NHKで、「超常現象 科学者たちの挑戦」というのを放送していて、いきなり冒頭から案内人として
「どんとこい超常現象」の阿部寛がでてきたので、
「まるっとおみとおしだ」の某女優まで出てくるのかと思った――という、まあ遊び的な番組であったが、最新のテクノロジーを使うと、いままで超常現象としていわれてきたもののなかで、その痕跡がデータとして見出される場合もあるという。まあ、われわれの社会は、そのむかし「変態科学」に興味津々だった頃とあまり変わっていないのである。科学は、いつも部分的説明であって、100パーセント物事の仕組みを開陳するところまで行かない。だから、一般人はもちろん科学者にとってさえ、別に意識せざるをえないのは(というか、そうなってしまう)のは、なぜそれを追求し説明する気が起こったのか、という問題である。しかしそれは「反省」ではなく、ある種の連想や類推の「自由」の気分のうちに行われる。『唯物論研究』の昭和10年の、石原辰郎の「生物有機体説と社会有機体説」を読みながら、当時の唯物論者たちが、有機体説を社会に類推させてしまう、ファッショな社会有機体論者にたいして、彼らの「自由な気分」に手を焼いていたことを感じた。まるで自分たちの方が抑圧者の気分ではないかと……。