I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

本日の所感

2013年02月22日 | 現在進行形
暫く多忙で、このブログを更新する頻度が下がりそう。
子供の卒園と入学(入園)に伴い、あれこれと行事やお呼ばれが続いている。

今月は長子の発表会があった。
一年間の学習総仕上げといったかんじで、歌唱や楽器演奏、ダンスに劇と盛りだくさんの内容。
最終年度にあたるので、完成度も高くて、見ていて感激もひとしおだった。
成長を如実に感じることができた。

この発表会は、毎年2月に行われている。
主人方の両親は毎年欠かさず見学にきてくれた。
だけど、私の実家母は一度も来る事が無かった。
理由は「伝統の2月」だから。

昨年までは私もマインドコントロール下にあったので、母が組織の活動が多忙な事を理由にして
孫の発表会を見学に来ない事は、さほど気にならなかった。腹を立てるような事では無かった。
私の中にも確実に「家族の事より組織を優先しても非難できない」意識が根付いてたんだと思う。
ただ、今年は最終年度でもあるのだし、子供のためにも見学してほしいと思っていた。
義両親が、遠方からでもきっちりやってくるのに対し、3年間一度も顔を見せないなんて。
(注・義実家と私の実家は同県内。こちらに来る手間暇は同じ)
しかもそれが仕事(生業)のため多忙だとか、病気や介護のためというならまだしも、
「組織の活動が忙しいから行けない」なんて、非常識にもほどがある。
今年ははっきりとそう思った。

子供が通う園の発表会、ホールを借りてやるので席数も多い。
そのためか、祖父母が両家揃って見学というパターンで、皆さん遠方から来られる。
うちの子供も、祖父母がみてくれることを楽しみに練習を頑張ってきた。
だけど、うちの母(祖母)が来ない事は、長子も3年目となるとさすがに弁えていて
まだ何も連絡する前から「どうせ(私の母は)来ないでしょ」と言っていた。
何故来ないのか、理由を聞く事はまだないけど。
もし、この子が大きくなった時、その理由が「祖母が創価学会の活動にハマってて孫の発表会より
そちらの活動を優先していたから」なんて知ったら、どう思うのだろうな・・・。
暗澹とした気持になる。
子供には、創価の「そ」の字も教えたくないし、知られたくない。


私が昨年まで容認していたのに、今年になって(認識が変わったと)目くじらたてて
母をそのことで責めたりするのも、おかしいと思い。
とりあえず断られるのは100%承知で、母に日時の連絡だけは入れた。
母の答えは「あらそう、残念だけどその日はOOでXX(会合)があってね~。
◎◎さんの折伏を手伝ってるから忙しいし、ちょっと無理だわ」
やっぱり。
昨年まではこのような返答も「それなら仕方ないね~」と軽く聞き流せたけれど
今年は、表にはしなかったが怒りを覚えた。

母にとっての「家族」って一体、なんなのだろう?とも最近考える。
単なるパーツでしかないのかなと。 組織流に言えば「手駒」か。
家族のつながりよりも組織が大事で、何よりも組織を優先するというその傾向性は
やはりカルトと呼ばれても仕方がないんじゃないかと、思う。
私もマインドコントロール下にいたときはそんな「家族より組織が大事」という言動、行動を
全く疑問にも思っていなかったのだから、我がことながら恐ろしい。
本当に、目が覚めて良かった。

孫の成長、いましかない成長の一瞬を見守ることよりも
消息不明じいさんの下で、そうとは知らずに無償で働かされている事の方が大事で有意義なんて。
そんな母の晩年は本当に「幸せ」なのだろうか?

