日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

二・二六維新革命の裏にあった先進的な思想~新時代の思想

2019年02月27日 09時16分10秒 | 愛国社会主義/ファシズム(結束主義)
昨日、2月26日は「皇道派」と呼ばれる陸軍青年将校が蜂起した二・二六維新革命が起きた日である。



いわゆる二・二六事件は暴力性や軍によるクーデター、その後の軍部政権への萌芽として語られることが多いが、その背景にあった先進的な思想は知られていない。

私が駄文で解説するよりも「大和民族の団結」氏の記事の方が簡潔で分かりやすいので、そちらを引用させて頂く。


二・二六事件の日 今日の日本の状況は、当時に似てきていないか


今日、二月二十六日は昭和史の中でも衝撃的な事件として扱われる二・二六事件の起こった日である。相沢事件を発端に、陸軍皇道派の青年将校が隆起して高橋是清財務大臣ら政府要職を次々と襲撃し、殺害していったこの事件の、勃発の背景や当時の世間の情勢などを顧みれば、今日の日本の政治状況が似てきているように思われる。

(続く)

学校の歴史教科書などにおいては、二・二六事件は単に「軍部の暴走」などとだけ扱われることが多いが、二・二六事件の背景には、当時の日本の状況があった。二・二六事件は、陸軍全体が反乱を起こしたかのようによく思われるのだが、実際にはそうではない。この事件は陸軍の中でも皇道派と統制派という二つの派閥があって、事件の根本にはその二つの派閥の対立というものがあるのである。そして、この皇道派が二・二六事件を起こし、結果これが失敗して壊滅し、その後東條英機など統制派の台頭につながっていった。
では、この皇道派とはどういったもので、何を目指した人々なのか。皇道派が目指したのは「昭和維新」である。この昭和維新の論理的指導者となったのが、二・二六事件の収束後に処刑された、国家社会主義者の思想家である北一輝である。北一輝が著した「日本改造法案大綱」の内容が、昭和維新の思想を形成していった。
皇道派が何を目指したのか、そしてなぜ実際に行動に移されるに至ったのかを見ると、当時の日本の状況と、今日の日本の状況が似通った状況にあることが自ずと分かるだろう。


まず、皇道派の目指した昭和維新の論理的支柱となった日本改造法案大綱には何が記されているのか、大きく大別して北の八つの主張が記されている。一巻には、「国民の天皇」を主張し、天皇の意義を説いた。北は天皇の意義の変遷を三段階に分類し、「すべての土地と人民とを私有財産として所有し生殺与奪の権を有した」古代の天皇から、「各々の範囲において土地と人氏とを私有した小君主の盟主たる幕府に、光栄を加冠するローマ法王として、国民信仰の伝統的中心としての意義を持つ」中世の時代、そして明治維新に始まる第三期の天皇の意義は、まず明治の時代を「武士と人氏との人格的覚醒により、おのおのその君主たる将軍または諸侯の私有より解放されんとしたる維新革命に始まれる民主国時代と定義した上で、天皇の意義を「純然たる政治的中心の意義を有し、この国民運動の指揮者たりし以来現代民主国の総代表として国家を代表する者」と定義した。つまり、北は明治維新の本質を民主主義の闘争にあると定義し、明治維新以降の国家体制を「天皇を中心とする近代民主主義国家」と定義したということである。

その上で、北は「皇族財産の国庫支出化」「華族制度の廃止」「男女普通選挙の実現」「治安警察法や新聞紙条例など国民の自由を拘束する法律の廃止」といったことをこの一巻で訴えたのである。それは、まさに天皇を象徴としていただき、その上で臣民平等の世を実現せんとする主張に他ならない。

そしてさらに北は二巻でさらに平等ということに踏み込む具体的内容を示している。まず、「私有財産の制限である。北は現状の富の偏りを、「経済的組織から見ると、統一国家ではなく経済的戦国時代であり経済的封建時代である」と経済格差による国家の分散を指摘し、その上で一世帯の保有する資産を一百万円(当時のレートで一億円ほどか)までと規定した。そして、「貨幣の悪制度のために、富が彼ら少数者に停滞し蓄積している」として、限度を超えた私有財産は、無償で国家に納付されるべきだと説いた。同時に、国家への納付者はその功労を明らかに表彰するべきであるともしている。
これとともに、第三巻では「私有地の制限」(大地主解体)を訴えている。「資本的経済組織のために、大多数国民がその生活基礎たる土地を奪取せられつつあるを見るとき、国家は当然に土地兼併者の自由を制限すべし」として、「所定の時価を超える土地の所有を制限」するということを盛り込んだ。さらに、超過者から徴収した土地は、分割して土地を持たざる農業者に給付することをも、北は主張したのである。
同じように、第四巻では、私人生産業の制限、すなわち財閥の解体を主張し、生産業の資本の限度を一千万円(当時のレートで百億円程度)程度とした上で、これを超過する場合は国家がその資本を徴集して、国家の統一的経営となすべきだと訴えた。そして、銀行、航海、鉱業、農業、工業、商業、鉄道を国営化して国家の統一的生産組織とするべきであると主張した。

