはならない・
生協購買はやめてほしいといわれたのだと。
私はA子に聞くまで生協=共産党系なんて知らなかったのでビックリした。
生協はとても便利で、A子のように帰宅時間が日によって違い・スーパーでの買い物も大変と
いう主婦には、なくてはならないサービス。
そこを、信教の事情(?って事に、組織ではなっているっぽい)で利用を制限されるなんて。
非常識にもほどがある。
A子はあいた口がふさがらなかったという。
その場では「考えます」と言って追い返したが、便利なので結局利用は止めなかった。
選挙の時期になって、しらゆり長がもうひとつ上の婦人幹部を連れて家庭訪問にやってきた。
そこでも生協の話が出て、まだ購買してるというと、票を頼まれても絶対入れちゃだめよと念を
おされたとのこと。だけど、当たり前に生協のドライバーは票を頼んでくるような事はなかった。
偏見にみちみちたオバサン集団という印象をもち、他のこともいろいろ重なってA子は婦人部が
大嫌いになったと言っていた。
正常な判断だと思う。

また、A子の子供が保育園に入園したとき、たまたま組織婦人部の人と同じ園だった。
園で仲良くなったママさん(外部)に向かって、その先輩婦人部ママが
「A子さんも一緒なの(創価)」と、A子自身は組織の事を黙っていたのに勝手にカミングアウトされ
物凄く迷惑だったとも。
先輩婦人部ママは組織に誇りをもっている厄介なタイプ。
A子も組織の一員なんだよって勝手なカミングアウトは、婦人部総会の結集のための利用。
特に熱心にやっているわけでもないA子からすれば、仲間にされるのは大迷惑。

こういうの、ある。あの人もこの人もメンバーなんだよと言って、数の多さで安心させようと
するというか。取りこもうとするの。関係ないんだけど、数なんて・・・。

現在のA子は財務も新聞も断り、家庭訪問もしないで欲しいとハッキリ伝えたとの事。
もともと主人が未入会で「厳しい」と言ってあるので、しつこくされることもないらしい。
近々家を購入予定で、引っ越す際に会員カードを新居住地にまわされたくないので
どうしたものかと悩んでいたところに、私が電話を入れて脱会の意向を伝えたので
「以心伝心かと思った」と喜んでいた。

私がA子と再会するにあたって不安だったのは、
「あなたが信じて間違いないと言っていたから入会したのに、どうして脱会するなんて言えるんだ?
 自分にすすめてきたときの熱意あれはいったい何だったんだ?」と詰め寄られる事だった。
それに対するアンサーを日々考えていた。
キレられても仕方ないし、呆れられても、罵倒されても、馬鹿にされても、仕方が無いと思っていた。

だけど、A子は聡明で冷静だった。 そこは本当に感謝する。
そして「今だからいうけど」と本音を語ってくれた。

「しょうらんの言ってくれる事に励まされたし、この信心はすごいっていうのも伝わってきた。
だけど時々ついていけないこともあったし、絶対にわかりあえない部分あるなって常々思ってた」と。
A子としては、御本尊様へ祈念することについては一点の曇りもなく、信じようと思えたんだと。
だけれども、特定の政党を応援することや、消息不明じいさんのろれつのまわらないスピーチを
見るために、決まった日時に開館に足を運ばされ・いかなかったら出席率に関わるのにと
組織の人から咎められることは、全く理解できなかったのだと。
言われたから仕方なく投票にも出向いたし、誘われるから仕方なく同中にも出かけていたけれど
組織で言う「自発能動」で、自分からすすんで他人に票を頼んだり・同中に行こうと思った事は
なかったと。
そりゃあそうだよね、って思った。
A子はじゅうぶん分別の付く大人になってからの入会だったし。アホらしくて出来ないとか
いったい何のために?と思う事が、山ほどあったって不思議じゃない。

