I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

プロパガンダ

2013年02月13日 | 現在進行形
連休に義両親が泊まりがけでやってきた。
あちこち出かけてばかりで、家事・用事もろもろがすっかりたまってブログを書く暇が無かった。

このブログ、最初は1日2-3人のアクセスだったけど、近頃は増加。
更新が無い日でも、見に来る人もおられる模様。
それが、消息を心配してのことなのか・罰でも当たりやがれとバリ活に見張られているのか(笑)
よくわからないけど。
組織の活動をしなくても、籍を置きつつも心は鬼・反逆者でも(笑)・永遠指導者を否定批判しても
財務しなくても・新聞購読やめちゃっても・選挙は別の政党に入れても、全く罰なんかあたらずに
平穏に暮らせて行けますよって事を、組織の矛盾にほんのり気がつきつつも、罰論に縛られるあまり
組織を拒否できず、悩んでいる現会員の方に知ってもらいたいので、ブログの更新は継続していく。
たとえネタがなくなっても(笑)。
本当に、組織で脅しをかけられるような罰みたいな悪い事、なーんもおこらないから、
安心して非活・組織拒否の道へ進んで欲しい。

そして、罰でも当たりやがれと思っているバリ活には、鏡で自分の顔を良く見てもらいたい。
師匠の悪口や組織を誹謗するとは!こんな奴は地獄に堕ちろ!そんな風に思ってパソコン眺めている
その顔は、幸福王女でも、獅子王でもなんでもないよ。
不幸のかたまりみたいな顔だよ。

私は、敵を作ろうと思ってやっているわけじゃない。
組織でバリ活だった時は、否定する者・馬鹿にする者は、みんな敵だった。
「敵」と思う事は別に悪いことではない。でも、組織ではその「敵」を看過することは悪とされた。
敵と思われるものは、徹底的に打ちのめせ!叩き潰せ!そんな教えが確実にあった。
師匠や組織に逆らうものは全て「仏敵」。
私の青年部時代(20年ほど前)それは主に阿部法主のことだった。
組織は、阿部法主打倒を祈念するよう会員である私たちに促した。
阿部法主がどこか地方へやってくるなんて時は、悪天候を祈願していた、婦人部が(笑)。
私はそのような風潮になじめなかった。
組織にあって、それに対して異を唱える事はしなかったけど、従いもしなかった。
だって私にとって阿部法主はリアルに「敵」じゃなかったからさ。
あった事も、言葉を交わした事もないその人を「仏敵」だといわれても、はいそうですかとは
受け入れることが出来なかった。
だけど、周りの熱心な活動家はいとも簡単にそのことを受け入れた。
テンテーを、学会を破門してきたのだから「敵」に決まってるんだと。
組織側から一方的に聞かされた破門理由をうのみにし、敵と決めつけ、打倒・罵倒に狂乱した。

これら一切が、会員が自発的に行った事じゃない事は、私と同じ年代のひとや・それ以上の
年代の人ならよくおわかりだと思う。
上から流れてきた方針だったから、末端会員は従ったまで。
その当時のトップは誰だったか。
永遠の指導者入りした消息不明の御老人ですよね。
平和を指揮し世界を牽引する人が、どうしてそんな「小我」なことに拘ったんだろうね。
テンテーを師匠とあおぐ人はおかしいと思わないの?
そんな小我な人を「師匠」と呼ぶ事を、恥ずかしいと思わないの?

私はべつに宗門側の肩を持つつもりはない。
阿部さんもトンデモな説法を数多くしているようだし、いまの宗門は組織のコピーにすぎない。

組織が、テンテー自身が、この宗門問題をうまく利用して「師弟不二」プロパガンダを
行ったことはまちがいない。
ある意味、この宗門問題を契機に神格化をはかろうとしたんだ。
そしてうまい具合に騙された会員が今も熱心に活動を続けてるんだろう。
組織の上層部は悪くても、テンテーは悪くない。テンテーは絶対だ。
そういう人は、みんなこの神格化にていよくだまされた人だと思う。目を覚まして欲しい。

宗門問題が起こるまでは
「仏敵を恨んで、恨み切って、完全に倒さないと正義とは言えない」などという
原理主義な指導は聞いたことが無かった。
「師匠の敵は弟子が倒す」これもしょっちゅう聞いた幹部の言葉だ。
こんな狂った事を教える組織の唱える「平和」って、なんなのさ?(笑)
対話で解決とか言いやがるけど、法主のことは呪い殺そうとしてたじゃん。
私は忘れないよ。
それが法主じゃなくたって、命ある人を「打倒」しようとしていたという事実。
この時は、たまたま阿部さんだったってだけだよ。
次はそのターゲットが、どこの誰になるか分からない。
そのときまた、テンテーの為にと、誰かを呪ったり恨んだり怒りをもって責め抜いていくわけ?
上からそう言われたら、それもそうだ!それが正しい!って従うわけ?
それをやることが正義と信じて疑わないわけ?
自分は直接被害をこうむって無くても・師匠の敵だからと恨むわけ?
その行動が「信心」で、功徳があると思ってるわけ?
んなわけねーだろ。 目を覚ませ。

記念提言とやらも読ませてもらったけど、キレイゴトだったね。
「生命の尊厳」を基軸にした文明のビジョンねぇ~。
生命の尊厳とか、どの口が言うのか。
仏敵と呼ばれる人が、病気になったり、死んだら喜ぶくせに。

自分にとっての本当の敵は誰なのか、バリ活な人や師弟に心酔している人はよーく考えてみて欲しい。
そして、仏敵だと思う相手が実はあなた自身の敵じゃない事を自覚してほしい。
無駄なエネルギーを使うべきでない。
もっと建設的な、あなた自身の、有意義なことがらに時間もお金もつかうべきだよ。