I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

2013年01月31日 | 30代の出来事(女子)
先日、25年来の友人と久しぶりに長電話をした。
このお正月、会いたいと言ってくれたけど互いに時間があわなくて叶わず。
悩みというか、聞いて欲しい事があったよう。
子供が寝た後にかけ直して、2時間ほど。
私はただ聞くだけで、彼女の心が軽くなるような言葉を最後にかけるようにした。
彼女は、それで少し気がまぎれたのか、「思い切って電話して良かった、ありがとうね」と
言ってくれた。
なにかあったら、いつでも連絡ちょうだいねと返事をして電話を切った。
その後にふと、思い出した。
私は彼女を一時期、積極的に折伏していたこと。
セミナーに誘ったことが原因で、一時期音信不通だったことを。


部長をやっていた頃、折伏セミナーと称して芸能人・著名人を招いた講演会が
たびたび行われていた。
友人を連れて参加すると、見込みのある友人(外部)は、終了後にその芸能人・著名人と
膝つき合わせで対話ができ「一緒にやろうよ!」「一緒に頑張りましょう」など声をかけられ
それですんなり入決・場合によっては当日中の本流が行われる事があった。
田舎町で、芸能人と直接会えるような機会は滅多とない。
そんな状況で、舞い上がって入会を決めてしまう若人(笑)。
また、友人を連れて行く事は必ず地域の幹部(壮年婦人)にも周知徹底が原則だった。
セミナー終わりで、おじさん・おばさん・青年部幹部が友人を取り囲んでのクロージングが
義務付けられていたから。
それで喧嘩になって帰って行く友人さんも多かったみたい(苦笑)。

私の友達に、(芸能人ならなんでもいいというような)ミーハーな人はいなくて
「OOさんが来るから話を聞きに行かない?」と声をかけても、首を縦に振ってもらえる事はなく。
誰もが知ってる歌手や女優さんもやってきたけど、私はその回に参加できなかった。
友人を連れて行くのが絶対条件だったから。
たった一回だけ友人を連れて行けたことがあって、そのときに来たのは男性ミュージシャン。
音楽好きの友人を誘う事が出来た。
その友人は、結婚を控えていた。
入決カードを書いてくれたが、その後が進まず。実家の両親がアンチだから仏壇をおくことは
絶対出来ないと、本流を断られていた。
なので私は、結婚を機に入会してもらえないだろうかと淡い期待を抱いていた。
しかし、彼(=婚約者)に理解があったわけじゃない。
本当に馬鹿というか、考えなしだったが、彼女がやるなら彼も従うだろうくらいに軽く考えていた。
それが原因で破談にもなりかねないのに、自分がいかにお花畑の住人だったかよくわかる。
自分たちがやっていること(折伏)は「善い行い」だから、解ってもらえるはず!という考え。
組織は偏見を持たれているけど、入ってみればいいところだから、解ってもらえるはずという思いこみ。

私も例にもれず、きっちり幹部に友人と参加の旨を連絡済みだった。
セミナーが終わると、顔見知りの婦人部が2人走ってこちらに来た。
その場にとりあえず友人と私を座らせると、婦人部の一人が「ちょっと待ってて!」と走って
幹部を探しに行く。
今日のセミナー、どうだった?と軽く感想を聞きながら、走って行った婦人部が幹部を連れてくるのを待った。
私は出来れば女子部幹部を連れて来て欲しかったが、つかまらなかったのだろうか、
やってきたのは、容赦なく厳しい指導で有名な圏婦人部長だった。

