I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

さいごのF活動

2012年11月20日 | 40代の出来事
F活動を最後にしたのは、数年前の国政選挙だった。
といっても、既に未活だったので、目標を掲げてバリバリやったわけではない。
実家の母にけしかけられ、独身時代にいつもお願いしていた友達2人に電話をかけた。

ひとりは遠方に住む友人。中学高校の同級生。
近況をひととおり話終えた後「実は頼みたい事があって電話したんだけどー」と
お願いをする。
調子を変えることなく、至って普通に「うんうん、わかったー」と明るく対応してくれた。
互いに地元を離れているが、彼女は飛行機で数時間の距離のところにおり、なかなか実家に
戻ってくる事もない。
私がその地域へ遊びに行く事も、無い。
それでも「また機会があったら会おうね」と言い、相手も「そうだね」と返して電話を切った。
正直いうと、もう一生会う事はないかもしれないとさえ思う相手。
普段は年賀状を送るだけで、それ以外一切の交流は無い。
はっきり言えば、選挙の時にしか電話をかけない。
後味の悪さを感じながら、2件目に電話。

ふたりめは、地元付近の市に住む友人。大学時代の友人でバイト仲間だった。
独身バリ活時代に、何度かセミナーや同中に一緒に参加してくれた事もある。
もともと、会員の友人がたくさんいる人で、悪いイメージはもっていない(と私は勝手に思いこんでいた)
タイプ。
彼女とは、結婚後も子供が産まれたとき贈り物をしたり、帰省時にタイミングが合えばお茶や
ランチに行く仲だったが、連絡をするのは約1年ぶりだった。

電話に出るなり、彼女は言った「選挙だよね?」と。
どっきーんとした。
そのとおりなのだが、いきなり言われると、どぎまぎした。
「うん、そうなんだけど。結構もう、頼まれてる感じ?」と聞くと
「最近その連絡ばかりだねー。心配ないよー。ぜったい選挙には行くからね」と彼女。
ちょっとだけ、辟易している感じに聞こえて、私は申し訳ない気分になった。
そして「こんなときだけ電話してきて、って感じでしょ?本当にごめんね」と言った。
彼女は「全然。でもさ、みんな選挙が終わったら会いたいねーとか、ランチでも行こうねって
口だけなのよね。
しょうらんは遠い(遠方に住んでる)から仕方ないけど、すぐ近く(に住んでる)の人が
その調子だからさ。いったい、なんなのかって、思う時あるよ」と
今度は冷やかに言った。
私をかばってはいるが、組織の人間に対してのリアルな世間の声だと受け止めた。

F活動しまくりの(私たちと同世代ということは)婦人部員が、Fを頼んだ人たちと法戦後にそれぞれ
まともにお茶・ランチに行けばさぞや家計を圧迫するだろう(笑)。
嘘も方便状態でそのように(依頼ついでの、また会おうねとの社交辞令)言っているけど、言われる一般の常識人にしたら、
何度も繰り返し口先三寸を聞いていれば、しらじらしい気分になるのは、当たり前じゃないだろうか。
ママ友の間でも、口だけの人は確実に嫌われる。
いや、どんな世間においてだってそうだろう。
組織人は、もっとそういったことを自覚した方がいい。
会合で同じ世界の人とばかり集いあってるから、感覚がマヒしすぎなんだよ。

私は、これは彼女からの「忠告」と受け止めた。
そして後日、まったく何の用事もなかったが、無理やり実家に帰って、彼女を誘ってランチに行った。
これは意地だった。
自分は、他の心無い・常識をわきまえない組織人と一緒になりたくないし、そうは思われたくなかったから。

この経験から、F活動をやめた。
私はもともと(バリ活時代から)、選挙活動に「功徳」があるなどお花畑な考えは持っていない。
たいせつな友達を無くすのも、不愉快な思いをさせることも嫌だからやめたんだ。

