日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

国民社会主義とは何か

2015年02月24日 23時26分56秒 | 愛国社会主義/ファシズム(結束主義)
まずは「国民社会主義(国家社会主義)」の一般的な解説を見ていきましょう。

Wikipedia
引用開始→
『国家社会主義(こっかしゃかいしゅぎ)とは、国家と社会主義を関連づけた思想や体制。日本では翻訳の関係もあり、以下の複数の内容の異なる思想を指す用語として使われている。

①国家社会主義(英語: state socialism) - 国家が社会主義または社会主義的諸政策を推進する思想。ドイツのフェルディナント・ラッサールの主張した社会主義や、オットー・フォン・ビスマルクの行った社会保障政策、ソ連型社会主義などの社会主義国家が、「国家社会主義」と呼ばれる場合がある。

②国家社会主義(英語: national socialism) - ナショナリズムと社会主義を結合した思想。国民社会主義、民族社会主義とも訳される。省略形の「ナチズム」(英語: Nazism)から辞書等では「ナチスの思想」と説明される例が多いが、最初の使用は1890年代のフランスのモーリス・バレスで、ドイツ語(ドイツ語: Nationalsozialismus)では1914年の思想を支持したルドルフ・チェーレンが最初に使用した。

③国家社会主義(日本) - 戦前の日本において高畠素之、赤松克麿らがとなえた「国家社会主義」。これは上述の各思想とは異なる。そして赤松は、自著では「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と称している。また北一輝の思想も「国家社会主義」と呼ばれる事がある。』
引用終わり


要約すると「Natinalism」(国家主義、国粋主義、民族主義、国民主義、愛国主義)「Socialism」(社会主義)を結びつけた思想だと言うことができます。

ちなみに、NatinanismとSocialismについてはファシズム運動の先達である外山恒一さんが解説しておられるので、そちらから引用させて頂きます。

『ナショナリズムは国家主義でも民族主義でもない

 ついでですから、ここで少し脇道にそれます。
 ナショナリズムという言葉は、国家主義、民族主義、あるいは国民主義などとさまざまに訳されます。しかし実は、ナショナリズムの語幹である「ネーション」の意味での「国」は、フランス革命を典型とする、「中世」を終わらせ「近代」を始める契機となったいくつもの歴史的な事件を経て、初めて登場するものです。「国民」としてのまとまりの意識を基盤とした共同体、それが「ネーション」です。ですからこれは、国家機構のようなものを指す「ステート」の意味の「国」とは違うことはもちろん、「エスニック」つまり「民族」とも違う概念です。移民など、民族的な出自が違う者であっても、「同じ〇〇国民」という感覚を持って形成されたまとまりが、「ネーション」です。
 となると、ナショナリズムを「国家主義」と訳すのはちょっとピント外れです。国家主義と云うと、国家権力(つまり政府の権限)を強化すべしというニュアンスになってしまいますが、そういう考え方とナショナリズムとは別のものだからです。また、同じように「民族主義」と訳すのもかなりズレています。ナショナリズムにおいて重要なのは、民族的な出自や血統のようなものではなく、一つの「国」を形成する一員としての自覚だからです。現在の日本で例えるならば、狭い意味での「日本民族、ヤマト民族」に属していようと、「在日朝鮮人」であろうと、あるいは「琉球民族」や「アイヌ民族」であろうと、「日本国」という一つの「国」を形成する「同じ日本国民」としてのまとまりを実現しようというのが、本来の意味でのナショナリズムです。「ナショナリズム」はやはり「国民主義」と訳しておくのが最も適切で、つまり国民単位の発想を定着させようという考え方です。これはもちろん、分権的な社会構造を放置するのではなく、中央集権的な統一国家のシステムを整備しようという発想にもつながります。
 ナショナリズムがいいとか悪いとか、あるいは国家主義や民族主義がいいとか悪いとかの話ではなしに、単に言葉の定義の問題として押さえておいてほしいことです。』

