I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

後遺症

2013年03月31日 | 現在進行形
卒園式が済み帰省と旅行を終え、やっと自宅に戻ってゆっくりしている。

組織がらみで色々見聞きしたことあり、かきたいことが山ほどあるけど
文章にまとめる時間が無い。
春休みが終わったらじっくり書きたい。


この1ヶ月、ぼんやりと頭の中にあったテーマは「オカルトからの脱却」

私は組織にマインドコントロールされ、全てを信仰の名の下に関連付けて考える訓練を
十数年にわたって受けてきた。
それが、一度の気づきで完全に払しょくされるものではない事を、最近になって思い知って
愕然としている。

結局、組織でいわれる信仰による功徳というものが何だったのかを思うと
それは単なる偶然の結果、産物だったのかもしれないと考えるようにここ半年でなった。
ご祈念して、会合に出て、部員さんの家庭訪問をし激励して、組織のお役にたてることをやれば
いい事がある・お願い事が叶って行く・万事うまく行く・・・そんな事を本気で信じていた。
だから良い事があれば全部「信心のおかげ」と思っていた。

そして逆に、悪いことがおこると「信心が足りないからだ」と気を引き締めた。

今、冷静になって思うとこれって完全なるオカルトだよねって。
根拠のない事にもかかわらず、盲信していた。

まさに自分がオカルトに支配されていた(過去)だったな・・・と絶句したのが、
3月11日の大震災特集番組を見た時。

私の住む地域はこれといった被害も出なかった。
当日その時間は子供たちと外に居て地震に気付かず、夕方帰宅してテレビをつけて驚いた。
この日のお昼、友人宅でご飯をよばれたが、たまたまついていたテレビで石原氏が
都知事選に立候補を決めたとの報道を見た。
私は当時、未活動だったけど創価脳だったから、この立候補を訝しく思った。
石原氏=仏敵と、女子部時代に刷り込まれていたからだ。
そんなわけで夕方テレビを見て大惨事を知った私はすぐこう思った
「仏敵が都知事選に立候補なんてするから、こんな天変地夭が起こったんだ!」と、
石原さんのせいにした(笑)。
その後、石原さんが「天罰」発言をしたときも、切欠はお前だろうが!とテレビに向かって突っ込んだりした。
本気でこの時はそう思っていた。 

2年経過した現在は、当然のことながら、それが石原氏立候補によるものだとは思っていない。
誰のせいでもない。日本は島国で、地震大国。
自分の住む土地だっていつどうなるか解らないと認識している。

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冷静に考えられるようになってきたとはいえ、私はまだオカルト後遺症をひきずっている部分がある。
目の前に起こった出来事を考える時、どうしても信仰と絡めて判断しようとしてしまう。
特に思うように出来事が運ばなかった時に
それを組織で教わった「信仰」と結び付けて考えようとしてしまう「クセ」が抜けない。

今でいえば、仏間の仏壇を放置状態にしている事とついつい関連づけてしまう。
脱会届はいつでも出す準備でいるけど、お曼荼羅に触れるのが恐怖。
見るのも怖い。

組織の活動に出なくても、新聞をやめても、財務を反故にしても全然平気だけど
こと、お曼荼羅になると別件。
それは実家の母や組織の人から長年聞かされた不幸体験という「刷り込み」のせいなんだけれど。

恐れの根源は、お曼荼羅になんらかの「ちから」があると私は信じているからだ。
それもオカルト的な思いこみと言えば、そうなのかもしれないけど・・・。

今一度、大聖人様の御書を読んでよく考えて行きたいと思う。
この1ヶ月半、忙しすぎて全く御書を読めていない。

本当に、人生の半分以上、厄介な教団と関わってしまった事は私にとって災難だった。
早くこんな後遺症から抜け出したい。
頑張ろう。



半年

2013年03月19日 | 現在進行形
組織の矛盾に気がついて、半年が経過した。

このブログを作った当時、創価学会批判を綴ることすら「罰」とためらわれ
キーボードを打つ指が震えて冷たくなったのを思い出す。もう懐かしくすらある。
矛盾だと感じたこと、疑問に思った事、おかしい点などを書き綴り自分内で心の整理をつけていた。
しかし1ヶ月間、ブログを公開する事は出来なかった。
それも、がちがちに「罰論」に縛られていたからだった。