「その程度の事(F活動)でなくなる友情なんか、最初から友達じゃないんだよ!」と
組織どっぷりの人は反論するかもしれないが、そういうものではない。
排他的かつ、絶対的に自分が正しいって考えは、捨て去らないと大変なことになる。
「学会正義」なんて信じてたら馬鹿を見る。

Xデー以降、精神崩壊する会員がどれほど出るだろうか。
いちにちも早く目を覚まして欲しい。

それにしても、12月16日の、選挙結果が楽しみでならない(笑)。

述懐23

2012年11月05日 | 40代の出来事
第二子が生まれた頃にこちらに新任でやってきた部幹のことを
「悪魔がきたりて笛を吹く」と私は名付けている(長いけど)。
(以降、悪マと呼ぶ)

この悪マのおかげ(?)で、私は今年9月、組織の本質に気がついてしまった。
自分がマインドコントロールにかかっていたことにも気がついた。

大嫌いな人だが、気づかせてくれて「ありがとう」(笑)。

@@@@@

家庭訪問で応対に出ると、そのたびに罰論で攻めてくる悪マ。
はっきり言って、脅し。
「そろそろ未活から10年でしょ。現証出てきたらどうするの」
「あなたに何も(障りが)なくても、お子さんや孫の代に出たら後悔しない?」
このようなことを平気で口にする。
「お変わりなくて良かった。福運貯金、たくさんあるのね」といやみをいわれることもあった(笑)。

居留守を使うようにしていたが、1年ほど前「してやられたり」な事があった。
たまたま、ネット通販で代引きの物品を注文して到着を待っていた朝。
見知らぬ携帯電話番号から電話がかかってきた。
私の地域の飛脚の人は、電話番号がバラバラなので登録していない(黒い猫さんは
同じ番号だから登録している)
代引きは配達前に必ず電話が入る。見知らぬ番号を飛脚さんだと思って1コールで電話に出たら、悪マだった。
「マンションの下に居るんで今から行かせてもらうね」と。
いつもの携帯番号と違ったので、「携帯変えたんですか?」と聞いたら
「ううん。さっきまで一緒だった@さん(地域のメンバー・私の知らない人)に借りたの」と言った。
これって確信犯?
自分の携帯からかけたら電話に出ないから、わざとそうした手を使ったんだなと思った。
以降、代引きの場合は黒い猫さんに限定し、見知らぬ携帯番号には絶対出ないように
している。
このような感じで、組織よけのために注意をはらう事が、非常にめんどう。
確実に、子供にもよろしくない影響を与えている。
上の子の時、居留守を使う場合、インターホンが鳴ってモニターがつくと
「だぁれ?」と聞いてくる。
私は「怖い人だよ。だから出ちゃいけないし、家に居るってわからないように、静かにね」
と子供に話していた。
子供は、モニターを見て、宅配業者のときだけは「はーい!」と自ら玄関へと出て行くが
宅配業者では無い場合は「ママ!怖い人きた!」と小声でいうようになった。
今現在、下の子も上の子が言っていた事を真似して「こわーい」と言ったりする。
私の教え方がよくなかったのだが、どうしたものか、と思う。
居留守を使うことを子供に経験させるなんて教育上絶対に良くないことは解っている。

この悪マから訪問を受け、呪術のように毎回
「福運が切れる」「幸福や安定がいつまでも続くと思ったら大間違い」的な事を言われると
私は身の回りのネガティブを数える傾向に一時的に陥る。しばらく経過すると、忘れるが。
たとえば、子供が転んだり、自分の手に不注意で切り傷を連続して幾つか作っただけでも
「不幸の前兆?」とひやっとする(笑)。実にくだらない事でも一瞬不安がよぎる。

未活であるがゆえの「負い目」がその原因。
活動を頑張った時期があるだけに、未活=福運が切れて自分や家族の身に悪い事が起こる、という刷り込みを
刺激されると、忘れていた古傷がうずく。

べつに、負い目なんて感じなくていいのに。
自分の人生だ。活動やるもやらないも、自分がきめればいいこと。
じゃあ一体誰に負い目を感じていたのか。
それを突き詰める事を、私は長らくしてこなかった。
最近、アンチ系ブログで「思考停止」と目にして、まさにそう・その状態だ!と思った。

