山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
■第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき
リポーターの反撃をくった“婚約会見”
7月19日。
私たちは、そろって記者会見することになった。今の状態では、おちおち二人で会って話をすることもできない。堂々と会えるようにするためにも、報道合戦をくいとめるためにも、記者会見する必要があった。準備はすべて、私の事務所ではなく、教会側がととのえてくれた。
一見、穏やかそうで無口な青年に見えた勅使河原さんは、実はおしゃべりが上手で、頭の回転も速くどっしりしていたので、一緒に出ても大丈夫だろうということになった。
会見が行われるワシントンホテルの控室では、教会の幹部も興奮していた。
「仲のいいところを見せれば、それでいいですよ。勅使河原くん、肩に手をまわしてもいいからね。浩子さん、こうやって、腕組んでね、サービスしてあげてくださいよ」
と、実演までしている。
私は、ギャハハと笑いながら、「そんなことできませんよォ」と答えた。
6月に信仰告白の会見をした時と違って、私はずいぶんリラックスしていた。一度大きな舞台を踏んだという感覚があったのである。
私は再びフラッシュの中へ飛びこんでいった。
二人して笑顔でカメラマンの注文に答える。彼がひとこと「すごいね」と言って笑う。大勢の報道陣に、たじろぎもしない様子である。その大物ぶりに感心しながら、フラッシュの間をぬってあたりを見渡した。
私はギクッとした。
前の話者会見の時とは正反対の、リポーターたちの冷たい視線を感じとったのである。
ウキウキしていた私の心が一気に暗くなった。ニコニコと笑顔をふりまきながら、逆に心が冷たく凍りついていくのを感じていた。
案の定、私は言ってはならないことを口にしてしまった。
「山崎さん、ご親族の方々が反対をされてるようなんですが……」
「はい、悪意に満ちた報道がありますので、そういうのだけ聞いていれば、誰でも心配して反対するのではないかと思います」
そう答えて、ハッとした。
(うわッ、悪意に満ちた報道はまずかっだ)
でも、時はすでに遅し。リポーターの一人が立ちあがって反撃に出た。
「悪意に満ちた報道とはどんなことですか」
「いや、全部とは言ってません。一部の報道によると……」
と、なんとかゴマかそうとしたが、なかなか納得してくれない。
どうにかしてこのいやな雰囲気を脱したいと思いながら、次の言葉を探していた。
すると彼が、私の発言を制するように、パッと手をかざした。
「儀式とか、そういうものだけ輿味本位にとりあげられますので……」
彼の言葉を聞いて、リポーターはようやく腰をおろし、引き下がった。
堂々とした彼の態度に、私は(やるじゃん)と思った。話者会見を終えたあと、彼は大きく株を上げていた。
(もう、これでみんなの前に出るのは終わり)
私は安堵した。やらなくてもいい前代未聞の信仰告白記者会見をして、そしてお披露目の会見。
これで明日からは堂々としていればいいんだし、追われる必要はないのだ。
なぜ彼らは神の摂理の邪魔をするのか
6月25日の信仰告白会見以来、私は常に緊迫した生活を送っていた。
マスコミの目。そして、“反牧”といわれ、統一教会に反対する左翼系キリスト教牧師の存在。
この反牧は、神の御言を伝える神聖なる仕事をしていながら、その一方で統一教会の信者を“拉致・監禁”し、ある事ない事ふきこんで信仰を失わせるのだという。
神側に人間を奪われたくないサタンが、彼らの背後につき、必死になって私たちの信仰の道を妨害するのだそうだ。
道を歩いていたら突然粒致されて、そのままいなくなってしまった人もいるという。
逃げかえってきた人の話によれば、薬は打つわ、鎖につなげるわで、相当残虐な行為に出るらしい。中には強姦までして、アダム・エバ(男女)問題をひきおこさせる人もいるという。職業的改宗屋というのもいて、親から500万円ぐらいふんだくっては、信仰を失わせることを商売にしているというのだ。
その“反牧たち”が私のまわりをうろついているかもしれないと言われて、とても怖くなった。
「あなたに、ボディガード兼ドライバーをつけましょう」
今、いちばん狙われる存在だからと、そう言って一人の教会員ドライバーをつけてくれた。
どんな恰幅のいい人がくるのかと思っていたら、その人はとても小さく、気弱そうな男性で、これでボディガードになるのかなあ、と思った。
でも、まあ用心にこしたことはないと、仕事場への行き来は、すべてドライバーにまかせた。
車に乗る時、まわりに誰かがいないか、いつもビクビクしていた。
スクール生やスタッフに迷惑をかけていることもつらかっだ。最初のうちこそ好意的だった報道も、“反牧”の一味である統一教会に詳しいジャーナリスト、大学教授、弁護士から元信者という人たちまで連日のように登場させ、やれ霊感商法だのなんだのと、教会にとってマイナスの報道へと傾いていった。