たぶん死ぬまで目は覚めないんだろうけど、覚まして欲しい。

報恩感謝

2013年02月18日 | 現在進行形
マインドコントロールの一つのキーワード「報恩感謝」
これも思考停止へと促し・組織の呪縛から逃れられないようにする言葉だときのう気がついた。

今月の同時中継を必ずみにいくようにと実家母・バリ活ちゃん・地元の婦人部員A(アスペ傾向あり)から
メールが届いた。
諸事情で、手元に入場券は来ていない(これはまた時間が経ったら書きたいと思う)。
入場券があってもどうせ行かないけど(笑)。

3人とも、ナイツの体験発表がとてもよかった、是非聞いて欲しいとの事。
外部の人が見ても感心するような内容だから友達を連れて行ってもいいと思うよ、とか。
いやいや、ありえませんし・・・と思いながら読んでいた。

実家母が同中に行けとメールしてくるのは珍しい事じゃないけど、婦人部員Aがメールしてきたのは
びっくりだった。この人は、私とは所属地域が違うのだ。
こちらに引っ越して来てしばらくの間、ヤング婦人部?のくくりで一緒だったけれど今は違う。
ここ数年、連絡も途切れていた。メアドも消していたので、最初届いた時は誰だかわからなかった。
ただ、ナイツの体験が良かったからぜひ見に行って欲しいの後ろに「お子さん、新入学ですよね?」と
うちの長子が何処の小学校に入学するのか打診する文章があった。
まだ、ママ友探ししてるの?この人?と呆れた。
残念ながら(?)Aの子供とは一緒じゃない。メールに返信はしなかった。

バリ活と、実家母のメールに共通のキーワードがありそれが「報恩感謝」と「先生への感謝」だった。
私はそれを読んで、背筋が寒かった。

バリ活ちゃんのメールには、ナイツの体験がとてもよかったことを前置いて
「ともどもに(ナイツと一緒にってことか?)先生の御作りになった組織で活動をできることに
深く感謝したし、自分もまた頑張ろうと思えましたよ」という感想。

”先生の御作りになった組織”????

ちなみに、バリ活ちゃんは創価教育出身者だから、ナイツにシンパシー(笑)を感じているとおもう。

実家母のメールには
「私は若いころ本当に体が弱くて医者にも30歳まで生きられないと言われたほどだった。
それが今もこうして元気でいられる。組織についてきたおかげだ。報恩感謝の日々です」
とあった。

”組織に就いてきたおかげ(で元気)”????

組織って押しつけがましいんだよなー。
両方のメールを見てそう思った。

自分が頑張ったお陰もあるだろ色んなこと。 周りの家族や友人のお陰だってあるじゃん。
実家母でいえば、健康状態がよくなったのは父と結婚してぬくぬく専業主婦で暮らせたお陰だろ!
と思ってしまう。 食べる事住むところ着るもの、結婚するまでは貧乏家出身で困っていたと
聞いた。
偶然父と知り合って、父がそういったことに苦労しなくてすむ属性の人だったからじゃないか。
なんで組織のお陰なんだよ。馬鹿かと思った。
まず感謝すべきは「父」じゃないのかって。
こういうところが母はすっぽり抜け落ちていることに、父が亡くなって、私が組織からはなれて気づいた。
誰よりも何よりもまず「組織」のおかげっていう、盲信的な姿勢。

感謝って言葉も組織時代本当に、耳にタコが出来るくらい聞いた。全てに感謝しながらーとかいいながら
一番感謝すべき対象は誰なのか?となると、組織に居る人間は全員、池田テンテーに感謝しろと
いうような教えが確実にあった。

そして厄介なのは、感謝するだけじゃすまないってところ。
「ありがとーございました」言うだけじゃだめなのよね。感謝で終わらせない。
組織が重要視してるのはむしろ「報恩」のほうだったりする。

テンテーのお陰、組織のお陰で、自分はここまで立派になれた・健康になった・成長できた。
それを「返せ」って言うんだよね・・・(笑)。
返さない人の事を「忘恩の輩」って貶すんだよね・・・(笑)。

報恩感謝って、ぱっと聞くとイイ言葉だけど、組織においては物凄く、いやらしくあさましい。
必ず見返りを求めるのだ。
無償の愛なんてものはないのだ。
師匠が弟子に、感謝しなよ、さぁ何か(金・無理なら労働力・もしくは票)よこせなんて、普通言うか?!
大聖人様はそのような主義では絶対になかっただろう。
まさに主師親として、弟子たちを我が子をいつくしむように包み込んで、成長・繁栄を手放しで
喜んで下さっただろう。それだけで、いいじゃないか。

また「報恩(感謝)しないと地獄に落ちる」的刷り込みも、マインドコントロールの一つの手法。
感謝の思いで組織に報いることこそ重要と、師弟の道として教え込まれている。
目は死んでても「組織に感謝」っていう、バリ活の多い事。
本当にすごいシステムだなーと、感心する。でも絶対誉められるもんではない(笑)。