じゃあなんで思考停止するのか。私の場合だと、それはやっぱり「罰論」に行きつく。
しかもゆがんだ形での解釈。
私はあくまでも日蓮大聖人様の教えと御本尊様を信じている。
そこに「組織の活動=仏道修行」との大間違いを組み込んで教わってしまったのがまずかった。
それも幼少期からの英才教育(笑)。
「組織の活動を拒否すること=信仰を怠ること」という刷り込み。
日蓮大聖人は、教えの中に一つも「会合に休まず出席しなさい・新聞推進しなさい・選挙の
応援をしなさい・折伏とは組織に入会させることです励みなさい」とは書いていないのに。

組織の活動をしないことで、自分や家族や身の回りに災いがおきてしまうのではないかという「思い込み」。

それから、「ネガティブを数える」これは、組織の人の特徴ではないだろうかと思う。
不幸が好きとは言わないが、不幸探しは得意分野だろう。
「永遠の楽観主義」なる指導があったけど、どんだけマヤカシなんだよと今は思う。
この点については後日記。

実家の母とは、電話で話したり、帰省で会ったりするたびに
「まだ寝てるの?そろそろ起きて活動をしないと、いろんなことに障るわよ」と、
これも罰論で若干脅しをかけてこられた。
私はそのたびに
「御本尊様を粗末にするような事はしていない。大事にしている。
 活動にでないことが不幸の因をつむことなんて思わない。”日蓮は慈悲広大”なんでしょ」
と母に反論していた。
それに対して母は
「あなたは今、自行化他の”自行”さわりの部分しかやってない状態で化他がない。
 それでは功徳はいただけない。どちらも揃ってこその仏道修行だ」と返す。
こんなやりとりが実家を離れて以来ずっと続いている。
喧嘩にならないよう、わかったわかった、と返事をして穏便にすませてきた。


自行化他という言葉についても。
「化他」部分が新聞啓蒙や選挙活動というのがどうにも違和感。
折伏に関しても、「日蓮大聖人様の教えを広め、御本尊様に出会わせてさしあげる」ここまでの
行動ならまだいい。
それと引き換え(?)に「組織に入会」させることは、どう考えても折伏行ではない。
御書にひとつもかいていないことを、それが正しい・それこそが仏道修行で幸せになる為の
道筋だ!というのならば、もう、本尊(本仏)や御宗祖を「日蓮大聖人様」というのはやめたら
どうだろう。りっぱな指導者もおられる事なのだし・・・。
看板を借りて巨大搾取システムを構築。
そりゃ詐欺集団といわれても、しかたがないよと、目が覚めてきた今本当にそう思う。

ふと思い出した。
私が20代初めバリ活だった頃に、地域でも有名な士業の一家が脱会して法華講に行った。
娘さんは女子部の幹部で、私も何度かお会いした事があるがいかにも聡明な雰囲気の方。
憧れている部員も多く、ショックを受けている人も居た。
急遽の人事異動で事情を説明する際、幹部は
「@さんは、”イケダ教になってしまった会にいる理由はありません”と辞めて行きました。
あれほどの幹部でも、そのような考えを起こすのです。絶対に、組織はそのような(テンテー教)ことはありません。
どこまでも御本尊様根本の信仰です。それを理解できない人が出た事は大変残念です」と。
女子では悪口を言うような風潮は無く、去る者は追わずです、自分たちの道をまい進しましょう!
という感じだったが、壮婦は違い(笑)士業がダメになってそのうち潰れる等、よろしくないことを
噂していた。
(だがその後、隣市に異動されたが、大きなビルを建てて経営は盤石のよう)

こういう事をいうのはどうかと思いつつも、知的水準・生活水準がもとから高い、普通の家庭の人たちは、
すぐ間違いに気づけるのだといまは解る。
ただ、いくら知的・生活水準が高くても機能不全家族だとなかなか間違いに気づけない。

