★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「Battle: Los Angeles」讃

2012-04-07 03:12:27 | 映画


知り合いが、「世界侵略 ロサンゼルス決戦」が面白いというので、借りて観た。とにかく、何の説明もなく宇宙人が全世界を侵略。でもその様子はロスの街だけしかわからん。とにかく相手が何かは分からんが軍事攻撃だというので、退役しかかったトラウマ持ちの軍人(←一応主人公かな?)まで強制動員してとにかく民間人を逃がすためにいざ出動。敵が強すぎて、やられまくり。宇宙人は地上部隊だからあと3時間でロスを空爆するぞそれでやつら全滅や、と上官が言ったので、馬鹿正直に出撃して3時間待ってみたら、宇宙人は飛行機ももってて(←当たり前、奴らは空から来たんですよ……)、空軍全滅で何も起きず。それでも米国の軍隊に撤退はありえない。とにかく一番内面的な主人公ですら「俺は昔部下を死なせた」と「撤退糞食らえ」ぐらいしか言葉が出なくなっているのだ、戦闘は忙しいからな、で、とにかくがんばっていたら(途中で、民間人の癖に落ちていた銃で宇宙人と交戦して案の定死んだ父親を持つ子供に、海兵隊はすごいということを吹き込むなど営業活動もする)、奴らは通信施設から指令を受けてるみたいなので、それを破壊してみたらよいね、というわけで、必死に一つ破壊に成功!なんかよく分からんが、ヘリで安全な基地まで撤退。で、上官が「よくやった、食事して休んでくれ」といったが、どうやら部下が死んでもトラウマにならない強さを身に付けてしまった撤退はあり得ないモードの元トラウマ持ちの軍人(←やっぱり主人だった)は、部下と共に食事もせずに再び戦闘に参加。「ロスを守るぞ!」……エンドロール。

……えっ、ここで終わりかよ。結局何が言いたいんだこれわ。

しかし、戦争映画が何かそれらしい哲学を語ったり、人間ドラマを持ったりすること自体欺瞞であることを考えれば、この映画はなかなかの傑作かも知れない。手持ちビデオカメラで撮影する、いまはやりの揺れる映像も、2時間ずっとやっているのであまり上手い感じはしなかったが、実際の戦闘となりゃ、視界が揺れるどころの話じゃないはずだ。

「スターシップ・トゥルーパーズ」が全体主義や軍隊批判なのに対し、こっちはアメ公のプロパガンダだという意見がありそうだが、そうは思わない。プロパガンダにはストーリーや主張が必要だ。「スターシップ・トゥルーパーズ」だって、馬鹿が観れば、単なる軍隊かっこいい映画に見える。ストーリーと主人公達の意見が明確なので、映画を作品として解釈する能力と教養の度合いによって如何様にも作品の主張が変わってしまうからである。偽装転向や二枚舌の戦法があり得るのはこの性質を利用しているわけだ。──例えば、「インディペンデンスディ」のように、馬鹿観客用に一見どうしようもない好戦的な主張と物語をつくっておきあとは映画ファン兼インテリ観客用にはしゃいだ喜劇的なエピソードをちりばめるという手もあり得る。しかしこの映画のように、戦闘に必死な場面以外のものがほとんどないと、解釈のしようがないのだ。この解釈のしにくさは大西巨人の「神聖喜劇」みたいではないか。あるいは、リアリズムを突き詰めると物語の空間が歪み始めることを利用して、童話の世界に行き着くという手があるな。この映画のラストで、宇宙船からいきなり兎のぬいぐるみを着た宇宙人がでてくれば戦争映画の最高傑作が生まれたと思う。そんな勇気はハリウッドにはないかねえ……。


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