A子は私に対して「一緒に気付いてよかったじゃんね」と笑顔で言ってくれた。
私はそれを聞いてA子の朗らかな表情を見た時泣いてしまった。
これを友情っていうのなら、友情って素晴らしい。

組織命の私であれば、A子が組織を辞めるとか言い出したら、友情なんてないも同然の扱いを
したと思う。
それが人の道に反することであっても、組織を離れて行く奴は「忘恩の輩」と切って捨てたと思う。
そんなのの、どこが人道主義なんだろうか。 馬鹿だよね・・・。

A子の退会は私より一足早くなりそうだ。




幸福価値

2013年04月03日 | 四方山話
先月、実家に戻ったときのこと。
母が”メーラーがおかしいから見て欲しい”というので、PCをたちあげて
どうなっているのかを見た。
単純な操作で消えたアイコンがあり、それを復活させた。
母は喜んで、じゃあついでだから@@さんのメールだけ抜きだして見れるようにしてほしいと。
設定をいろいろ弄っているうち、メールの内容を読んでしまった。

70を過ぎた母だが、学生時代の同窓会連絡などPCのメールでやりとりをしている。
相手がたは全員、組織外の人たち。
母は選挙のために同窓会事務局を20年ほど前から引き受けている。
@@さんは、現在は隠居生活をおくっているが事業をしていた人。
その方の自宅で行われた食事会の写真を見せてもらった事があるが、いわゆる富裕層で
うちとは世界がまるで違うな、と感じた。
そんな@@さんに向かって母は、メールで仏法対話をしかけていた(笑)。
勝手に内容を見てしまってそこは申し訳ないのだけど、呆れてしまった。
相当な「上から目線」で語っていたからだ。

いくら財産があっても、お金はあの世に持って行けない。どれだけ心が充実しているか、
人生が輝いているかで幸福価値は決まる・・・というような事を書いていて、
永遠の指導者(笑)の指導も引用したりしている。
私は、とっても恥ずかしくなった。 母は、世間知らず過ぎないかと。相手に笑われてるぞと。

@@さんからしてみたら、母からそんな言葉をかけられてもね、って感じだろう。
同窓生のよしみでつきあっているだけで、メールなんてリアルな用件だけ読んで、一方的に
押しつけの「幸福価値」についての話など一笑にふしておしまい。 
だけど、はっきり拒絶されないから母はわかっていないようだ。

@@さん夫妻のほうが、母よりよほど充実し・輝いた人生を送ってると私には思える。
少なくとも母より広い世界、世間でものを見聞きしている方たち。
そんな人に向かって、自分が所属している宗教団体は素晴らしいんです。すごいんです。
この仏法で幸せになって欲しい、なんて言えるってほんとに母はお花畑の住人だと思った。
何も見えていない。
まず、自分の立ち位置が全然見えてないしわかって無い。
それってある意味、幸せなのかもしれないけど、組織どっぷりな人間の盲目さって怖い。
私も、同じような部分は大いにあった(女子部時代)。
このメールの件について私は何も母に言わなかった。


翌日、今度は母の携帯に頻繁に迷惑メールが入るというのでこれも設定変更することになった。
弄っている最中に入ったメールが、唐突な書きだしの長文で
私は「あ、こういうメールも怖いよね。騙しだよ絶対」と、全文を開いてみたところ
”新聞はいりません””マインドコントロール”という文字が目に入り、「えっ?」と声を出してしまった。
横から母が携帯を取り「ああ、これは違うのよ」とバツ悪そうな様子。
なんなの?と聞くと、趣味サークルで知り合った人に新聞を贈呈で入れさせて欲しいと頼んだが
断りの返事とのこと。
相手はやはり、(母のメインターゲットの)独居老人。
「この人、すごくさびしがりで、しょっちゅう電話してくるから相手してあげてたのに
 組織のことを話したら、とたんにてのひら返しちゃってね」と、相手の悪口を言い始めた。
こうしてハッキリ断ってくる人がいることに私は内心感謝した。
そして「逆じゃない?そうやって、新聞とってほしいから・選挙で票を入れて欲しいからって
親しげにしておいて。あなただって同じだと思うけど。逆恨みもいいところじゃない?」と
言ってやった。
母、そんなことない!これは仏道修行なのだ!という内容の反論。
「でもね、普通の人付き合いでそんなのってないよ。なにもかもが(組織の手玉となる)手段に
なってるって、そりゃ一般の人から疑われたり嫌われたりしても仕方が無いよ」と私は諭した。
以前の母なら激しく応戦してきたが、最近思う所あるのか、今回は違った。
ぽつぽつと、愚痴を言い始めた。
主に、周囲の外部がわかってくれないのと・風当たりが最近きついという話だった。
贈呈であっても新聞を断られることが増えたとの事。