圏婦人部長は私にどこまで対話が進んでいるのか状況を尋ねた後、彼女に向き直って
「どれだけ彼女(私)があなたを思っているか、解りますか?」というような質問をした。
いま思うとどんだけ恩着せがましいアプローチなんだとビックリ。でも当時は、私の思いを
代弁して下さってる!くらいに思っていた(大馬鹿)。
彼女は有り難いと思ってるけどー・・・と、初対面のオバサンに迫られている状況に戸惑いを
見せながら、明確な答えは避けていた。
すると、圏婦人部長がどういうわけか「因縁」の話を始めた。
宿業にはいろいろある、と。
圏婦人部長が彼女に会うのはこの時が初めてだし、私は圏婦人部長に彼女の事を話した事もない。
彼女のバックグラウンドやら何やら、全く知識が無い圏婦人部長。
にもかかわらず、おそろしいほど、圏婦人部長は彼女の身内や親戚に次々とおこっている
(あまり、一般的には聞かない)珍しい「事故」について話し始めた。
私はそれを聞いて鳥肌が立った。
彼女もビックリした様子で、私に向かって「話したの?」と聞いてきた。私は「なにもしゃべってないよ」と否定。
圏婦人部長は「えっ、もしかして、そういう目に遭っているの?」と。
単なる偶然なのかもしれないけど、神がかり的だった。
テレビ番組でよくある、霊能者がその人の誰にも明かしてない過去を言い当てるみたいな
あれとそっくりで。
圏婦人部長は「だったら、あなたの中にもそういった生命があるってことだよ。
気づいたあなたが立ちあがって、一族の幸福を祈念していかなきゃ。悪縁を切って行くんだよ」
と諭した。
”そうそう、圏婦のいうとおり!”私は横で大きくうなづいていた。
だけど、彼女は顔面蒼白になって、怒りの表情で言った
「なんだか、このさき私が不幸になることがもう決まってる、って言い方ですね」と。
えっ・・・そんなこと何も言って無いよ?! 私は狼狽した。
彼女は「初対面の人に、そんなこといわれるなんて。もうこれ以上、お話したくないです。
帰らせて下さい」と言った。
圏婦人部長の後ろに控えていた婦人部のオバサン2人はあちゃー、という表情だった。

圏婦は顔色一つ変えず「いいでしょう。この時点で深く縁を結んだのは間違いないし
あなたの心の中に風を起こせただけでも十分です」というようなことを言った。

圏婦は私に向かって「もうちょっと深く対話してからまた連れて来てね」と言った。
まるで、私の仕事が足りてないと言わんばかりに(笑)。

その後、彼女の結婚式に私は招かれなかった。
「呼ぶね」っていってくれていたにもかかわらず。
でも、その気持ちはわからなくもない。
結婚を控えて幸せな気持ちでいるときに、水をさすようなことをしてしまったのは私だから。
私からはお祝いだけ贈って、その後も連絡を控えていた。
向こうからも、連絡なし。

その2年後に私が結婚しましたハガキを送付したことで、また連絡をとるようになった。

組織色を出したとたんに、完全に縁を切られてしまった友人もいる。
でも、何も変わらずにずっと付き合ってくれる人もいて、私はそういう人を「すごい」と思う。
色眼鏡で人を見ていないって事だと思うから。
私という人間をみて、つきあってくれているのかなと、最近そう思うようになった。
数々の無礼があったと思うのだけど(組織がらみで)許してくれているのか、寛容だな。
そんな、いま繋がっている人達とのご縁を、これからも大切にして行きたい。

件の彼女でいえば、悩みのさなかにいる。
やはり、法華経を信じ受持して行く中で、乗り越えて行って欲しい。
私は私なりの方法で、彼女にも法を広めよう。


被害者

2012年11月30日 | 30代の出来事(女子)
20代後半で活動に戻った際、同い年のメンバーで見知らぬ顔が居た。
一人暮らしの彼女(以下Vさん)は、常に口元にハンカチを当てていた。
目がうるうるしていて、挙動不審で、ちょっと変わってる人という印象を持った。

そんなVさんは、話し始めると長い。
起承転結の無い話をだらだら続けて、一体何がいいたいのかわからない。
具体的な事柄では無く、抽象的な事を話し続けるが、内容は消極的なもので、私はVさんが嫌いだった。
なんのために信心してんの?といつも思っていた。

部の日で、幹部に入ってもらい指導を受ける時など、「Vさんは最後にしましょうね」と
司会者が先に言うほど。
幹部の指導になかなか納得せず「でもでもだって」で引きのばされるから。
次の人の発言時間がなくなってしまう。
ある時など、訳知りの幹部は「Vさんの話は会合終了後に聞くから残ってください」と言った(笑)。
Vさんも私も役職は無かったが、お互いヒラの時はまだよかった。
内心イラつきながらも、その場に居てやり過ごせば済んだから。

