86と花咲け歌々同窓会

花咲け歌々同窓会と静高86期卒業生諸君!!好き勝手なこと書いていますが他意はありません。たかがブログ・・・・

歯止め

2015-06-14 17:18:53 | 管理人と遊ぼう

藤枝発の社長曰く、ブランド品・ファッションではとても静岡には太刀打ちできない。

しかし、「食関連」ではどうだろうか、もしかしたら逆コースもできるのでは

なかろうか。



もう、このブログにも何回も書いてきた、女性実業家。

私が初めて仕事をいただいた時、彼女は20代後半だったと思います。

今はアラ・フォーかもしれません。業態はキャバクラだと思いますが、4~5店と

エステ1店のオーナーです。店の設計はローカルでも名のある設計士さんにしかお願い

しません。インテリアには思いっきりお金を掛けゴージャスに。

3店舗目の時、私と設計士さんを連れて行き、見せてくれたのが、こちらのお店、「兼次郎」さん

私が見た時とちょっと違ってっていますのでリニューアルしたのだと思います。

設計士さんと顔を見合わせ、「えげつない、酷いインテリアだ」と思いました。

その時より幾分良くなっています。その前はどんなかというと、

未だにTVでやっている、お笑い番組などのバックの装飾でした。

金銀チカチカ、質の悪い造花やイルミネーションを天井からいたるところに

デザインもへったくれもないという有様。ただ驚かされたのが、店の中央に

1部屋が2畳位の女性専用のトイレを4部屋横並びにしてあったこと、しかも

室内は4方8方鏡張り。オーナーは誰あろう、飛ぶ鳥を落とす勢いの岡村さん

居酒屋王と言われています。それから兼次郎さんには看板もありません。



閉店しましたがチキン亭グループさん、ダン・グループさん、なすびグループさん、

正悦グループさん、タイタコーポレーションさん、これらにも藤枝発でありながら決して引けをとって

いません。(グループ内他店もHPでご覧ください)


これだけ、ゴージャスで楽しい空間があれば正に静岡まで行く必要はありません。

岡村さんがご両親から引継ぎ、居酒屋を始める時、どんな店を目指したらよいか

ということで、来る日も来る日もそれだけを考えていたそうですが、ある日

気がつきました。ここです。



「たくさんの素敵な居酒屋に出会いました、がそれでも自分の目指すものが分からず、

悩み考え続けました。そんな時、ふと『おふくろの姿』が目に入りました。

“ここにあった!こんなに近くに!”

お客様は皆、おふくろに会いに来ているんだ!おふくろの居るこの場所に

来ているんだ!全ては「人」だと気付いた時、目指すべき居酒屋は、

おふくろの赤ちょうちんが心・・・・・・」



これを読んだ時、私も「ハッ」っとしました。あの学生服屋の原点である、北街道

北側のシャッターが降りている私の実家の小さな店はその昔「何でも洋品店」でした。

紳士婦人子供衣料なんでも取り扱っていました。私が10歳の頃、母は53歳、

母が夜のお店番の日、鷹匠界隈にお勤めの30前後の男性客が大変多かった

ような気がします。何故あんな小さなお店にご来店くださるのかわかりますか?

今でこそカード時代で、誰でも月賦で買えますが、あの頃はなかなかそう簡単には

できるものではなく、母の勘ひとつでやっていたようです。

また、毎年新年の2日に瀬名~竜爪山の麓辺りまで守ってくださる

消防団の確か26分団じゃなかったかと思いますが、兎に角我が家の2階で

どんちゃん騒ぎをしに来るのですが、何故この人たちが毎年来て、いくら

消防だからって、酔っ払って2階の窓からおしっこはないだろと思っていました。

こうした母の“おもてなし”により、「今年も1年沢山買ってちょうだいね」という

ことだったのでしょう。あの北街道界隈の商店は主に北街道沿線のお客様により

生計がたっていたのです。


私の母と岡村さんのお母様がダブりました。「人か・・・・」


飲食ではありませんが、焼津・藤枝から立ち上げここまで来た、フォルテさん

静岡どころか、東京ですからね。


だいたい、どこの経営者も「人は宝」なんていうんですが、最近では

社員はパーツでいいんだ、育てようなんてことを考えるのはダメな経営者、

などという言葉も目にします。


※女性実業家さんは完全に静岡は長田地区の方で、ローカルでもやり方で

成功するはずと読んでの出店でした。また、焼津には私が大変お世話になっている

こんな会社もありますが、こちらは別格ですね。