86と花咲け歌々同窓会

花咲け歌々同窓会と静高86期卒業生諸君!!好き勝手なこと書いていますが他意はありません。たかがブログ・・・・

大将

2013-03-01 18:04:56 | 管理人のぼやき

本日の朝刊、1面左の顔写真の1番上は、確か陸上部の後輩ですね、

この後輩が定年退職。瞼を閉じて開ければ1年みたいな速さ、

昨日まで「還暦、還暦」と騒いでいたのが、電車の窓からの景色ですよ、

すっ飛んで行きました。1日1日大事に行きたいと思っても、

あまりにも早すぎます。本当に焦ります。


今日は週に2日、午後から出勤のうちの1日、土曜日です。

従って朝はゆっくりできます。そこで、ウォーキング。

上のミモザの写真は静学の東側で撮ったものです。

朝食前に夫婦でたっぷり1時間でした。

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何年か前にY本君に傘下に入れて欲しいと申し出たら、「大将を下に入れるわけにはいかない。」

たかが高校のガキの時代の順番が、後に影響してくるとは、夢にも思いませんでした。

幼い頃、私は父のことを「陸軍騎兵曹長」だとばかり思っていたら兄が、

「違う、お父さんはもっともっと偉い」と、ムキになって私によく怒っていました。

少尉とか中佐とか言っていましたので、そんなとこかもしれません。

私10歳、兄26歳の頃です。

その父はよく、大将というのはどっしりと飄々と何事にも動じないことだ

と教えてくれました。今で言う「ブレない」も入っているのでしょう。

部下思いの父は部下のことでは命をかけて上層部と戦い、結果リンチを受け

1週間生死を彷徨ったことがあると母から聞きました。


剣道では1:2の劣勢をSネダ君が2:2に持ち込み、大将戦というケースが多かったように

思います。が、父の言葉を思い出していたのか、あがるような気持ちに

なったことはありません。な~~んにも考えず平常心で戦っていたような記憶が

あります。ところが、個人戦となると、精神的にちょっと変わってしまい、

逸る気持ちを抑えられず、まだトーナメントの下の方でコロっと負けてしまうことが

多かったような気がします。一度私に勝った対戦相手が「すみません」と謝りに

来たことがありました。

何故突然の“大将”話なのか、家には家内と犬二匹ここでも大将、仕事場でも

わずかな時間ですが働いてくださるアルバイト2名、ここでも大将、

男というものは誰でも規模の大小ありましょうが、大将をやっているものです。

それには、「どっしりとブレずに何事にも動じない」のが基本だと思いました。

安倍という大将はどこまでやってくれるのでしょうか。


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今日はその昔、母校での美術の教育実習に「すげーミニスカートで来て、

目のやり場に困ったっけやー」とN島監督に言わせた、85期Iシガさんが開店祝いの注文に来てくれて、

3月の良いスタートが切れました。

東京芸大卒のアーティストですから、注文の仕方が的を射ているというのか流石プロ。

私も打ち合わせの頭が冷めないうちに、長さ180センチの壁掛けを作り上げました。

おっしゃれですよ~~~。静銀呉服町支店から細い道路を挟んで隣(角)にOPENです。


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