私が部長になると、Vさんは悩みの種になった。
かまってちゃんの傾向があって、会合に来て、じっとりしている。
学会歌をうたわず、下を向いて手拍子だけやって「どよーん」演出。
たぶん「どうかしたの?」と言って欲しかったんだろうが、私は無視して式次第を進めた。
ひとこと発言のコーナーになり、どうぞ、と促しても
口元にハンカチを当て伏し目がちに「何も無いです」とぼそっと言う。
イライラーとするが「そうですか、じゃあ次の人」とスルーして進行。
おそらく「どうかしたんじゃないの?話してみて!」と、聞きだして欲しかったんだろうけど
私にそのような心の余裕は無かった。
翌日、圏幹部から私に電話があり、Vさんから苦情が入ったとの報告(笑)。
前任者から引き継ぎを受けてないですか?とも聞かれ、なにもきいてませんと答えたところ、
その日のうちに本部長が家に来て、Vさんの状態に就いて話してくれた。

Vさんは数年前に他地域から転入してきたが、以前の部では部長を務めていたバリ活。
結婚を機に女子部を卒業予定だったが、結婚式数日前になって相手が婚約破棄してきたとのこと。
原因は、相手の親(アンチ)の猛反対。
最後の最後、親の説得に屈した相手が去ったらしい。
通常、いったん女子部を卒業してしまったら、婦人部へ行くのがならわし(?)だけど、
彼女の場合は、入籍もせず・結婚式もキャンセルとなり、女子部には新部長もたったので、
今更出戻れないというか、地域で宙に浮いた状態になったらしい。
居辛くなり、この街に一人で引っ越してきたとの事。
挙動不審だったりするのは精神を病んでいるからで、扱いには気をつけて欲しいという話だった。
私がイライラしやすい性格だということを見抜いていた本部長は
「しょうらんさんにとっては、しんどい相手だと思いますが、特に弱っている”仲間”ですから。
Vさんのことだけは、あたたかく、見守っていく姿勢でお願いします」と。
いつも口にハンカチを当てているのは、人と会うと吐き気がするからだというので
「それって、会合に出ることで余計悪くなりませんか?」と本部長に尋ねたが
「彼女に、そう言った事(活動を休んではどうかと)あるんですよ。
でもね、活動に出ていないと、不安で不安でたまらなくなるそうなんです。
だから、かえって活動に出ている方が、彼女にとっていいのかもしれないって上はそういう意見です」と。

これは、えらいことだと思った。だけど、聞いた以上は接し方に注意をはらわないといけない。
そう思った私は、次の会合からは接し方を変えてみた。
彼女の発言を根気よく聞くようにした。
ただ、若いメンバーが多くて、飽きてしまうのか、中にはVさんの発言中に携帯をいじりだしたり
解るように、ため息をつく子もいた(笑)。
以降は幹部になるべく入ってもらうようにして、Vさんを受け止めてもらうようにした。
とてもじゃないけど私では無理だと思ったから。
腫れ物に触るように接していると、自分まで、おかしくなりそうだと思っていた。


その他、関わっていく中で、いろいろな問題が起こり、幹部に入ってもらい対処してきたが
私の心中は常にもやもやしていた。
Vさん、なんとわがままな信心(活動)なのかと。
活動がしたいなら随自意で、と思うが、常にお膳立てを求めるVさんに私は納得がいかなかった。
そして、活動をすることで「元気になる」というよりは、活動にすがるが故にますます精神状態が
悪くなっている気がした。

その後も、数々、私の方針にモノ申すだったVさん。
非常にやりにくかったが、そのたび幹部の友達に愚痴っていた。
彼女いわく「Vさんって、前地域の部長の中でも一番結果出してて、バリバリだったらしいよ。
きっと、今も本当は自分が部長をやりたくって仕方がないんだろうね」と。
圏幹部の中にも、Vさんは苦手だと公言している人物がおり、指導の内容に対して納得できないからと
方面女子部長に直訴された(あの幹部が変ですと)ことがあるらしい。
そこまでやるか?と驚いた。
「自分に耳あたりのいいことだけ聞きたいなんて、それは指導じゃないのにね。彼女、指導受けるのが
大好きなんだよね。かなり、歪んでるんだろうね、可哀相だけど」圏幹部の友達はそう言った。

弟子の誓願1000万が終わり、私が引退する事になった時、
Vさんが「実は私も」と未婚のまま婦人部へあがることを発表した。
どうしてそうしたのか、当時はわからなかったが、今になって思うと、私の後任部長がかなり若く
(20代前半)ますます、そりが合わなくなって部に居づらいと判断したのではないかと推察。

数年後、Vさんは結婚・出産をし、そのまま地元に住んでいた。
母を通じて、時折Vさんの近況を聞いた。
育児ノイローゼになって以降、活動に出て来れなくなり
現在は、子供と一緒には暮らしていないとの事。
母は、地域の自治的な役割もしているので、Vさんに関わっているが
「あの人だけは、なんでかなーって思うね。信心しているのに」と複雑な表情で言う。