そして、私の実家母だけなのかもしれないが?いや、一寸考えると、周囲の創価脳の親世代に
とても多い傾向なんだが、我が子に対しても「見返り」を求めている人が多くて、ぞっとする。
ここまでしてやったのに!的な考え方。
それは、組織に絶対服従しない子供への不理解に現れる。恐ろしいことだと思う。
あんたが大きくなったのも、組織のお陰なんだよ!的な押しつけ。
家族という枠の中で、感謝すべき対象として「他人」を入れる時点で狂いが生じる。
仏間に飾るのは、先代の祖父祖母の写真だけでいいはずだ。
そこを、日本人かどうかも良く解らないじいさんの写真を飾って崇拝させる。どう考えてもおかしい。
家庭の中で誰よりも子が尊敬すべきは、両親や祖父母や御先祖様。
そういった、ごくあたりまえの教育が、組織にドはまりの家庭だと成されない。
どこぞの消息不明じいさんが一番正しくて尊敬すべきで、じいさんの為にお役にたてる人材に!
なんて育てられた日には、目も当てられないと私は思う。
私自身はそこまでプロパガンダされてなかったが(テンテーの写真も家に無かったし)
実家母は、誰よりも何よりも組織が大事という姿勢は崩さなかった。今もそう。
こんな家庭で育った私は、おかしいんだろうなと、自分が親になってから困惑するシーンが非常に多い。
組織脱会をされた方の体験を読むと、自分がACであることに気づいて親と距離を置くと同時に
組織離れをしたという話しもあって、非常に頷ける。

私は、主人と結婚して、義理の両親の子供への接し方や親子の距離感に、ものすごい違和感を覚えた。
甘やかしすぎじゃないのと、思ってしまったのだ。
だがしかし、こちらで出来たママ友と触れ合っていると、主人の実家のような親子関係がわりあい
多いことに気がついた。うちが変だったんだな、とその時に解って、ショックだった。
自分の子供への接し方が、果たしてこれでいいのかと思い悩む事も多い。
私は実家の母を手本にしてはいけないんだ、これは肝に銘じている。

組織脳の御花畑の住人は本当に大事なところを見落としてる。
感謝すべきところも、恩に報いるところも、間違ってるぞ。

そしてナイツの人達・・・漫才は好きだけど、プロパガンダに使われてお気の毒。



使命

2013年02月14日 | 四方山話
「使命がある」
組織で繰り返しつかわれていた言葉だ。
何か辛い局面で、その場から逃げだしたくなったり、不本意な立ち位置にあるとき
組織の人は必ずと言っていいほど「使命があるから(その場所で)頑張れ」というような事を
言っていた。
以前書いた「意味のない事なんてない」「全ての事には意味がある」と同じく、「使命がある」も
現状に疑問を抱かせないように・全てが組織の都合がいいように・どんな結果が出ようとも
すべてを「功徳」と受け止めさせるための詭弁だったと、最近気がついた。

私はこの「使命がある」という言葉が、青年部時代すっごく好きだった(笑)。
”君には君にしか成し得ない使命がある”
そんな事言われて、喜んでいた。
まるで自分が特別な誰かになったような気分。
つまんない自分でも、使命があるんだ。
私は家族や親せきの中で学歴コンプを強く感じていた。自慢できるような経歴も何も無くて。
どんな場所にあっても自分にしか成し得ない使命があるなんて、素敵だと思った。
ただ、その使命が「友を救うこと」=折伏=組織へ入会させることだと、組織が教えるのはどうかと思う。
また、それにまんまと騙されてしまった、脳内花畑だった私も本当に馬鹿だった。

先日、子供を送迎の帰り道、運転しながら考え事をしていた。
どうしてこの街にきたんだろうな?と漠然と思った。
主人と結婚したからなんだけど(転勤で来た)、私は当時はまだマインドコントロールの最中にあり
この転勤にともなう遠方での新生活も「使命がある」のだと、思いこんでいた。

