田中克己の「春来る海市」(『コギト』昭7・10)は、なんとなく心に残る話で、わたくしは、成瀬正一の渡米前の日記のなかの、英語(だったとおもう)の女教師に対する思慕を思い出した。この日記はなかなか生々しいもので、ロマン・ロランに心酔した彼が芥川龍之介の才能に対して持つ怨念のようなアンヴィヴァレンツな心情などとともに、彼が西洋の女性に対してどのような感情を持っていたのかがうかがわれる。彼が当時、宗教がかっていることもあるのだが、とうていそれは性欲などというものでくくれるものではない。
田中の小説は、十才ぐらいの「私達」の、同級生アグネスとヨハンナという姉妹達(この「達」という言葉がこの小説では重要みたいだ)に対する吸い込まれるような恋を描いている。彼らは日本の学校では、「阿具ちゃん」と「花ちゃん」であった。最後に花ちゃんが死ぬ。そして阿具ちゃんも去る。話を読むと――この少女がふたりなのは、キリスト教に対する美化と不審を示していると読めるが、――しかし、彼の皇国主義への道と、戦後のクリスチャンへの転向を予言するような展開と後の人はとるかもしれない。
沖から磯へ矢のやうに飛んでくる白い鳥がゐましたが何と云ふ鳥だつたでせうか。とうとう阿具ちゃんも花ちゃんも梅の咲くこの町を見ずに行つちやつたと思ひながら町の方を見かへると遠い山に花ちやんの犬に似た雲がぢつと動かないでゐました。おたまじやくしの泳ぎ出す春の近さが思はれました。
おたまじゃくしが――田中氏の青春はどうだったのであろう……。