I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

2013年01月31日 | 30代の出来事(女子)
先日、25年来の友人と久しぶりに長電話をした。
このお正月、会いたいと言ってくれたけど互いに時間があわなくて叶わず。
悩みというか、聞いて欲しい事があったよう。
子供が寝た後にかけ直して、2時間ほど。
私はただ聞くだけで、彼女の心が軽くなるような言葉を最後にかけるようにした。
彼女は、それで少し気がまぎれたのか、「思い切って電話して良かった、ありがとうね」と
言ってくれた。
なにかあったら、いつでも連絡ちょうだいねと返事をして電話を切った。
その後にふと、思い出した。
私は彼女を一時期、積極的に折伏していたこと。
セミナーに誘ったことが原因で、一時期音信不通だったことを。


部長をやっていた頃、折伏セミナーと称して芸能人・著名人を招いた講演会が
たびたび行われていた。
友人を連れて参加すると、見込みのある友人(外部)は、終了後にその芸能人・著名人と
膝つき合わせで対話ができ「一緒にやろうよ!」「一緒に頑張りましょう」など声をかけられ
それですんなり入決・場合によっては当日中の本流が行われる事があった。
田舎町で、芸能人と直接会えるような機会は滅多とない。
そんな状況で、舞い上がって入会を決めてしまう若人(笑)。
また、友人を連れて行く事は必ず地域の幹部(壮年婦人)にも周知徹底が原則だった。
セミナー終わりで、おじさん・おばさん・青年部幹部が友人を取り囲んでのクロージングが
義務付けられていたから。
それで喧嘩になって帰って行く友人さんも多かったみたい(苦笑)。

私の友達に、(芸能人ならなんでもいいというような)ミーハーな人はいなくて
「OOさんが来るから話を聞きに行かない?」と声をかけても、首を縦に振ってもらえる事はなく。
誰もが知ってる歌手や女優さんもやってきたけど、私はその回に参加できなかった。
友人を連れて行くのが絶対条件だったから。
たった一回だけ友人を連れて行けたことがあって、そのときに来たのは男性ミュージシャン。
音楽好きの友人を誘う事が出来た。
その友人は、結婚を控えていた。
入決カードを書いてくれたが、その後が進まず。実家の両親がアンチだから仏壇をおくことは
絶対出来ないと、本流を断られていた。
なので私は、結婚を機に入会してもらえないだろうかと淡い期待を抱いていた。
しかし、彼(=婚約者)に理解があったわけじゃない。
本当に馬鹿というか、考えなしだったが、彼女がやるなら彼も従うだろうくらいに軽く考えていた。
それが原因で破談にもなりかねないのに、自分がいかにお花畑の住人だったかよくわかる。
自分たちがやっていること(折伏)は「善い行い」だから、解ってもらえるはず!という考え。
組織は偏見を持たれているけど、入ってみればいいところだから、解ってもらえるはずという思いこみ。

私も例にもれず、きっちり幹部に友人と参加の旨を連絡済みだった。
セミナーが終わると、顔見知りの婦人部が2人走ってこちらに来た。
その場にとりあえず友人と私を座らせると、婦人部の一人が「ちょっと待ってて!」と走って
幹部を探しに行く。
今日のセミナー、どうだった?と軽く感想を聞きながら、走って行った婦人部が幹部を連れてくるのを待った。
私は出来れば女子部幹部を連れて来て欲しかったが、つかまらなかったのだろうか、
やってきたのは、容赦なく厳しい指導で有名な圏婦人部長だった。