そのときに、ずっと忘れていた事を思いだして自分でも驚いた。
実はこの転勤、断ろうと思えば断る事も・他地域に行く事も出来たってことを。
詳細は書けないが、主人の一存で決まった事だった。
私は内心、別の地域(希望を出せばそちらにもいけた)のほうがいいのになーと思いながらも
主人の打診に、嫌だとも、こうしてほしいとも言わずOKしてしまった。
なんでそうしたのかはもう忘れてしまった。 
衝突を避けたかったのかもしれないし、今ほど職種や会社について理解もしていなかったので
従っとけば楽だと思ったのかもしれない。
そこではっとしたのだ。
私は何につけ、自分でしっかり考え抜くという作業をないがしろにしてきたんだなと。
なりゆきまかせを、とりあえず「使命がある」と誤変換し、正当化してきただけだったと。

組織で使われる「使命がある」は、現実を見据えず、現状維持が一番と正当化する手段だった。

私が部長だった時代、メンバーのひとりが仕事をやめたいと相談してきた。
彼女は白蓮Gの任期中で、無職になる事は絶対ダメだった。そういう決まりが当時はあったのだ。
社会で実証を示す・女子部の模範でなくてはならないという、組織の方針で。
どうして仕事を辞めたいのか聞いてみたところ、いわゆるパワハラに遭っていた。
急に部署異動を命じられ、倉庫整理の作業員に。その仕事も午前中には終わってしまう。
午後はひたすら社内・社外を清掃させられる。
辞めて欲しいって事だと思うんですと、涙ながらに彼女は語った。
私は彼女に「使命あってその場所にいるんだから、簡単に去る事を考えてはダメ。
会社の人からやめろと言われてないんだったら、大きな顔して居続けたらいい。
掃除も、完璧にやってみたらいい。どんなことも経験だから。とりあえず(白蓮)卒業までは
頑張ってみよう」と言った。
彼女を励ましつつも、実際は組織の体面上、仕事は辞めないで欲しいという部幹部な願い。
転職も離職も個人の自由だし個人の問題で、組織がとやかくいうなんて本当におかしいのだけど
当時の組織では、部員が仕事を辞めたらその上に居る部長まで幹部から注意を受けるような
空気があった。
職場で実証を示すことが指針に掲げられていたから。職業を組織に把握され、無職やフリーターなんて
御法度だった。
仕事を辞める=甘えがあるせいだと厳しく戒められた。
また、幹部同士の中でも格付け(?)があって、優しい指導で人気のあった某幹部は、親の資産管理会社に
勤務していたが、あの人は本当の社会を知らないから甘ったれなんだ、などという人が居た(笑)。
銀行や学校、上場企業に勤めている幹部がすごいとされていた(あくまでも、私の居た地域での話)。

話がそれてしまったが、件の彼女はそのまま職場に居続けた。
すると3ヶ月後、会社が倒産。すぐに失業保険がおり、退職金も出た。
もし、思い立ったが吉日とすぐに退職していたら、退職金は殆ど出なかったということで
これを「功徳だ!」と一緒に喜びあった。ただの偶然なんだけど。
そのエピソードを大きな会合で活動報告したのだが、聞いた別の部長が同じく職場で行き詰った
メンバーにこの話をし、退職せずに頑張れと指導。
その部員さんは自律神経を患って退職する羽目になり、活動に出なくなったという事があった。
人によりけり、で、私の部員さんとは状況がまったく違ったのだと思う。
単なる偶然を「功徳体験」として語ってしまった事も、いま思えば罪だった。

「使命がある」これは非常に厄介な言葉だと思う。
たとえば、学校でいじめにあっている子がいるとして。今は転校も可能。
いろいろと手続きなんかあって、大変だけど、そこさえクリアできれば新しい場所で
子供はやり直すことが出来る。
そこを、組織根性で「使命がある、学校に居続けろ!いじめから逃げるな!」なんて縛りつけたら
どうなるだろう?
イマドキの子供なら、簡単に命をおとしてしまうんじゃないかなって気がする。

「使命」は、誰かから決められるものではない。
自分が感じて決めることだよね。今はそうだと解る。

なぜに、縁もゆかりもない、じいさんに「君の使命は広宣流布」などと決められなきゃならんのよ。
そう思いこむことが「幸福への道」になっているなんてどー考えたっておかしいよ。
ついでに言えばその押しつけ「使命」は、組織の金儲けのためのコマになるって事だしね(怒)。
とんでもないジジイとその一味。くたばれ職業宗教家ども。

