高倉先生のブログの感想のつづきです。
(以下、緑字は、高倉先生のブログからの引用です)
高倉先生のブログを読んで驚いたのは、大阪での勉強会のメンバーにあの友岡雅弥さんが含まれていたことです。
友岡さんは、電話で、高倉先生の身を案じ、いろいろアドバイスをしていたようですね。
創価学会上層部は、高倉先生の「日記」を分析して、和田、野崎、友岡らが黒幕になって高倉先生に反創価学会活動をけしかけたと疑ったようです。
東京-大阪-四国に反創価のネットワークが出来ているのではないかと恐れたようです。
すでに反創価の活動をしている元衆議院議員の福本潤一氏と繋がっているのではないかと聞き出そうとしたようです。
しかし、高倉先生は、友岡氏に対しては、不信感のようなものも抱いていたようです。
高倉先生は、妻から離婚を切り出されことを友岡氏に電話で相談したことがありました。
その時、友岡氏から、
「髙倉さんは、創価学会を批判するだけの根拠となる信心がない。」とぼろ糞に言われたと書いています。
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その32)
この時のブログ記事には、次のような友岡氏の発言を紹介しています。
「現在、創価学会は崩壊のプロセスに突入している。こんな体制は、いつまでも続くはずがない。」
「池田名誉会長の発言は、すべて感情的なものである。秋谷会長(当時)は、池田名誉会長に振り回されている。」
「創価学会の現場は崩壊している。活動をしている会員は100万人を切った。しかし、学会本部の職員の結束力は大変強くなっている。」
やや後ろには、友岡氏からの電話の内容がより詳しく紹介されています。
「東京と大阪の創価学会員から、髙倉さんのことについての問い合わせがあり、髙倉さんは、福本氏と連携して反創価学会の活動をしているとマークされている。もし、創価学会の幹部が訪ねて来ても、絶対に、池田先生と創価学会を批判するような発言をしてはいけない。幹部は、髙倉さんから学会批判の言質を取ることを目的に、わざと、池田先生を批判する発言をするはずだ。絶対に、そのような発言を真に受けてはいけない。」
(中略)
その翌日の午後1時過ぎに、再び友岡氏ら電話がありました。友岡氏によれば、私が反創価学会の運動をしているとマークされた理由は、芥川賞を受賞した作家の宮本輝氏(以下、宮本氏と記述)と関係があるとのことでした。宮本氏のことを、池田名誉会長が仏敵だと言い出したことに連動して、文芸部と学術部のメンバーの監視体制が構築されたからだとのことでした。
かつて、大阪での研究会終了後の懇親会で、友岡氏は、以下のような話をしたことがありました。
「池田名誉会長は、夏の間、軽井沢の創価学会の研修道場に滞在することが慣例だ。池田先生が軽井沢に滞在していた時に、宮本氏に軽井沢に顔を出すようにと側近を通じて伝言したところ、宮本氏は、仕事で忙しいと池田先生からの招聘を断った。すると、池田先生は宮本氏のことを生意気だと烈火の如く怒った。」と述べていました。
それから半年以上経過した今年の冬になって、前述のように、池田氏が宮本氏のことを「許すな。」と発言したとのことでした。その結果、宮本氏の所属している文芸部のメンバーばかりか、学術部のメンバーに関しても徹底的な調査がなされるようになったと言われました。
なんと、芥川賞作家の宮本輝氏は創価学会員であり池田氏を尊敬していたと思っていたのですが、池田氏の方では、ささいなことから宮本輝氏を疑い、学術部のメンバーに関しても疑心暗鬼になっていたことが分かりました。
次の記事には、友岡氏に高倉氏が疑問をぶつける様子が書かれています。
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その39)
宗門との対立が明確になってからは、聖教新聞には、連日のように宗門を罵倒する記事が掲載されました。
それまでも、創価学会の内部情報を漏らした創価学会の元顧問弁護士達や創価学会を批判した政治家達については、罵詈雑言を浴びせる記事が掲載されていました。しかし、宗門に対する記事は、それらをはるかに凌ぐものでした。
聖教新聞の購読を、創価学会に入会していない大学教授や友人達にお願いしていた私は、このような記事を掲載することに強い違和感を懐きました。そこで、聖教新聞本社に勤務し、池田名誉会長のゴーストライターの一人でもある知人の友岡雅弥氏に電話で抗議したところ、多くの会員達から、私と同様の電話が架かって来ていると言われました。しかし、このような記事を掲載するのは、全て池田名誉会長の指示だから、どうすることもできないと言われました。
次の記事には、高倉氏が創価学会上層部にマークされたのは、日記が原因ではないらしいと友岡氏が電話で話したとあります。
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その252)