Vさんも、組織の被害者だ。
結婚が組織のせいで反故にならなければ、精神を病まなくて済んだかもしれない。

精神を病んでもなお、活動を休む事が出来ず、活動にすがり続けたのだって
「活動をやめたら不幸になる」という刷り込みから、恐怖感で、追い込まれたのだと思う。

まじめで、まっすぐな人ほど、害を受ける。
もちろん、悲しい事があっても
(彼女と同じように、外部との結婚を、婚約破棄された経験ある内部の友人がいるが)
乗り越え、前向きに、すべてを拓いて行った人もいた。
こういった人は、信心活動云々の前に、もともと胆力があるのだと最近は思う。だから、乗り越えられた。
(そして、このテのタイプは、組織がなくても生きられる)

だけれども、Vさんのような、根っから弱い人には、組織の教えが仇になる。
組織自体が、仇になってしまったように見える。
本当は、自分で気づいて、自分で立ちあがってというプロセスが必要なのに、そこに組織が
常にあることで、堕落性依存になったのではないかと思う。

きっと、内部の人は「組織はひとつも悪くない、本人の資質の問題」と言いそうだが
そうじゃないんだよ。
組織の教えそのものが、自己矛盾だらけで、組織の都合いい事ばかりになってるから
そのことで実生活に影響をきたし・深く心に傷を負う人が出てくるって現実を、もっときっちりと直視すべき。
「信心が足りない」などと、組織の理論で、簡単に片付けんなよって思う。


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先日みたテレビ番組で、心理学者が言っていた。
「洗脳とは、暴力・脅迫行為などで従わせることを指す。
 マインドコントロールとは、こちら側へいらっしゃい、楽園だよ?と呼びこんで本人の意思で
 入るようおびき寄せ、管理していくことを指す」と。

組織のやってる事、洗脳+マインドコントロールどっちもあてはまるじゃん!、とハッキリ解った。

これ以上、被害者を増やしてもらいたくないと、願っている。

成仏できない

2012年11月25日 | 30代の出来事(女子)
部長をやって居た時、あまりにも日程が詰まりすぎで、不満とストレスを感じた事があった。
折伏戦なのに、友達に会う暇なんてない。
久しぶりに会う友人に、いきなり折伏の話なんてしたら失礼。
相手がしゃべりたいこと(近況等)ひととおり聞いてから、会話の糸口を見つけたい。
ゆっくり時間を取りたい。私はそう思っていた。
(余談・当時、折伏の結果は出て居なかったが、対話数が3桁超えという人がいて、役職もあるのに、
どうすればそんなに話せるの?と聞いたら、1時間きざみでファミレスに友人を呼び出して
1日3~4人と対話したと聞いて、唖然とした。そんなことしてたら、嫌われて当たり前)

あるとき、本部単位の部長会で日程のすり合わせをした。
ぎっしりスケジュールの合間に、報告会を入れたがる本部長に対して
私は思わず「それ、OOの会合後に短時間の報告会で良くないですか?」と口をはさんだ。
わざわざ1日1件の日程をとられてしまうより、1日2件の方が効率的。
主要メンバーが全員揃う日なのだから、好都合じゃないですか?と提案。
だけど、本部長は、その報告会にめったに会合に入ってもらえない県幹部を呼んでおり、
県幹部の日程に合わせたからこうなった、仕方が無いんですと説明。
だけど私は、不満だった。1日でも、空いてれば、誰かに会う事ができるかもしれないのに。
私が釈然としない顔をしたのを見て、圏幹部の一人が「そんなに都合が悪いの?だったら欠席したら?」
と言った。
そうじゃなくて、これだけ毎日スケジュールが詰まっている上に、この1日を報告会でつぶされたら
私一人でなく、此処に居るみんな(部長や本部長)も、外部と会う時間がなくなってしまう。
別にその日が都合が悪くて言った訳じゃなくて、時間も機会も有効に使いたいんです、と言った。
そして、だいたい、今月まったくフリーな日って数日しかないんですよ?どうやって折伏するんですか?
外部と会うべき時なのに、どうしてこんなに内部の集まりが多いのか意味が解らない、と本音を言った。
すると、圏幹部からこう言われた。
「あなたの言い分もわかるけど、一つとして無駄な会合なんかないことを、部幹部なのだから
肝に銘じて欲しい」といわれた。
この言葉を聞いて、内心「そんなわけない」と反論していた(笑)。
私から見れば、なんのために?と思う会合が幾つもあった。たとえば活動者大会。ひどいときは、
4者・圏単位女子部・県単位女子部と、月3回もあった。
それぞれ内容は少しずつ異なるが、そんなに大会ばかり開いて、どうなのよ?と思っていた。
士気を高める目的なのは、わからなくないけど、やりすぎだろうと。
せめて1回にして、残り2回がなければ友達に会いに行けるのに。
組織のやりかたは矛盾している、そう思った。