圏婦人部長は私にどこまで対話が進んでいるのか状況を尋ねた後、彼女に向き直って
「どれだけ彼女(私)があなたを思っているか、解りますか?」というような質問をした。
いま思うとどんだけ恩着せがましいアプローチなんだとビックリ。でも当時は、私の思いを
代弁して下さってる!くらいに思っていた(大馬鹿)。
彼女は有り難いと思ってるけどー・・・と、初対面のオバサンに迫られている状況に戸惑いを
見せながら、明確な答えは避けていた。
すると、圏婦人部長がどういうわけか「因縁」の話を始めた。
宿業にはいろいろある、と。
圏婦人部長が彼女に会うのはこの時が初めてだし、私は圏婦人部長に彼女の事を話した事もない。
彼女のバックグラウンドやら何やら、全く知識が無い圏婦人部長。
にもかかわらず、おそろしいほど、圏婦人部長は彼女の身内や親戚に次々とおこっている
(あまり、一般的には聞かない)珍しい「事故」について話し始めた。
私はそれを聞いて鳥肌が立った。
彼女もビックリした様子で、私に向かって「話したの?」と聞いてきた。私は「なにもしゃべってないよ」と否定。
圏婦人部長は「えっ、もしかして、そういう目に遭っているの?」と。
単なる偶然なのかもしれないけど、神がかり的だった。
テレビ番組でよくある、霊能者がその人の誰にも明かしてない過去を言い当てるみたいな
あれとそっくりで。
圏婦人部長は「だったら、あなたの中にもそういった生命があるってことだよ。
気づいたあなたが立ちあがって、一族の幸福を祈念していかなきゃ。悪縁を切って行くんだよ」
と諭した。
”そうそう、圏婦のいうとおり!”私は横で大きくうなづいていた。
だけど、彼女は顔面蒼白になって、怒りの表情で言った
「なんだか、このさき私が不幸になることがもう決まってる、って言い方ですね」と。
えっ・・・そんなこと何も言って無いよ?! 私は狼狽した。
彼女は「初対面の人に、そんなこといわれるなんて。もうこれ以上、お話したくないです。
帰らせて下さい」と言った。
圏婦人部長の後ろに控えていた婦人部のオバサン2人はあちゃー、という表情だった。

圏婦は顔色一つ変えず「いいでしょう。この時点で深く縁を結んだのは間違いないし
あなたの心の中に風を起こせただけでも十分です」というようなことを言った。

圏婦は私に向かって「もうちょっと深く対話してからまた連れて来てね」と言った。
まるで、私の仕事が足りてないと言わんばかりに(笑)。

その後、彼女の結婚式に私は招かれなかった。
「呼ぶね」っていってくれていたにもかかわらず。
でも、その気持ちはわからなくもない。
結婚を控えて幸せな気持ちでいるときに、水をさすようなことをしてしまったのは私だから。
私からはお祝いだけ贈って、その後も連絡を控えていた。
向こうからも、連絡なし。

その2年後に私が結婚しましたハガキを送付したことで、また連絡をとるようになった。

組織色を出したとたんに、完全に縁を切られてしまった友人もいる。
でも、何も変わらずにずっと付き合ってくれる人もいて、私はそういう人を「すごい」と思う。
色眼鏡で人を見ていないって事だと思うから。
私という人間をみて、つきあってくれているのかなと、最近そう思うようになった。
数々の無礼があったと思うのだけど(組織がらみで)許してくれているのか、寛容だな。
そんな、いま繋がっている人達とのご縁を、これからも大切にして行きたい。

件の彼女でいえば、悩みのさなかにいる。
やはり、法華経を信じ受持して行く中で、乗り越えて行って欲しい。
私は私なりの方法で、彼女にも法を広めよう。


2013年01月30日 | ファミリー
実家の母を見ていて思った事。

母は、折伏(本流)をかなりの数している。
独身時代に20所帯ほど。これは大行進時代だったから出来た話のよう。
「にこぽん」とかいう言葉があった時代。

ただ、その方たちと今も交流があるかと言えば答えはNo
現在は、二人としか連絡をとっていない。うち一人は退転している。

私が子供の頃、たびたび家を訪ねてくる、ちょっとご陽気なおばちゃんがいたのだけど。
幼心に、この人変わってるなぁと思っていて。姉など本気で嫌っていて、訪ねてくるたびに
怖がって奥の部屋にかくれていた。
今考えると、その方は、知的障害者だった。
自分で判断して入会したとは到底思えない。
それは、本当に相手の幸せを願った「折伏行」だったんだろうか?
誰でも、よかったんじゃないの?って思えてしまう。
ちなみに、このおばちゃんは、実家が借家から持ち家に変わったタイミングで来なくなった。
同市内のそう遠くない距離に家を建てたのだが、これは私の憶測だけど、母は新住所を
おばちゃんにわざと教えなかったんじゃないのか?と思ったりする。
本当にぱったり来なくなったから。
今度母の機嫌のいい時に聞いてみよう、真相を。

