I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

述懐23

2012年11月05日 | 40代の出来事
第二子が生まれた頃にこちらに新任でやってきた部幹のことを
「悪魔がきたりて笛を吹く」と私は名付けている(長いけど)。
(以降、悪マと呼ぶ)

この悪マのおかげ(?)で、私は今年9月、組織の本質に気がついてしまった。
自分がマインドコントロールにかかっていたことにも気がついた。

大嫌いな人だが、気づかせてくれて「ありがとう」(笑)。

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家庭訪問で応対に出ると、そのたびに罰論で攻めてくる悪マ。
はっきり言って、脅し。
「そろそろ未活から10年でしょ。現証出てきたらどうするの」
「あなたに何も(障りが)なくても、お子さんや孫の代に出たら後悔しない?」
このようなことを平気で口にする。
「お変わりなくて良かった。福運貯金、たくさんあるのね」といやみをいわれることもあった(笑)。

居留守を使うようにしていたが、1年ほど前「してやられたり」な事があった。
たまたま、ネット通販で代引きの物品を注文して到着を待っていた朝。
見知らぬ携帯電話番号から電話がかかってきた。
私の地域の飛脚の人は、電話番号がバラバラなので登録していない(黒い猫さんは
同じ番号だから登録している)
代引きは配達前に必ず電話が入る。見知らぬ番号を飛脚さんだと思って1コールで電話に出たら、悪マだった。
「マンションの下に居るんで今から行かせてもらうね」と。
いつもの携帯番号と違ったので、「携帯変えたんですか?」と聞いたら
「ううん。さっきまで一緒だった@さん(地域のメンバー・私の知らない人)に借りたの」と言った。
これって確信犯?
自分の携帯からかけたら電話に出ないから、わざとそうした手を使ったんだなと思った。
以降、代引きの場合は黒い猫さんに限定し、見知らぬ携帯番号には絶対出ないように
している。
このような感じで、組織よけのために注意をはらう事が、非常にめんどう。
確実に、子供にもよろしくない影響を与えている。
上の子の時、居留守を使う場合、インターホンが鳴ってモニターがつくと
「だぁれ?」と聞いてくる。
私は「怖い人だよ。だから出ちゃいけないし、家に居るってわからないように、静かにね」
と子供に話していた。
子供は、モニターを見て、宅配業者のときだけは「はーい!」と自ら玄関へと出て行くが
宅配業者では無い場合は「ママ!怖い人きた!」と小声でいうようになった。
今現在、下の子も上の子が言っていた事を真似して「こわーい」と言ったりする。
私の教え方がよくなかったのだが、どうしたものか、と思う。
居留守を使うことを子供に経験させるなんて教育上絶対に良くないことは解っている。

この悪マから訪問を受け、呪術のように毎回
「福運が切れる」「幸福や安定がいつまでも続くと思ったら大間違い」的な事を言われると
私は身の回りのネガティブを数える傾向に一時的に陥る。しばらく経過すると、忘れるが。
たとえば、子供が転んだり、自分の手に不注意で切り傷を連続して幾つか作っただけでも
「不幸の前兆?」とひやっとする(笑)。実にくだらない事でも一瞬不安がよぎる。

未活であるがゆえの「負い目」がその原因。
活動を頑張った時期があるだけに、未活=福運が切れて自分や家族の身に悪い事が起こる、という刷り込みを
刺激されると、忘れていた古傷がうずく。

べつに、負い目なんて感じなくていいのに。
自分の人生だ。活動やるもやらないも、自分がきめればいいこと。
じゃあ一体誰に負い目を感じていたのか。
それを突き詰める事を、私は長らくしてこなかった。
最近、アンチ系ブログで「思考停止」と目にして、まさにそう・その状態だ!と思った。