後日、県幹部が入った報告会が催され、出席。
終了後に指導を受けたらいい、と本部長から言われたので、私は正直に日程が詰まりすぎな件を
県幹部にぶつけてみた。
顔色一つ変えずに言い分を聞いた後、県幹部は言った。
「本気で折伏をやれる人は、たとえ30分の対話であっても決めてくる。
時間がたっぷりないと折伏できないなんていうのは、おかしい。一念が重要。
あなたの言い分は、わからなくないけど、はっきり言って、大事なことから逃げようとしているだけです」と。
活動に合理性を求めたらいけないのか?と問うた所、ダメだといわれた。残念ながらその理由は忘れてしまった。
私は納得いかなくて、黙ってしまったが、県幹部に言われた
「あなたは、声聞・縁覚の生命ね。頭はいいんです。だけど、それが仇になっている。
頭がいいだけでは仏の境涯になれないんだよ。
信じて、祈って、最高の力を出していく。先生のために、部員さんのために、組織の為に、って
祈って、忙しくても弱音を吐かず、時間をやりくりして友達にも当たって行く。
素直な信心ができない人は、成仏できないよ?」と。

「成仏できない」なんて言われて、私は相当ショックで、その場でノートに書いた。
帰宅後、声聞・縁覚について改めて調べたところ「慈悲や利他の心に欠ける」とあった。


全くこの指導は納得できなかったが、確かに私はドライで、なんでも割切って考えすぎるところがあった。
だから、ご指摘は間違っていないと思った。
だけど、私の性質と・組織の日程をもっと合理的にした方がいいとの「改善要求・提案」は
立て分けて考えてくれても良いのではないかと、釈然としなかった。

マインドコントロールのとけた今、この指導を思い返すと、解釈が変わる。

結局は「組織のいいなりにならないと、成仏できないよ?」ってことが言いたかったんだな、と。

素直な信心=組織のいいなり。

会合日程を馬鹿みたいに詰めるのは、求心力が落ちないように・女子部(の幹部や活動家)を
よそ見させないよう、内部で縛り上げておくためだったんだ。
今の私は、そう解釈する。

しかし、成仏できないとか、まじめに活動してても、言われてたんだから、どうなのよ?って思う。
組織の方針に対してちょっとでも異を唱えると「成仏できない」はめになる、矛盾しすぎじゃないの。

でも、法華経で二乗作仏が説かれてるって、組織の教学(勉強会)で教わったんだけど(笑)おかしいな。

どんな教義も、組織のご都合主義に使われている事が、大変良く解るエピソードでした。

後輩

2012年11月15日 | 30代の出来事(女子)
部長をやっていたころに、関わった部員さんの話。
彼女と私は、年齢差が14あった。当時18歳の彼女は、高校中退したフリーター。

母上はワークの婦人部員で、時折会合にでてくる程度の、バリバリではないタイプ。
娘が落ち着かない、女子部の活動に誘ってやって欲しいと言う。
年の近い部員さんとのほうが打ち解けるかな?と思い、21歳のリーダーと家庭訪問へ行った。
彼女はいかにもギャルでがっつりメイクに派手な髪の毛。
だるそうに出てき、少し世間話をして終了。