ここ10年くらいの間にも、母は何世帯か折伏をしている。
数年前、母があまりにも折伏のために出歩くので(毎日のように相手に会いに出かけ、遅くまで
帰ってこない)父が怒って大げんかになり、仲裁に入った事もあった。
私は、母がなぜにそんなに必死なのか意味が解らなかった。
当時はまだマインドコントロール下にいた私だけど、母の折伏の姿勢は理解ができないと思った。
相手の方は、子供に恵まれず・つれあいに先立たれた独居老人だった。
母は「ご安置しやすい・家族の反対が無い」という理由で相手をターゲットにしていたよう。
そんな理由で?と、心底呆れた。
それって、相手を救ってあげたいとか幸せにしてあげたいって出発点じゃないじゃん、もはや。
「本流し易そうな人だから」って、それって折伏行?
しかも、相手は一人暮らしが寂しい、という悩みがある程度(というのもおかしいけど)で
健康状態も良好、経済的にも不自由のない人。そこそこお友達もいて、立派に自活している方だった。
全ての人に法華経をたもたせてあげるのが大前提ではある。幸・不幸関係ない。そうなんだけれども
母のやらんとしている事が「とにかく本流できたもの勝ち」のように思えて、酷く違和感だった。
母は期限を切っていて、組織のいわゆる「記念日」に照準を合わせていた。
そのため、時間が無いと、焦って日々会う約束をとりつけ半ばストーカー的に相手をおとそうと
していた(と見えた)。
私は、母に「相手の気持ちを全く無視している!それは違う気がする」と意見した。
すると母は「そんなことはない。相手は揺れている。迷ってる。だからこっちが腹を決めて
一念を決めて挑まないと決まる物も決まらなくなる。そのための期限設定なんだ」と反論。
私「そうじゃないでしょ?あなたがそう考えてたとしても、相手にも時ってもんがあるんだよ。
あなたの話聞いてると、あくまでも組織に利するようにとしか聞こえない。相手の都合なんか
全然考えてないと思う。成果上げたいってそれだじゃん」と言い返した。
それに対して母は
「いいじゃないの。私たちを闘わせてくれるために目標設定があるの。相手の時も、こっちが決めて
やるくらいじゃないと、折伏なんかできないんだよ」と。
こんな言い草、全く納得できなかった。
母には言わなかったけど、私は思った「結局、組織から誉められたいだけじゃん(呆)」。
その方への本流は実ったが、後日喧嘩をしてしまい、今は交流が無い。
母の折伏は、そのようなケースが結構ある。

また、必死で折伏アタックをかけていた人物に対し、母は物品を贈ったり何かと親切にしていた。
ところが、その人が別の学会員からも同じく折伏を受けており、その人からもあれこれ恩恵を
受けている事を知るや否や「人をばかにしている!」と、相手を切り捨てた。
折伏の親は一人なのだ。 どっちから入ろうかな~なんて、入会をエサに時間を稼ぎながら
利益供与(そんな大げさなものじゃないけど)を受けているなんて許されない!と。
このときも、母の怒りの方向が私にはよくわからなかった。
折伏精神って一体なんなんだろう。この人にとっての折伏って???と、首をかしげた。

私が、組織の活動に必死な母を見ていて、ずっと違和感だったのがこの「成果主義」だった。
なんでもすごく頑張るし結果も出すけど、そこには慈愛がない。
相手を心から幸せにしてあげたいという思いを感じないのだ、残念ながら。
やったらおしまいで、実際の話、面倒を見れているとは思えないし。
とにかくこの日までにとか、この数字にしたいとか、そんなことばっかりに必死になっているように
見える。