そういった事に気づけるようになったのも、マインドコントロールにかかっていたと自覚ができて以降のこと、
つい最近だった。

40代の述懐は、2年前までの出来事を書いて一旦終わりにする。
あまりにも近年の具体的な事を書くと身バレしそうなので(笑)。


述懐22

2012年11月03日 | 40代の出来事
約7年ぶりに再会した友人は、以前接していた時より遥かに元気そうだった。
(お子さんの病気が快方に向かっている事も大きいと思う)

最初は少しだけ緊張したが、話しはじめると7年間会わなかったのが嘘みたいに
お互いの家族の話、共通の友人の話、趣味や健康など、次から次へと話題がでてきて
時間を忘れてしゃべっていた。

彼女は話の終わりごろになって「しょうらんは幸せそうでいいな」と言うので、驚いた。
確かに不幸では無かったが、幸せ自慢をしたつもりも無かったのに。
なんでそう思うの?と聞いたら、彼女は「主人とうまくいっていない」と悩みを打ち明け始めた。
そう深刻でもない、よくある「心がすれ違っているかも?」「価値観が違う」というエピソード。
誰にでもあるよ、ウチだってこうだよ、と自分の事を話したが、彼女は真面目な顔で
「今日は”祈れば?”って勧めないんだ。信心の話しないね」と言った。
私は、ええーっ?と驚いて聞き返し、それが面白かったのか彼女は爆笑した。
私って、そんなに会うたんび言ってたっけ?と聞くと
「毎回ではなかったけど、悩み話したらいっつも良い言葉いってくれて、祈っていこう・
 私も一緒に祈るからね、って言ってたよ」と言われた。
しばらく気恥かしくて、苦笑いが止まらなかった。

女子部時代は会うたびに御書の一節やら、なにかしら励ましの言葉を準備して行ったことを思い出す。
「今日はこれを言う」的なノルマを自分に課して外部の友人と接していたバリ活時代。
アンチの友人がいう「不幸は蜜の味」ではないが、一瞬の隙(悩みや心の闇を打ち明けてくれる瞬間)
を窺い狙っていた面は確実にあったと思う。
でもそれを(結果は別として)「組織の会員数を増やす為」とは全く思っていなかった。
あくまでも、相手を救いたい・悩みから解放してあげたいという「純粋なる慈悲の行動」だと信じていたからこそ
真面目にも、一生懸命にも行動できたのだ。

だけど今(2012年11月現在)はこう思う。
単純に「題目を唱えてみて、心が軽くなるよ」って言うだけ・そこどまりだったら
ぎりぎり慈悲の行動として許される(と思いたい)。
それが「入会して。一緒に同志として頑張っていこうよ」となったらもうそれは異質のものになる。
私がどんなに心から相手を幸せにしたい・ひとつの曇りも無く純粋にそう願ったとしても
「組織に入会して」と言った時点で、無意識のうちに「純粋な思い」と反した行動に変わっているのだ。
この、純粋なる相手を救いたいという慈悲の心・折伏という行動に「組織入会」をもってくる時点で
大きな間違いを犯している事・未必の故意であるということに気付くのに、20年もかかってしまった。

彼女は私の折伏時期、同時に会社の先輩(女子部)からも折伏を受けており、その方との
対話は継続中だった。
で、(その方を「親」として)入会する気ある?と私が聞くと
「無理無理!主人は(組織)大嫌いだもん。そこまで(反対を押し切ってまで)出来ないよ」と。
「でも、しょうらんと先輩が教えてくれたお祈りはいつもやってるよ。
心の中で3回唱えるやつね。
腹が立ったとき、泣きたいとき、むなしいとき、寝る前、いつもやってる。
それでもいいよねぇ?」と彼女が聞くので、私は「うん、それで十分だよ」と答えた。

