★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

高松の癖に豪雨で

2016-05-16 23:58:03 | 文学


『蜜のあわれ』を観てきた。二階堂ふみが赤子を演じていて、可愛かった。「交尾して参る!」でつい笑ってしまったのはわたくしも慎みがなくなってきた証拠であろう。……というのは冗談であるが、本当はちょっと首をくくりたくなるような映画であった。

昔、「幼年時代」を読んだ時、これなら俺にも書けるぜと思ったことがある。

そう思ってから30年たつ。

家に帰ってきて、ニュースサイトを見たら、蓮實重彦が三島由紀夫賞を受賞したとでていて、わたくしは青春時代を思い出した。http://www.asahi.com/articles/ASJ5J7G1NJ5JUCVL03L.html?iref=comtop_6_03 

「私の書いたものは傑作と言えるものではありません。あの程度のものは、私のように散文のフィクションを研究している者であればいつでも書けるものでありますから、あの程度のものはすなわち、相対的に優れたものでしかないということだと思っております」

この「いつでも書ける」というのが、わたくしの青春時代をさらに想起させる。

新聞記者は、蓮實が「おじさま、いつまでザボってらっしゃるの」という赤子のような声をいつも聞いているのが分からないのであろう。というか、わたくしは蓮實の文章を読むための環境として、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を大音響でかけながらが、案外良いと思う。