その後、21歳のリーダーに家庭訪問を任せていたが、居留守を使われるようになったとの報告。
会いたくないと、母上が対応に出るようになったと。
私単独で行くと母上が出てき、あなたでも無理だと思うよ、と言いながら部屋に呼びに行った。
彼女は出てきて、キレ気味に、もう来ないで欲しい。それだけ言う為に出てきた。次からは
誰が来たって絶対出ないと言った。
何かに怒っている様子なのを見て、私「わかりました。ただ、今後の参考のためになんでそうなったのか
教えて欲しい。
(21歳の)リーダーや私が何か失礼な事を言ったなら謝罪がしたい」と伝えた。
彼女は、21歳のリーダーに言われたことで気を悪くしていた。
活動に出て、就職を目指して祈っていったらどうかとリーダーに言われたとの事。
リーダーに悪気は無く、母上から「バイトでは無く、ちゃんと就職して欲しい」との希望を聞いていたので
そのように持ちかけたらしい。
彼女は「自分はやりたいことがあってフリーターの立場でいたいと思っている。でも、具体的に
(やりたいことを実現するため)どうしたらいいのかわからない」と話した。
やりたいことって何?と聞いたがその日は教えてもらえず。
私は、人間関係を作って行けるかもしれないと思い、私一人で家庭訪問に来るのは大丈夫かな?
会合に誘ったりしないから、普通にしゃべるだけでいいのでと言ってみた。
彼女がOKしてくれたので、月1-2回行くようにした。

回数を重ねるうち、彼女が夢を語ってくれた。
クリエイティブな道に進みたかったが、高校中退がネックで「どこへ行っても相手にされない」と
彼女は思いこみ、とどまっていた。
私はたまたま、別の本部に彼女が希望している職業に就いている部員がいることを思いだして
「その人に直接どうしたらいいか聞いてみたらどうか?会合で会えるよ」と提案。
彼女は警戒心を示して、それはいやだ。私に話を聞いて来てくれと言う。
了解し、連携を取って話を聞かせてもらい、彼女に伝えた。
大卒が多いが最近は専門卒の人も増えてきていること。
専門学校は、高校中退でも入学が可能なところで、奨学金の制度や、夜間もあることなど教わり
資料を取り寄せてあげた。

彼女は感激し、大喜びだった。
誰にも、どこにも相談が出来なくて(当時はインターネットもここまで普及しておらず)
諦めかけていた夢に向かって、彼女は行動を開始。
アルバイトをかけもちし、学費をためるべく前向きに。
金髪に近い髪の毛も、がっつりギャルメイクも、次第にナチュラルに変わっていく。
会合にも都合がつく時に参加してくれるようになった。
その後、彼女の親戚の助けもあって彼女は東京の学校へ進むことになった。
彼女からも、母上からも感謝された。
私は、自分にできる簡単なことをしたまでで、頑張ったのは彼女自身ですよと言った。

その後、私は結婚し地元を離れ、彼女に会う事もなくきたが年賀状のやり取りは続けていた。
昨年、彼女から「結婚しました」はがきが届いた。
メアドが書いてあったのでメールしたところ、東京で希望した職業に就き、そこで知り合った人と
結婚したとのこと。
私はその業界に全く明るくなく、ご主人が会社経営していると聞いたので興味本位でネット検索をした。
すると、その業界では有名なお方のようで、ビックリした。
本当に夢をかなえて、幸せになった事が解って、心から嬉しく思った。

彼女は組織の活動には殆ど出ず、役職に就く事も無かった。
当時、彼女が少したちあがった状況を上の幹部に話したところ
「それは早く昼間の仕事に就いてもらって、女子部で活動を!(バリ活候補に)」
という声もあったが、私は無視した。
彼女の夢をかなえるために、勤労時間を奪ってはいけないと思ったから。

今は状況も変わったと思うが、当時は女子部は昼間の仕事で正社員をやるのが当然、という
打ちだしだった。
これって、社会的信用を得なさいって事だったけど、暗に財務要員を増やすためもあったんだなと
今思う。 フリーターや、非正規雇用のメンバーに対して、幹部は常に厳しい指導をしていた。
「先生の為に就職を勝ち取り社会で実証を!」よく聞いた言葉。
10年ほど前なので、まだこんなこと平気で言えたのだろうが、今はどんな指導をしているんだろう?

