国民社会主義が右翼思想であるか、左翼思想であるかを論じる前に「右翼」と「左翼」の定義について解説することから始めていきたいと思います。
「右翼」「左翼」という言葉がはじめて登場したのは1789年のフランス革命に遡ります。
革命後、組織された国民議会で急進主義を主張したジャコバン党などが議長席から見て「左」側に座り、穏健主義を主張したジロンド党やブルボン王党派が議長席からみて「右」側に座ったことに由来します。
端的に言えば
現状の社会を維持しようとする者が「右翼」
現状の社会を変革しようとする者が「左翼」
ということになります。
幕末の日本で言うならば、
徳川幕府を支える佐幕派が「右翼」
(松平容保公)
明治維新を目指す討幕派が「左翼」
(高杉晋作烈士)
となります。
現状の体制に対しての変革するか維持するかが左右の違いであるため、維新が成功した後は
討幕派だった者達が「右翼」
自由民権派が「左翼」
という具合に、時代とともに右翼と左翼の立場は変わってきます。
前置きが長くなりましたが、右翼と左翼は「どうやって良い国をつくるか?」というテーマに対しての方法論が異なるだけで「愛国心」は共有している筈です。(共有していなくてはいけません。)
さて、現在の日本の右翼と左翼はどうでしょうか。
ここで言う「右翼」とは、愛国者のイメージを悪くするために朝鮮人や創価学会員が偽装している「街宣右翼(害鮮右翼)」ではなく、「戦後体制の破壊」「国軍建設」などを主張している行動右翼・民族派の皆さんを指します。
また、「左翼」とは、ただのテロリストの中核派や革マル派などではなく、曲がりなりにも庶民のことを考えて社会の変革を目指している共産党や安保闘争時代の学生左翼を指します。
しかし、民族派も共産主義者も政権を取ることはできませんでした。
何故なら、彼らの主張には限界があったからです。
民族派は、戦勝国による支配体制(ヤルタ・ポツダム体制)の打倒、尊皇徹底、国軍建設など「国民主義」の立場から主張を行いました。
三島由紀夫先生は命を賭して憲法改正・国軍建設を訴えましたが、叶うことはできませんでした。
共産党は、ブラック企業の根絶や労働者の生活向上など「社会主義」の立場から活動をしています。
しかし、衆議院で30議席以上に成長したことはありません。
両者とも主張自体は間違っていないのに、何故台頭できなかったのか?
それは、民族派が「国民主義」の域に止まり、共産党が「社会主義」の域から出ていないからです。
民族派の国民主義の主張である皇室守護・国防充実は「国家的」な観点から大切なことです。
しかし、民族派は庶民の為になる経済政策を提唱できませんでした。
国民は「国家的」な観点だけでは生活できません。
一方、共産党の社会主義の主張である格差是正・福祉推進は「大衆的」な観点から大切なことです。
しかし、共産党は反皇室、軍備放棄、日の丸・君が代反対を主張しました。
「大衆的」には満足できても、国家の根幹たる皇室・国体・国防が無ければ本末転倒です。
つまり、両者の運動が成功するためには「国家的」観点と「大衆的」観点の両方が必要だったのです。
この両方を組み合わせると一体どうなるのか?
国民主義+社会主義=国民社会主義
国民社会主義の誕生です。
国民主義(右翼)は社会主義(左翼)なくして政権は取れず、
社会主義(左翼)は国民主義(右翼)なくして改革を行えないのです。
国民社会主義は左右両翼を併せ持つ思想だと分かりました。
では、国民社会主義にどのような可能性があるのか次回はその展望を語っていきたいと思います。
「右翼」「左翼」という言葉がはじめて登場したのは1789年のフランス革命に遡ります。
革命後、組織された国民議会で急進主義を主張したジャコバン党などが議長席から見て「左」側に座り、穏健主義を主張したジロンド党やブルボン王党派が議長席からみて「右」側に座ったことに由来します。
端的に言えば
現状の社会を維持しようとする者が「右翼」
現状の社会を変革しようとする者が「左翼」
ということになります。
幕末の日本で言うならば、
徳川幕府を支える佐幕派が「右翼」
(松平容保公)
明治維新を目指す討幕派が「左翼」
(高杉晋作烈士)
となります。
現状の体制に対しての変革するか維持するかが左右の違いであるため、維新が成功した後は
討幕派だった者達が「右翼」
自由民権派が「左翼」
という具合に、時代とともに右翼と左翼の立場は変わってきます。
前置きが長くなりましたが、右翼と左翼は「どうやって良い国をつくるか?」というテーマに対しての方法論が異なるだけで「愛国心」は共有している筈です。(共有していなくてはいけません。)
さて、現在の日本の右翼と左翼はどうでしょうか。
ここで言う「右翼」とは、愛国者のイメージを悪くするために朝鮮人や創価学会員が偽装している「街宣右翼(害鮮右翼)」ではなく、「戦後体制の破壊」「国軍建設」などを主張している行動右翼・民族派の皆さんを指します。
また、「左翼」とは、ただのテロリストの中核派や革マル派などではなく、曲がりなりにも庶民のことを考えて社会の変革を目指している共産党や安保闘争時代の学生左翼を指します。
しかし、民族派も共産主義者も政権を取ることはできませんでした。
何故なら、彼らの主張には限界があったからです。
民族派は、戦勝国による支配体制(ヤルタ・ポツダム体制)の打倒、尊皇徹底、国軍建設など「国民主義」の立場から主張を行いました。
三島由紀夫先生は命を賭して憲法改正・国軍建設を訴えましたが、叶うことはできませんでした。
共産党は、ブラック企業の根絶や労働者の生活向上など「社会主義」の立場から活動をしています。
しかし、衆議院で30議席以上に成長したことはありません。
両者とも主張自体は間違っていないのに、何故台頭できなかったのか?
それは、民族派が「国民主義」の域に止まり、共産党が「社会主義」の域から出ていないからです。
民族派の国民主義の主張である皇室守護・国防充実は「国家的」な観点から大切なことです。
しかし、民族派は庶民の為になる経済政策を提唱できませんでした。
国民は「国家的」な観点だけでは生活できません。
一方、共産党の社会主義の主張である格差是正・福祉推進は「大衆的」な観点から大切なことです。
しかし、共産党は反皇室、軍備放棄、日の丸・君が代反対を主張しました。
「大衆的」には満足できても、国家の根幹たる皇室・国体・国防が無ければ本末転倒です。
つまり、両者の運動が成功するためには「国家的」観点と「大衆的」観点の両方が必要だったのです。
この両方を組み合わせると一体どうなるのか?
国民主義+社会主義=国民社会主義
国民社会主義の誕生です。
国民主義(右翼)は社会主義(左翼)なくして政権は取れず、
社会主義(左翼)は国民主義(右翼)なくして改革を行えないのです。
国民社会主義は左右両翼を併せ持つ思想だと分かりました。
では、国民社会主義にどのような可能性があるのか次回はその展望を語っていきたいと思います。
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