日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

大韓の誇りを捨て去る韓奸文在寅~金正恩ともども打倒せよ

2018年04月30日 11時58分08秒 | 国際情勢
昨日、4月29日は昭和天皇陛下の御誕生日である「昭和節」であり、臣民として深くお祝い申し上げるものであります。
そして現在、日本と世界の平和を希求してこられた昭和天皇、そして歴代天皇と今上天皇の理想から遠く離れた国際情勢を憂い、解決への努力を誓うものであります。

「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風はたちさわぐらむ」
(明治天皇)

「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」
(昭和天皇)

「国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願ひあゆまむ」
(今上天皇)


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【韓半島(朝鮮半島)は嘘と偽善にまみれたマヤカシの統一へ向かおうとしているのか?】



境界線、互いに越えた南北首脳 金氏「心ときめいて…」

4/27(金) 12:16配信  朝日新聞

 北朝鮮の指導者が史上初めて韓国側に入って開かれた南北首脳会談。27日、2人の首脳は、笑顔を見せながら軍事境界線上で固く握手を交わし、親密ぶりを演出した。

 板門店の北朝鮮側地域では、この日朝から、通常の兵士に代わって背広姿の警備要員が警戒に就いた。

 午前9時27分、黒い人民服に身を包んだ金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が、北朝鮮施設「板門閣」から警護要員に囲まれて姿を現した。

 紺のスーツに青いネクタイを締めた韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が、軍事境界線で待ち受ける。正恩氏は軍事境界線まで、一人でゆっくりと徒歩で進んだ。

 両首脳は午前9時29分、軍事境界線上で握手した。笑顔で言葉を交わした後、9時30分に正恩氏が韓国側地域に足を踏み入れた。韓国合同取材団によれば、正恩氏は「心がときめいて止まりません。歴史的な場所で会ったのですから」とあいさつ。文氏は「ここまで来られたのは大きな勇断でした」と話しかけた。

 すると今度は、正恩氏が文氏に北朝鮮側に入るよう促した。2人は手をつないだまま、北側にも一度入った。予定外のできごとだった。

 両首脳は、会談を行う「平和の家」に徒歩で向かった。両首脳を迎える韓国の儀仗(ぎじょう)隊は、朝鮮半島の伝統服に身を包み、伝統音楽を奏でた。正恩氏は文氏と共に徒歩で移動しながら笑顔を見せた。一方で、周囲に視線も飛ばし、緊張した様子も見せた。正恩氏の実妹、金与正氏はグレーのスーツ姿。儀仗隊の外側から、両首脳の歩みを見守るように随行した。

 「平和の家」前での記念撮影は、当初首脳2人による撮影が予定されていた。だが正恩氏が周囲に話しかけた後、南北の随行員を交えた撮影に変わった。

 午前10時16分。「平和の家」で両首脳が再び向き合った。首脳会談が始まった。

 正恩氏は笑顔で「歩いてみると、とても簡単に越えられた」と軍事境界線を越えた瞬間を振り返り、「平壌から苦労しながら平壌冷麺を持ってきた。召し上がってください」と語りかけた。文氏も満面の笑みで応え、「韓半島の春が真っ盛りです。韓半島の春に、全世界が注目をしています」と話した。

 韓国側は任鍾晳大統領府秘書室長と徐薫国家情報院長、北朝鮮側は金英哲党副委員長と金与正氏が同席した。与正氏は、正恩氏の言葉をつぶさに書き留めているようだった。午前中の会談は午前11時55分まで続いた。

 北朝鮮の官営メディアは昨年末まで、文在寅政権について「同族対決を追求している」「北南関係は落第だ」などと厳しく批判してきた。だが今年1月1日の金正恩氏の新年演説で態度を急変させた。

 文氏の外交ブレーンらによれば、文氏に近い国会議員やブレーンらが昨年5月の政権発足後、中国などで繰り返し北朝鮮側と接触し、南北関係の改善を訴えてきた。北朝鮮側は「どんな状況になっても、文政権はついてくる」(関係筋)と判断し、南北対話に踏み切ったという。

 関係筋の一人によれば、北朝鮮は27日の首脳会談について、「米朝首脳会談に結びつけるためにも失敗が許されない会談」と位置づけている。米朝は現在、米朝首脳合意に具体的な非核化措置を盛り込むかどうかで、水面下で綱引きを続けている。南北会談が成功すれば、米朝会談に向けて韓国の側面支援を得られると計算しているという。

