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Wikipediaにこう書いてある。
駿府は、駿河国にあった都市。現在の静岡県中部の静岡中心市街地にほぼ相当する。
古代の律令時代に駿河国の国府が置かれた。駿府の名は「駿河府中」の略である。
律令時代以後も近世まで長く駿府や府中、駿河府中と呼ばれた。戦国時代には駿府城が築かれ、
城下町が整備される(駿府城下)。江戸時代には、単に府中と言えば駿府を指した。
江戸時代初期に行われた大御所政治(駿府政権)では
実質的な首都として機能し、江戸・上方(京・大阪)に並ぶ大都市であった。
👆この「太字」の所を何回も読み返すと、やっぱりそうだったかと胸が熱くなり嬉しい。
これだけで「酒」が飲めそうだ。ボクシングの井上の完璧な勝利より嬉しい。
2016年の「真田丸」あたりから「鎌倉殿」まで「いだてん」を抜き、
毎年「静岡」「駿府城」が登場してきた。郷土愛の強い私には最高の酒の「あて」となります。
え、何?来年大河は「どうする家康」💦💦 そんなことより「どうする同窓会?」💦💦
👆我が家のミョウガ畑、これも楽しみ。
歳を取るとTV番組も歴史もの、わざわざBSで懐メロ番組を探してしまう。
「鎌倉殿の13人」は先日の日曜日に22回が終わり、そろそろ富士・富士宮を舞台とした
「曽我兄弟の仇討ち」に入って行きそうな気配となってきました。
これを取り上げたのは、現在私の店が「松坂屋富士ギフトショップ」にお世話になっていて、
その近くに「曽我寺」があるので、“深掘り”いや“浅堀り”したくなりました。
私事ですが、今から五十数年前の中学生の頃、夏休みになると伊豆の国市韮山
(当時は伊豆の国市ではない)の親戚(姉の嫁ぎ先)に遊びに行ったものでした。
その親戚から40~50mの位置に「願成就院」があり、さらに蛭ヶ小島や
韮山の反射炉(江戸時代)などの名所旧跡があり、遊びながら日本の歴史が学べました。
更に遡ること小学時代、生まれが駿府城公園に徒歩7~8分圏内という環境だったので、
城主が今川さんから徳川さんに変わった話も(親兄弟の話から)自然に身に付いていました。
大学を卒業し、就職先がこれまた信長・道三・秀吉・家康・光秀・謙信
などが出生した地域(愛知・岐阜)で、そこを車で走り廻っていたわけです。
イメージは何時も馬に乗り、戦国の濃尾平野を駆け回る武将。
その時代から更に遡った時代である「鎌倉殿の13人」は大変面白いです。
これから「曽我兄弟の仇討ち」や「尼将軍」の話に入って行くのだと思われますが、
小池栄子さんのキャスティングは見事すぎて思わず吹き出しそうになりました。
(参照元:ウィキペディア・富士市HP)
👆アロエとオリヅルランの園
👆スモークツリー
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静新毎週土曜日朝刊に掲載、86期伊藤元重氏の「論壇」です。