高齢の母にあまりきつい事も言えないので、やんわり言ってみた
「組織内部の、周囲を見渡してみて。豊かで幸せな人達ばかりなの?
 そして組織外部の友人さんを思い浮かべて。違うでしょう」と。
母の顔が強張った。
思い当たる節が、山ほどあるのだと思う。
だけど母は言った
「物質、金銭面だけ豊かでも心が貧しかったらどうしようもないでしょ。
同志はみんな、物質面では恵まれて無くてもとにかく楽しそうにしてる。だからいいのよ!
それこそ、幸福価値観の違いよ」と。

本人がよければ、それでいいのかもしれない。
何もかもそういう事なのか。 騙される方が悪い的な。

私は、物質面で恵まれている方が全然いいので、やっぱり組織には向いてないと実感(笑)。


@@@@@@@@

今日、買い物に出かけたスーパーで
レジで私の前に会計をしている老婦人、かごの中身が全て見切り品。
すさまじいなぁ、と思っていたら、老婦人が「ここに(品物)入れてちょうだい」と
店員に向けて広げたトートバッグの中に、よれよれの大白蓮華が入っていた。


そうして切り詰めて、ご供養をすることこそが「幸福への直道」と信じて疑わないタイプなのか・
たんに倹約家なのか・現に置かれている状況下でそうするよりほかないのかは、解らない。

見てはいけないものを見てしまった気分になった。
悲しい気分に。


幸福価値観は人それぞれ、とはいうけど、
「心こそ大切なれ」をていよく組織を肥やす為に利用してもらいたくない。

ただ、もうそろそろ、組織で言う「信心」に励めば幸福に~などという幻想は消えうせそうな気がする。
現実が追いつかなくなって行ってるのは、地元地域の疲弊っぷりを見ても、現住地域のそれを見ても
明らかだから。

使命

2013年02月14日 | 四方山話
「使命がある」
組織で繰り返しつかわれていた言葉だ。
何か辛い局面で、その場から逃げだしたくなったり、不本意な立ち位置にあるとき
組織の人は必ずと言っていいほど「使命があるから(その場所で)頑張れ」というような事を
言っていた。
以前書いた「意味のない事なんてない」「全ての事には意味がある」と同じく、「使命がある」も
現状に疑問を抱かせないように・全てが組織の都合がいいように・どんな結果が出ようとも
すべてを「功徳」と受け止めさせるための詭弁だったと、最近気がついた。

私はこの「使命がある」という言葉が、青年部時代すっごく好きだった(笑)。
”君には君にしか成し得ない使命がある”
そんな事言われて、喜んでいた。
まるで自分が特別な誰かになったような気分。
つまんない自分でも、使命があるんだ。
私は家族や親せきの中で学歴コンプを強く感じていた。自慢できるような経歴も何も無くて。
どんな場所にあっても自分にしか成し得ない使命があるなんて、素敵だと思った。
ただ、その使命が「友を救うこと」=折伏=組織へ入会させることだと、組織が教えるのはどうかと思う。
また、それにまんまと騙されてしまった、脳内花畑だった私も本当に馬鹿だった。