翌日の午後1時過ぎに、再び、友岡さんから連絡があった。その内容から、今回、私がマークされた理由は、日記が原因ではないらしいことが判明した。作家の宮本輝氏を、池田さんが仏敵と言い出したことに連動して、文芸部と学術部のメンバーの監視体勢制が構築されたことからのようだ。
これはどうでしょうか。
私の印象では、高倉氏が不用意に「日記」を信心強情な妻に渡したことで、日記の内容が創価学会上層部に知られ、実名が記載されていた和田氏、友岡氏まで査問された、というのが本当ではないでしょうか。
和田氏は、創価学会側に寝返ったようです。
友岡氏は、ボランティア活動が原因で査問を受けたとばかり思っていたら、高倉氏の「日記」が原因で、高倉氏の黒幕ではないか、福本潤一氏とのつながりがあるのではないかと査問を受けたのが本当のようです。
つまり、高倉氏は、和田氏や友岡氏にかなりの迷惑をかけたのだと思うのですが、その責任逃れをするために、「創価学会上層部にマークされたのは、日記が原因ではないらしい」と書いた可能性があります。
野崎氏については査問を受けたどうかも不明で、現在亡くなったかどうかも確証はつかめていません。
しかし、おそらく創価学会上層部から、かなりきつい査問を受けた可能性は十分にあります。それが、野崎氏の死亡(?)と関連しているのかどうかはわかりませんが。
高倉氏のブログでは、裁判記録とは他に、日常のことや、他のアンチブログのことも書かれています。
次の記事には、名指しこそしていませんが暗に友岡氏に対する批判ともとれる内容が書かれていました。
(創価学会池田カルト一派の悪行シリーズ その108)
signifie様が主宰されているブログ「対話を求めて」に……コメントを投稿させて頂きました。
希望 2015年4月27日 23:54
signifie様とこのブログにコメントを投稿されておられる方々に、心より敬意を表します。
「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
(中略)
今から8年前に、私は、池田大作創価学会名誉会長のゴーストライターから活動家の数は90万人台になったと伺ったことがあります。このゴーストライターは、聖教新聞社に勤務しています。立ち回りが、実に上手で、かつ、巧妙な方です。
おそらく、このブログをご覧になっておられる皆様の中には、この人物の講演を聞かれた方がおられるのではないでしょうか。
このゴーストライターは、自分の周囲の聖教新聞社の同僚は、今のような創価学会の体制が続くはずがないと異口同音に語っていると言われていました。
にも関わらず、この人物は、いまだに聖教新聞社に勤務しています。ある意味では、このような人物こそが、創価学会池田カルト一派を支えている大悪人ではないでしょうか。
高倉氏のブログの読者には、「この人物」が友岡氏のことを指すことは明らかでしょう。
裁判になってからは、高倉氏は友岡氏と連絡を取ることはなかったようです。
友岡氏の死亡を知った高倉氏は、次のような記事を書いています。
「ご冥福をお祈り申し上げます。」
驚きました。聖教新聞社の元記者友岡雅弥氏が、2019年4月2日に亡くなられたとのことです。
友岡雅弥氏は、池田大作創価学会名誉会長の「真実」をご存知の方でした。様々な秘密情報を、私に提供して下さった方でもあります。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2020/08/09の記事には、高倉氏は自分の誕生日に際し、次のようなことを書いておられます。
「ありがとうございます」
本日8月9日に、66歳となりました。おかげさまで、とても元気にしておりますので、ご安心下さい。
7月23日から昨日8月8日まで、元聖教新聞社の記者で、池田大作創価学会名誉会長のゴーストライターだった友岡雅弥氏の証言記録を掲載させて頂きました。
かつて、友岡氏から、創価学会の内部情報を幾度となく伺ったことはあります。
しかしながら、創価学会池田カルト一派との裁判闘争を開始した以降は、友岡氏とは音信不通でした。「査問」を7回も受けておられたとは、全く存知ませんでした。
友岡氏のインタビュー記事を拝読し、創価学会池田カルト一派は「極悪非道」の一語に尽きる団体であると確信させられました。本当に「恐ろしい」集団であると痛感させられました。
私が思うに、高倉氏が軽率にも信心強情な妻に「日記」を渡してしまったことから、創価学会上層部は友岡氏が反学会活動の黒幕ではないかと疑い、情報漏洩がなかったかどうか執拗に友岡氏を査問し糾弾したのではないでしょうか。
そのことに対する責任は、高倉氏はお感じにならないのでしょうか。
創価学会池田カルト一派との裁判闘争を開始した以降は、友岡氏とは音信不通でした。
と高倉氏は、サラッと書きますが、本来なら、高倉氏は友岡氏に迷惑をかけたことを謝罪した上で、裁判に対する協力をお願いし、創価学会上層部とともに闘うことを提案するべきだったのではないでしょうか。
そうすれば、友岡氏があの過酷な査問を受け、それが原因で心身の健康を損ね、東北の地で命を落とすことはなかったかもしれません。
たいへんに、悔やまれることです。
獅子風蓮