POSTと性的不能 2018-05-31 23:05:34 | 文学 村上龍の「POST」を捲ってみた。大江健三郎とは違うが、これも一種の性的不能の物語だと思った。最初に語られる、ポップアートが頭に貼り付く、という事態は、アメリカの風景が内面化を許さなかったということである。村上龍の主人公達は、村上春樹のそれとはちょっと違うが――、すぐ閨房入りしたりする。が、まったく「そんなかんじ」がしないのである。 今日、ドリス・ディの「A GUY IS A GUY」をだしに、占領下のアメリカンポップスとその後の日本の歌謡曲について語ったので、そんな事を思った。