そうなってしまった背景に、母の生い立ちが関係してくると思うのだけど。
母はいつも、誰かに誉められたい・認められたいと思う気持ちが人一倍強い。
組織の中にそれを見出し、虜になってしまったんだろう。
そうなってしまったことは、かわいそうだとしか言いようが無い。
人生、もっとほかのことに充足感を求める事も出来れば・自己肯定感を高めることだって出来るよ。
なにも組織じゃなくたって。というか、これほど愚かな事もないように思う。

これは自己責任で、組織が悪いわけじゃないと、いわれるかもしれない。
だけど、母のような人を「利用」しているのは、明らかに組織だろう。
数さえ上げれば誉めたたえて。
少々後始末がわるくても、組織に直接迷惑かける問題じゃなければ見て見ぬふり。
結局、実動部隊として数稼いで・金稼いできてくれればOKって体質じゃん。

毎回おんなじ結論になっちゃうけど
やっぱり、組織なんか要らないと思う。

理由

2013年01月28日 | 信仰・思索
組織の矛盾に気がついて、組織脱会を決意しても、大聖人様の教え・信仰を捨てようとは
思わなかった私。
それとこれとはベツモノと考えた理由のまとめ。

「捨てようとは思わなかった」と書いたけど、実は昨年11月時点で、揺らいでいた。

自分がこれまで「功徳」と信じてきた事象が、実はそうじゃなくて、単なる巡り合わせで
すべて偶然の産物だったのか?という疑問が浮かんだ時。
実は自分って”ポリアンナ症候群”だったのか?と愕然とした。
(物事のいい面ばかりを見ようとし過ぎて、問題解決に至らなくても現状で満足することを指す)

”願いをかなえる”という一点で見れば、100%の達成率ではなかった過去。
けど、思いもかけない事から護られたり・難を避ける事ができた経験が、私には多い。
それがご本尊様のおかげ・御守り下さったこと=功徳と捉えるとすれば私は大いに信じることが
出来る。
死んでいてもおかしくなかった状況から不思議と救ってもらった経験。

11月に疑いを持って、そのあと御書を読みなおしたり自分なりに勉強して行くうちに
私が拘っていた「願いが叶うという功徳」は、組織のプロパガンダのひとつだったと気がついた。
”法華経の行者を護る”ということに関しては繰り返し、はっきり御書に明記されている。
その点に就いて、私は沢山の体験をもっていて確信がある。
大聖人の言葉と教えの正しさを、この点で証明されているので、揺らぎは解消した。
ややこしいんだけど、「組織の刷り込み」と「大聖人の教え」が、ごっちゃになっていて
マインドコントロールを解く中で、それらを整理する作業が重要。
いまも作業の最中だけど、はっきり分けて考えれば、本当に大聖人の仰ることは「物の道理」
だと気がつくし、明確で解りやすい。

また、様々困難な出来事や、辛い局面にたったとき、大聖人の御書の一節が
私には大きな励まし・ご指南・癒しとなっていた。
「冬は必ず春となる」
超有名なこの一節も、何度も自分に言い聞かせて、辛い時期を乗り切った。
事あるごとに、御書の一節がぱっと頭に浮かんで、そうだ!と、折れそうな心を支えてくれた。
勿論、一時的に立ち直っても、また深く沈み込むときもあったけど。
「死にたい」と思うこともあったけど、いま自分の命を捨てるような事があってはならないと
思い直させてくれたのは、大聖人のお陰だったと思う。心の礎。
格言や座右の銘、すばらしい言葉を残した賢人は数多いけれど、私の中では大聖人様のご金言が
なによりも胸に響くし、顔を上げることが出来る。

