獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後(4)

2022-03-26 01:16:42 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■創価をやめても意外と人間関係で悩みませんでした    投稿日: 2015年10月11日

自分が世界で唯一正しい宗教だと信じていた創価学会がじつは詐欺団体だったということを受け入れるには、そうとうな困難が生じるものです。さらにその創価学会は途中からおかしくなって宗教団体から詐欺団体に変ったのではなく、もともとから詐欺団体としてすべての会員を騙していた。つまり最初から会員からお金を騙しとるのが目的でつくられた詐欺団体に騙されてきたのだということは、そう簡単には受け入れられないでしょう。それは自分が騙されてきたこともさることながら、そのつもりはなくても自分も人を騙してきたということを認めなければならないからです。人の役にたてることがしたくて慈善団体でボランティア活動を一生懸命やってきたつもりが、じつは知らないうちに暴力団の麻薬密売をしていた。これくらいのショックがあります。しかし知らなかったこととはいえ、自分の人生も、家族の人生も、他人の人生も無駄に過ごさせてしまったことには変わりはありません。若いときに気づいたのならまだしも、もうそろそろ人生の総括に入ろうかというときになって、じつは自分はずっと騙されて、なおかつ人を騙してもきたという人生を送ってしまっていたことを認めるのは、そうとうな心の葛藤があって当然です。しかしこれが現実なのです。創価学会はもとから詐欺団体だった。そんな詐欺団体に一生を捧げてしまった。まずこのことをしっかりと受けとめなければ、残りの人生をどうすることもできなくなると思います。受け入れられない人が「どうにかしてこれまでの創価人生を正当化しよう」と悪あがきをする人もいるでしょう。そう、所詮、自分の人生を真正面から見つめる勇気のない人の悪あがきでしかありません。「それって暴力団でしょ。その白い粉を売ってきたことを今さら否定できないでしょ。白い粉の売り上げ吸い取っているのは慈善団体じゃなくて暴力団なんだから、あんたは暴力団の組員として生きてきたことを認めなくちゃいけないんだよ」と言って聞かせても、「自分は慈善団体のボランティア活動をしていただけで、この白い粉は一部の幹部が悪いことをしていただけだ。これからは自分たちの力で白い粉を売らずに正しい団体につくりかえていくんだいっ!おいらの人生は間違ってなかったんだいっ!」と苦しい言い訳をしているのと同じです。「じゃあ、白い粉を売らずにどうやって組織運営をしていくの?組織運営にあんたが口を出せるの?」と聞いても絶対答えは返ってきません。創価も同じです。「自分たちで創価を改革していく」という人がたまにいますが、もともとが詐欺団体なんですから、改革もへったくれもありません。これまで何度も言ってきましたが、暴力団がどんなに頑張っても慈善団体にはなれません。創価はどんなに頑張っても宗教団体にはなれないんです。それは創価学会は幹部が会員を騙してお金を巻き上げるという集団であって、その騙すための道具として日蓮正宗の教義を使っていただけであって、それが使えなくなったもんだから、こんどは自分たちで勝手に都合のいい教義をつくりかえて会員を騙し続けているわけです。
私はいまでもときどき白いブランコさんのブログを覗きます。もういっさい更新はしておらず、一日のアクセス数も30前後ですので、ほとんど誰も見向きもしていません。ここのブログで唯一対話ができた現役活動家さんである白いブランコさんは、「創価ルネサンス~創価学会改善活動~」というタイトルで、創価学会の改革を呼びかけながらも、わずか2ヶ月で閉鎖同然となってしまいました。現役の地区部長だった白いブランコさんは自分のブログの更新をあきらめるとともに、学会活動からも離れたそうです。その後どうされているのかはまったくわかりませんが、彼もまた「自分のあやまちを認めきれないでいる創価被害者」なのだと思います。そしてそのような人はじつにたくさんおられると思います。創価の間違いに気づいたが、自分の人生を否定できないが故に、今でも創価にも正しかったり良かったりした部分もある。救われたこともある。なんで詐欺団体とまで言われなきゃいけないんだ…と納得できない人も多いのではないでしょうか。しかし冷静に創価学会の始まりから見ていくと、創価学会がもともとから詐欺団体であったということの実証はいくらでもあるということです。ただ学会員は小説人間革命や日頃の「指導(洗脳)」によって、創価があたかも素晴らしい宗教団体であるかのように思わされてきただけなんです。
「創価学会は詐欺団体である」および「創価学会はもともとから詐欺団体として始まった」ということをしっかりと受けとめること。これが覚醒への第一歩です。
「11月18日は創価をやめる日」
みなさん、まだまだ先だと思っていましたが、あと5週間で11月18日がやってきます。この日に創価をやめようと決意した多くの方。準備はいかがですか?
創価をやめる事務的な手続きは超簡単です。難しいと感じているのは、やめることによって親が悲しむとか、離婚問題になるとか、組織の人に申し訳ないとか、つまりは身近な人間関係の問題がほとんどです。でもよ~く考えてみてください。やめなければそうした人間関係に煩わされることはありませんが、人間関係に悩まされないがために創価を続ける自分の人生でいいのかどうか。自分が創価をやめることでおかしくなるような人間関係というものを、自分に一生ウソをつき続けてまで、そこまでして守るべきものなのかどうかということを、もう一度よく考えてみてください。
そこで、今回のテーマは「創価をやめても意外と人間関係で悩みませんでした」とします。
つまり、創価をやめたくてもやめられない人の悩みは、意外と徒労だったという方のお話をしてくださるとありがたいです。それよりも創価をやめることによって開けてくるスッキリと明るい自分の人生に比べれば「今までどうしてあんなにウジウジ悩んでいたんだろう。はやく決断して脱会すればよかったんだ」という体験を持っている方がたくさんおられると思います。「脱会したいけど人間関係が~」とウジウジ悩んでいる学会員さんに、スパッとメッセージをお願いします。そして11月18日の全国一斉脱会宣言に向けて、気持ちの整理と脱会手続きの準備をしましょう!11月18日には皆さんからの脱会宣言のご報告をみんなでお待ちしています。
脱会するには具体的にどうしたらいいのかも、このスレッドにて皆さんから教えてあげてください。
組織の幹部に直接口頭で言うのもありますが、場合によっては幹部が握りつぶしてしまうこともあるようですので、学会本部に直接郵送(あるいは内容証明で)する方法もあります。
『11月18日は全国一斉創価学会脱会宣言の日』
ということで、「脱会してよかった」「脱会しても意外と人間関係で悩まなかった」などなど、みなさんの脱会体験談をご披露してください。よろしくお願いします。