彼女は自分の努力と、もってうまれた運と、本人の祈り(純真な心から発せられる、正しく自分の未来への祈念)
で幸せを掴みとったのだと思う。

へたに組織活動にとりこまなくて本当に良かったと、今思う。


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部長会では次なる活動家の掘り起こしに、部員状況を上の幹部に話すことがあった。
私は、全く会えないメンバーは除いて、家庭訪問で応対に出てくるメンバーを
極力庇うようにしていた。
特に私のいた地域は仕事が忙しいメンバーが多かった。
家庭訪問に出てきてくれて、年に1回でも親について新年勤行会や同中に出てくればそれでいいじゃんって
思ってた。
信心も活動も本人次第。
周りがけしかけて、本人がイヤイヤやっても意味無い。

だけど、上の幹部は、仕事が忙しく活動に出て来れないメンバーに対して
「時間革命ができてないからだ。祈って、時間革命して、活動に出てこれるよう指導すべき」と言った。
私は、その場では「そうですね」と答えたが、上幹の言いつけは守らなかった(笑)。

また、メンバーに対して、会合も結集率をうるさくいわれるものについては必ず行くように伝えたが
そうでないものに関しては、遊びの予定が先に入ったなら遊び優先でもかまわないと教えていた。
活動で、20代の若い時間をがんじがらめに縛られるなんてアホくさいと思ったからだ。
それは自分が途中未活になった経験があったから言えたこと。


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私が可愛がってた後輩は、皆未活になっている(笑)。
うち数人はいまも青年部。
たまーに、地元地域の人から「(活動に)出てくるようにあなたから言ってやって」と言われる事もあったけど
一切言わないようにしていた。
活動は自己責任だと思うから。
だから私はメンバーに「一緒に頑張ろう」と言った事は一度もない。
「よかったら会合に来てね」とは言ったけど。
一緒に活動しようとか、先生云々って話はしたことがなかった。

マインドコントロールがとけた今、言わなくて良かったと心底ほっとしている。
テンテー賛美も、やらなくてよかった。
心に無いから言わなかっただけだけどさ(笑)。

さんざんテンテー賛美してる組織人が、真実に目覚めたらさぞかしきついだろうなと思う。
だから、気付くのが怖くて、目と耳をふさいだ状態で、暴走しているのか。

Xデーがきたとき、そのひとたちは、どうするのだろうか?

述懐⑪

2012年10月25日 | 30代の出来事(女子)
「祈らせてください(祈ってもいいですか)」といわれたことが
20代始めと30代の頃にあった。

20代初めにそう言ってきたのは15歳年上の幹部(仮にPさん)
私が未来部時代の担当者で、当時部員会で紙芝居やゲームなどしてくれた
楽しいお兄さんだった。
暫く会う事もなく、数年ぶりに再会した私が22歳になったというと驚いていた。
私からすればPさんは親戚のおじさん(お兄さん?)感覚。

組織のイベントで同席する機会が増えた頃から
Pさんがスキンシップをとる(腕・肩に触ってくる)ので気持ち悪いと思っていた。
会館で偶然会った折り、ハグしようとしてきたことも幾度(当然、かわした)。
別の部員男子から「しょうらんはPさんのお気に入り」と聞かされ困惑したり、
組織イベントの打ち上げで、無理やり隣に座らされたりということもあったが
私がPさんを恋愛感情で見ることは無く、対象外の先輩に変わりは無かった。

その後もPさんは何かと親切・フレンドリーに接してくれたが
組織を離れたところで会う事はなかったし、誘われた事も無かったので
多少気に入られている事はわかっていたが、かなり年齢差もあるし
”きっと親戚の子を見るような感覚なのだろう”と思っていた。

白蓮に入りしばらくたった頃、Pさんと偶然近所で会い立ち話を。
近況や活動内容を話す中、Pさんが私に「唱題(数)目標はあるの?」と聞いてきた。
任期終了までに100万遍と決まっていたが、なかなか思うようにあがらないですと答えた。
(余談・・・任務の前日は1万遍と決まりがあり、活動もあるのできつかった。
 睡眠時間が削られるので、いつも朝の通勤電車で寝ていた)
するとPさん「じゃあ俺もやる。一緒に100万遍達成しようね」と言って来た。
なにゆえ一緒に?と思ったが、そうですね、やり切りたいです!と返すと
「しょうらんの事を祈ってもいいかな?」と聞かれた。
意味が解らなかったので、どういう意味ですか?と私は聞いた。
Pさんは「言わなくてもわかるでしょう」と、照れながら去って行った。
まさかこれが交際申し込みや愛の告白だなんて誰も思わない。