プラス私の中で大きいのは、佐渡へ行った経験。
15年くらい前に観光で富山・新潟のついでに行き1泊した。
このとき、新潟の港から船(ジェットフォイル)で2時間近くかかって、私は驚愕した。
そんなにかかるの?と。 福岡ー韓国と変わらない。
天候のよい季節だったにもかかわらず、近代的な船で2時間もかかるようなところ。
大聖人御在世当時、こんな船はない。木造船だろうと思う。
晴れの日ばかりでも無かったろうに、数日かかって木造船で佐渡までたどりつけた点に
まず凄すぎると驚いてしまった。
いま思えば鎌倉時代は遣唐使より後の時代ということで、それほど驚く事でもないのだけど。
佐渡ではゆかりの地やお寺も巡り、佐渡金山も見学。
金山は大聖人と直接の関係はないけど、どれほど過酷な労働を罪人が強いられてきたのか
よくわかった。

明日の事も解らないような場所に身を置かれる。
雪深い地で、老齢にもかかわらず・環境もそれほど善くなかったであろうに、
重要な御書をしたためられ、生きて本土に再び戻られたというところに、感動。
流罪地で命を落とすことだって不思議では無いのに生きて帰られたのも、尊いことだと思った。
本で読んだり聞いた程度では全くイメージできなかったが、実際行ってみるとスケール感がわかって
「”佐渡流罪”なんてさらっと書かれてたけど、すごい事だなぁ」と思うようになった。
車もない時代、新潟の港までは徒歩だったというし、想像を絶する。
自分が同じ目に遭ったら?と思うと、島にたどりついた途端ストレスでおかしくなりそう。
どんな思いで佐渡に入られたのか。
日本を救うという大願に立たれているからこそ、潰れる事も、退く事もなく、
粛々と自身の使命を全うされたのだろうなと、その精神性・偉大さに平伏したくなる。

先日、種種御振舞御書を拝読。
この本文でも、佐渡流罪~身延に入られるまでの経緯を綴っておられた。
島流しに遭って、そこで命を落とす人も少なくない。
生きながらえたにしても、島から本土へ帰れる人はいないって事も。

そして大聖人が生涯をかけて成し遂げたかったこと、核に「国護り」があることをひしひしと
感じた。

あれから800年、今も日本はなんとか「国」として存在している。
お弟子さんが連綿と(宗派は別っても)ひろめ伝えてきたればこそ、危機的状況には何度も
出くわしてきたけれど、綱渡りのような中でも存続してこれたのか。
そんな風に思った。

これからも日蓮大聖人の思いを伝えて行かなければと思う。
子供たちに、生まれた国を故郷を残すためにも。

でも、そのために「組織」はやっぱ、ぜんぜん必要ない!

一人ひとりが自覚を持って、決して組織の益としてでは無く、日本の為にと語っていくことが
本当なんじゃないかなと、一個人の考え。


苛苛

2013年01月26日 | 現在進行形
先日、気の毒な話を聞いた。

20年前に友人から折伏を受け入会した活動家の女性。
私は10年前まで彼女と一緒に活動していた。
上からの頼まれごとは一切断らず、何でも素直に引き受けてやろうとする人だった。
「水の信心」と幹部が誉めたたえるほど。
凄いなぁと思う反面、本心を押し殺しているようにも見えて、私は時々心配だった。
彼女の頑なさが「NOを言ったら願いが叶わなくなる」という強迫観念からくるものなのでは?と
感じることが度々あったから。
(そこがちょっと、うちの実家母に似ているなと感じていた)
二世、三世は、わりとわがままな信心になりがちだけど、一世は本当に純粋な人が多い気がする。

彼女には「夢」があった。
その夢に向かっての現実的な努力+組織の活動を頑張ることで、絶対に叶えたいと、決意発表を
聞いた事もある。
普通の人が、事もなさげに叶えて行く彼女の「夢」。
なぜ自分だけと、不条理も感じると、複雑な胸の内を語る事もあった。
私はそのことに対して、ただ思いを聞くだけで意見(アドバイス)することはなかった。
そんな立場にもないし。
だけど内心は、こう思っていた「他の事に目(興味)を向けてもいいんじゃないのかな?」。
夢と言うよりは、固執し過ぎて別の何かに変わっているようにも見えて。
でも、祈りのなかでかわってゆくこともある。
彼女にとって、一番良い方向へ、それがご仏智だと私はそう思うようにしていた。