 労働新聞(電子版)は27日、「今回の首脳会談は金正恩委員長の熱い民族愛と確固たる統一の意志、大胆な決断と雅量によってもたらされた歴史的な出来事である」と強調した。

 南北関係改善を政権の最重要課題に位置づけてきた文政権も、会談を成功させたい思惑では同じだ。首脳間で良好な信頼関係を築くことに成功すれば、米朝合意後に改めて南北首脳会談を開き、本格的な関係改善を話し合う道も開けると考えている。

 韓国の一部には「人権侵害を続けている金正恩氏を手放しで称賛して良いのか」という声も出ている。(高陽=牧野愛博)

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中国には国賊・売国奴を指して「漢奸」という言葉があるが、言うなれば文在寅は「韓奸」である。

軍事境界線にて北韓の金正恩を迎える様は、君主に対する従者のようであった。



当ブログ及び「愛国社会主義日本労働者戦線」は戦後体制(ヤルタ・ポツダム体制)を否定し、全世界において民族自決を尊重する立場から、韓半島の正当政府とは1910年まで存在した「大韓帝国」であり、韓国の純宗皇帝陛下の決断により日本に併合され1945年まで日本統治が続いた後、終戦後、韓半島の政治的空白を避けるため朝鮮総督府が呂運亨(ヨ・ウニョン)に要請して成立した「朝鮮人民共和国」であると考えている。

「朝鮮人民共和国」を正統とする立場から「大韓民国」及び「朝鮮民主主義人民共和国」を否定している。

朝鮮人民共和国

朝鮮人民共和国(ちょうせんじんみんきょうわこく)は、大日本帝国が大東亜戦争に関するポツダム宣言の受諾を宣言(玉音放送)した後、朝鮮総督府から朝鮮の行政権を移譲されて1945年9月6日から短期間存在した臨時政府である[3]。
国家の承認、政府承認をした国や外交関係を樹立した国もないため、大韓民国臨時政府と同様に国際法上の「国家」とは言えない。だが、朝鮮人民共和国の地方組織である人民委員会は、ソ連軍が占領した北朝鮮(北緯38度線以北)地域で存続し続け、後の北朝鮮人民委員会、更には朝鮮民主主義人民共和国の礎となっていった。

設立
日本のポツダム宣言受諾後、朝鮮総督府政務総監の遠藤柳作は日本統治終了以後の朝鮮半島が無政府状態に陥るのを恐れ、民衆保護のため朝鮮人による政府樹立を、人望のあった政治活動家呂運亨に要請した。呂は8月15日、ただちに朝鮮建国準備委員会(建準)を設置し、朝鮮総督府から行政権の事実上の移譲を受けることになり、翌月の9月6日には建国宣言を行った。発表された閣僚名簿には金日成と李承晩が含まれていた。

その後
9月8日、朝鮮半島に上陸した連合国軍(実質的にアメリカ軍)は臨時政府を認知せず、アメリカ軍政庁を設置した。
その後、臨時政府はアメリカとソ連の冷戦により短期間で瓦解、連合国側の当初のプランであった信託統治についても冷戦の影響で決裂する。朝鮮の世論は信託統治への賛否で二分され、信託統治に反対する右派は「非常国民会議」を結成、一方で朝鮮人民共和国のメンバーは1946年2月に民主主義民族戦線に発展的に解消した。これを契機に朝鮮は分断へと突き進むことになった。1947年には呂運亨は右翼に暗殺され、1948年に親米的な李承晩を首班とした大韓民国が、アメリカの承認のもとで朝鮮半島南部に建国されることになる。

備考
この「朝鮮人民共和国」は、実態を超えて、統一朝鮮を願う者にとっては失われた理想を示す言葉として幻の共和国とも呼ばれ、理想化して語られることがある。実際、この時期の朝鮮には路線の違いはあれ、長い日本による統治から解放され自由で民主的な社会(国家)を作ろうとする熱気に包まれていた。朝鮮の民族運動に対するアメリカ軍とソ連軍(赤軍)の無理解も、朝鮮の分断の固定化と長期化に繋がったとされる。

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(大韓帝国)


(朝鮮人民共和国)


(呂運亨)

この呂運亨という人物は吉野作造に「稀にみる尊敬すべき人格」と評価された知識人で、穏健な朝鮮独立運動を行っていた。
大東亜戦争終戦間際、神道思想家の葦津珍彦を朝鮮ホテルの一室に呼び、「日本敗戦後の対日弾圧は、徹底して厳しく、日本の諸君の想像以上の存亡の危機に立つ。朝鮮は形は独立するが、建国の人材に乏しく極東の弱小国にすぎない。この極東の状況は明白だし、この時こそ日韓両相扶け相和すべきの天機。私はその為に全力を尽くす」と主張した上で、彼に「萬里相助」としたためた書を贈っている。