このとき(約2年前)そう答えた背景には、自分が全くやろうと思わない婦人部の活動を
彼女に強いるような事は絶対に出来ない。
信心(御本尊様に祈ること)はやったらいいけど、入会まではしなくていいと思ったからだった。
何かがおかしい、組織って。
信心て、もっとシンプルでいいはず。日々の祈りを大切にすること・日蓮大聖人の教えを御書を拝して
学ぶこと。悩める人がいれば教えてあげて、共に祈っていく。それだけでいいじゃないか。
どうして組織に加入させて新聞とらせて年会費(財務)おさめさせて選挙の応援させるの?
むだに毎週集まるの?いろんな敵と闘わなきゃいけないの?
怒られるからこんなことは組織の誰にも言わなかったが、
私は組織につくことも・誰かを折伏(入会目的で)することも、もう絶対しないとこのとき思った。

結婚と転居から6年が経過しており、この間「友人」といえばこっちの職場で出来た友達と・
子供がらみで出会ったママ友たち。 みんな素敵な人ばかりで人間的に尊敬できる人たちだった。
私は組織のことは一切話さないようにし・そのことを隠していたが、この6年間はある意味「リハビリ」期間。
誰かを救わなきゃ、なんて思わなくて良かった。というよりも、皆、幸せだった。
悩みを耳にしなかったわけじゃないけど、こんなことがあったよーとぼやく程度で
「あるある」「自分はこうだった、友人がこうした」等、直接の問題解決にはならなくても
話を聞いてもらうだけで気持ちが落ち着いたり、誰かの別の視点からの指摘で気づきがあったりと
前向きな人達の集い語らいで消化される主婦の悩み。(そこに組織は不要)これで十分な気がした。
私の中から「誰かを救わなきゃ!」を毒抜きしてくれたこちらで出会った友人たちと
子供と主人とその家族に深く感謝している。

こちらでの生活が平凡でも充実していたぶん、地元の外部の友人に連絡を取ったり・
会う機会は激減していた。
(相手が望まない仏法対話する事も・選挙のお願いをする必要もなかったので、なんとも現金な話だけど)
そんな折、友人のひとりが40婚を果たすことになって私は単独で帰省。お祝いの会に出た。
2次会、3次会と久しぶりに会う友人たちとおしゃべりを楽しんだが、その中にアンチの友人がおり
帰り際私に言った「(性格)すっごく丸くなったね。ママになると変わるもんだね」と。
意外な指摘だった。私ってそんなにきつかった?変わったかな?と聞くと
「前は結構、人の事容赦なく否定してたよ」と(笑)。
組織についてる・ついてないという話題は一切しなかったが、私は久しぶりに会った友人たちから
バリ活当時の自分がどうだったかを知らされて、我がことながら怖いと思った。
そして、当時きっと沢山いやな思いをさせただろうに、こうして集まりに声をかけてくれて
これを機にまた集おうとなり、以降同窓会が継続している事に感謝している。
嫌われて、切り捨てられてもよさそうなものなのに。
しかし、私がいまだバリ活で婦人でゴリゴリ頑張っていたら、きっとこの輪に入れてもらえなかっただろう(笑)。
それだけはハッキリと解る。

女子時代の、外部友人への対応。悔やんでも悔やみきれないが、言い訳が許されるなら、
私は「それ(折伏=入会)が幸福への連帯」って子供のころから、三つ子の魂百までも状態で、
教え込まれてきたのだ。疑う余地など無いくらいに。
まさかその「外部の友人を幸せにしたいから入会させる」が、搾取システムに友人を巻きこむ事に
なるなんて、想像だにしなかった。
そして親や自分がその搾取システムにがっちりはまり込んでいるなんてことも、気付きようもないほど
組織の数ある様々な打ちだしにイヤイヤでも従い、外部を折伏入会させること
その行動全てが「功徳」を得られる仏道修行なのだと信じて疑わない、それが常識な世界の住人だった。

ちなみに組織が搾取システムだと「自分で」気がついたのは今年(2012年)の9月だった。
ネットで得た情報では無い。
自分がやっと、自分の感覚で気付く事が出来たのだ(後日記)。

