柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。
Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。
柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。
さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。
■東村山市議の闇 1(2022/11/16 水曜日)
2022年は世界史においても日本史においても後世の歴史にとどめおかれる年となったようだ。2月にロシアがウクライナ侵攻を行い、世界を仰天させた。国内では統一教会を自らの欲得のために利用した政治家が暗殺された。だが2022年ほどではないとは思われるが、1995年も歴史の分水嶺となった年だった。1月に阪神淡路大震災が起き、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件が発生した。秋には宗教法人法が改正され、宗教叩きに利用された。多くの出来事が集中して起きた中、宗教が大きくクローズアップされたという点で、1995年と2022年は似通っている。このコラムでこれから連載を始める「東村山市議の闇」も、この1995年に関係して世に噴出した問題だった。きっかけは、東京西部の地方自治体、東村山市を舞台に起きた。1995年4月の統一地方選。東村山市議選で初当選した朝木直子が、自分の議席を意図的に返上する形で、次点で落選した矢野穂積に議席を譲渡した問題である。市民からはこんなイカサマ行為が許されるのかという民主主義の根幹にもとづく批判が沸き起こった。東村山のその後の問題の多くが、実はこのときの「議席譲渡」から始まっている。
(つづく)
【解説】
東村山市議会における「議席譲渡」問題は、乙骨氏の著書では次のように説明されています。
95年4月23日に投票が行われた統一地方選挙・東村山市議選に、「草の根」は朝木明代、朝木直子、矢野穂積の3氏を擁立、議会運営委員会への出席資格を得る3議席の獲得を目指した。結果は、朝木明代さんが2622票を獲得してトップ当選。朝木直子さんも1926票を獲得しての4位当選だったが、矢野氏は最下位当選者に52票届かぬ1249票で次点だった。
「草の根」全体の総得票数は、5797票(得票率率11%)で、これは3人当選の社会党の総得票数4593票(得票率8%)を1200票以上凌いでいる。だが、組織のない悲しさ、得票数は多かったが、それをうまく振り分けることができず、目標の3議席獲得はならなかった。
この結果を受けて「草の根」では、「ムラ議会」の改革を推進するためには、27歳と若く政治経験の少ない直子さんが議席を得るよりも、「東村山市民新聞」の編集長として議会の傍聴経験も豊富で、市政に精通している矢野氏が議席を得る方が、「草の根」を支詩してくれた市民の期待に応えることができると判断。直子さんが東村山市から転出することで当選を返上し、矢野さんに議席を譲ることにした。
(中略)
しかし、全国でも初めてというこの「当選返上」は、市民の間に賛否両論を呼び、マスコミも大きく取り上げるところとなった。
「当選人の繰上補充」を定めた公職選挙法第97条は、当選人が当選資格を喪失した場合、直ちに選挙会を開き、繰り上げ当選人を決めることを義務づけている。したがって、直子さんの転出による当選資格の喪失に伴う矢野氏の議席繰り上げは、公選法上はなんら問題ない。実際、東村山選挙会は、5月21日、直子さんの当選辞退と矢野氏の繰り上げ当選を認めている。
とはいうものの、繰り上げ当選はすんなり認められたわけではなかった。東村山市選挙会では、「草の根」の議席譲渡に反対する立場の政党推薦の選挙立会人から、「議席委譲は憲法に反する」などの異議が続出。4月28日と5月11日に開かれた選挙会がいずれも、立会人の妨害によって流会するなど、混乱を極めた。
(中略)
市民の追い風を満帆に受けての順調な歩みを続けてきた「草の根」にとって、「当選返上」問題は、初めての逆風だったといえる。
そして、乙骨氏は、次のように、中立的かつ公平な意見を述べています。
私は、議席譲渡に関して『草の根』の論理を擁護するつもりは一切ないし、理解できない。しかし、現在の『草の根』批判には、議席譲渡に対する批判と、これまでの活動に対する反発が混同されているのは否定できない。
私も、乙骨氏の意見に賛成します。
獅子風蓮