じゃあなんで思考停止するのか。私の場合だと、それはやっぱり「罰論」に行きつく。
しかもゆがんだ形での解釈。
私はあくまでも日蓮大聖人様の教えと御本尊様を信じている。
そこに「組織の活動=仏道修行」との大間違いを組み込んで教わってしまったのがまずかった。
それも幼少期からの英才教育(笑)。
「組織の活動を拒否すること=信仰を怠ること」という刷り込み。
日蓮大聖人は、教えの中に一つも「会合に休まず出席しなさい・新聞推進しなさい・選挙の
応援をしなさい・折伏とは組織に入会させることです励みなさい」とは書いていないのに。

組織の活動をしないことで、自分や家族や身の回りに災いがおきてしまうのではないかという「思い込み」。

それから、「ネガティブを数える」これは、組織の人の特徴ではないだろうかと思う。
不幸が好きとは言わないが、不幸探しは得意分野だろう。
「永遠の楽観主義」なる指導があったけど、どんだけマヤカシなんだよと今は思う。
この点については後日記。

実家の母とは、電話で話したり、帰省で会ったりするたびに
「まだ寝てるの?そろそろ起きて活動をしないと、いろんなことに障るわよ」と、
これも罰論で若干脅しをかけてこられた。
私はそのたびに
「御本尊様を粗末にするような事はしていない。大事にしている。
 活動にでないことが不幸の因をつむことなんて思わない。”日蓮は慈悲広大”なんでしょ」
と母に反論していた。
それに対して母は
「あなたは今、自行化他の”自行”さわりの部分しかやってない状態で化他がない。
 それでは功徳はいただけない。どちらも揃ってこその仏道修行だ」と返す。
こんなやりとりが実家を離れて以来ずっと続いている。
喧嘩にならないよう、わかったわかった、と返事をして穏便にすませてきた。


自行化他という言葉についても。
「化他」部分が新聞啓蒙や選挙活動というのがどうにも違和感。
折伏に関しても、「日蓮大聖人様の教えを広め、御本尊様に出会わせてさしあげる」ここまでの
行動ならまだいい。
それと引き換え(?)に「組織に入会」させることは、どう考えても折伏行ではない。
御書にひとつもかいていないことを、それが正しい・それこそが仏道修行で幸せになる為の
道筋だ!というのならば、もう、本尊(本仏)や御宗祖を「日蓮大聖人様」というのはやめたら
どうだろう。りっぱな指導者もおられる事なのだし・・・。
看板を借りて巨大搾取システムを構築。
そりゃ詐欺集団といわれても、しかたがないよと、目が覚めてきた今本当にそう思う。

ふと思い出した。
私が20代初めバリ活だった頃に、地域でも有名な士業の一家が脱会して法華講に行った。
娘さんは女子部の幹部で、私も何度かお会いした事があるがいかにも聡明な雰囲気の方。
憧れている部員も多く、ショックを受けている人も居た。
急遽の人事異動で事情を説明する際、幹部は
「@さんは、”イケダ教になってしまった会にいる理由はありません”と辞めて行きました。
あれほどの幹部でも、そのような考えを起こすのです。絶対に、組織はそのような(テンテー教)ことはありません。
どこまでも御本尊様根本の信仰です。それを理解できない人が出た事は大変残念です」と。
女子では悪口を言うような風潮は無く、去る者は追わずです、自分たちの道をまい進しましょう!
という感じだったが、壮婦は違い(笑)士業がダメになってそのうち潰れる等、よろしくないことを
噂していた。
(だがその後、隣市に異動されたが、大きなビルを建てて経営は盤石のよう)

こういう事をいうのはどうかと思いつつも、知的水準・生活水準がもとから高い、普通の家庭の人たちは、
すぐ間違いに気づけるのだといまは解る。
ただ、いくら知的・生活水準が高くても機能不全家族だとなかなか間違いに気づけない。

そういった事に気づけるようになったのも、マインドコントロールにかかっていたと自覚ができて以降のこと、
つい最近だった。

40代の述懐は、2年前までの出来事を書いて一旦終わりにする。
あまりにも近年の具体的な事を書くと身バレしそうなので(笑)。