北が主張したのは、こういったことだけでなく、国民の権利に関する主張も含まれる。まず、第五巻において北は、「労働者の権利」を主張した。労働者の賃金については「現今においては資本制度の圧迫によりて労働者は自由契約の名の下に全然自由を拘束せられたる賃銀契約をなしつつあり」とした上で、「等しく労働者というも各人の能率に差等あり。特に将来日本領土内に居住しまたは国民権を取得する者多き時、国家が一々の異民族につきその能率と賃銀とに干渉し得べきにあらず」ともしており、ここに共産主義との明確な違いがあることが分かる。
その上で、北は、労働者の保護について労働時間を「一日八時間とし、日曜祭日は休日となして賃金を支払う」と労働時間を明確に法律で定めるべきだと主張した上で、さらに企業は利益の二分の一を労働者に配当しなければならないとした。労働者を守るため、労働分配率の制限まで盛り込んでいるのである。今の日本の労働分配率は、安倍政権発足以降連続で低下し、四十三パーセント程度になっているが、北がこれを見たらどう思うだろうか。さらに北は、満十六歳未満の幼年労働を禁止するという、今の労働法制とほぼ同じ主張をし、児童を強制労働から守るべきだとした。さらに、「 婦人の労働は男子と共に自由にして平等なり」とし、婦人の労働を男子と差別してはならないという、男女雇用機会均等法や男女共同参画に通じる現代的な主張をしているのである。

また、第六巻においては、北は国民の権利について主張した。まず、「満十五歳未満の父母または父なき児童は、国家の児童たる権利において、一律に国家の養育および教育を受くべし」と、なんと教育を受ける権利及び教育を受けさせる義務について規定。さらに、「貧困にして実男子また養男子なき六十歳以上の男女、および父または男子なくして貧困かつ労働に堪えざる不具廃疾は国家これが扶養の義務を負う」として、現代の児童手当もしくは生活保護制度に通じる社会保障制度を主張している。さらに、「 国民教育の期間を、満六歳より満十六歳までの十ヵ年間とし、男女を同一に教育す。」と、教育の男女平等化を主張した上で、「この国民教育は国民の権利として受くるものなるをもって無月謝、教科書給付中食の学校支弁を方針とす」として、教育の無償化及び給食制度の開始をも主張しているのである。
さらに、「その夫またはその子が自己の労働を重視して婦人の分科的労働を侮蔑する言動はこれを婦人人権の蹂躙と認む。婦人はこれを告訴してその権利を保護せらるる法律を得べし。」と女性の人権保護について明確にするとともに、「日本国民は平等自由の国民たる人権を保障せらる」と、当時憲法には明示されていなかった、包括的な人権保障を主張している。そして、「 末決監にある刑事被告の人権を損傷せざる制度を定むべし。また被告は弁護士のほかに自己を証明し弁護し得べき知己友人その他を弁護人たらしむべき完全の人権を有すべし」として、刑事事件における被疑者の人権保障をも主張している。


さて、ここまで皇道派の目指した昭和維新の論理的指導者となった北一輝の思想について、見てきたが、とても細かくなってしまったものの、「皇族財産の国庫支出化」「華族制度の廃止」「男女普通選挙の実現」「治安警察法や新聞紙条例など国民の自由を拘束する法律の廃止」「私有財産制限」「私有地制限」「財閥解体」「主要産業の国有化」「労働時間の制限」「児童労働の禁止」「労働分配率の制限」「男女の労働差別禁止」「国家の教育の義務化」「児童手当及び生活保護制度」「教育無償化」「給食制度開始」「女性の人権保障」「包括的な人権保障」「弁護権」といったことで、一言でいえば財閥など強者をくじき、労働者や子ども、女性など国民一人ひとりの権利を保障して平等を実現する、いくつか現代にも通じる制度を含む極めて近代的な主張内容なのであると分かる。
驚くべきことに、皇道派はその過激な言動とは裏腹に、実際にやろうとしていたことは極めて近代的でありなおかつ弱者の権利を保障する社会重視の政策だったのである。これらを踏まえると、その時の状況が今の日本に少し似ていることに気がつく。もちろん、現状では自衛隊が政権に反旗をひるがえすということはあり得ないが、その背景が似てきているということである。