とくにスクールのスタッフは、私の下で働いているということで、みんな統一教会員なのではないかといって白い目で見られるという。
私は、信仰を持つことによってスクールにプラスになればと思っていたのに、それが裏目に出て、にもかかわらず信仰を捨てることは絶対できないというジレンマに陥っていた。
いつか、いつかは、みんなわかってくれる時がくるだろう。そう思うしかなかった。
私自身も白い目で見られたのはいうまでもない。
誰かと話をしていると、勧誘しているのではないかと疑われ、オチオチ人と話すこともできなかった。まるで伝染病患者みたいに、私がいると“統一教会菌がうつる”と避けられている感じだった。
悲しく切なかったが、お父様やお母様の歩まれてきた道を想像し、こういうことは甘んじて受けなければならない迫害だと思った。
むしろ、そういうふうに非難されれば、されるほど、私の信仰心は強くなって、迫害の中にいること自体が感謝であった。
仲の良かった私の仲間も心配してくれて、時々会うこともあった。けれど、みんなスポーツ界や芸能界のー線で働いている人でもあるし、迷惑をかけてはいけないと思い、少しずつ私の方から遠ざかった。
なじみの寿司屋さんで食事をしたあと、友人が送っていこうかと言ってくれた時も、車に乗せてもらおうとは思わなかった。私と一緒に車に乗っているところを見つかっただけで、きっとその人のマイナスになることだろう。私にとっては、食事にさそってくれるだけで、ありがたいことだったのだ。
テレビに出て、統一教会反対を唱える元信者がいる。自分がやめたいのなら、勝手にやめればいい。だが、なぜ神の摂理の邪魔をするのか。自分の意志で統一原理を信じ、文先生を信じ、珍味売りに精を出していたのではなかったのか。それが信じられなくなったからといって、「青春を返せ」と叫んでいる人たちの気が知れなかった。
私は“元信者”にだけはなるまいと自ら誓った。
統一教会に批判的なニュースを見ると、気分が悪くなり腹立たしくなるので、テレビや新聞、雑誌からも遠ざかるようになっていった。
三軒茶屋の白亜のマンションにも、私が行くと、そこが統一教会だということがわかってしまうので、来ないように言われた。
その代わりに、統一教会のビデオを買うことと、お父さまの御言が直接学べるようにCS衛星放送を入れることをすすめられた(CSの2チャンネルで、日曜日の礼拝での文師の説経などを放送していた)。また、新聞は統一教会系の世界日報をとり、アベルへのホウレンソウ(報告・連絡・相談)が日課となり、私のまわりは、御言だけに埋めつくされていった。
「“拉致・監禁”の危険がある」
8月----。
新盆のため、屋久島に帰らなければならなかった。同時に、母の一周忌を行うことになる。親戚一同集まるのだから、非難されるのは覚悟の上だった。
しかし、もしかしたら“粒致・監禁”にあってしまうかもしれない。マスコミの目があるから大丈夫だろうけど、用心するようにとの指示を受けた。
こういうのを教会長宛てに出しておくといいとM先生に言われて、人身保護の嘆願書なるものを見せられた。
これを提出しておくと、つかまった時に、捜しやすいそうなのである。なるほど、“反牧”は親や親戚をそそのかして、法律にふれないように“拉致・監禁”を平然とやってのけるそうだから、こちらも法律上、動きやすくする策のようだ。
私は、所属する世田谷の教会長宛てに下のような人身保護の嘆願書を書き、何か起きた時のために預けることにした。
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伊藤教会長様
私は平成4年8月12日より8月16日まで故郷であるところの屋久島へ帰省いたします。
肉親の反対は心配ないと思うのですが、反対派の動きが活発化している折、17日を過ぎても何の連絡もない場合は、詳細をお調べの上、保護をお願いいたします。
また、屋久島へ帰省途中に行方を絶った場合にも同様にお願いいたします。
平成4年8月12日 山崎浩子
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できればお盆に帰る前に、反対している義理の兄に会っておいた方がいいということで、私と勅使河原さんは、いきなり鳥羽市の兄のところへ押しかけた。
「今、もう近くまで来てるから会って」
強引でも何でもよかった。会ってくれるだけで蕩減条件になると思った。
兄は、しぶしぶ私たちに会ってくれ、その上、観光名所をいろいろと案内してくれた。
私はとてもうれしかった。
「反対していても、相対者に合わせれば、みんないい人だって、認めてくれるものです。しまいには、あきらめるようになりますよ」
よくそんな話を聞いていたが、ホントにそうだなと思った。
勅使河原さんに会ってくれたことによって、兄の反対する気持ちは、少し薄らいだのではないか。
(ひとつ勝利したな)
私は、そう思った。
(つづく)
【解説】
第3章では、山崎浩子さんが旧統一教会での合同結婚式に参加するもその後“拉致・監禁”に至るまでの様子がていねいに描かれています。
獅子風蓮