彼女はずっと活動家として頑張っていた。
直接連絡をとる事はなかったが、時折知人を介してどうしてるか様子は耳にしていた。
まだあの夢を追いかけているということもそのたびに聞いて、すごいな、執念だなって思っていた。
ただ、彼女も私と同世代。もう40歳を超えて初老にさしかかっている。
チャレンジに年齢は関係ないというけど、彼女の夢は、年齢が大いに関係してくる。
(年齢だけでは無い他の事も)
約20年間、その夢の為にと頑張ってきた彼女だけど、その夢が絶たれる状況になった。
それを聞いて、私は言葉が出なかった。
直接会う機会も今はないけど、もし会ったにしても、かける言葉が何も見つからない。
もし自分が同じ境遇だったらと考えると、暫く寝込みそうな気がする。
そして、無気力感が続きそうな気がする。
うつ病になってもおかしくないと思う。

事実、彼女は組織の活動に出て来なくなったという。
連絡はとれるけど、もう少し待ってください・元気になったら行きますというような返事。
その傷の深さ、悲しみの深さ、本人にしか解らない事だけど、傍目でこの20年を見ていた(知っていた)
者からすれば、彼女の気が済むまでそっとしておいてあげたくなる。
ていうかもう、組織の活動なんかしなくていいよ。
彼女を夢に固執させてしまった原因の一端が、組織にあるんじゃないかと、今はそんな気がしている。
その夢をあきらめるも・あきらめないも本人の自由。誰にも発表しなきゃよかったんだよ本当はね。
それを、組織の皆にも話していたし、なまじ真面目なもんだから、引っ込みがつかなくなったんじゃ
ないかなって気がする。 
同志の激励って無責任(笑)。
本当は、諦めましたーって言っても、あっそう・また別の目標に向かって頑張ろうね!で終わるんだけど
まじめすぎる彼女は、それ(諦める)が言えなかったんじゃ?と思った。
「夢をかなえる」事に、縛られてしまったんじゃないかなって。

この経緯を教えてくれたバリ活は言った
「いまは落ち込んでいるけど、必ずこの経験が生きる時が来る。何も卑下しなくていい。
むしろ、その夢が叶わなくてよかったんですよ。もう年なんだし。
諦めさせてくれたって事で、彼女にとってはこれが新しい人生を開く契機になっていくはずです」と。

私は、そんな言葉を軽々しく吐くバリ活ちゃんが信用ならないと思った。

20年間、追い続けた・叶えたかった夢なんだよ?
そりゃ私だって、内心「それは難しいんじゃ?」と思ってたよ、10年も前に。
だけど、本人はずっと一途だったわけじゃん。
その夢の為にと、(たいして関係もない)組織の活動も頑張って来てたわけで。
それを軽々しく「新しい人生を開く契機」とか、それ他人が・特に同じ組織の人間が言う事じゃないから。
本人の口からそれを聞くのならまだしも。
なんでそんな簡単に片付けるかな。所詮は他人事だからだろ(怒)。

思わず「それ、御本人に向かって言ってないよね?」と確認してしまった。
バリ活ちゃんは「え?なんで?」と私の質問の意味が解らなかったみたい。
呆れる。

組織の人は「同苦」とかいうわりに、簡単に人の悲しみをないがしろにする傾向があると思う。
同苦って、無責任に励ますこととは違うんだけど?