そもそも、今示したような政策は、今でこそいくつか実現されているものの、財閥主導の経済で、大地主と小作農という構図が当然であった当時の日本の経済状況から見れば、あまりにも突飛なものだったのである。しかし、どうしてこれらを実現するために、皇道派が決起に至ったのか。そこには国民の熱烈な支持があったのだ。
当時の日本は、世界恐慌から脱した後とはいえ、財閥の支配する経済によって格差が広がっていた。特に農家は生活が疲弊し、身売りなどが相次いでいた。軍部の青年将校には農家や地方出身者も多く、彼らにとってはそれは極めて大変なことであった。そういった中で、財閥と絡み合った政府や、政党はそういった現状に対して何ら対策を打とうとしなかった。そういった中で、国民は政党政治に対する失望感を抱き、相対的に軍部に対する期待を抱くようになっていったということである。
その中で、当時の軍部内での、荒木貞夫や林銑十郎、永田鉄山、真崎甚三郎、小畑敏四郎らが絡む軍閥争いがこういったことに結びつき、最終的には二・二六事件が発生するに至ってしまった。この当時の世間では、今の社会は酷い社会であると考えられるとともに、この事件の主犯となった磯部浅一が「日露戦争や大逆事件以前の日本を社会の閉塞感・国家と国民との隔たりを感じさせない理想国家」として捉えていたことなど、「かつての日本が良かった」と捉えられる風潮にあったという。

今の日本は、二十年間に及ぶ労働法制の緩和により、多くの中間層が没落し格差が広がったその結果、一人ひとりの消費も落ち、経済が悪化し、それによって国民全体が貧困化して所得の中央値が下がり、結果的に相対的貧困率が回復するという酷すぎる経済格差の状況にある。その上、多くの労働者はデフレ化による低賃金での過剰労働に苦しみ、余暇も十分ではない。
これに対して歴代の政権は必要な対策を打つどころか、大企業と結託してさらなる新自由主義政策に出続け、いよいよ国民の生活は破綻寸前に陥っている。こういった中で、安倍政権もとうとう残業代ゼロ法であるとか裁量労働制であるとか、さらなる労働規制の緩和に踏み切っていこうとしている。
野党はこれに十分対抗できず、ほぼ自民党の思い通りになっている。自民党の国会議員も安倍政権の姿勢をほぼ追認するのみで、議論がほとんど存在しない。もはや、安倍政権の権勢の前では、政党政治も三権分立もほとんど形骸化しているとしか言いようがないのである。


政治に失望した国民が自衛隊に期待し、実際に自衛隊が反乱を起こすなどということはほとんど考えられないが、それでも、二・二六事件の背景と、今日の日本の状況は僅かであるが似つつある。このような国民の苦しみを放置することは、なにかの思わぬ暴発を招くことになるのである。安倍政権は、このことを甘く見るべきではない。

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(引用終わり)

私は昭和恐慌を収束させた高橋是清公が標的にされ、失われたことは残念に思っているが、維新が成功し北一輝の綱領通りに改革が成されていれば、日本は数十年早く一億総中流の社会を実現できていたのではないかと考えている。

また北一輝や荒木貞夫が中国と融和的だったことから後の支那事変や大東亜戦争はなかった。
戦争が避けられなかったにしても違ったものになっていたと思っている。

一方で、皇道派と対立した統制派の永田鉄山将軍は「平和の維持は軍人の最大の務め」と記す程の平和主義者であった。
永田鉄山は政党と協調する道も模索しており、今日の文民統制(シビリアンコントロール)を先取りした「軍部大臣文官制」の研究していた。

その永田鉄山の死が二・二六事件の引き金となり、軍部台頭の元となるのだが、皇道派も永田鉄山もあのような軍政は望んでいなかったと思う。
東條英機は実直で天皇への忠誠心や国民への態度は真摯なものだったが、皇道派や永田鉄山、あるいは石原莞爾のような構想があれば敗戦を回避できたであろう。

戦前は原敬、犬養毅、永田鉄山、高橋是清、北一輝、石原莞爾、小畑敏四郎などあらゆる偉大な政治家、思想家がみだりに命を落とし、政争で退場していった。

今は無益な殺し合いで頭脳を失っていられるほどの猶予はない。
立場・思想が異なる人物同士でも国家・社会のために結束して事にあたるべきである。
そのような「調和」こそ新時代の結束主義(ファシズム)であるべきだ。

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