もし、呂運亨のもとで「朝鮮人民共和国」が独立していれば、同胞同士で殺し合った朝鮮戦争の悲劇もなく、金一族の独裁共産王朝も歴代大統領が悲惨な目に遭う韓国の政治混乱もなかっただろう。
日本と朝鮮も良き隣人、いや兄弟国として相助のもとに発展できたであろう。

しかし、歴史は残酷であった。

アメリカは李承晩を傀儡に立てて「大韓民国」を建国し、ソ連は金日成を傀儡に立てて「朝鮮民主主義人民共和国」を建国した。
そして、同胞同士で血みどろの殺し合いを演じてきた。
李承晩は日本から竹島を奪って、国民に反日洗脳を施してきた。
金日成は共産主義から金一族崇拝思想に転換し、最早「共産国」とは呼べぬ世にも奇妙な王朝を作った。金正日は日本人同胞を誘拐し、金正恩の代に至っている。

この、「大韓民国」と「金王朝」もアメリカの植民地と化した現在の「日本国」と同じように、ヤルタ・ポツダム体制によってつくられた国家であり、どちらも打倒して韓民族による自主独立国家となるべきだと我々は主張している。

そのために、まず日本はアメリカ傀儡から脱却し、同時に韓国は勿論、世界各国の民族主義者との団結を目指していかなくてはならない。


この立場を踏まえた上で、我々は「大韓民国」の方が「金王朝」より正統だとして韓国支持を表明している。

何故なら、韓国は朝鮮の伝統である「太極旗」を掲げているからである。



韓国(朝鮮)唯一の旗は太極旗~赤色統一旗を燃やし尽くせ
https://blog.goo.ne.jp/shishisamurai/e/93c4859e8c8cae0a4afe847e42306f19


そして、その「太極旗」を掲げて共産主義勢力と闘ったのが旧日本軍や満州国軍の朝鮮人であったからだ。

【特集】日本と亜細亜~大東亜戦争【シリーズ】第一弾「花郎道と太極旗」
https://blog.goo.ne.jp/shishisamurai/e/5d7f5599cd6269ab48b6a592ff121c10







(韓国軍出征兵への寄せ書き)


(在日韓国人義勇兵に対して日本人が送った寄せ書き)

「大韓民国」という国家はアメリカの傀儡にして、頑迷な反日主義者である李承晩によって建国された国家でありながら、大韓民国軍の中には皇軍が生きていたのである。

だからこそ、当ブログは「大韓民国」を反戦後体制の立場から否定する一方、支持もしている。
「大韓帝国」や「朝鮮人民共和国」のように韓民族の独立国家建設は「大韓民国」が基盤たるべきだと考えている。
まして、韓民族を最も虐殺してきた北韓などは唾棄すべきものだ。

その上で、韓国を北韓に売り渡そうとする韓奸文在寅に対して断固として対峙していくものである。

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1 コメント

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Unknown (政治ブログ「大和民族の団結」・管理人)
2018-05-02 01:03:20
北韓傀儡の文在寅はもとより、米国トランプ政権も今回の件で北韓に宥和的姿勢を示しているように見えます。
米国の影響力の縮小と、それに伴う中共との宥和化により、韓半島の緊張が解けつつあるものだと思います。私も、このままではついには中共の影響力のもと、北韓主導での朝鮮統一すらされてしまいかねない深刻な情勢であると見ています。

しかし、米国従属の日本では何も出来ません。これまで我々が主張していた対米独立の必要性がより一層明らかになったと言えます。
韓半島における米国の影響力が縮小し、中共の影響力が大きくなりつつある中で、中共傀儡でも米国傀儡でもない、朝鮮民族の自決国家、正統な朝鮮を作り上げるには、仰る通り、日本がまずは米国から独立し、独自外交を取れるようにならなければならないと考えます。

そして、韓国の民族主義と強固に連携して文在寅傀儡政権を打倒し、北韓と立ち向かう必要があります。日韓共同核武装というのも、そのための一つの手段であると思います。米国依存のもとではない、真の日韓連携がなければ、最終的に米国に捨てられ、このまま韓半島は飲み込まれてしまいます。
その呂運亨の「日韓両相扶け相和すべきの天機」の精神が、今再び試されている局面にあるということでありましょう。
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