自分の使命なんて自分が決めたらいいんだ。 

組織における「使命がある」も、思考停止のひとつの号令だったんだろう。
イイ言葉だが、大いに、使われ方による。

プロパガンダ

2013年02月13日 | 現在進行形
連休に義両親が泊まりがけでやってきた。
あちこち出かけてばかりで、家事・用事もろもろがすっかりたまってブログを書く暇が無かった。

このブログ、最初は1日2-3人のアクセスだったけど、近頃は増加。
更新が無い日でも、見に来る人もおられる模様。
それが、消息を心配してのことなのか・罰でも当たりやがれとバリ活に見張られているのか(笑)
よくわからないけど。
組織の活動をしなくても、籍を置きつつも心は鬼・反逆者でも(笑)・永遠指導者を否定批判しても
財務しなくても・新聞購読やめちゃっても・選挙は別の政党に入れても、全く罰なんかあたらずに
平穏に暮らせて行けますよって事を、組織の矛盾にほんのり気がつきつつも、罰論に縛られるあまり
組織を拒否できず、悩んでいる現会員の方に知ってもらいたいので、ブログの更新は継続していく。
たとえネタがなくなっても(笑)。
本当に、組織で脅しをかけられるような罰みたいな悪い事、なーんもおこらないから、
安心して非活・組織拒否の道へ進んで欲しい。

そして、罰でも当たりやがれと思っているバリ活には、鏡で自分の顔を良く見てもらいたい。
師匠の悪口や組織を誹謗するとは!こんな奴は地獄に堕ちろ!そんな風に思ってパソコン眺めている
その顔は、幸福王女でも、獅子王でもなんでもないよ。
不幸のかたまりみたいな顔だよ。

私は、敵を作ろうと思ってやっているわけじゃない。
組織でバリ活だった時は、否定する者・馬鹿にする者は、みんな敵だった。
「敵」と思う事は別に悪いことではない。でも、組織ではその「敵」を看過することは悪とされた。
敵と思われるものは、徹底的に打ちのめせ!叩き潰せ!そんな教えが確実にあった。
師匠や組織に逆らうものは全て「仏敵」。
私の青年部時代(20年ほど前)それは主に阿部法主のことだった。
組織は、阿部法主打倒を祈念するよう会員である私たちに促した。
阿部法主がどこか地方へやってくるなんて時は、悪天候を祈願していた、婦人部が(笑)。
私はそのような風潮になじめなかった。
組織にあって、それに対して異を唱える事はしなかったけど、従いもしなかった。
だって私にとって阿部法主はリアルに「敵」じゃなかったからさ。
あった事も、言葉を交わした事もないその人を「仏敵」だといわれても、はいそうですかとは
受け入れることが出来なかった。
だけど、周りの熱心な活動家はいとも簡単にそのことを受け入れた。
テンテーを、学会を破門してきたのだから「敵」に決まってるんだと。
組織側から一方的に聞かされた破門理由をうのみにし、敵と決めつけ、打倒・罵倒に狂乱した。

これら一切が、会員が自発的に行った事じゃない事は、私と同じ年代のひとや・それ以上の
年代の人ならよくおわかりだと思う。
上から流れてきた方針だったから、末端会員は従ったまで。
その当時のトップは誰だったか。
永遠の指導者入りした消息不明の御老人ですよね。
平和を指揮し世界を牽引する人が、どうしてそんな「小我」なことに拘ったんだろうね。
テンテーを師匠とあおぐ人はおかしいと思わないの?
そんな小我な人を「師匠」と呼ぶ事を、恥ずかしいと思わないの?