『「社会主義」の登場

 19世紀に入ると、フランス革命直後には最左翼であった急進的共和主義者のさらに左に、新しい政治勢力が登場します。社会主義者です。
 社会主義がなぜ社会主義の名で呼ばれるのか、実は私もよく分かっていないのですが、おそらく今で云う「社会派」みたいなニュアンスではなかったかと想像しています。
 というのも、実は「社会問題」という言葉そのものが、中世には存在しないのです。なぜかと云えば、ある時期までは、その社会が暮らしにくいものであるとすれば、それは為政者個人の性格や力量によるもので、為政者の首をすげ替えればそうしたことは解決可能であったからです。
 ところがある時期以降、そんな簡単な問題ではすまされない状況へと急速に変化していきます。資本主義の進展ということです。
 フランス革命自体、実は資本主義の急激な発達を助長するものでした。云いかえれば、中世のさまざまの制度が、資本主義の発達にとって足かせとなっていたということでもあります。職業選択の自由がないことはもちろん、王や貴族によって保護された一部の職人団体がさまざまの特殊権益を維持していたり、あるいは商品を流通させようとすればその過程のあちこちに税金がかけられていたりもします。職業選択の自由がないということにも関係しますが、例えば工場で大量の労働者を雇わないことには安価な商品の大量生産など不可能ですが、農民は農民、職人は職人という身分社会には、わざわざ工場に雇ってもらわなければ食っていけないような「なにものでもないただの人」というのがそもそもほとんど存在しないのです。そのため当時成長しつつあった初期の「資本家」の多くは、フランス革命において革命勢力側についたのです。
 ところがフランス革命を典型とする「中世」から「近代」への転換をもたらすいくつもの歴史的大事件と共に、資本主義のメカニズムが全面解放されていくに従い、その弊害もまた目に見える形で次々と表面化していきます。
 資本主義の発達には大量の労働者が必要とされますし、それを困難としていたさまざまの中世的諸制度が次々と撤廃されていきますから、資本家はありとあらゆる手段で、自らが経営する工場で働く労働者を確保します。食いつめた最下層の農民は、なまじ職業選択の自由があるために、そのまま最下層の工場労働者へと立場を移行させてゆきます。労働者を保護するための法律などほとんど整備されていない時代ですから、労働者たちは完全に資本家の云いなりです。多くの労働者は低賃金・長時間労働など劣悪な条件で酷使され、資本家側の一方的な都合で失業する可能性に日常的に直面しています。最下層の労働者や失業者、そして移民労働者たちがスラムを形成しはじめます。こうしてとくに都市部の住民は、一握りの資本家とその他大勢の貧しい労働者とに次第に二極分化していきます。
 このような、資本主義メカニズムの全面開花によるさまざまの深刻な問題は、為政者個人の責任に帰すことができません。これらは誰か特定の極悪な権力者がいるせいで生じている問題ではなく、資本主義という大きなメカニズムそれ自体が生み出している問題だからです。つまり、社会構造そのものをどうにかしないことには解決不能の問題であり、だからこれは「社会問題」なのです。そしてこの「社会問題」の解決を目指す人々が、「社会主義者」と呼ばれ始めるのです。』


さて、この国民社会主義の代表的な政党と言えば、「国民社会主義ドイツ労働者党」(National Sozialistische Deutsche Arbeiter Partei)通称ナチスです。(「ナチス」とは反対勢力が国民社会主義者に付けた蔑称です。以降、本ブログでは国民社会主義ドイツ労働者党をNSDAPと呼称します。)

NSDAPは政権獲得後はコーポラティズム第三の位置の立場から、労働組合を統合したドイツ労働戦線、失業対策組織の国家労働奉仕団、国民に余暇を提供し階級対立の無い「民族共同体」を目指す歓喜力行団、アウトバーン建設などの大規模な公共事業、勤労大衆のための手頃な価格の国民車計画であるフォルクスワーゲン構想など、私有財産制は維持しながらも社会主義的諸政策を推進しました。特にドイツ労働戦線は、資本主義と自由主義を敵と定義して労働者の社会保障を促進し、休み時間や定時労働を確立して大企業の国営化を行いました。

一方、ドイツ至上主義や汎ゲルマン主義を掲げて第一次世界大戦で失った領土の回復や伝統文化の保護、共産主義者とユダヤ人の排除を行いました。

NSDAPは左翼(社会主義者)のようにも右翼(国民主義者)のようにも見えます。

一般的にはNSDAPは極右政党だとされており、国民社会主義は極右思想に分類されています。

(『国民の知らない反日の実態』より)


はたして、国民社会主義とは左翼思想なのでしょうか、それとも右翼思想なのでしょうか。
次回は、国民社会主義の立場と右翼・左翼の長所と短所について解説していきたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