そして、バリ活ちゃんは
「彼女に一日も早く活動に復帰してほしい。戻ってくることで元気になる。命が躍動する」と言った。
私は「それはどうかなぁ?そんなの、あなたが決める事じゃない。彼女が決める事でしょ。
なにで元気になるかなんて、人によって違うよ」と返した。
バリ活ちゃんは、私に何を言っても無駄と思ったのか、醒めた笑い声で終わった。

ここ2週間、このバリ活ちゃんと電話やメールでやりとりしているんだけど
私って活動家のときこんなんだったのかな?と客観視して、ぞっとする。
こりゃ嫌われてただろうな!と(笑)。
無駄に前向きなのは、自分だけにしとけって思う。人に押し付けるものではない・・・。
でも、やっちゃってたなって。 深く反省。

偶像崇拝

2013年01月23日 | 現在進行形
先日話したバリ活ちゃんから、アツいメールが届くようになった、頻繁に。

私は、「脱会する」とは一言も言っていないのだが、組織の活動に参加したくないと言った時点で
危険フラグが立ったのだろう。引きとめっぽい内容のメールばっかなんだよね(呆)。

Xデイがきたら脱会。
それをいまバリ活会員にハッキリ表明しないで居るのは、体裁。 
親や親戚に連絡されて、一族総出で説得なんてことになったら、超ややこしくなる。
だから、非活宣言だけにとどめている、現在。

ただの非活ならまだしも、組織に対して反抗心を持っている事が解ったから、放置できないのかも(笑)。

相手は私に「不幸になって欲しくない」という。
でも、これっておかしな話だなと、マインドコントロールのとけた頭の私は違和感を覚える。
なんで、不幸になるって、決めつけるのかな?
それこそ、日蓮大聖人に対しての「不信」じゃないのか?
私は、(日蓮大聖人の教え・法華経の)信仰を捨てるとはひとことも言ってない。にもかかわらず。
創価を捨てる事=不幸になるって、そんなのおかしい話だろ。
いつから日蓮大聖人の教えは、創価の専売特許になったのよ?(笑)。
結局は、組織票が減ること・新聞その他の購読数が減る事・財務の口が減る事が、惜しいから
引きとめてるようにしか、私には受け止められない。

でも、バリ活のお花畑な頭の中をのぞくのは楽しいので(ごめんねー)
とどめは刺さずに、ゆるゆるメールのやり取り継続中。

内容を見ていると、私と彼女で決定的に違う所があると確信。
それは「師弟」。

繰り返し、ここで書いている通り、私は消息不明じーさんを、師匠だと思った事は
ただの一回もない。
女子部で薫陶(笑)をうけていた時代、幹部は耳にタコが出来るくらい「師匠のために」を連呼した。
「私たちのテンテー」これもよく耳にした。
いい子に見られたかった当時の私は、内心全く「師匠!」などと求める心が無くても
周囲の会員に向けて”テンテーを尊敬申し上げてます”という、ポーズはとっていた。
でも、活動をするにあたって「テンテーのために」などという思いは、ほぼ無かった。
俗な性格だと思うけど、対話も折伏も活動を頑張る事も、誰でもなく「自分と身近な人のため」。
勝利と称される、現実生活の充実だって、テンテーの為に達成する目標では無い。
あくまでも自分の為。 それと、この仏法が正しいと身近な(外部の)人たちに証明するため。
そこはまちがっても「組織の正しさを証明するため」ではなかった。
テンテーのことも、組織の事も、二の次。

バリ活ちゃんは
「テンテーの御心を知るには、多くの指導や書籍を読むべきです。読めばわかります!」とも。 

テンテーの著作、読んだことあるよ。
女子部の頃は課題図書のように、あれを読みなさいこれを読みなさいって、打ち出しがあったし。
そのたんびに全部読んでいたし、中でも女性抄は繰り返し読んでいた。
当時は「いい事が書いてあるなぁ」と思っていたけど、そのどれもが夢見る夢子の読み物だったなと
昨年末、捨てる前に再読してそう思った(笑)。
現実問題、そんな綺麗事ばっか通らないよという事柄。究極の理想論。いい内容ではあるんだけども
万人にあてはまるわけじゃないという。
そういえば、20代前半の頃、不倫関係に陥って悩んでいた女友達に、女性抄の一部をコピーして
渡したことがあった。
夫婦のあり方を書いた部分で、それを相手の男に読ませてみて。そのとおりの夫婦関係じゃないから
不毛だから奥さんとは別れてしまえっていいなよ!と、とんでもない事をけしかけたんだった(笑)。
友達は、持って帰って相手に読ませたが、確か反応は鈍かったとかで。
結局、煮え切らない相手にしびれを切らして友達から別れを告げてその件は終了した。