先日、子供を送迎の帰り道、運転しながら考え事をしていた。
どうしてこの街にきたんだろうな?と漠然と思った。
主人と結婚したからなんだけど(転勤で来た)、私は当時はまだマインドコントロールの最中にあり
この転勤にともなう遠方での新生活も「使命がある」のだと、思いこんでいた。

そのときに、ずっと忘れていた事を思いだして自分でも驚いた。
実はこの転勤、断ろうと思えば断る事も・他地域に行く事も出来たってことを。
詳細は書けないが、主人の一存で決まった事だった。
私は内心、別の地域(希望を出せばそちらにもいけた)のほうがいいのになーと思いながらも
主人の打診に、嫌だとも、こうしてほしいとも言わずOKしてしまった。
なんでそうしたのかはもう忘れてしまった。 
衝突を避けたかったのかもしれないし、今ほど職種や会社について理解もしていなかったので
従っとけば楽だと思ったのかもしれない。
そこではっとしたのだ。
私は何につけ、自分でしっかり考え抜くという作業をないがしろにしてきたんだなと。
なりゆきまかせを、とりあえず「使命がある」と誤変換し、正当化してきただけだったと。

組織で使われる「使命がある」は、現実を見据えず、現状維持が一番と正当化する手段だった。

私が部長だった時代、メンバーのひとりが仕事をやめたいと相談してきた。
彼女は白蓮Gの任期中で、無職になる事は絶対ダメだった。そういう決まりが当時はあったのだ。
社会で実証を示す・女子部の模範でなくてはならないという、組織の方針で。
どうして仕事を辞めたいのか聞いてみたところ、いわゆるパワハラに遭っていた。
急に部署異動を命じられ、倉庫整理の作業員に。その仕事も午前中には終わってしまう。
午後はひたすら社内・社外を清掃させられる。
辞めて欲しいって事だと思うんですと、涙ながらに彼女は語った。
私は彼女に「使命あってその場所にいるんだから、簡単に去る事を考えてはダメ。
会社の人からやめろと言われてないんだったら、大きな顔して居続けたらいい。
掃除も、完璧にやってみたらいい。どんなことも経験だから。とりあえず(白蓮)卒業までは
頑張ってみよう」と言った。
彼女を励ましつつも、実際は組織の体面上、仕事は辞めないで欲しいという部幹部な願い。
転職も離職も個人の自由だし個人の問題で、組織がとやかくいうなんて本当におかしいのだけど
当時の組織では、部員が仕事を辞めたらその上に居る部長まで幹部から注意を受けるような
空気があった。
職場で実証を示すことが指針に掲げられていたから。職業を組織に把握され、無職やフリーターなんて
御法度だった。
仕事を辞める=甘えがあるせいだと厳しく戒められた。
また、幹部同士の中でも格付け(?)があって、優しい指導で人気のあった某幹部は、親の資産管理会社に
勤務していたが、あの人は本当の社会を知らないから甘ったれなんだ、などという人が居た(笑)。
銀行や学校、上場企業に勤めている幹部がすごいとされていた(あくまでも、私の居た地域での話)。

話がそれてしまったが、件の彼女はそのまま職場に居続けた。
すると3ヶ月後、会社が倒産。すぐに失業保険がおり、退職金も出た。
もし、思い立ったが吉日とすぐに退職していたら、退職金は殆ど出なかったということで
これを「功徳だ!」と一緒に喜びあった。ただの偶然なんだけど。
そのエピソードを大きな会合で活動報告したのだが、聞いた別の部長が同じく職場で行き詰った
メンバーにこの話をし、退職せずに頑張れと指導。
その部員さんは自律神経を患って退職する羽目になり、活動に出なくなったという事があった。
人によりけり、で、私の部員さんとは状況がまったく違ったのだと思う。
単なる偶然を「功徳体験」として語ってしまった事も、いま思えば罪だった。