自分が40年以上にわたって当たり前のように信じてきた常識としての「創価学会」が
実は幻想で、真実の姿はとんでもない集団であることを、客観視できるようになったのは
組織の矛盾に気づいて3ヶ月ほど経過してから。
あれこれ調べ、御書を読みなおし、自分の頭で「一体何が信心なのか」を客観視しながら
考えた事は、自分にとってたいへん有益だった。

ひよこがまず最初に目にした「動く物」を母親だと信じ切ってついていく、という話をきいたことがある。
学会3世の私もまったくそれと同じだった。
自分の親や、親族(私の場合は、母方の親戚が熱心だった・父方は未入会アンチの一般)が
やってるんだから「まちがいない」と、なにはなくとも信じていた。
また、周囲を組織の会員で囲まれ、週に数日でも定期的に面会しておれば、その世界がむちゃくちゃでも
「正しい」と思わせてしまう、催眠効果も手伝って、おかしいという事に気付かなかった。

おまけに、学校教育で刷り込まれた「平和」が仇となった。
平和を叫ぶことは正しいんだ。
世界平和という大義名分を掲げて活動している組織に属している事が「誇り」になる。完全なる勘違いだけど。
現実なんてわかったものではない。カネをばらまいて世界から称賛を得る。それを都合よく平和行動だのなんだの、
ビデオや写真や書籍やらで洗脳されたが、冷静になると自分が社会で生活する中で、組織外の人間から
「創価学会ってすばらしい」という賛辞を聞いた事は一回もない。 悪口はやまほど耳にしたけど。
結局、世間の評価って正しい。
それでも組織に近いところに居れば「日本人は嫉妬根性で、偉大なる指導者の功績を認めようとしない」
などと言いくるめられた。それをそのまま信じてた自分も随分馬鹿だったって事。

今感じているのは、創価学会に属していた(現在進行形で籍はあるけど)ことは、自分の人生において
黒歴史以外の、何物でもないって事。
誰にもいいたくないし知られたくないし恥ずかしすぎる。

入会を考えている人がもし居たら絶対に止めて正解。
紹介者は「いい人」であっても、その人が属している団体はトンデモだから気をつけて!




久しぶりに

2013年03月04日 | 現在進行形
ブログの編集画面を開いた。
書きたい事はいろいろあるけど、今日は時間が無いので手短に。

最近ニュースを見ていて大変興味深かった事柄が、
「高野山真言宗が巨額損失 運用に失敗、6億8千万円」というもの。
信者からのお布施も含まれるこの浄財をFXや保証のない投資に費やしていたことがわかり
宗会が60年ぶりに解散したとのこと。

この話題を聞いてまっさきにおもったこと。
こりゃ、組織もぜったいやってるね、投資運用。
巨額の損が出ようが利益が出ようが、お構いなし。だって会員に向けて収支報告の義務もないし。
好き勝手放題ばらまき放題、やってるんだろーなって。想像がつく。

このニュースを取り扱った番組でコメンテーターが
「文化庁は宗教法人に対し、お金の運用に関してはとくに規制・罰則などを設けないで
 こうすることが望ましいという方針を指し示すことしかやっていないが、
 今後は法整備も必要ではないか」
というようなことを話していた。

大いに賛成!!!!!
もう、今すぐにでも取り組んでもらいたい、国会議員の方々。

国会議員有志のみなさんで、法案まとめて通してほしいなー。
そして、公明党が大反逆・猛反発する等で世間に醜態さらすことになれば、ますます面白くてイイ(笑)。

しかし、損失を出したことを(損失より運用益出てました!と言い訳してるらしいけど)
公にして、いちおう「宗会解散」という手続きをふんでるだけ、高野山真言宗はましだと思った。

創価学会?絶対解散なんてことしないよね、表ざたになったとしたって(笑)。
都合の悪い事は、ぜーんぶ握りつぶして表にでないようにしちゃうもんね。

こういうことを一応まだ会員の輩(=私)にいわれたくなければ
一度でいいから収支報告を公表して見やがれ。