その後、私は「アメブロのコメント欄での「対話」は難しい… (4)」というアメブロの記事を書きました。
その中で、最後にこう書きました。
(ゼロさんがゼロさんのブログにおいて)「個人の批判をしない」などというルールを掲げるのは、さんざん創価学会員や公明党議員の批判をしてきたブログの管理者の言葉としては、どうかと思います。
創価学会員や公明党議員についてなら、どんな悪口や批判をしても構わないが、アンチ同士ではどんな批判も許さないというのでは、ダブルスタンダードもいいところです。
そんな仲間内だけの、批判精神の欠片もないブログなど、続ける意味もないと思います。
しっかりしてください。
ゼロさん。
獅子風蓮
その後、ゼロさんからは反応はありませんでしたが、コメント欄に、haru という人がコメントを寄せました。
その中にこう書いてありました。
個人批判のことですが対話ブログもゼロさんのブログも、創価学会という組織を非難しているのであって、創価学会員の個人の名前を挙げて攻撃したり非難してはいませんね。
池田氏は別です立場が違うし非難を受ける地位にいる人ですから。
ところが獅子風蓮さんはシニフィエさんゼロさんという個人を挙げ攻撃し非難している、このところもよく考えるべきですよ。
この点については、私は返信でこう答えました。
個人批判のことについても事実誤認があるようです。
記憶に新しいところでは、ゼロさんは公明党の前国会議員について実名をあげて非難していました。
ゼロさんが個人批判をまったくしていないわけではないでしょう。
ただ、私の言いたいのは、正当な批判であれば、むしろするべきだということです。
そのためのブログなのですから。
でも、牧口先生や戸田氏の場合のように、最初から金儲けのために創価教育学会を作ったとか、根拠のあやふやなトンデモ学説を流しているのですから、それに関しては黙っていられず、ゼロさんに意見したわけです。
正当な理由のある批判はどんどんするべきだと思いますが、批判の正当性に疑問がある場合は、正々堂々と議論に応じるべきではないでしょうか。
牧口先生や戸田氏にも遺族はいるのです。
たしか、みんな創価学会からは離れていると思うのですが、彼らがゼロさんのブログを読んだら、どんな気持ちになるでしょうか。
そういうことにも思いをはせるべきだと思います。
さて、対話ブログのブログ主さんですが、彼については、私自身がいわれのない罪を着せられて苦しめられた当事者なのですから、私が彼を批判するのは当然でしょう。
詳しい内容は、過去の私のブログ記事を読んでください。
これについては、ゼロさんもあなたもスルーしますよね。
シニフィエさん自身は、後に自分の罪を認めて、私に謝罪しています。
しかし、悪いのは自分ではなくHOPEさんだと責任転嫁をしたので、私は許せないのです。
このことについては、シニフィエさんは公式的な場で謝罪していません。
私も、まだ彼を許していません。
その後、haru さんは返信するでもなく、アメブロのIDを消して、どこかに行ってしまいました。
ゼロさんからも、反応はありません。
もし牧口先生や戸田氏の遺族から訴えられたらどうしますか?
ゼロさん。
WordPressの壁は、あなたを守ってはくれませんよ。
つづく