「使命がある」これは非常に厄介な言葉だと思う。
たとえば、学校でいじめにあっている子がいるとして。今は転校も可能。
いろいろと手続きなんかあって、大変だけど、そこさえクリアできれば新しい場所で
子供はやり直すことが出来る。
そこを、組織根性で「使命がある、学校に居続けろ!いじめから逃げるな!」なんて縛りつけたら
どうなるだろう?
イマドキの子供なら、簡単に命をおとしてしまうんじゃないかなって気がする。

「使命」は、誰かから決められるものではない。
自分が感じて決めることだよね。今はそうだと解る。

なぜに、縁もゆかりもない、じいさんに「君の使命は広宣流布」などと決められなきゃならんのよ。
そう思いこむことが「幸福への道」になっているなんてどー考えたっておかしいよ。
ついでに言えばその押しつけ「使命」は、組織の金儲けのためのコマになるって事だしね(怒)。
とんでもないジジイとその一味。くたばれ職業宗教家ども。

自分の使命なんて自分が決めたらいいんだ。 

組織における「使命がある」も、思考停止のひとつの号令だったんだろう。
イイ言葉だが、大いに、使われ方による。

厄年

2013年02月05日 | 四方山話
節分でふと思い出したが、厄払いを私はしたことがない。
厄年のとき、周囲の友人(外部)はこぞって神社へお祓いを受けに行っていた。
一番最近の厄は36歳前後だが、このときは未活ではあったがマインドコントロール下にあり
まったく御払いに行く気なんてなかった。
組織では、厄なんて気にしないし、厄年という言葉じたい聞く機会もなかった。
厄払いなんてものは神社や寺の金儲けにすぎない!私たちは妙法を受持しているのだから
厄なんて無いのだ! くらいの感覚だったのか。

同時期、夫も厄年だったが、こちらも特に何もしなくていいよと私は夫に伝えていた。
だが、夫の両親はひそかに厄除け饅頭を親戚に配っていたと、最近聞かされて驚いた。
そして夫も仕事の合間に神社でお祓いを受けていたそう。私には内緒で。
私に言ってもどうしようもないので、こっそりやっていたらしい。

幸いにも、厄年だからって私の身には特に何も起こらなかった。

夫で言えば、厄のときに義父が大病を患って入院手術をするという心配ごとがおこった。
幸い、手術も成功し予後も良く、今はいたって健康で元気に暮らしている。

ふと、日蓮大聖人は「厄年」についてどういったお考えを持っておられたんだろうと気になって
調べてみた。

「やくと申すは譬へばさいにはかど、ますにはすみ、人にはつぎふし、方には四維の如し」(日眼女釈迦仏供養事)

「三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。
年はわかうなり、福はかさなり候ベし」(四条金吾殿女房御返事)

「厄の年災難を払はん秘法には法華経には過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな」
「当年の大厄をば日蓮に任せ給へ」(太田左衛門尉御返事)

年齢的な節目があることは意識しつつも、厄は転じて幸いとならせ給うべしと、なんとも前向き。
そして厄年の災難を払う秘法は法華経だよと。なんともありがたい。
大厄は日蓮に任せなさいって、それもいいなうらやましい(太田殿が・笑)。

次の厄は61歳と少し先の事だが、それまでに子供たちの厄年がやってくる。
そのとき私は子供にどう対応するのか。
友人同士で御払いにどこかの神社に言って来る、と言いだしても、止めなさい!とは
言わないでおこうと思う。なんとなく。
悪鬼魔神とかは言いたくない。 
気持ちの問題ですっきりしたいっていうんなら、許そうかな。
気分転換で、髪の毛を切るのと同じ感覚だと受け止めたい。
ご祈祷を受けたことで安心しきってしまうんでなく、油断してはならない年なのだと気持ちを
引き締める、ひとつの「儀式」だったら、無問題じゃないのか。
それにそれなりの費用が発生するのも、まぁ仕方のない事。資本主義社会なのだし。 
そこにまつられた神様に「帰依」するのでなければ別にいいんじゃないのかと。
まぁ、最悪帰依しても子供の自由・・・?