 


解説
2015年の「11月18日は創価をやめる日」なのだそうです。
シニフィエさんは参加者が創価を辞めるかどうか迷っているときに、明らかに背中を押す行為をしています。
ここ重要です。

後に対話ブログが休止になってからシニフィエさんはコメント欄を閉じたままで断続的に記事を書きましたが、
「兄を見送って思うこと」(2021年7月1日)という記事には次のように書いています。

>そこで私はこのブログを続ける理由とモチベーションの多くを失ったのだろうと思います。ときどき、何か書かなければと思う時もありますが、何を書けばいいんだろう?とわからなくなるんです。
(中略)
>皆さんは自分の考えで創価学会や自分の歩んできた人生に真剣に向き合うことで、創価は詐欺だということに気づいて行動を起こしたのです。私は単に自分で思っていることを書き連ねたことで、それに共感してくれた人が、それぞれの意思で創価の実体に気がついて、創価から離れるという選択をしたんだと思っています。私が何かをしたというのでは決してないということはわかってほしいと思います。

これに対して私は、このブログの記事で次のように書きました。
対話ブログ・ラストステージ:休止から現在まで その9」(2021年9月7日)
シニフィエさんは、自分は背中を押したわけではない。各人が自己責任で創価から離れるという選択をしたのだと言いたいようです。
ちょっとズルいと思いました。
シニフィエさんは、自分に責任が降りかからないようにしながら、撤退の準備を始めたのでしょうか。
かつての信奉者が雪崩を打って、シニフィエさんに裏切られたと言って来ないように予防線を張っているのでしょうか。

その後、実際に対話ブログは非公開になりました。
私の推測もあながち間違ってはいなかったと思います。


獅子風蓮


対話ブログ・ラストステージ:休止から現在まで その9

2021-09-07 01:25:23 | 対話ブログ

その後、シニフィエさんは久々にブログ更新しました。


●「また久しぶりに書きます。」(2021年6月23日)
シニフィエさんがブログを休止したのは「ブログ内での思わぬゴタゴタがあったことが原因なのはもちろんなのですが、それに加えて創価脳の兄に末期癌が見つかって急死したことも大きかったのです」と書いて、現在の心境を綴っています。

●「兄を見送って思うこと」(2021年7月1日)
シニフィエさんは身内で唯一の学会員だった兄の突然の病死が、ブログ中断の大きな要因だったと打ち明けます。

>そこで私はこのブログを続ける理由とモチベーションの多くを失ったのだろうと思います。ときどき、何か書かなければと思う時もありますが、何を書けばいいんだろう?とわからなくなるんです。
(中略)
>皆さんは自分の考えで創価学会や自分の歩んできた人生に真剣に向き合うことで、創価は詐欺だということに気づいて行動を起こしたのです。私は単に自分で思っていることを書き連ねたことで、それに共感してくれた人が、それぞれの意思で創価の実体に気がついて、創価から離れるという選択をしたんだと思っています。私が何かをしたというのでは決してないということはわかってほしいと思います。

シニフィエさんは、自分は背中を押したわけではない。各人が自己責任で創価から離れるという選択をしたのだと言いたいようです。
ちょっとズルいと思いました。
シニフィエさんは、自分に責任が降りかからないようにしながら、撤退の準備を始めたのでしょうか。
かつての信奉者が雪崩を打って、シニフィエさんに裏切られたと言って来ないように予防線を張っているのでしょうか。

その後は、また面白みのない記事が続きます。
●「都議選に見る公明党創価学会の現実」(2021年7月7日)
●「聖教新聞の発行部数に見る創価学会の現実」(2021年7月8日)
●「創価学会の人ってどれくらいいるの?」(2021年7月13日)
●「女子部が消滅した次は当然男子部消滅」(2021年7月15日)
●「創価学会は世界に広まっているという思い込み」(2021年8月24日)

シニフィエさんは、いったいどうしたいのでしょうか。

獅子風蓮でした。