巧妙に飴とムチで懐柔されていることに気付く為には、その世界から隔離され・平常心を保ち
落ち着いた普通の暮らしを「あたりまえ」に、長期間続ける必要がある。
周囲からあれこれ言われて気づくのではない。
自分が暮らしの中で、生活感覚として「おかしい」と気づかなければ、マインドコントロールは絶対に解けない。
その意味で私は(20年かかってしまったけど)この地に来れた事は、幸運だったと思っている。

述懐21

2012年11月03日 | 40代の出来事
第二子が生まれた翌年、夫に転勤の打診があった。
どこへ行くのだろうと、不安半分・楽しみ半分だったが、残念ながら通勤可能な隣県。
長子を転校させるのも可哀相なので引っ越しはしなかった。

私はこの転勤で引っ越しがあれば、統監を地元に戻してもらおうと本気で考えていた。
きょうだいが離婚した際、実家に帰らなかったのに統監は転居先ではなく、地元に戻した
経緯があったので、自分もそうしてもらいたかった。
この地域がダメでも、引っ越し先で活動を頑張ろうという考えは毛頭なく。
その理由は、時折母から送られてくる活動報告メール(笑)で、組織の(婦人部の)戦いの流れを
知っていたからだ。
新聞・新聞ってうるさい、やれ折伏はじまった、婦人部総会で多忙、いついつ選挙がある云々。
ルーチンワークですね、と思いながら読んでいた。そしてその活動のどこからも楽しさが伝わってこない。
母は私に心を許して愚痴を吐いていたのだが、結びの句は「一家和楽の為、頑張るね(絵文字入り)」だった。
しんどいけど、やりたくないけど、なんでこんなことしなきゃならない?だけど「一家和楽」という
自身の命題のため母は一生懸命だった。
そんな、やりたくない事をしなくても、お母さんが信心しろしろって家族の皆にいわなければ
(自己完結してくれれば)一家和楽はすぐにでも達成可能なんだけど、と私は思うようになっていた。
でもそれは絶対母に言えなかった。

組織の活動に冷ややかな目を向けるようになっても、脱会を考える事はなかった。
脱会は無間地獄に落ちると(実際見た事もないのに)聞き、信じて疑わなかったからだ。
活動しなくても組織に籍だけ置いて、御本尊様をお守りして行けばそれでいいと考えていた。

この地域に来て、やたら多いな、と気になったのは
「@地区のOOさんの手術成功を祈願して同盟題目を送ってください」というメール。
支部内の誰かなんだろうけど私は活動に出ていないので知らない人ばっかり。
グループメールで一斉送信しているようだが、私の地元でこんなメール、きたこと無かった。
地域にもよるし・偶然重なったのかもしれないが、やたら多いと感じた際、母に思わず尋ねてしまったほど。
母も「不思議だね?信心してる人は皆、金剛宝器戒なのに。
あなたの住んでる地域は、魔が競いやすいのね」と言っていた。

この「魔が競ってる」「魔が競いやすい」組織独特の言い回し。
信心即生活なので、組織どっぷりなら仕方のない部分もあるが、全てを活動や組織の
都合のいいように解釈する組織脳。
私もつい最近までずーっとそうだった。
これが非常に生き辛く・思考の妨げになっている事に気付いたのは本当につい最近である。

その同盟題目要請メールの中に、知っている名前があった。
私がこの地域にやってきた当時のリーダー(のご主人)だった。
もともと地区またぎの派遣で来ていたリーダーで、元の地区に戻って役職をやっていた。
ご主人も近年壮年部の役職者になり、うちの主人を尋ねて家庭訪問にきたことがあった。
ふーん、と思っただけで放置したが、数ケ月後、「再手術のためにまた同盟題目を
お願いします」とのメールが入った。
癌が転移したとのこと。
大変だなぁ、と思いはしたが、放置した。