しゃかりきに正法誹謗・謗法だと言われてきたアレルギーが出ている今日このごろ(笑)。
なんでも躍起になって排除しようとする組織は馬鹿だなって思い。
私はその中で育ってきちゃったんで、それが肌感覚で当たり前になっているけれども
子供や周囲に押し付けるのはよくないと認識を改めた。


そしてそれらのすべて(神社や寺に行くな・厄払いなんて不要だ!)のアナウンスが、
結局は集金のため。お金を組織に一極集中させるための詭弁だったんじゃ?と
最近はそんな風に考えている。

かといって、自分が神社へお祓い受けに行くつもりは今のところないけどね。
主人や子供の行動を制するような事はしないでおきたいと思う。

お古

2013年01月18日 | 四方山話
年始の帰省時、実家の自分の部屋に久々に入った。
現在は物置き状態になっているが、たんすの中には、結婚で家を出る際に持って行かなかった
私の洋服があった。
それらの殆どが、かさばるスーツ。しかも、今の生活でほぼ出番なさげなものばかり。
女子部時代に買った物が大半。

白蓮をしていた当時、任務に就く日(制服を持って行く)であってもスーツで会館へ行くよう
指示されていた。
もっともらしい理由があったんだけど忘れてしまった。
とにかく会合でスーツを着る場面が多くて、毎回同じものというわけにもいかないし、当時給与の大半を
スーツに費やしてたと言っても過言でなく。
時代はバブル後期、派手な安物スーツは巷にあふれてたけど、そういったものは着て行けない。
お嬢さんらしく、華やかな色のスーツを探すと、エムズグレイシーやミュゼドウジに行くことになり、
1着10万円近いものを着ていた。
もう絶対着ないけど、値段が値段だけに捨てられず置きっぱなしになっていた。
もしかしたら、将来子供の園・学校行事で着るかも?と思って保管していたが、約20年が経過した今、
そんな昔のスーツ恥ずかしくて着て行けない。結局新たに買い直している。
もう、捨ててもいいやと思い、今回帰省時にたんすを開けると、何も残っていなかった。
驚いて母に尋ねると「どうせ要らないんだろうと思ってね。OOちゃん(親戚)に全部送って
あげたよ。福運だって、とーっても喜んでたから。良かったね」と。

OOちゃんとは、母のきょうだい(幹部)の息子の嫁さん。年齢は私より1つ下。
彼女はバリ活、現在も幹部をしており、会合でスーツを着る機会があるとのこと。
そのきょうだい宅は個人商店を営んでいる。細々とした商売で、それほど儲けてる訳でもないが
年間3桁の財務を家族一丸となって続けている。
母から言わせると「私はあんなに(生活を切り詰めてまで財務を)やれない」というほど、
大人に関しては切り詰めるだけ切り詰める生活、OOちゃんは洋服を殆ど買うことがない。
ほぼ、もらいもので済ませてるという。

絶対着ること無い、捨てるところだった洋服、もらってくれる人あって喜んでもらえたのは
素直に良かったと思う。
ただ、それが創価に毎年3桁のカネを貢ぐために倹約している主婦のもとに行くというのが、はがゆい。
財務やめたら、スーツなんてすぐ買えるでしょうよ?って気持ち。
親戚の20年前のお古をもらったことを「福運」だなんて、健気すぎるよ。
そこは、「みじめ」だと自覚して欲しい。
そして本当に福運があるのだったら、財務していても自分で買える境涯なはず。
そのことにも気づいて欲しい。
倹約したお金を、何に使おうと個人の自由で、それが本当に喜びなのだったら、誰にも文句は
いえないのかもしれないが、私から見れば、冷静さを欠いた行動にしか見えない。

組織に1円もくれてやるもんか!と思っている私の洋服が、まわりまわって組織を助けてしまったのか?
と思うと、若干腹立たしく。

母は「今後もいらない服あったらOOちゃんに送ってあげてね」と言ったが、そんな気になれない。
買うお金あるじゃん!組織に渡さなければ買えるじゃん!
それを組織に貢いで私のお下がりで済ますって間違ってるよ・・・と、思った。