私はべつに宗門側の肩を持つつもりはない。
阿部さんもトンデモな説法を数多くしているようだし、いまの宗門は組織のコピーにすぎない。

組織が、テンテー自身が、この宗門問題をうまく利用して「師弟不二」プロパガンダを
行ったことはまちがいない。
ある意味、この宗門問題を契機に神格化をはかろうとしたんだ。
そしてうまい具合に騙された会員が今も熱心に活動を続けてるんだろう。
組織の上層部は悪くても、テンテーは悪くない。テンテーは絶対だ。
そういう人は、みんなこの神格化にていよくだまされた人だと思う。目を覚まして欲しい。

宗門問題が起こるまでは
「仏敵を恨んで、恨み切って、完全に倒さないと正義とは言えない」などという
原理主義な指導は聞いたことが無かった。
「師匠の敵は弟子が倒す」これもしょっちゅう聞いた幹部の言葉だ。
こんな狂った事を教える組織の唱える「平和」って、なんなのさ?(笑)
対話で解決とか言いやがるけど、法主のことは呪い殺そうとしてたじゃん。
私は忘れないよ。
それが法主じゃなくたって、命ある人を「打倒」しようとしていたという事実。
この時は、たまたま阿部さんだったってだけだよ。
次はそのターゲットが、どこの誰になるか分からない。
そのときまた、テンテーの為にと、誰かを呪ったり恨んだり怒りをもって責め抜いていくわけ?
上からそう言われたら、それもそうだ!それが正しい!って従うわけ?
それをやることが正義と信じて疑わないわけ?
自分は直接被害をこうむって無くても・師匠の敵だからと恨むわけ?
その行動が「信心」で、功徳があると思ってるわけ?
んなわけねーだろ。 目を覚ませ。

記念提言とやらも読ませてもらったけど、キレイゴトだったね。
「生命の尊厳」を基軸にした文明のビジョンねぇ~。
生命の尊厳とか、どの口が言うのか。
仏敵と呼ばれる人が、病気になったり、死んだら喜ぶくせに。

自分にとっての本当の敵は誰なのか、バリ活な人や師弟に心酔している人はよーく考えてみて欲しい。
そして、仏敵だと思う相手が実はあなた自身の敵じゃない事を自覚してほしい。
無駄なエネルギーを使うべきでない。
もっと建設的な、あなた自身の、有意義なことがらに時間もお金もつかうべきだよ。

矛盾

2013年02月08日 | 現在進行形
妊娠が契機で仕事を辞め、専業主婦になって早や7年。
子供が小学校に入ったらまた仕事をしようと思っていたが、二人目が生まれて
下の子が小学校に入る頃には、私は50歳近くなっている。
主人の転勤もあるだろうし、おそらくもう、働く機会はないかもしれないと最近思っている。
年のせいか何か一つやると一つ忘れてるなんてことも多くなったし、ケアレスミスも多い。
仕事をしていた時は、もっとちゃきちゃきやれたのにと、退化に不安になることもある。
平和ボケしすぎたかもしれない。

同い年で子供をもち、社会の第一線でいきいきと働く兼業主婦の友人たちを本当に尊敬する。

この地域に来てすぐに再就職を決めて働き始めた時、
婦人部員からたいそう驚かれたのを思い出した。
「早くお仕事、辞められるようになればいいわね」
まるで我が家の経済状態がよろしくなくて、仕事に出ているような言いがかりをつけられた事も(笑)。
組織の婦人部は、専業主婦で昼間は活動にいそしむのが当然!という思考回路からくる言葉に
何度辟易したか知れない。

また、出産後に専業主婦となっても、組織の活動に一切出ない私に向かって
「暇でしょう?一体昼間、なにやってんの?」と聞く婦人部員もいた。
私はこの問いかけに驚いた。
子供の習いごとの付き添いや送迎、公園に行ったり、友人と会ったり、ランチや買い物に行ったり、
何かと出かけているから昼間暇だなんてありえない。
そういった一切の行動・機会を組織に奪われてしまって、それが当たり前になっている婦人部員からすれば
きっと想像もつかないことなんだろうな、かわいそうな人達、そう思った。

先日、実家母と電話。
私も昔からよく知っている先輩(女子部の幹部だった)の子供が、不登校児であると聞いた。
そうなった原因はいじめではない。高校受験ができないとの事。
私はその子供が赤ちゃん~幼児期だった頃を知っている。
鮮明な記憶があって、法戦のとき。
投票当日、拠点宅で婦人部がえんえん御題目をあげている(うるさい)部屋の片隅で
座布団の上に寝かされていた。
昼間だろうが、夜の会合だろうが、どこにでも連れて来られていた。
実家母は、気の毒だという感じで
「いつ拠点に行っても(親子で)いたからねぇ。あの子は小さい時、公園なんて連れてって
 もらってないだろうね」と。
確かにそうだろうな、と思った。
親の都合で引っ張り廻されて、子供らしい時間まで奪われた。
その歪みが不登校という形で出てしまったんじゃないのか。
子供は完全なる犠牲者。

