日本祖国戦線

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ニュースを斬る~2679年1月27日【公害問題】

2019年01月27日 14時19分16秒 | 愛国社会主義/ファシズム(結束主義)
公害の悲惨さ語り続け 四日市ぜんそく最後の原告、野田之一さん死去

1/26(土) 7:06配信 毎日新聞



 大気汚染によるぜんそくで苦しんだ四日市公害訴訟の原告9人のうち、ただ一人存命していた野田之一さん。勝訴した1972年の報告集会で「青空が四日市に戻った時に『ありがとう』と言いたい」とあいさつしてから半世紀近い時が流れ、青空を取り戻した街を見届けて旅立った。自らの体験に基づく公害の悲惨さを熱く語り続け、教訓を次代に継ぐため疾走した87年の生涯だった。

 家業を継いで漁師をしていた野田さんがぜんそくを発症したのは30歳過ぎの62年ごろ。「息が吐けないから次の息を吸えないんやさ」。病院に入院し、1年も休漁すると生活費が底をついた。未明に起きて病院から漁に行き、夜は病院に戻ったという。

 やがて、増え続けるぜんそく患者の中から自殺者が出て、裁判で企業の責任を問うべきだとの声も出始めた。一方で勤務先を訴えることになる患者の家族からは反発も出た。野田さんは「俺らはこんな病気にかかるような悪いことを何もしていない。1審で負けたら控訴せず、皆で死のうと思った」と語っていた。

 67年9月、野田さんら9人は三菱油化など第1コンビナートの6社を相手に硫黄酸化物を含む排煙がぜんそくの発病要因として、津地裁四日市支部に損害賠償請求訴訟を起こした。全国初の大気汚染を巡る訴訟となった。

 6社の共同不法行為として原告全面勝訴の判決を勝ち取ったのは72年7月。喜びに沸く原告、支援者の背景にいつもと変わりなく煙突から煙を吐くコンビナートと灰色にかすんだ空が広がっていた。「青空が四日市に戻った時に……」の言葉はこの時に生まれた。

 長年の“封印”を解いたのは、判決から43年を経た2015年3月、公害資料館「四日市公害と環境未来館」が三重県四日市市内に開館した時。館内を回り、公害の歴史を真剣に伝えようとする姿勢を感じたという。「他の8人の原告は見れんかった。ほんとに長生きして良かった。おいらのためにできたようにも思えて、心の底からありがとうと思った」。ほっとしたように、ほほ笑んでいた。

 その年の暮れ、「四日市公害の語り部」として、ともに公害の教訓を伝え続けた盟友、沢井余志郎さんが87歳で他界した。柔和な表情で語る沢井さんと、太いしわがれ声でずけずけと話す野田さんは対照的ながら、名コンビだった。公害の生き証人2人を失った今、改めて教訓を後世にどう継承し、生かしていくかが問われる。【松本宣良】

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野田之一さんに謹んで哀悼の意を表します。

【公害問題】

戦後日本は重化学工業を重視することで飛躍的な経済成長を遂げ、経済大国となり人々の生活は便利になった。
しかし、その引き換えに大切な人名と自然を失ってしまったのである。
日本だけではない。欧米諸国はもちろん、新興のBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)も後を追いかけて成長と引き換えに自然を破壊し、国民の健康を損なっているのである。それ以外の国も自然を顧みない成長を選択すればそうなるだろう。

資本主義国も社会主義国も現代科学万能主義である点では共通している。
自然を科学の力で制御できるという傲慢が人類そのものを絶滅の危機に追いやっているのだ。

そこで私達は国民社会主義者として自然を信奉し、自然と共存する共同体社会持続可能な循環社会のための計画経済・統制経済を提唱している。

国民社会主義を提唱し実践したヒトラーは80年以上も前に、環境破壊が人類にもたらす破滅を説き、自然保護を政策として行ってきた。



「1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。
若いころ私は、『我が闘争』に、いずれ人間が大自然から復讐されると書いた。それが1989年以後の状態だ。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下すのだ。」