そういえば、今の居住地域の婦人部員は、そろいもそろって前時代の服。
重たそうな肩パット入りウールのコート・厚ぼったいダウンジャケットを着ている。
たぶん、買えるお金はあっても、ずっと新しい服なんて買ってないのだと思う。
髪型ひとつをみても。髪につやもなく、うねって寝癖みたいになっていたり。
うねりは、くせ毛じゃなくて加齢によるもの。ケアしてれば、あんなことにならない。
どこのサロンで切っているか知らないけど、あまりにもかまわなさすぎじゃないのかと、見ていて気の毒。
こっちにきて、イイ感じだなーとか、小奇麗だな、との印象を受けた婦人部が
ただの一人もいないというのが、福運のなさを表しているよう。

私は独身時代、それこそ10年前からネイルサロンに通っていた(今現在も通ってる)。
新婚当時、こちらの婦人部で大きめの会合に出た折り、私のネイルをみたおばさん幹部が
「もう婦人部なんですから、わきまえないとね、つつましくね」と言った。
意味がわからなかった。
なんで、婦人部に来たら「つつましく」ネイルを辞めなきゃならないわけ?
婦人部になったとたん、生活を切り詰め、贅沢は敵。全てを広布へ、それが幸福の因を積むのだ!
というような空気感を、この地域の婦人部員がたは持っていて、それに対しても激しく拒否反応だった。
おそらく、私の母が上に挙げた様なタイプじゃない(財務より自分の生活を楽しむ)だったせいも
あるかもしれない。父がアンチだったのが幸いした。
当時私は仕事をしていたから、ネイルサロンにかかる費用は自分が稼いだお金だったし。
どうしようと私の自由なのにと、かなりむっとした覚えがある。
まぁ、9年前の話で、まだネイルサロンがここまで世間に浸透して無く、おばさんも初めて見た感じで
驚いたのかもしれないんだけどさ(笑)。
今になって思うのは、この地域においては、自己投資が「無駄遣い」と位置付けられているんだろうなと。
そんなお金あったら新聞もう1部取ったら?的な。財務1口、増やせそうね!的な。
それのなにが楽しくて、煩悩即菩提になるのか、私にはさっぱり意味が解らない。

そしてこんな前時代ファッションと思うようにならない(と見える)髪型も、
あの集団に出入りし続けていれば「普通」で、恥ずかしい事でもなんでもないんだろうなと解る。
お金かけて綺麗にしている方が異端になってしまうんだろう。
環境って大事。
私の周囲(いまでいえば園ママ)に、前時代な人は誰もいない。
皆、小奇麗だし気をつけている人ばかりだから、その中にいれば自然と自分も身を引き締める。

女性の40代以降は、そこそこお金をかけないと小奇麗を維持する事は難しい。若い子とは違うので。
財務の季節だけど、それを自己投資にまわしたらどうなのか。
そうそう行く事のない会館(総本部だったかな)を作るために貢いだって、仕方が無いじゃん。

テンテーは私が女子部だった頃、常々「女性の幸せは40代で決まる。40代の時に幸福で豊かで
なければ意味が無い。だから若いうち(20代)は信心で功徳を積むのだ。揺るがない幸福境涯を築くのだ」というような指導をしていた。
あれから20年が経って、私が知る限りの(知人)40代活動家で、うらやましいなぁと思うような
心から憧れるような人はいない。
テンテーテンテー言いながら、顔は笑ってるけど貼りついた仮面みたい。
心の奥底から笑ってる人なんかいない。 みんな顔に疲れが出てる。

最近、活動家婦人と話す機会があったのだが、聞いてて悲しくなるというか、私は目が覚めて
本当に良かったと思うことしきり。
私が10年近く離れてる間に、とんでもない王国になっちゃったなぁ、組織。 

その話は、またおいおい。