私の母は、夜の会合は殆ど出ていなかったが、昼間は出ずっぱりの婦人部員。
私が子供時代、学校から家に帰っても母は不在がちで、母が専業主婦にもかかわらず
「カギっ子」だった。
夕飯に総菜が並ぶ事も少なくなかったし、学校関係のいろんな準備が間に合わなくて困った事も
多かった。
そういった不満を、私以外のきょうだいは父にすぐ言いつけて問題化していたが
私はどんなに迷惑こうむっても、父に言う事はせずに母を庇っていた。
組織がらみで父から怒られる母を見るのが嫌だったから。
私が多少嫌な思い・寂しい悲しい思いをしても、母が怒られるのを目の当たりにするよりましだと
考えて。
いま思えば、子供時代の私も完全なる被害者だった。
また、家の事もろくに出来ないのに(こなさずに)組織の活動に時間を忘れて夢中になってしまう母も
マインドコントロールの被害者なのだと思う。

また、組織の婦人部は専業主婦であることをドヤするわりに、暮らしぶりはそれほど裕福じゃないのも
よくわからない。どういった了見なのかと。
中には裕福な方もいらっしゃるけど、大半はパートに出た方がいいんじゃないの?と思うような
いでたちの人だし。
組織内ではそれが当たり前だから、恥ずかしいとも思わないのかな(笑)。

婦人部員が、兼業主婦を見下げていた事を、本当に滑稽に思う。
自分たちがどれほど偉いと思い上がっているのか。
組織にていよく騙されて、たいして余裕があるわけでもないのに仕事もせずに
テンテーの為に!と走りまわり、時間もお金も奪われて。
子供の世話も相手もろくにしないで、それのなにがどこが「一家和楽」なのかと。
本気なのか?あんたたち?と疑う。
このような状態を「洗脳」と言わずして、何と呼ぶのだろう?

そういえば、私が折伏した友人はワークだが
結婚後、移住した先で婦人幹部が振込用紙を持ってきたとき
「OOさんは忙しくて活動に出られない分、財務で組織を支えていかなきゃね」と言われたとの事。
何口するのか、暗に聞かれたと。
彼女は幹部の問いかけに閉口したが、その幹部は
「XXさん(同じ地域で、彼女と同じ職に就いてる婦人部員)は、普段活動が出来ないぶん財務で
闘ってるの。そういったワークさんが多いのよ」と言ったという。
まるで”昼夜の会合に出られない分、稼いでるんだから金をよこせ”って言ってるようなものだ。
普段は兼業主婦を「昼間の活動が出来なくて可哀相」などと見下げておきながら
「組織を支えるために金よこせ」よく平気でそんなこと言えるな。呆れる。
私が兼業主婦だった頃、いまの地域の婦人部からこんな事は言われなかったけど、地域性も
あるんだろう。
彼女の住んでる地域は、財務に必死な幹部が多い印象がある。
(そんな友人も、脱会をひそかに決意していたようで、来月会うのが待ち遠しい)

私は婦人部員としての活動歴が殆ど無く、籍を置きながらも傍観者の立ち場だった。
バリ活婦人部と触れ合うたびに、変なの、と思う所や違和感は山ほどあったが、そのような偏見を
もってはいけない・同志を悪く見ては行けないという「洗脳罰論」に縛られていた時は
それほど、異常だとは感じていなかった。
だけど、はっきりと覚醒した今は、婦人部員というものはバリ活になればなるほど、おかしいと思う。
組織の発展が自身の幸福、家族の幸福にもつながるとか、ありえないし。
まずが日蓮大聖人はそんなことを一言も仰ってないのを自覚・自認すべき。
カウンセリングを受けるなりした方がいいよ、ほんとに。

Xデイのあと、心理カウンセラーは大忙しになるんじゃないかと思う。
今から勉強・資格取って開業しようかな、なーんて(笑)。