そんな余談はさておき、随筆なども結構読んだけど、今でも心に刻んでいる金言的なものは無い。
頭に残って無いというか。
人間革命の中にあった、戸田先生の「場所では無い、信心だ」という言葉が好きだったなぁ、って
そのくらいしか私の中には残っていない。

バリ活ちゃんは、とにかく師匠が大好きのようだ。
彼女の両親もたいへんな活動家で幹部をしていた。
これは、子供時代からの英才教育の賜物に違いなく。
「師匠は偉大」「将軍様は偉大」
仏間、リビングに、写真を飾られて、毎日のように親から賛辞の呪文を聞かされておれば
そんな風に育つものなんだろうか。おおこわい。 
私はそういった教育を家庭で受けて来なかったので、そこは本当に幸いだった。

また、彼女が語る組織・信仰とは=テンテーである事も、間違いなく。
まずテンテーありきで語られるので、私には全く響いて来ず。
どうしてそこまで、会った事もない、たいしてイケメンでもない(個人の趣味の問題か・笑)
じーさんに、あんなに夢中になれるのか、私にはさっぱり理解ができない。
一体、じーさんに何をしてもらったというのだろう?

そういえば私、昨年9月に財務がじーさんの思いのままに使われている?!と気づいた時
鳥肌が立つほどおぞましく、嫌悪感をおぼえたんだけど
「私はじーさんに何もしてもらってない! 書籍やら、パンギューを任務の時に貰った程度だ!」
と腹立たしかった。それだって結局は、じーさんのポケットマネーでもなんでもない。
私の母やおじやおばが貢いだ「財務」がまわりまわって私のパンと牛乳にかわったって、それだけじゃん。
スンゴイ、腹が立った、その時(笑)。
余談だけど、某所に接遇にいかされたこともあって(身バレしませんように★)
豪華な木の箱に入ったお弁当が出た。
こんなの毎回食べてるんですか?と常連さんに聞いたらにこっと笑って頷いてたよねー。
あれも財務から出たものかと思うと、一部の人たちだけそうやって甘い汁吸ってるってことで。
あと、20代の頃、出張先の某ターミナル駅にある高級うなぎ屋さんで上司とランチを食べていたら、
30代くらいの男女4人が隣の席に座って、組織マーク入りの紙袋持参。
4人ともいかにも幹部って感じのスーツないでたち。
後日、同中に行ったら、うち一人が登壇してた。
日常からいいもん食べてるんだなーと、感心したんだけど、いま思えばあれだって経費で落とたり
してそうだし。追及したら放蕩三昧、いっぱいでてくるんじゃないの。宗門以上かも。


彼女との、数回のやり取りで、あまりにもテンテーテンテーうるさいので
「申し訳ないけど、私の師匠はテンテーではない。
 その時点でもう、今の組織にそぐわない人間だと思いますよ?だから非活でおとなしく
 してるほうが、組織の為にもいいんですよ」と返信した。
すると彼女は
「そんな事は無い。師匠は弟子が立ちあがるのを待ってくださってる。今からでも遅くないです」とキタ(笑)。
いやいや、待っていらねぇ。そんなもの。
つか、私は弟子じゃないんだってば。
これは、どこまでいっても平行線だろうなー。

組織で言う「師弟」に、何の感銘もうけず、重要と思ってない私に、さんざん師弟を説かれても
まさに馬の耳に念仏。

この「師弟」を取り除かないことには、私は組織の未来には滅亡しかないだろうなって思う。
それと、師匠という「偶像」を一日も早くぶち壊す事。
お金と権力と支配欲に目がないじーさまだって現実を、見つめるべきだよ。