その後も普通に組織で顔をあわせていたが、祈りの件は話題に出ず。
任期が終わった頃、4者の会合帰りにPさんから呼びとめられた。
それが初めての誘いらしきもので、このあと時間があったらお茶でもどうかと。
断れずに指定されたファミレスに行った。 人目に着きたくなかったのか、隣市だった。
暫くたわいない話をしたのち、Pさんは
「100万遍は達成できたの?」とたずねてきた。
未達だったので、いいえと答えるとガッカリした様子で
「約束したじゃん!」と言われる。 
なんだか嫌な予感がした。
Pさんは達成したと言い、さまざま思いを語った後
「ずっとしょうらんの事を祈ってきました。結婚して下さい」と言った。
私はその場で「好きな人がいるので、ごめんなさい」と返答。
Pさんは「だめかー」と言って暫くうなだれた後、「ありがとうございました」と手を出して
握手を求めてきた。
「これからも同志として互いに頑張りましょう」と。
非常にさっぱり・さわやかだったけれど、私は内心パニック状態。
いきなり結婚してくださいって、いくらなんでもそれはない、と困惑していた。
Pさんを恋愛対象として考えたこともなければ、改めて考える事も無理だったが
祈りの事実が重たくて
ふった事がものすごく悪い事のように思え、暫く落ち込んだ。
当時はまじめだったから。 

いま思えば、妙齢の活動家(Pさんと同世代の独身女性)は当時多数いた。
どうしてその方々ではなく私にターゲットを絞ったのか。
そういえば私が30代のときにも、同じように20代狙いの中年男子幹部が居たのを
さっき思い出した(笑)
結局、自分よりもうんと若くて信心の浅い・組み敷きやすい女子が良いって事だろうか。

この件はPさんから口止めされたので、先輩や組織の友人にも内緒にした。
後に付き合う彼にだけ話したが、当時のPさんは部の挨拶で
「個人の大きな目標完遂の為100万遍に挑戦中」と言っていたとの事。
目標が何なのかは語られなかったが、そういうことだったのか、と。
彼「何も言えない」と感想を述べていた。

その後、Pさんは未婚のまま壮年部へ移る。
活動で会っても何事もなかったように接してくれたのが幸いだった。

私が主人と結婚する直前、母が「黙っていたけど、以前こんなことがあった」と話してくれ
地域の幹部(壮年)から縁談の打診があったというもの。
母は、私を30歳まで嫁にやる気はなく・まして10以上も年の離れた男性は困ると
相手の名前は聞かないでその話を断ったらしい。
母はスペック(年齢と職業)から相手はPさんだろうな、と思っていたと。
時期も職業も同じなので、私もそれはPさんだと思う。
この件、誰が主導で動いていたのかは解らないけど、本人に言ってもダメなら親を攻略って事?と
大層驚いた。

30代で活動していた頃、兼任で短期間入った地域のリーダー男子からも
「祈らせてください」と言われた事があった。
まだそちらの地域に顔を出して1-2ヶ月、時折挨拶を交わす程度で
ちゃんと話した事もなく、名前もうろ覚えの時期だというのに。
その人もPさんと同じく40歳目前・失礼乍女性に縁のなさそうなタイプだった。
このときはもう言葉の意味がわかっていたので「結構です」と即お断りした。 

当時40歳になったら未婚でも壮年部へ行くルール?があった。
どうせなら結婚して壮年部に行きたいとの、いわば「かけこみ状態」だったのかも
しれない。

また、Pさんは一人で仕事をする自営業者だった。
幅広い意味で広布に青春を捧げたタイプだと思う。
管理人ではなかったと思うのだけど(G城会でもない)夜の会館には常にPさんがいた。
どんなイベントにもPさんありで、一年中、夜遅くまで休むことなく活動していたと思う。
外部の女性と知り合う時間もなく、内部で探す以外に無かったんだろうなと思うと
(本人が選んだ道ではあるが)お気の毒。
そういった方はわりに多く、ひと世代前だと有無を言わせない縁談(見合い)もあったと聞いたが
最近はそれも無くなったようだと母から聞いた。

結婚前、部員女子の同級生たちで食事に行った際
この話(「祈らせてください」)をしたところ
あるある状態で、半分くらいが経験者だった(笑)
中には2ケタ人数から言われたツワモノも居て、これって口説きの常套句なの?
誰かが「これさえ言えば掴みはOK」と教えてるの?指導?まさかねー!と
話題になったが、謎。
私のいた地域での、当時の流行だったのかも?

ある程度仲良くなってからの「祈らせて」は有効かもしれないけれど
実際の使われ方は随分と距離なしだった。
同志だからプロセスすっとばしでもキーワードだけで通じ合える、という誇大妄想は
男女間だけでなく(人にもよるけど)組織内共通意識として存在するように思う。

そんなわけないのにね。