「20世紀末は天変地異の期間でもある。人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大かんばつが代わる代わる地球を襲うだろう。」


「1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。
2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまい(人心の荒廃も含めて)アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。」


「地下都市に、やがて人間は住むようになる。いや、そういう場所にしか住めなくなるだろう。
それほどの毒物や毒光がいずれ人類に、少なくとも人類の一部に降りかかる。各文明国はそれを避けて、地下に商店や会社や住居をつくる。ここはそのためのプロトタイプなのだ」


「たとえ戦争も災害もなくても、人間は21世紀、空気と水と食物の汚染だけで衰えていく。いや、その前に、肉食とアルコールとタバコでも衰える。だから私は肉も食べないし、酒もタバコもやらない(これは事実そうだった)。こうすれば、汚染で破滅する者よりは保つのだ」

「恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる。
気候もそうだ。とほうもない旱魃や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とに分かれる。」


「毒物や毒光がいずれ人類に、少なくとも人類の一部に降りかかる。」
工場排水や光化学スモッグ、PM2.5、あらゆる汚染物質によって苦しむ現代社会そのものである。



「とほうもない旱魃や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。」
地球温暖化による異常災害と海面上昇によって水没の危機にある太平洋の島々は自然による復讐なのだろうか。



現代文明の矛盾を見抜いていたヒトラーは、政権を獲得すると自然保護政策を打ち出していった。

政権獲得の1933年に動物保護法、1934年に国家狩猟法、1935年に帝国自然保護法が制定され、動物の虐待の禁止、麻酔なしの生体解剖の禁止、野生生物の保護のため雑木林の保護などが行われた。

「帝国自然保護法」には以下のような文言が刻まれている。

「森や野原の自然はドイツ民族の喜びであり大事な保養地である。ドイツの自然は経済的必要により破壊されてきたが、それが今、本質的な経済的損失になっている。我々は本質的な視野を持って、自然保護をしなければならない。そして、ドイツ帝国政府は最も貧しい国民でさえドイツの自然の恩恵に浴さなければならない。」

この法律によって、「天然記念物の設定」「自然保護の領域」「自然保護局の設置」などが定められた。

このような大規模な自然保護計画と現実の政治的介入の配慮を両立させた政策は世界初のものである評価されている。

国民社会主義ドイツ労働者党による保護法制は敗戦後の占領下においても「ナチス法制」と見られず、禁止されることもなく存続した。1933年の動物保護法は、1972年のドイツ連邦共和国による、やや緩和された立法が成立するまで使用が続けられ、帝国自然保護法も連邦自然保護法が成立する1976年まで、ラント法(州法)として効力を保った。

我々もまたヒトラーの先見の明に学び、これを超えた発想で自然を守らなければならない。

ブータン王国ではGNP(国民総生産)という尺度ではなく、GNH(国民総幸福量)という尺度を重視して自然と調和した開発を行っている。
しかし、現代日本のように開発されつくした国がブータンのようになるのは難しいだろう。



だが、開発されたドイツで自然と調和した経済政策を行った国民社会主義のやり方なら適用できるだろう。

日本は古来、自然を神と崇め奉ってきた神道の国である。その神道に回帰することこそ自然と国民の健康を守る道である。

そして、その精神こそ地球全体の環境を守り、人類を存続させる道である。

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1 コメント

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Unknown (大和民族の団結)
2019-01-30 15:31:35
お久しぶりです。
私も賛成します。日本人は、古来から山々や海などの自然に神秘性を見いだし、自然の神々による多神教の神道を発展させていきました。
まさに、日本にとってもまた、日本列島に数多く存在する美しい自然や国土は宝です。自然を顧みない経済発展を優先する唯物論的思想は、唯心論的な日本人の伝統精神には適合しません。

自然保護主義は従来の保守においては重視されてきませんでしたが、我々国家社会主義は、この政策についても、しっかり主張していくべきだと考えます。
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