それから数ヶ月経過したある日、元リーダーとご主人が犬の散歩をしているところに遭遇。
私は会釈だけで立ち去ろうとしたのだが、元リーダーは2人目がうまれたことを知らなかったようで
「もしかして2人目のお子さんなの?お顔みせて」と呼びとめられ。
ご主人に「先に行ってて」と促し、立ち話に持ち込まれる。
私は一瞬迷ったが「ご主人、お元気になられて良かったですね」と声をかけた。
元リーダーは笑顔をみせたが、「先の見えない投薬治療中」と話してくれた。
「亭主元気で留守がいいっていうけど、本当よ。毎日一緒で、疲れるわ」と笑い飛ばしながら。
「全然(活動)やる気ないの?勿体無いわ。ねぇ、一緒に頑張ろうよ」と組織の話題になったので
そろそろ行きますねと言った瞬間
「ちょっと待って。ずーっと気になってたんだけど、あのお友達、どうなったの?」と聞かれた。
「あのお友達?」と私は全く思いだせずにいたが
「ほら、折伏したいお友達いるって言ってたじゃない。お子さんが難病の」と言われ
ああ! と私は思いだした。
学生時代の友人に、子供が難病で悩んでいる人がいた。
女子時代に仏法対話を重ねていたが、彼女は他からも折伏をうけており、会友という立場だった。
入会はご主人がアンチなので絶対に無理だが、勤行を覚えたり、同中に参加したりと
入会に限りなく近い「外」さんだった。
こちらに来た当時に出席した婦人の会合で、一人ずつ折伏状況を語るコーナーがあって
私は女子時代にどうしてもその人を折伏したかったが、出来なかったと話したのだった。
(当時で)6年も前の話だが、元リーダーはよく覚えてるなぁと驚いた。当の本人が忘れてるというのに。
私は未活になり、彼女とも年賀状だけのつきあいになってしまったので折伏は継続しておらず。
「相手は元気で居るけど、私はもう対話してません。
もうひとり折伏主がいるんで、入会したら私にも連絡くれると思いますが、まだないですね」と返事。
元リーダーは「そうなのね。ずーっと気になってたの。入会してくれるといいね」と言った。
適当に返事をしてその場を切り上げた。

6年も前の話を「気になってた」なんていろんな意味で凄いな、と思った。
つれあいが生きるか死ぬかの闘病中だというのに、他人の下種先のことを咄嗟にでも
思いだせるものだろうか、と。

その時どういうわけか突然
「組織の人は”他人の不幸は蜜の味”な面がある」と女子時代にアンチの友人から言われた事を
思いだして、うわぁ・・・となった。
(けして元リーダーがそうだと言いたいわけではない)

アンチの友人は「組織の人は上から目線。信心したら幸せになれるよ、願いが叶うよ、
悩みが解決するよ!って言ってくるけど、それは私自身を全否定する事と同じ。
それが許せない」
と怒っていた。当時は、そうじゃないよ!と反論もし、意味が解らないと思っていたが
なんとなく今は、言おうとしてた事がわかる。
こうも言われた「信心なしで幸せになろうとしちゃいけないの?」
何と答えたのか全く覚えてない。
鋭い質問だと思う。今だったらどう答えるか「全然いいと思います」って言ってしまうだろう。

また、難病の子供を持つ友人でいえば私は当時、結婚もして無ければ出産経験も無い30すぎの
独身女だった。そんな私が、よく子持ちの女性を折伏しようとしていたなぁと呆れると同時に
相手がそうとう人間できてるというか、心広く受け入れてくれてたんだなと思った。
(若気の至りと許して欲しい)

この直後、本当に驚くべきタイミングで難病の子を持つ彼女から久しぶりにメールが届いた。
内容は共通の友人の消息に関するもので、電話したほうが早いと思い連絡した。
彼女はとても元気そうで、お子さんの病気の件も自ら話してくれた。
私が折伏していた当時は情報も少なく、近隣圏の病院をめぐっており、どこに行っても
対処療法的な事しかしてもらえず光が見えなかったが、インターネットでその病気の患者サイトを
近年発見し、教わった遠方にある病院の名医に診てもらっている。経過は良好とのことだった。
良かったねー!と私も嬉しくなった。
このとき私も信心の話は一切しなかったし、彼女からも無かった。
次の帰省時に久しぶりに会いたいねと話が弾み、お盆休みに会う約束をした。