★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「世界の果ての通学路」

2016-05-03 15:57:16 | 映画


録画してあったので観た。
仏蘭西映画で、誰が「世界の果て」とかつけちゃったのか知らないが、むしろ日本の方が「世界の果て」と言うべし。
ケニア、アルゼンチン、モロッコ、インド……舗装されていない道を長時間学校に通う子どもたちをロードムービー風に描いた作品。

この映画を観る前に、我々は世界史を勉強し、これらの国とフランスの関係について……(略)

遅れた近代化の過程では、大人には子どもについて「このひとみをにごしてなるものか」と思ったりすることがある。しかし必ず子どもたちはひどい運命を辿る。

で、私は、檜垣立哉の賭博論を思い出した。

USJ 対 鼠ランド

2016-05-03 13:01:39 | 思想


細君と夕食をとりながら、テレビを見ていた。

すると、村上龍の何とか宮殿という番組(録画)で、USJのお偉方(同い年)がでてきて、入場者数を天気で当てるとか、「進撃の巨人」の武器のおもちゃを売るとか、いろいろとスーパー商売人ぶりを語っていた。同じことをやってちゃだめとか、ある種の商売人にとって(多分)当たり前の哲学を自慢げに語っていたので、ついむかっ腹が立ち、「こういうのを国とか大学でまねする馬鹿が気持ち悪く沸いている」、「役人や学者如きが商売人のまねするんなんて商売人に失礼極まりない」、「素人が勝手に集客してつぶれろ」とか悪態をついたあげく、商売敵のデズニーランドについては「あのアメリカ臭が堪えられない」「あの鼠の眼つきは絶対病んでる」とか言っていたのである。「845かがわ」では、通信相会合の様子がやっていて、栗林公園をつまんなそうに歩く外国の大臣が映っていたので笑っていると、ボートこいで一生懸命テロ対策している宮仕えの人が写されたので「××××××××××××」と不謹慎に盛り上がった。だいたいある種の人というのは、大臣に面を憶えてもらうことに激烈な快感を覚えるらしいのである。テロ対策は、テロリストが攻めてくることを期待しているところがある。役人根性の費用対効果というものはそういうものである。そうすりゃ頑張って闘って上司に褒められる――と、空想しているかも知れないが、テロリストをあまり舐めないほうがよいのではないか?

というわけで、わたくしも自分の戦闘意欲と褒められ願望を遊園地に行って晴らしてみるのもいいかもしれないと思った。USJにもデズニーも行ったことがないので……。

無論、商人も役人も学者も根本的に遊園地で遊んでいるようなものである。その非現実性を嗤うことはいつも容易だが、それを成りたたせている物語を否認することは難しい。人文学はそこだけを問題にする。